たいせつなものを壊す彼
暴力的な描写がございます。
閲覧にはご注意くださいませ。
「あっ…く……う……え……」
苦しい。涙が止まらない。
もしかしたら死ぬかもしれない。
けど。
「あぁ…可愛い。ごめんね…可愛くて仕方ないんだよ。」
彼の恍惚とした表情につられるように私も彼に惹かれてしまって、苦しささえも忘れるほどだ。
おかしい。
私たちは普通じゃない。
私は彼の部屋にお邪魔していて、雰囲気がよくなってきたと思ったらこれ。
彼に無造作にフローリングの床に押し倒されて馬乗りにされ、私の両手は頭の上で彼の左手によって拘束され、彼の右手は私の口内へ差し入れられる。
彼の長い指先が私の口の中、喉へ触れると条件反射。胃や食道がきゅっとなって、異物を吐き出そうとする。
彼の性癖。と、捉えている。彼はえづく私を見てこんな表情をするのだから。
私の口元から唾液は垂れるし、涙も止まらない。私からこぼれる体液を、一滴も逃すまいとするかのようにキスが降り注ぐ。けれど右手だけは口内から抜かれることはない。
「可愛い。可愛い。ごめんね。」
彼の表情は矛盾を帯びている。私が苦しむ姿を見て興奮したような顔と、本当はこんなことしたくないのにという、罪悪感みたいなものが窺える。
私は彼が孤独なことを知っている。こんなことをされても私でいいのなら、側にいたい。この性癖以外は内向的だけど、物腰のやわらかい至って普通の大学生だ。同い年の彼とは学部が同じで、私から告白してお付き合いしている。けれど、彼は他人に興味がない。たぶん、私にも。交際期間は1年を越えてもいつも不意にそう感じてしまう。だから、彼に苦しめられているこの瞬間は、私を見ていると感じられるのだ。だから、どうしようもなく彼が愛しいのだ。
僕の下で顔を歪ませ、涙を浮かべる彼女。
「やめて。」とそう言いたいに違いない。
彼女は例えようもなく美しい。
世界中の何よりも、美しい。
「可愛い。すごく、可愛い。」
何故僕が、交際相手にこんなことをしているのか。
それを説明するのはとても面倒くさい。
人は何故生きているのか、とかそんなことを考えるくらいに面倒だ。
そんなことよりも目の前の美しい彼女を、僕の目に、脳に焼き付けることの方はるかに重要だ。
ひとつ、言っておくが、彼女のことは世界一大切にしているつもりだし、彼女から告白されてお付き合いしている。いわゆる束縛なんてしたことはない。彼女は時々つまらなさそうにするが、彼女が誰と食事や旅行にふたりきりで行っても気にならない。たとえ他の男と身体を重ねていても、興味はない。重ねて言うが、彼女は僕にとって唯一無二の大切な人だ。
だから、僕は彼女を、壊す。大切だから。
例えるなら、自分で作り上げた砂の城を自分で壊す子ども。
世間一般的には僕の価値観は理解も評価もされないだろう。普通ならば、こんな苦しそうな顔をさせるより、笑顔にさせる方が大切にしている、ということになるだろうから。
彼女と付き合い始めてから、別れ話は出たことがない。僕がこんなに彼女を苦しめても、彼女は僕から離れない。ちなみに、彼女を殴ったりしたことはない。僕の「壊す」行為は、「一時的な苦痛」を与えること。それが、今の彼女をえづかせる行為に直結する。時間は五分程度。壊すには十分すぎる時間だ。
瞳と、頬と、口元と、僕の手を濡らす彼女。
理性が溶けて失くなりそうなほど、美しくて美しくて美しくて。
つい、彼女を拘束していた手に力が入ってしまった。
そろそろ限界だ。僕の理性も、彼女の身体も。
「ごめんね。興奮しすぎた。」
拘束していた手の力を緩める。また一筋零れる涙。
「綺麗。可愛い。」
口元に突っ込んだ手はそのままに、彼女から零れる雫に口付けていく。
人は苦しみを感じるとき、その意識は苦しさを与えているものに向く。
例えば、指先を紙で切ったことに気がついたとき、一瞬でもすべての意識が指先に向くように。
僕が彼女を壊したがる理由もおそらくそういったことだ。
ーーー瞬間的にでも彼女を僕一色に染められる快感。
他人とは違う思考であることも、これが歪んだ愛情表現であることも理解している。彼女もそれを知っているのか、わからないけれど。
ひとつはっきり言えることは、僕は彼女を離せないということ。
こんなに美しく壊れかける彼女を手離せる訳がないということ。
「苦しかった?」
名残惜しいが、彼女の口元から手を抜く。
「それは…っ、けほっ。いつものこと、だけど。」
頬の涙と口元を拭って、けれど僕に押し倒されたまま、見つめられる。
「何か、あったの?」
「……。」
僕は黙りこむ。
「何もないよ。どうして?」
「なんとなく、いつもと違うな、って。」
彼女を起こして、フローリングに座る。彼女も少し咳き込みながら、僕の隣に位置を変える。
「最近思うんだ。きみをこれ以上暴力的に扱ってしまったら、どうしようかって。時々、抑制できなくなる。」
彼女は体育座りをして、身体を丸めた。
「今でも暴力には分類されるんだろうけど、というか、今日もひどかっただろうけど、たとえば、そう。」
考えても、恐ろしいけど。
「きみを殴ったり、ナイフとかで切りつけたり。」
いけないことだとわかっていながら、それを僕は想像してしまう。傷ついていく彼女はきっと美しい。今までの行為の比じゃないほどに。
「そんなことを、僕はしてしまうかもしれない。」
顔を見なくても、雰囲気でわかる。彼女を怯えさせていることくらい。
「きみが、好きだから。」
すごく、自分勝手で矛盾している僕の告白。彼女はどう受け取っただろう。
沈黙が、距離がないはずのふたりの間を駆ける。
「歪んでる…よね。」
彼女が答える。それ以上に的確な言葉はないだろう。
「間違いないね。その通りだ。」
「でもね。」
彼女は僕の顔を覗きこむ。
「大切にされてるって、わかるよ。たまに不安になるけど、こうやって一緒にいても、友達からあなたの話を聞いても。」
さっきの行為の苦しさがまだ身体に残っているのか、彼女の頬は少し赤みを帯びていて、可愛らしい。
「あなたがあんなことしてるときの顔って、私しか知らないでしょ?」
破顔する、純粋でけがれなき彼女。
「付き合ってる限り、あの顔を知ってるのは後にも先にも私だけ。」
ふふっと前を向いて笑う。
「私の方がおかしいのかも。世間一般的には彼女にあんなことしたら、すぐ別れたって不思議じゃないからね!?」
「ごもっとも。」
「惚れた者負けなんだよね、きっと。」
また、こちらを見て笑う。本人はそう言っているが、彼女はモテる。何故僕を好きになったのか、まるでわからないし、今でも他の男に告白されたという話は耳にするのに、僕は彼女の恋人でいられる。
隣に座る彼女に手を伸ばして、自分の腕の中に引き寄せる。
突然抱き締められて苦しくなったのか、「うっ。」と声を漏らす。
そりゃ、これだけ力加減もなく抱き締めたら、苦しくなるのも当然だ。これも僕の愛情表現なのだから。
呼吸器官を圧迫されて、彼女の口から息が漏れる。なんて、色香があるのだろう。そして、彼女は僕の名を呼ぶ。
「ーーーーー。」
彼女は気を失った。やばい。こんなことをしたのは初めてだ。理性が崩れそうになる。
彼女を側のベッドへ寝かせる。
苦しそうな表情で気を失っている彼女。
顔を歪めている彼女はやはり美しかった。
「あぁ…。綺麗だ…。可愛いよ。ごめんね…。」
彼女の滑らかな肌。その首元に手をかけて僕はーーーーー。
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