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乙女に頼られたら断れない。



 翌朝、宿舎に迎えに来てくれたミリアムさまと連れ立って温室に行くと、ドアの前でレイモンドさまが仁王立ちをしていた。


「おはよう、アイリーン」

「おはようございます。お待たせしましたか?」

「早く芽が見たくてな」

「中に入っていてくだされば良かったのに…」


 朝晩それなりに冷えてきたから、平民は大切な御身を心配してしまいます。

 でもレイモンドさまは体から湯気を噴き出しそうに興奮して、暑苦し…いや、燃えている。


「アイリーンが開けないと入れない」

「合い鍵はないんですか?」

「それだけだ」

「もう一つ鍵を作ればいいのでは?」

「それはできない」


 言い切るレイモンドさまは私を急かして鍵を開けさせた。


「行くぞ、アイリーン」


 ドアを開けてもらい、さりげなく背中に添えられた手にエスコートされ中に入ると、温室は程よい気温が保たれていた。


「苗は」


 苗ポット代わりの木箱にレイモンドさまが駆け寄る。必然的に私も早足になってしまう。


「どうなってる?」

「はい、お待ち下さいね」


 保温のために掛けていた布を取り、並んでのぞき込むと、土の上に薄い黄緑色の細長い双葉が広がっていた。


「芽が出てる!」


 頬を紅潮させるレイモンドさまの横顔が子供のよう。

 その気持ち、すごくよく分かるなぁ。

 私も発芽の時はいつも感動しちゃう。

 生命の神秘を感じるというか、自然ってすごい!みたいな気持ち。


 慣れた私でもそうなので、横でレイモンドさまが「すばらしい…」などと目頭を押さえていても当たり前だなって思う。


 ミリアムさまはやさしく微笑んで、また美しさ増し増しだし、黒服さん…あとで聞いたら王子の付き人でマックスさまと言うらしい…も物珍しそうにのぞき込んでいた。


「種はいくつ蒔いたんだ?」

「五十ほどです」

「少ないな」

「もっと持ってきてますけど、最初はこれくらいで…」


 温室での育て方を把握するまでどのくらいかかるかわからない。種は節約しなくては。


「蒔いた種はほぼ発芽してますね。めずらしいなぁ。一割ほどは発芽しないか、発芽にもっと時間が掛かるんだけど」


 用意してもらった土が良かったのかな?

 それともやっぱり温室という環境?


「まぁ、いいや。とにかくみんな元気に育ってね」


 つい村にいたときと同じように苗に話しかけていたら、レイモンドさまたちが微笑ましそうに私を見ていた。やだ、はずかしい。


「すみません、独り言多くて」

「いいや、やさしい心がけだな。いつもそうやって話しかけてるのか」

「はい、農作業中って一人が多いのでつい。それに植物も話しかけると生育が良くなるって聞いたことがあるので」


 前世でそんな研究していた人がいたんだよね。

 それを知って必死でサボテンに話しかけた記憶もある。

 いつか動物や植物と話が出来るようになったらいいななんて思ってたなぁ。


 前世を懐かしがっていたら、レイモンドさまがじっと私を見つめていた。


「なんですか?」

「……今、アイリーンの声に芽が応えて揺れたように見えた」

「そうだとしたら、うれしいですね」


 レイモンドさまが発芽に喜んだ気持ちとか、私の生育への願いとか通じたらいい。

 ま、実際は空気や私たちの動きが木箱に伝わって揺れたってとこだと思うけど。


「これからどうするんだ?」

「日光浴させつつ、本葉が何枚か出たら深めの木箱に植え替えます」


 その時に水やりを一度だけすれば、あとは放置しててもいい。

 その後も表面が乾いたら少し土を湿らす程度でどんどん育つ。

 トマトってば手の掛からない良い子なのです。


 だけど、トマト一種類だけだと時間余るなぁ。

 村にいたときは他にもやることいっぱいで大変だったんだけど。

 今は収穫まで温度管理とか細かく記録に付けていくくらいしか仕事がない。


 私がそう言うと、レイモンドさまは身を乗り出した。


「ならば、私とお茶をすればいい」

「そのお仕事もありましたね。でもお茶ばっかり飲んでたら、レイモンドさまの仕事に差し障りがでるんじゃないですか?」

「そんなことはない」

「いいえ、アイリーンさまの言う通りです。レイモンドさま、そろそろ執務室へ行きますよ」


 黒服のマックスさまに言われてレイモンドさまはくちびるを尖らせた。


「まだここでのんびりしたい」

「午後から南へ視察です。今のうちに書類を片付けておかないと戻ってきたときに大変ですよ」

「く…っ、アイリーン。植え替えはいつだ」

「三日後から七日後くらいの間に」

「微妙に範囲が広いな。なるべくこまめに顔を出すから。あと何かあったらすぐにミリアムに言え。鳥を飛ばさせる」

「わかりました」


 伝書鳩みたいな通信手段かな?

 マックスさまに背中を押されて執務室とやらに向かうレイモンドさまに手を振り、私は温室の床そうじをする。

 すぐに終わってしまったので外周も掃き、ガラスも裏表両方から拭く。

 ちなみに一昨日はかまどと通気口、昨日は壁や天井もそうじした。


「あとそうじしてないところはどこだろ」

「もうないですよ」

「でもまだお昼かぁ」

「本当にやることがないんですか?」


 ミリアムさまに問われ、ため息と共に頷く。


「では私の勉強に付き合ってくれませんか?」

「勉強?」

「私は一人で本を読むとすぐに寝てしまうんです。体を動かすのは得意だから、ダンスはいいのですが」

「意外です。ミリアムさまはなんでも出来そうなイメージなので」

「私は本を読むとすぐに寝てしまうんです。おかげで家系図なんかまったく頭に入りません」


 今世での勉強ってどんな感じなんだろう。

 貴族じゃない私には必要ないものかもしれないけど、王宮で粗相しないよう知識は欲しいな。

 マナーを知っておけばこの前レイモンドさまにしてしまった失礼をくり返さなくてすむし。

 幸い両親から文字を教わっていて、読み書きは不自由しないし、計算も前世の知識で自信はあり。


「足手まといになるかもしれませんが…私も一緒に勉強させてください」

「よかった!」


 ホッとして肩の力が抜けたミリアムさまの笑顔は幼さが浮かんでとてもかわいかった。





 ランチを終えると、ミリアムさまはさっそく数冊の本を持ってきた。


「地図と周辺諸国の情報本、国内の産物情報一覧です」

「うわぁ…文字が多くて細かくてしかも数字もたくさん」


 一番分厚いのは、前世で言うなら経済白書ってやつじゃないだろうか。こんなのが常識だとしたら貴族ってすごい。

 でも前世では活字中毒だった私。

 今世の生活では本を読むなんて出来なかったので、喜んで飛びついた。


 目次がなかったので、ざっと目を通して概要を頭に入れ、次には自分の村がある地域の情報を読む。その次に王都周辺。地図を横に地理を頭に叩き込む。


「ふむふむ、小麦…? いやライ麦だな。こんなに隣国アンセルマから輸入されてるんだなぁ」

 

 その麦はとある村でたくさん消費されていた。住人の統計を見ると隣国アンセルマから移住した人や仕事で来ている人が多いらしい。おそらくアンセルマの食事はライ麦が使われていて、この村でも同じ様な料理が作られているのだろう。

 物流のページと地図を見比べ、隣国の産業のことも知っていく。繋がりを見つけるとより本が面白くなった。


「そういう読み込み方もあるんですね」


 ミリアムさまは感心したように呟く。


「私は先生方からすべて覚えるようにとしか言われていなかったので、丸暗記してばかりでした」

「それじゃ、覚えるのつらくないですか?」

「つらいんです」


 ミリアムさまのいつも凛々しい眉が八の字になった。


「せっかく覚えても忘れてしまったり思い出せなかったり…家族からもお前は頭が悪いと言われていて…。でもアイリーンさまのように読めば頭に入りやすいですね」

「そうなんですよ。私も昔は丸暗記ばかりでしたが、この勉強法を教えてもらってすごく楽になりました」


 親に言われて中学受験をすることになった時、最初は問題の解き方や結論の出し方が分からず、つらかった。

 でも塾の先生が『考える力』を優先的に指導してくれたおかげで、勉強きらいじゃなくなったんだ。

 前世の先生たちありがとう〜!


「これで本は読めそうですが、私は針仕事も苦手で…」


 淑女の嗜みに刺繍があり、いかに美しく刺繍できるかで女性としての価値が変わるらしい。


「刺繍が出来なくてもミリアムさまの魅力は何にも損なわれないと思います」

「そう言っていただけると面映いのですが…婚約者のために刺繍のハンカチを縫えるようになりたいのです」


 温室には私たちしかいないのに、ミリアムさまは内緒話をするように声を潜めて頬を赤らめる。なんという乙女力だ…!


「アイリーンさまは針仕事お得意ですか?」

「得意ではないですが…村では日常的に針を持っていたので一通りできます」

「刺繍もですか?」

「はい」

「ならば、教えてくれますか?」

「私でお役に立てるなら…」


 貴族の刺繍のレベルってどれくらいなんだろう。安請け合いしちゃったかな。

 でも乙女に頼られたら断れないよね!




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