帰途。
そして私たちは二日後、フラドを発った。
たくさんの人に見送られ、馬車で半日かけて河まで行き、そこから海軍の船に乗る。
漕ぎ手を含め、百人ほどが乗れる大きさの船が十艘ほど。大きな帆を張り、船団を組んで悠々と海を進む姿は壮観だ。
「どうぞ船からの景色をお楽しみください。明後日の夜には王都そばの港に着きます」
「はい! お言葉通り、いっぱい見たいです!」
海軍の将軍さんからそう言われ、私はデッキへ出た。
気持ちのいい潮風を浴びながら青い海と空に見とれる。あ、魚たくさん!
魚影を目で追うだけで楽しい。
馬車より快適だし、このまま王都までのんびりさせてもらおう。
なんて、考えは一時間後に霧散した。
船の乗り心地を前世のようなものだと期待して……玉砕。
この船、前世の大型船と比べたら安定感ないに等しい。とにかくずっと揺れてる。
乗り慣れない私のために凪いでる場所を選んで進んでくれたらしいけど、思いっきり酔った。
ちなみにリオネルさまもめっちゃ酔ってた。
二人して食事も摂らず、各自割り当てられた部屋のベッドで必死に目をつぶる。
翌朝、少し回復して甲板で海を眺めていたら、レイモンドさまがやってきて、私にグラスを差し出す。
「飲むか?」
「ありがとうございます」
受け取れば、ずっしりと重いグラスについた水滴で手が滑りそう。落として割りたくないので両手で持って口をつけると、冷たい水が喉を滑り落ちていく。
「おいしい…もしかしてこれリオネルさま用のお水ですか?」
「なんでそう思う?」
「精霊の気配があるから」
たった今、冷蔵庫から出したばかりのような冷たさと、なんとなく水の精霊の触れた気配。
「よく分かったな。モニカの技術だ」
「モニカさま?」
「そう。彼女は今、リオネルさま付きの侍女だが、本来は神官だ」
「そうなんですか?」
「モニカは水の精霊と相性が良く、神官になって勉強しているうちに温度変化ができるようになったらしい」
「すごい!」
「熱湯にしたり凍らせたりするほどではないが、適温に温めたり冷やしたりできるので、リオネルさまのお気に入りだ」
そうだろうなぁ。お茶をおいしく入れてくれる人って最高だもん。
「リオネルさまの具合が悪い時や、暑い時期には特に重宝されてる」
「リオネルさま、少しは回復しました?」
「してない。たぶん港に着くまで寝て過ごすはず」
「うわぁ…」
「アイリーンこそ、寝てなくて大丈夫なのか?」
「気持ち悪さのピークは過ぎたような…でもまだめまいがするんですよね…」
今世の身体、三半規管ちょっと弱いみたい。油断するとまた吐きそうになる。
「何か食べるか?」
「いえ、ムリです」
何か固形物を入れた途端、リバースしそう。
「顔色も良くないな。部屋に戻るなら送る」
「え…と」
「ここから少し揺れる海域に入る。めまいが悪化する前に寝ていた方がいい」
「はい」
もう少し一緒に海を見ていたかったけど、揺れるって聞いた途端、あの気持ち悪さがぶり返してきて素直に頷く。
「足元が覚束ないな。手を」
「すみません」
レイモンドさまの腕にすがって立ち上がり、船内に戻る急な階段をほとんど抱きかかえられるように支えられて降りる。
顔の距離が近くて挙動不審になっちゃった。
「え、と…ありがとうございます」
「いや」
レイモンドさまも照れてる。
その顔が可愛くて一瞬、酔いを忘れた。
その後レイモンドさまの言う通り、すぐに船が揺れ始め私はまた船酔いと戦う。
翌日の午後、王都近郊の港に到着し、やっと地面に降りたときは死地を脱した!と天に感謝するレベル。
けれどリオネルさまと私の体調は本調子に戻らず、そのまま宿で寝込んだ。
翌朝は王都に向けて出発予定だったが、私たちのためにもう一泊。
結局、船を降りて二日目にやっと王都へ向かうことになった。
「アイリーンさま、馬車の用意ができました」
「ありがとうございます、ダニエルさん。他の方は……」
「レイモンドさまとマックスさまが同乗されます。あ、お見えになりました」
言われて宿の玄関を見れば、レイモンドさまが私の方へ小走りにやってくるところだった。
「おはようアイリーン、大丈夫か?」
「おはようございます。なんとか持ち直しました」
「つらいようなら出発をもう一日延ばせるが」
「いえ、もうこれ以上は……」
「無理するなよ? 我慢できないようなら隊列を止めるからな」
私一人のために隊列止めるなんて迷惑を掛けられない。
気合いがあればなんとかなるはずだ。うん、そうだ!
「私よりリオネルさまは?」
「さっきグレイグに担がれて、寝たまま馬車に放り込まれてた」
「…では私もがんばります」
自分に喝を入れて、足取りはよれよれのまま馬車に乗り込む。
すぐにレイモンドさまたちも乗り、出発。
道中楽しくおしゃべりできれば…と思ったが、おしりに直接響く揺れに舌を噛む。
「痛…」
「ずいぶん悪路だな」
「この区間の整備が追い付いてませんね。建設局に伝えなくては」
「そうだ、アイリーン。これを」
差し出されたのは私が作って渡したヘッドギアのような防災頭巾のような旅行用まくら。
「いえ、大丈夫です」
「遠慮するな。具合が悪い者が優先だ」
二人掛かりで説得され、ヘッドギアのような防災頭巾のような旅行用まくらをかぶる。
作った自分が言うのもなんだけど、デザイン性皆無。
けど安定感と安心感があって悪くない。戻ったら量産しよう。
レイモンドさまたちに使ってもらうなら、替えも必要だし。
絶え間ない地面と車輪からの衝撃に耐えながら、そう考えていたらまたくらりとめまいがした。
「アイリーン、顔色が悪いぞ」
「…へいき、です」
「酔いがぶり返したんじゃないのか? 体調の戻りきらないままだったから」
マックスさまも気掛かりそうに私を見てる。
「アイリーン嬢、全然平気そうに見えないぞ」
「よし、隊列を止めよう」
「大丈夫ですっ、……でも酔ったら嫌なのでちょっと目をつぶっていいですか?」
「横になった方がいい。マックス、クッションを」
「はい」
二人に介抱され半ば気を失いつつ、馬車を止めることだけは拒否して、日暮れ前に私は王宮へ帰還した……らしい。
ずっと目をつぶってうとうとしてたから王都の様子も、王都の門を通り過ぎたのも分からなかった。
「アイリーンさま、着きました」
「はぁい……」
「動けますか?」
「なんとか」
ダニエルさんの手を借りて……ほとんど抱きかかえられるように大地に降りた途端、誰かに飛びつかれる。
「アイリーンさまっ!」
「ミリアムさま?」
「よくぞご無事で……」
久しぶりの佳人はきれいな顔をくしゃくしゃにして、めっちゃ泣いてる。
それでも美人だからうらやましいね~。
「こんなにやつれて……どれだけ過酷な旅だったのか…」
「いえ、これは船と馬車に酔って」
「すぐに休息と栄養を」
いの一番に私に抱きついて気遣ってくれたけど、あの、ミリアムさま? すぐ近くにいるグレイグさまが微妙な顔してますよ。
飛びついてきてくれるはずだった婚約者を迎え入れようと開いた両手が宙に浮いてますよ?
「グレイグの婚約者としての立場は」
「なに、あれは照れ隠しだ。まっすぐ私のところに来るのが恥ずかしいんだろう」
「悲しい強がりだな」
先に降りてたレイモンドさまとマックスさまがグレイグさまをからかってる。男子高校生みたい。
そのまま国王さまに謁見。帰還の報告とねぎらいをもらい、やっと両親に会えた。
「アイリーン!」
「お父さん! お母さん!」
二人の顔を見た途端、本当に安心してその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か? 大変だったな」
「…うん」
「顔色が悪いわ。すぐに休みましょう」
「そうする。起きたら……お母さんのスープが食べたい。クッキーも」
「はいはい」
よろめく私を両側からお父さんとお母さんが支えてくれる。
「あと、温室行きたい」
「すぐに仕事をする気なの?」
「ううん、精霊たちにお留守番してもらってたから、早く会いたい」
あそこにいる土の精霊たちにただいまのあいさつをして、旅の話を聞いてほしい。
両親に支えられて歩き、私は本当に久しぶりに温室に入った。
「ただいま……」
私の声に温室中から喜びの声が上がる。
「戻ってきたよ」
蛍光緑の光が地を走り、宙に舞い踊る。
私を包み、歌うように震え、金剛杖まで跳ねる。
その光の中、私は本当に心から安心して………今度こそ本当に倒れた。
気が抜けたのか、その後私は熱を出した。
体は重だるく、ちょっと動くのも億劫でたまらない。
温室のベッドに寝かされて、三日間うつらうつらして過ごす。
両親はもちろん、ミリアムさまやカミラさまが入れ替わり立ち替わり付き添ってくれたし、土の精霊の多い温室だから、気分はいい。
精霊たちの笑い声を聞きながらまどろむと、本当に幸せでここから動きたくない。
あれ、これってもしかしてリオネルさま状態?
「アイリーン、夕食よ。食べられる?」
「うん、いただきます。いい匂い」
ごろごろしててもお腹は減る。
温室の一つしかないかまどでお母さんは、毎日色んな料理を作ってくれた。
今日はチキンと野菜のソテー。大好物!
「ねぇ、お母さんたちの温室はどうなってる?」
「順調に育ってるわ。どの野菜も生き生きとしてて」
「いいな、見たいな」
「もう動けそう?」
両親はあてがわれた部屋ではなく、私の温室にベッドを入れてもらい、久しぶりに家族だけで過ごしている。
私がいなかった間、二人は王宮に溶け込んで楽しくやってたそうだ。
「アイリーンが復活したら、収穫手伝ってもらわないとな」
「コンラッド殿下もずいぶんお上手になってきたし、ますます仕事が進みそうね」
「コンラッド殿下って確か……」
「レイモンドさまの弟殿下よ」
「あの野菜嫌いの?」
なんと第七王子が温室に?
「最初は興味本位で温室に来られたんだが、野菜ができる過程が楽しかったらしくてな。それ以来、勉強の合間にちょくちょく顔を出して手伝って下さってる」
「へぇ…。トマト以外も食べられるようになったの?」
「少しずつだがな」
「自分が育てた野菜で、しかもおいしいって分かったら、野菜嫌いも克服するわよ」
「それなら温室の、レイモンドさまの目的が一つ叶ったってことだね」
よかった。弟思いのレイモンドさまはそれを聞いたかな。
王宮に戻ってきてから、私が臥せってたせいもあるけど全然顔を見てない。フラドでは毎日お茶をしてたから…ちょっと、いやかなりさみしい。
レイモンドさまたちはロケのことや、フラドの後始末とかあって忙しくしてるだろう。
会いたいなんてわがままは、封印しなくちゃ。
「アイリーン」
呼ばれて顔を向けたら両親が微笑ましげに私を見ていた。
「少し顔が変わったわね」
「そう?」
「うん、大人になった」
「大きなお仕事もしたらしいな」
自分の顔を手で撫でつつ、私は気になっていたことを問う。
「ねぇ、私が聖女と言われてること、聞いた?」
「聞いた」
「そっか…でもね、私そんな大それたことしてないし、身の丈に合わないよ」
他の人の私に対する対応が分不相応すぎて、戸惑ってばかり。
親にもどう思われてるか、正直不安だ。
上目遣いで表情をうかがえば、変わらない笑顔のまま。
「そうねぇ、確かに聖女なんてアイリーンらしくないって最初は思ったわ」
「うん」
「でも聖女って言っても、土を耕しまくる聖女だろう?」
「この上なくアイリーンらしいわよね」
二人はくすくすと肩を震わせた。
「昔っから、どろんこになるまで野山を駆け回って、成長したら女の子らしくなるかと思えば、野菜のことばっかり気にしてて」
「ドレスでも強請られるかと心構えしてたのに、苗とか肥料ばっかり欲しがって」
「そうそう。化粧道具を買ってあげようかと思ったのに、新しい鍬の方がいいって言われたときにはちょっと将来が不安になったわ」
え、私そんなに女子力低かったっけ?
「だから聖女って言われても、親としては半信半疑だけどな、そんなに気負わなくていいと思うぞ」
「そ、そう?」
「そうよ、精霊の祝福があるのはありがたいことだもの。感謝しなくちゃ」
「うん、それはそう思ってる」
「祝福を頂ける代わりにちょっと大げさな呼び名が付いて来たって思いなさいな」
うちのお母さん、相変わらず大らかな人だな。
でも肩の力が抜けた。
「何があってもお父さんたちはアイリーンの味方だ。思うようにしたらいい」
「…はい」
そう言ってもらえて、足場が安定するような、ぐらついてた根っこがしっかり土を掴むような、そんな気持ちになる。
そして私の頭にロケとリノのことが思い浮かんだ。
「あのね、お願いがあるの」
「ん?」
「もし私がおかしなことや悪いことをしたら教えて。叱って」
「もちろんよ」
「自分の子供だからな。親の責任だ」
万が一暴走、したら……フラドみたいなことを引き起こしそうになったら。
殺してでも止めてほしい。
でもそんなこと親に言ってもいいのかな。
言い淀む私の心中を察したのか、お父さんがぽんぽんと頭を叩いてくれて、お母さんがぎゅっと抱きしめてくれた。