帰省してきた孫を迎える祖父のような。
ちくちくちく。
私は温室でひたすら運針をする。
目の前ではミリアムさまがものすごく真剣な表情で私の手元を見ていた。
「これが簡単な図案なのですよね…」
「はい。直線縫いでできる花です」
私は今、ミリアムさまに縫ってもらうステッチの見本を刺している。ただ刺すだけのストレートステッチだ。
「できました。私の見本と同じように刺してみて下さい」
「…はい!」
刺繍枠にはめた布を渡すとミリアムさまは一刺し一刺し慎重に針を進める。
「同じ間隔に刺せない。何かうまくできるコツなどありますか?」
「あせらないことと、生地をよれさせないこと。後は少し目線を離して全体を見ながら刺すことです」
「なるほど」
今世にもチャコペンがあったらいいのになぁ。ガイド線がないと最初はむずかしいんだよね。
「それと力加減です。指先だけ力を入れてもダメなのです。手首から針を動かす要領で…」
ミリアムさまは刺す度に息を詰め、指先が白くなるほど力を込めている。これじゃあ手元が震えて針はうまく動かせない。適度な脱力が必要だ。
ちなみにこれは高校で習った字をきれいに書く方法。
指の力だけで書くと字は汚くなる。運針も同じで、力を入れすぎないことが成功の秘訣だと思う。
「確かに…手首から動かすと楽に針が刺せる」
「えぇ、まっすぐ進んでます」
今まで親の仇のように針を布に刺してたからね。
アドバイスしつつ、私は小さな花を一つ刺繍する。
「それが終わったらこちらを刺して下さい。今練習した刺し方で出来ますから」
「デイジー? かわいいわ」
「糸を増やせば丸みが出ますし、この模様をいくつか散らせばそれなりの図柄になりますよ。ハンカチサイズならすぐ完成します」
「やってみます。今度お会いしたときに渡せるかしら」
ミリアムさまが真剣に刺繍している間に、私は苗の様子を見る。順調に成育中。よってまた手持ち無沙汰。
ガラス越しに見ると雲は高く、空はレイモンドさまの瞳のような淡いブルー。
「レイモンドさま、まだ視察から戻ってこないのかな~」
「今度は五日間ほどで帰ってくるはずです」
つい漏れた独り言にミリアムさまが答えてくれた。
「春先に南の地方で大雨が降ったんです。洪水が起きて大変だったそうですよ」
「町や農地にも水が来たんですか?」
「はい。レイモンドさま方はいち早く現場に入り、住民を保護しましたが、かなりの被害が出たようです。今回はその後の復旧工事が進んでいるか確認しに行きました」
「復旧ってむずかしいんでしょうね…」
「そうですね。人手と物資がたくさん必要なので国庫から援助が出ています。人と物が動けば治安にも目を光らせなければなりません。なので帰り道に海の方へ寄って船の出入りを調べてくるそうです」
それを五日間で? なかなかのハードワークだ。
「…ずっと馬車移動ですよね」
「えぇ。場所によっては船に乗ることもありますけど」
王宮に来る時、馬車に乗せてもらったけど…固い座面に半日でおしりが悲鳴を上げた。
前世の自動車を想定していたら、とんでもない。
アスファルトで舗装されていない道は小石でさえも衝撃になる。
せめて座面がふかふかだったら……。
「そうだ、クッション作ろう!」
私は思わず握りこぶしを作った。
「クッション?」
「長時間の馬車移動は大変だろうから、レイモンドさまにふかふかのクッションをプレゼントしたいです」
「いいアイディアですね」
「あ、でも…王子さまにプレゼントなんて不敬かなぁ」
「むしろ喜びますよ。綿を取り寄せましょう」
「お願いします」
いっそ綿を栽培すべきか…と思ってふと羽毛の存在を思い出す。
今世にも、もちろんクッションはある。だけどふかふかではなく、綿がみっちり詰まった重いものだ。
「あの…羽毛も取り寄せられますか?」
「羽毛は大変高価なので、おそらく難しいですね」
「残念。クッションに詰めたら…と思ったんですが…」
「鶏の羽根なら食材置き場の横にたくさんあります」
あぁ、そうね、きっと……。そこはあまり考えないようにして。
「それ、もらってきます!」
走り出そうとした私を針を置いたミリアムさまが止める。
「ご一緒します。場所はこちらです」
入り組んだ道を案内され、体育館くらいの大きさの建物に着いた。隣の大きな厨房からは、調理のいい匂いがする〜。
ミリアムさまに料理人を呼び出してもらい、鳥の羽があるか聞いた。
「あるけど何に使うんだい?」
「クッションに入れようかと」
「クッション? よせ、無駄だ」
「無駄?」
「水鳥の羽毛だけだよ、使えるのは」
知らなかったけど羽毛と言えば水鳥の羽や胸毛のことで、とくに胸毛は一羽から少ししか採れないらしく、希少だとか。
「水鳥の羽はふわふわだけど、鶏の羽根は固いから刺さるわ臭いわ…」
「そうなんだ…」
あやうくレイモンドさまにイヤゲモノを差し入れするところだった。
料理人さんにお礼を言い、とぼとぼ温室に戻るとドアの前には木箱が置かれている。
「これは?」
「頼んでおいた綿ですね」
「もう用意してくれたんですか?」
王宮にいる人たちの仕事早すぎ。
ミリアムさまが合図をすると、どこからか現れた男性…侍従という役職の人らしいが木箱を中に運び込んでくれた。
侍女さんも現れお茶の用意をして、音もなく下がっていく。
「このくらいで足りますか?」
「充分ですけど…どうしようかなぁ。キルトっぽくしたら少しはふかふかになるかな?」
羽毛はあきらめて綿を詰めるけど、なるべく座り心地のいいクッションを渡したい。
十センチくらいの四角い袋状に縫った生地の中に綿を詰め、それをいくつか作って繋げたらどうだろう。
私はお茶を頂いてから、さっそく一つ作ってみた。
「手早くできるんですねぇ」
「直線縫いですから。ミリアムさま、座ってみて下さい」
「では失礼して…あら、ふかふかの凹凸がいいですね」
ミリアムさまはおしりを弾ませて座り心地を楽しんでくれている。
「これはいいですね。私も欲しいです」
「作ってみますか?」
「えっ…」
きれいな笑顔が固まった。
「…私にも出来ますか?」
「まっすぐ縫うだけですから」
「…やってみたいです」
その日から私たちはちくちく…針仕事をしている。
合間にトマトの様子を確認し、話しかけた。
「順調に生育中だね〜。茎もよく伸びて葉もいい色になっている。えらいぞ〜」
「えらいぞ〜」
ミリアムさまが私の真似をしてくれる。
美人に応援されたのが良かったのか、村にいたときより成長が早い。
私のクッション制作はさらに熱が入り、試作品が増えていく。
レイモンドさまの馬車は黒が基調だったから、青い布の端切れを集めてもらい、キルトのように縫い、繋げた。
うまくおしりがフィットするよう縫い方変えて試行錯誤していたら、ふと閃く。
「円座…!」
そうだ、馬車には穴あき円座クッションがいいんじゃないだろうか!
「円座?」
「真ん中に丸い穴の空いたクッションのことです」
私は台形にカットした布を縫いパーツを作り、丸くなるよう繋げて、前世でよく見た穴あき円座クッションを作ってみた。
ちょっと座ってみたがなかなかのふかふか具合だ。
「これはいい…!」
ミリアムさまもおしりをぽんぽん乗せて感触を楽しんでる。
「穴の部分に空間があるので座面におしりが直接付かずにすみます。これは馬車や馬に乗っているときにいいですね。私もほしいです」
「すぐ作りますね。ミリアムさまのはかわいい布を使いましょう」
どうせならさらに座り心地を良くしたい。
背中側は腰を包めるよう広く繋げ、高さを付ける。前の方は太ももが安定するよう綿の量を調節した。
結果、出来上がったのは円形じゃなくいびつな楕円だけど、まいっか。
トマトの方は生育のよい苗から植え付けを始め、ぐんぐん成長していく。ここまできたら私の仕事は支柱を立てて、乾燥しすぎないよう水分量と温度を調節するくらい。
そしてトマトの丈が十センチを越えた頃、円座クッションは五つ完成し、レイモンドさまが戻ってきた。
「今、帰った。苗はどうだっ?」
「植え付けて順調に生育しています」
私がクッション作成に夢中になっている間に勝手に育ってくれたかわいいトマトたちをレイモンドさまに紹介する。
「おぉ、こんなに大きくなって…」
帰省してきた孫を迎える祖父みたいになってますよ、王子さま。
「お帰りになったばかりでお疲れでしょう。お茶をどうぞ」
ミリアムさまが目線で侍女に命じ、テーブルに座るよう言うが、レイモンドさまは木箱の前から動かない。
「トマトはこんな葉なのだな。ふむ、緑が濃い」
「たくさん日光を吸収している証拠です」
「土が乾いてるぞ、水をやってもいいか?」
「いいですけど、根元に少しで」
レイモンドさまは初めてお使いを頼まれた子供のように生真面目な顔でじょうろを持ち、慎重に水を撒く。
「ありがとうございます、レイモンドさま。あの…お願いがあるんです」
「なんだ?」
「あそこの椅子に座ってみてください」
そう言うと、微妙な顔で立ち尽くした。
「どうかしましたか?」
「いや、実はずっと馬車に乗っていたので腰がつらくてな。しばらく座りたくないんだ」
「そうですか…ではなおさら試してほしいんです」
「試す?」
テーブルセットに案内し、出来上がった円座クッションを指すとレイモンドさまは首を傾げた。
「不思議な形のクッションだな。こ、これは……!」
「いかがでしょう?」
「いい…!」
円座クッションに恐る恐る腰を下ろしたレイモンドさまは、その座り心地にやられたようだ。
「マックス、お前も座ってみろ」
「はい。……おぉぉ!」
呼ばれて面倒くさそうに腰を下ろしたマックスさまもその感触に驚いている。
「長旅の腰の痛みを包み込んでくれるような…なんとすばらしい」
「アイリーン、このクッションはアイリーンが作ったのか?」
「そうです」
「量産してくれ…!」
反応は上々だった。