邂逅。
相棒、金剛杖の力を借りて、収穫を終えた畑をざくざく耕し、次の種植えに備えて十日ほど休ませる。
水没が広範囲に及んでいたフラドの土地に、そんな余裕が出来たのもうれしい。
「ここに山の民から送ってもらった腐葉土を混ぜ込んでください」
「灰はどうしますか?」
「こっちの区画に少しだけ混ぜてみましょうか」
アイディアを出し合いつつ、終日農業の先輩たちと良い土壌作りを楽しんだ。そして作業の合間に王都に戻ることを告げる。
「えっ、アイリーンさま、いなくなっちゃうんですかっ?」
「はい、レイモンド王子が戻るので私も…」
「そんなっ」
「出発はいつですか?」
「はっきり決まってないけど、明後日くらいには」
「まいったな」
「まだ試したい農法がいっぱいあるのに」
それは心惹かれる言葉だ。
別れを惜しんでくれる理由が「聖女」なんて特別扱いじゃなく、農家のアイリーンに対してだから正直うれしいし、後ろ髪を余計に引かれる。
私たちは手紙で情報を交換し合うことにし、今思いつく限りのアイディアを熱く語り合う。
そこに作業を終えた子供たちも合流してきた。
「お前らもアイリーンさまにさよならを言わなくちゃな」
「さよなら?」
「なんで? どうしたの?」
「アイリーンさまが王さまの住んでるところに帰るんだって」
「ふぅん。それどぉこ?」
「遠いところ」
懐いてくれてた子供たちにそう答えると、じわじわと表情がこわばる。
「遠いの? すぐ戻ってくるの?」
「う~ん、それは分からないんだ」
「じゃあ、いつ会うの?」
「それも分からなくて…」
はっきり約束できないことを口に出すわけにもいかない。言い淀んだ私の様子に子供たちが涙目になった。
「もう会えないの?」
「そんなことはないけど…」
「お前たち、アイリーンさまはフラドだけの人じゃないんだぞ。ずっと一緒ってわけにはいかないんだ」
「そんなのやだぁ…」
「みんな……」
いよいよ泣かれて私まで涙腺崩壊。
「必ず戻ってくるから、それまでたくさん野菜や小麦を育ててね」
「うぇ…」
「お願いね」
「ん…」
「まだ明日はいるから」
「ふぇ……」
私が王都に戻ることは瞬時に広まり、フラド城に戻るまで、たくさんの人にねぎらいの言葉をもらった。
馬車に乗ってても、少し進んでは呼び止められ、降りて言葉を交わす。
「聖女さま、本当にありがとうございます」
「いえ、私よりレイモンドさまやリオネルさまが…。あと聖女じゃなくって…」
「はい、アイリーンさま」
明日もあるのにこんなにいっぱい声を掛けてもらえるなんて…と恐縮しつつ、また馬車に乗り込もうとしたら、私の目の前に精霊が立ちふさがった。
「なぁに?」
精霊の色は蛍光緑と白銀が多い。
土と光の精霊たちだ。
彼らは私が馬車に乗り込むのを止めている。
首を傾げながら振り返れば、人の合間になんだか見覚えのある顔を見つけた。
「……ジミー?」
名前を思い出すのに三十秒以上掛かってしまったけど、あれはもしや幼馴染みのジミーではないか?
私はぽかんとその姿を見つめる。
確か最後に会ったのは……王都だ。
なぜか王都にジミーがいて警備隊の人に捕まってて、その後はミリアムさまに伸されてた。
今のジミーはあの時のお笑い芸人みたいな奇抜な服装ではなく、村にいたときと同じ、極当たり前の農作業用の格好。
私と目が合ったのに気付き、人の間をかいくぐってこっちに向かってくる。
また絡まれるのかと身構えた私の前にダニエルさんが立ちふさがった。
「何者だ」
厳しい声で誰何されたジミーは、ハッとして足を止める。
そしてうつむき加減に「ジミー・ヘインズと言います」と答えた。
「アイリーンさまに何か用か?」
「……少し話をしたくて」
ダニエルさんがうかがうように私を見る。
ジミーの様子におかしなところはなく、いきなり危害を加えそうな感じはしない。
でも豹変するかもしれないし、どうしようかなぁ。
「アイリーンさま、この男は悪いやつじゃないですぜ」
「そうそう、流れ者だけど農作業の腕は確かだし、率先してよく働いてくれるんでさぁ」
老爺たちがジミーをそう評価した。
「え、そうなんですか?」
「はい。ちょっと前から作業に従事してくれてるんです。とにかく真面目で、日の出から日の入りまで働いても文句一つ言わねぇし」
まるで昔のジミーみたいだな。
「……分かりました、あちらで話を聞きます」
すぐ近くにある見通しのよい木陰を指差せば、ダニエルさんが私の手を取りエスコートしてくれる。
あと一人、護衛の人がジミーの真横に張り付いた。
何を言わずとも、私の態度を見て警戒してくれてるらしい。
「ダニエルさん、ジミーは村にいた頃の幼馴染みなんです。思い込んで突っ走るクセがあって」
「かしこまりました。何かあれば必ずお守りします」
「お願いします」
先日リオネルさまにも言われたんだけど、不本意ながら聖女なんて呼ばれてる身。またロケのようなやつから狙われるかもしれない。
誘拐はもちろん、私を悪事に利用する可能性もないわけじゃない。
だから危ないことに巻き込まれないよう、よりいっそう気を引き締めている。
このジミーは私になんの用だろう……。
トラブル起こさないでほしいなぁという気持ちを目ヂカラに込めて、口を開く。
「で、ジミーがなんでフラドにいるの?」
「…こっちに働き口があるって聞いたから」
「働き口を探してたの? 村に帰ればいいじゃない」
「村には…ちょっと居づらくて」
「ヒルダさまのこと? おじさんにけっこう絞られたんでしょ?」
「それと……周りのみんなからも、後ろ指差されてバカにされて」
「そりゃそうでしょうよ」
恋愛脳にどっぷり浸かって、ずいぶんなことを仕出かしたんだから。
「それで村を出てきたの?」
「うん、王都で一旗揚げようと思って。市場で会った人に相談したら、声がいいから吟遊詩人になれば金が稼げるってアドバイスされて」
「……ジミーって歌上手かったっけ?」
「誰にも気付かれていないけど、才能があるって背中を押されたんだ」
「楽器、弾けた?」
「声と顔でいけるから大丈夫だってほめられた。で、王都まで連れてってもらえたんだ」
その人にずいぶん世話になったようだな。詐欺られてる感ハンパないけど。
「歌い方や金のもらい方まで教えてもらったんだ。衣装も貸してもらって」
「あの、なんか変な格好のやつ?」
お笑い芸人じゃなく?
「派手な衣装で目立てばすぐ儲かるんだそうだ。でも破いてしまって弁償するのに有り金取られて」
「うん、それで?」
「吟遊詩人じゃ全然稼げなかったから、日雇いしながら生きてたんだけど、賃金が少なくて全然食べられないし、王都までの旅費も返せって言われて金は全然貯まらないし…」
「うん」
「でもそんなに借金してないはずなんだ。さすがにおかしいから逃げ出した。で、フラドの方にはいっぱい仕事があるって聞いたから」
「なるほど」
そうね。そもそもそんなうまい話あるわけないでしょ。その場にいたらツッコミたかった。
「私に話ってなに? お金は貸せないわよ」
「ちがう」
「コネなんかないから働き口とか紹介もできないし」
「そうじゃない、あの……」
ジミーはもどかしげに口を開いたり閉じたり。急かさず耳を傾ければ、小さな声で「僕が悪かった」と呟いた。
「僕はアイリーンに顔向けできないことをたくさんした。…ごめん」
「へ?」
「ヒルダさまとのこと、なんだかあの時はすごく舞い上がってて、人の気持ちなんか考えられなかった。それどころか他のヤツやアイリーンの優位に立てたって思ってて」
「う、ん…?」
「アイリーンちより金持ちのヒルダさまを恋人に出来たから、僕の価値も上がったって錯覚した」
その思考回路が理解できないけど……。まぁ、確かにあのときのジミーは、どえらい勘違い野郎だった。
「価値が上がった僕だから、アイリーンは僕との婚約にすがってくるだろうって思ったし」
「いや、ちょっと待って、別に私ジミーのことは…」
話の流れが掴みきれないし、聞き捨てならないセリフについ口を挟んでしまった。
「うん、知ってたよ」
ジミーは死んだ魚のような目をして頷いた。
「昔から僕のことを弟くらいにしか思ってなかっただろう」
うん、まぁぶっちゃけ、そんな感じかな。
でもここで頷くのもさすがにアレかなぁと思って、私は神妙な顔を作って話を聞く。
「結婚したいってアイリーンにも周りにも言い続けたのは、ライバルたちを牽制してたんだ」
「牽制?」
「村だけじゃなく、市場にいる同年代の男たちにもアイリーンは昔から人気だったんだよ」
そう言われ、私は口をぽかんと開けた。
「そう…だっけ?」
「そうなんだ。知らなかった?」
「うん」
頷けばジミーは昏い笑みを浮かべた。
「アイリーンは友達だと思ってても、僕らからしたらお互いライバル同士なんだ。だから僕は婚約者だって言い張ってそいつらを遠ざけるようにしてた」
どう反応していいのか分からず固まれば、ジミーはフッと嘲笑した。たぶん自分に向けて。
「ヒルダさまとのこと、嫉妬してくれたら良かった」
「え、でも……」
「あっさり見捨てられたとき、ものすごく落ち込んだし、腹が立った。価値を上げたのにまだ僕のことをなんとも思ってないって、はっきり思い知らされた」
そう言われてもな…。
「それなのに市場で金持ちそうな男を引っ掛けてくるし」
引っ掛けるって何っ!
語弊! ものすごく語弊!
「王都に行っちゃうし、やっと会えても周りに色んな人がいて守られて…笑ってて。しかもここでは緑の聖女だなんて呼ばれてる……」
「それは色々あって、そんな大それた話じゃなくて」
「やっぱりアイリーンは僕なんかとは違う人間なんだ」
無表情で、口だけ動かすジミー。ちょっと怖い。
私はそっと一歩、後ずさる。
「いつまで経っても追い付けない。眼中に入れてもらえない。僕にできるのは、話しかけて注意を向けてもらうくらい。道ばたで鳴く鳥や獣と変わらない」
「いや、そこまで言わなくても」
「でもそうなんだよ。そんな獣より、アイリーンは野菜の方が大切だったし」
「そんなこと……」
あるかもしれない。否定しようと思ったけど、今も昔も確かに私は野菜に夢中だ。
言葉を失い、口をつぐむ私をジミーは目を細めて見てる。
「野菜以上に特別に思ってもらえないなら、獣でも人でも同じことだ」
それがいつも、すごく悔しかった。
そう言って、ジミーは目を伏せ拳を強く握った。殴られるのかと身構えたら、ダニエルさんが私の前に一歩進み出る。
「でも、フラドに来て分かった。当たり前だ。僕は何もしてなかったんだから」
「え?」
「アイリーンの後にくっついて、他人を威嚇してるだけの犬だった。この土地に来て、つくづく僕は自分のことばかりで誰かのためにって考えたことがなかったんだなぁと分かったんだ」
悔恨を浮かべた目でジミーは私を見る。
「村では親父たちに言いつけられたことをしてただけで、それも面白くなかった。でもフラドでは仕事をしたら喜ばれて、やればやっただけ成果が分かるし、人のためになるからやりがいがある。みんなで食事をして助け合って、その一員に自分がなれたことがうれしい」
「ジミー」
「村でも同じだって言いたいんだろう? でも僕はそれにまったく気付かなかった」
懺悔をするジミーの肩はしょぼくれてる。けど、以前より広い。成長したんだな。
「今さら、気付いた」
「…そう」
「アイリーンの気持ちも考えず、自分勝手に都合よく扱ってた。……ごめん」
「……うん」
「色々、ごめん」
「うん、わかった」
ジミーはこれが言いたかったのか……。
謝るとき、眉を八の字にして涙をこらえるさまは子供の頃と変わらない。そして口をぎゅうっと結んで頷く私も変わらない。
「私も、ごめんね。幼馴染みでいつもそばにいたから、ジミーのことを何でも分かった気になってた」
私もジミーの気持ちなんて推し量ったことなかったな。ジミーにも色んな感情があって当然なのに、私も自分のことしか考えてなかった。
もう少しちゃんと話し合えばよかった。
そう思える私も、色々経験してちょっと大人になれたのかもしれない。
「アイリーンは……王都に戻るんだろう?」
「うん」
「アイリーンが農民に混じって働いてるのは前から知ってた。でも会わせる顔がなかったし、恥ずかしくて」
「そっか」
「でも王都に戻ればもう会えないかもしれないから、せめて一言だけでも謝りたかったんだ」
「うん、ありがとう」
素直に笑えば、ジミーもちょっと安心したように口角を上げた。
「ジミーは村に帰らないの?」
「叱られに戻るべきだけど……せめてフラドでたくさん働いて、持ち出した金以上稼いでからにしようかなって」
「そうだね、おじさんたちお金が無くなって冬を越すのが大変だったみたいだよ」
私の言葉にジミーは顔色を変えた。
「え、えっと……」
「相当怒ってたから絶対殴られると思う。覚悟してなね」
「う、うん」
おどおど視線を泳がせて頷くジミー。見慣れた、幼馴染みの顔。なんだか懐かしい。
そしてジミーは数回深呼吸して真面目な表情になり、私を見返してくる。
「……アイリーン、今、好きな人いる?」
「いる」
即答すればジミーの顔がくしゃりと歪んだ。
私は胸を張ってまっすぐ立つ。照れてる場合じゃない。
レイモンドさまを思うからこそ、ジミーにも誠実でいたい。
「村に連れてきた、あの男?」
「そう」
「悪いやつじゃないんだ?」
「すごく善い人。尊敬できる」
「尊敬…か」
王子さまで身分違い。きっと叶わない恋になると思うけど、好きになったことは絶対後悔しないだろう。
「本当に、好きなんだ? 野菜より?」
「人と野菜を比べちゃだめだよ。でも……私の作った野菜を一番に食べてほしいし、おいしいって言ってもらいたいって思ってる」
さつまいもが前世ばりにおいしく収穫できたら、どれだけ喜んでもらえるかな。
その顔が早く見たい。
自分で分かる。その時を想像したら、私の顔がゆるんだ。たぶんニヨニヨしてる口元を両手を添えて隠すとジミーが伏し目がちに大きなため息を零す。
「そっか、……幸せにな」
「うん、ジミーもね」
私は笑って手を振った。
馬車に乗り込むとすぐに動き出す。小窓から外を見れば、ジミーは木陰の下で突っ立ったまま。
どんどん遠ざかり夕闇に紛れ視認できなくなるまで、その影は動かなかった。




