転生して、この国に生まれて。
「おはようございます、アイリーンさま」
「おはようございます。ミリアムさま」
侍女たちが暮らす王宮の一角。
私はそこに部屋を与えられ、護衛となったミリアムさまが毎日迎えに来てくれる。
「あの…私は平民なのでさまを付けなくてもいいと思います」
「レイモンド王子より丁重に接するようにと承っておりますので。さ、行きましょう」
手を差し出され、それがあまりに自然だったからつい握る。
ミリアムさまはくすりと笑った。
「なんですか?」
「レイモンド王子のエスコートは断ったのに私の手は重ねてくれるんですね」
「そ、それは…っ」
あれはさすがに後から反省した。
ああいう場合、私は何も言わずスマートに手を乗せて歩き出すべきだったんだ。
でも…。
「たぶん…今思えば、恥ずかしかったんです。男性と手を繋ぐことに慣れてなくて」
「婚約者を騙る幼馴染みがいたのでは?」
何気に辛辣なお言葉、どこ情報ですか~。
「あまり手は繋がなかったですね。両親から嫁入り前なので誤解されないよう節度を持った対応しろと口酸っぱく言われてたので」
「そうなのですか」
「はい、お恥ずかしながらエスコートされた経験はないんです。しかもレイモンドさまみたいなかっこいい男性には免疫がなくて…」
私には素直に手を繋ぐだけの勇気がなかったんだ。
「それを聞けばレイモンド王子は喜びます。分かりやすく落ち込んでましたから」
「悪いこと…いえ、礼儀に反することをしてしまったんですよね。あとできちんと謝ります」
私がそう言うとミリアムさまは繋いでいない手で髪をなでてくれた。
温室に入ると少し空気がこもっている。
秋とはいえそれほど寒くないので、窓を少し開けて空気を入れ替えた。
ガラス越しの日光が柔らかく室内を照らす。
温室効果はあるようで、植えた種はそろそろ芽が出そうな気配だ。
ちなみに苗ポットなんて今世にはないから、浅い木箱に土を敷き、均等に種を並べて発芽を待ってる。
その間にプランター代わりの木箱を乗せる台を作ってもらう。
こういうのはお父さんが自作してたのでやり方は分かるし、本当は自分でやるつもりだった。
必要なものがあったらミリアムさまに伝えればいいと言われていたので材料をお願いしたら、職人さんたちが木材を運び入れ、あっという間に作ってくれた。
これでなんとか温室として形になりそうだ。
「そういえば最近、レイモンドさまがお見えになりませんね」
王宮に来た日とその翌日に会って以来、ここ三日ほど姿を見ていない。
「地方視察にいってますよ」
「地方視察?」
「国の発展のために、各領を見て回ったりするんです」
「へぇ…」
あまり理解していない私にミリアムさまが説明をしてくれた。
「例えば発展しそうな町があるならば、街道を整備して交易しやすいようにします。国境沿いなどは国から軍を派遣するけど、人数はどれくらい必要かとか…そういう指針を打ち出すために現場を見に行くんです」
「あぁ、なるほど」
「整備した街道も人が多ければどこかが傷んだり、人通りが少なければ路が塞がったり、盗賊が増えたり」
「そういうの、お役人さまがやるのかと思ってました」
私の疑問にミリアムさまは教師のような口調で続ける。
「王族が行うこと、それは国としてのアピールという側面もあります。国が王が、民を守っているという姿勢が見えることが大事なんです」
「そうですね、そういうのが見えたら私たちは安心です。あ、でも私の村に来た時は…」
「朝市はお忍びです。王子がいると分かると騒ぎにもなるので、公的な仕事以外で私的にどこか訪れる場合は基本的に身分を隠して行動します」
「じゃあ、あれはお仕事の間だったんですね」
今までぼんやり過ごしてきたけど、上の人っていうのは色々考えて私たちのために働いてくれてるんだなぁ。
「アイリーン、元気か」
「レイモンドさま!」
昼過ぎにひょっこりレイモンドさまがやってきた。
「ちょっと出掛けてたんだ。これは預かった肥料」
「肥料?」
「帰り道、アイリーンの村に寄った」
王宮に来る時に知ったのだが、実はうちの村と王都はけっこう近い。
王都で消費される農作物は周辺の農村で作ってるので、街道はよく整備されている。
その街道は国がちゃんと守ってくれてるのだ。
そういうのを知ると目の前のレイモンドさまに自然と頭が下がる。
「ウッドさんが苗を植え付ける前に土にこれを混ぜ込むようにと」
「うれしい…。さすがお父さん」
用意されたのはいい土だけど、なんていうかもうちょっと何かが足りない気がしてた。
おそらくこれはお父さんが灰や腐葉土、川底にある土を混ぜて作る特製肥料だろう。
「調子はどうだ?」
「作業は順調です。ちょうど芽が出そうなところですよ」
「どれ」
レイモンドさまが木箱をのぞき込む。
「わからないな」
「えぇと…ここがたぶん発芽してますね」
「んん?」
「土が少し盛り上がってますから。明日には葉が出てますよ」
レイモンドさまは琥珀色の瞳を輝かせた。
「明日か! 何時くらいだ?」
「明け方には確実に」
「その瞬間を見てみたい」
子供のようなレイモンドさまについつい笑ってしまう。
「何時間も観察していないと難しいですよ」
「夜は自室でお過ごしください、レイモンドさま」
「うるさいぞ、ミリアム。分かってる」
口を尖らせるレイモンドさま。
ミリアムさまと話す時はちょっと子供っぽくてかわいい。
「夜間の抜け出し禁止です」
「分かってるってば」
「お茶はいかがですか? すぐに用意が出来ますよ」
「もらう。テーブルセットを置いたのか」
「はい。アイリーンさまの休憩用です」
侍女さんがさっとお茶を淹れてくれたので、ありがたくレイモンドさまにご相伴する。
「ウッドさんから、足りないものがあれば手紙を送るようにと言付けがあった」
「ありがとうございます。この肥料でたぶん当分は間に合うかと。それと…」
私はエスコートの件について率直に謝った。こういうのは時間を置いてはいけないんだよね。
「マナーに不慣れなことで失礼しました」
「いや、俺こそ…」
レイモンドさまは気にするなと言った後、少し言い淀んだ。
「なにか?」
「う〜ん…俺が王子だとウッド家にしか言ってないせいだと思うが…」
「はい」
「村に寄った時、あの不思議な男に決闘を申し込まれた」
「えぇぇっ? ジミーですか?」
「そう。アイリーンをかけて戦うそうだ」
「なんでっ」
レイモンドさまは困ったように笑っているし、いつもレイモンドさまに付いている黒服さんとミリアムさまは噴き出すのをこらえるためか、ちょっと面白い顔になってる。
「受けてもよかったんだが、無視してきた」
「ですよね、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「何度も聞いてすまないが、本当にジミーに未練はないんだよな」
「ありません。まったく、これっぽっちも」
「それを聞いて安心した」
ここでレイモンドさまはちょっと表情を改める。
自然に威厳がにじみ出て、思わず私の背筋も伸びた。
「決闘に関して、ジミーをけしかけているのはあの親だと思う」
「おじさんが?」
「ジミーはただの愚者だ。まだ若く思慮が浅い。だがあの親はずるく打算的だ」
レイモンドさまは淡々と言葉を続ける。
「ジミーの親は、領主の娘と自分の息子が縁続きになった方が、自分たちに利が増えると計算したんだろう。ジミーの行動を制限しなかった。領主との話がだめになりそうになったら、アイリーンの方に戻ってきた」
「そういうものなんでしょうね…」
「だが、アイリーンの気持ちは何も考えていない。謝りに来るのが遅れたのも、そんな気さらさらなかったからだ」
「レイモンドさま…」
「領主の使いに叱られて立場がまずくなると思ったから弁明しにきただけ」
レイモンドさまが調べたところ、ジミーは館で領主から直接怒られて出入り禁止にされたらしい。
そして使いの者が案件を持ち、ジミーの家族の態度を責めたうえで、改善が見られなければ農作物の取引を停止すると通告した。
「ウッドさんは色々分かっていたんだろう。へりくだってすり寄ってくるジミー一家にあっさりした対応をしている。俺個人としてはこてんぱんにしてしまえと思うんだがな」
「決闘する気だったんですか?」
ミリアムさまが咎めるようにレイモンドさまを見る。
「個人的にはアイリーンのアの字も言えない程度にぶちのめしてきたかった」
怒りを滲ませたレイモンドさまの表情が勇ましくて、目を離せない。
「アイリーンのためにあの態度や思い違いを正したかったんだが…ああいう輩は関わらない方がいいだろう。次に何かあったら容赦しないけどな」
レイモンドさまはそう言って優雅な仕草でお茶を飲みほしやわらかい笑顔を浮かべた。それを見て、あれ以来感じていたもやもやが凪いでいく。
婚約破棄なんて本当にどうでもよかった。
でも勝手に色々噂されたり勘違いされたりするのはイヤだったし、知らない人や、何よりジミーやヒルダさまに見下されるのがすごく悔しかった。
それをレイモンドさまは分かってくれている。
「…ありがとうございます」
レイモンドさまには見えるところだけじゃなく、知らなかったところも助けてもらっていた。
もちろん、今まで知り合った人たちや、王宮で出会ったミリアムさまたちにも私は助けられてきた。
農業しかできない平民だけど、私にできることがあるなら精一杯やろう。
転生して、この国に生まれてよかった。
初めてそう思った。