新芽。
水の中で逃げ惑っていた精霊たちは結界を壊してと言っていた。
たぶん、この鉄格子と鎖のことだったんだろう。
「……妄執は消えた」
「リオネルさま」
地下に風が吹き抜ける。
冷え冷えとしていた行きと違い、今はさわやかな五月の風のよう。
地上に上がれば、陽光がやわらかく大地にそそいでいる。
私たちは深呼吸し、周囲を見回す。
「これであとはフラドを立て直すだけか」
「簡単に言いましたけど、レイモンドさま、かなりの大仕事になりますよ」
「分かってるよ、マックス。でもやるしかない」
「現状を国王陛下に奏上しなくては」
「それよりまずリオネルさまとアイリーンに休息を」
「私はともかく……リオネルさま、休みましょう」
「いや、まだやることがある」
「「「えっ」」」
私たちの驚きがハモッて、リオネルさまが苦笑した。
「たいした仕事ではない」
リオネルさまがよろよろと立ち上がり…かけて、あきらめて座り込み、ため息をついて新作じゃない方の聖杯を手にした。
私の目の前で聖杯を揺らせば、そこから青い精霊たちが飛び出していく。
「あっ」
「そうだ、聖遺物で集めた精霊たちをフラドに戻す」
「そう…ですね」
この荒涼とした大地をすぐにでも………人を含めたすべての生き物と、精霊たちが住めるようにしなくちゃ。
私はリオネルさまから少し離れて、金剛杖を握り込む。
出来る子の金剛杖は何を言わずとも鋤の形になってくれた。
「みんな、おねがい!」
マルケスでやったように金剛杖を大きく振りかぶって、勢いよく振り下ろす。
目も眩むような光が先端から飛び出しながら土に突き刺さる。
そこを中心に、ぶわっと波紋が広がり、大地が揺れた。
震源地から広がる地震を目でとらえたらこういう感じなのかな。
何度か振りかぶれば金剛杖がふっと軽くなった。
足元の土を掻けば、緑の芽がいくつもぴょこんと顔を出す。
「すごい、な……」
レイモンドさまが私を見て、なんだかまぶしそうな……ちょっと遠い目をしてる。なんだろう。
首を傾げたら、なんでもないと苦く笑われた。
横のリオネルさまは私より優雅に、事を行っている。
燭台の火をふぅと吹き、鳥かごを開け、鏡をくるくると回転させ……聖杯を静かに傾けた。
精霊たちがきらきら光り、飛び出していく。
それをうっとり眺めていた私の耳に、大歓声が届く。
人の出した声じゃない。精霊たちの歌、あふれる喜び。
そこかしこで踊る精霊たち。
今までろくに見えなかったのが信じられないくらい。私の視界には様々な色の精霊たちだらけ。
前世も今世でも見たことない景色。世界が生命力に満ちている……。
「すごいですね。リオネルさまはいつもこんな光景を見ていたんですか」
「そうだ」
今ならほとんどの精霊たちと意思疎通ができそう。
私はみんなが好きで大切で、みんなも私を好き。
ライブハウス武道館でオーディエンスと一体になったアーティストはこんな高揚感持つのかな。
とにかく、すごい気持ちいい。
ますます精霊たちのために、よりよい環境を作りたい。
「アイリーンも本当の意味で覚醒したな」
「覚醒?」
「大神官レベルで精霊に愛されてる」
「ホントですかっ?」
それはうれしい。リオネルさまもにこにこ。
「私がいなければなれるぞ」
「え? 大神官…ですか?」
「そう。今なら私の後継者だな」
「遠慮します」
即レス。
「嫌か?」
「嫌っていうか…私は土を耕して生活していきたいなぁって」
マルケスで強く思った。精霊とか祝福とか関係なく、私は植物が育つのを見るのが楽しい。お世話したい。
そして誰かの口へおいしい野菜を届けたい。
心の内にあった考えをつっかえつっかえ、まとめながらそう言えば、リオネルさまが肩をすくめて苦笑した。
「もったいない気もするが……アイリーンがしたいように。それが正しい」
「正しい?」
「アイリーンと精霊、双方がそう思っているなら、私が邪魔をするわけにはいかない。本当に残念だが」
そう言うとリオネルさまは今度こそ精根尽き果てた風情で黙り込んだ。
そして、それから。
「アイリーンさま、こちらを耕し終えました!」
「では種を蒔きましょう」
小麦の産地フラドだけど、秋からの雨で残念ながら田畑はすべて流された。
さすがにそれを元通り復元するのは金剛杖の力を借りても無理だったので、小麦は夏を終えてからやり直すことにし、今季はすぐに収穫できる豆を栽培する。
「アイリーンしゃま、これとこれ、ぜんぜんちがう」
「そうだね、豆にも色んな種類があるのよ」
仲良くなった農民の子供たちもお手伝いしてくれて、私にことあるごとに話しかけてくれる。
「いろんなしゅるい…」
「そう。だから畑ごとに違う種を植えてみるの。一緒にお願いね?」
「うん!」
「じゃあ、私が穴を開けるからここに種を入れて」
「はぁい!」
耕し、畝を作った土に指を突き立てて出来た穴に小さな手が慎重に一粒ずつ土に種を落とす。
たまに外れてしまうと少し年嵩の子がフォローしてくれた。
「あ~、種が逃げちゃったね」
「むつかしい…」
「じゃあ、おねえちゃんが直してあげる」
微笑ましい光景に農作業の疲れが吹っ飛ぶ。
よし、もう一頑張り!
「種植えは任せるね。私はあっちを耕してくるから」
「はぁ~い」
子供たちから離れ、まだ手を付けていない区画で土をざくざく掻く。
少しでも空気が行き渡るよう、土の精霊が喜んで住み着くよう。居心地の良い場所にしたい。
「そういえば…最近、植物の成長がゆっくりになったなぁ」
水が引いた数日は種を植えてすぐ食べられるくらい急成長してくれたけど、二週間経った今はさほどでもない。
「段々と、自然のリズムに戻ってきたんだなぁ」
食糧事情も周辺地域から送られたり、国が船で運んできたりして改善し始めている。
急ぐ必要がなくなったから、土の精霊たち、そして植物たちはこれからどんどん本来の状態に戻るだろう。
「聖女さま、ここも農地にできますかね」
「水はけが悪いから、むしろ小さなため池にした方がいいかもしれませんね。ところであの、聖女って呼ぶのは……」
「あ、こりゃいかん。申し訳ない」
「いえその…気恥ずかしいので、できたら名前で…」
「それこそ恐れ多いんですが……アイリーンさま」
初めの内は聞き流してたけど、よぉく考えると聖女だと呼ばれて返事をすることに猛烈な違和感を覚えた。
リオネルさまみたいな神々しい美貌があれば良かったんだけど、あいにく平凡顔。そして村育ちの私が人にかしずかれるなんてとんでもない。
同じ民として接してほしいし、むしろ農業の先輩たちからはたくさんのことを学びたい。
そんなこんなで周囲に名前で呼んでもらうようお願いしてある。
最初はみんな戸惑ってたけど、慣れてきたら気さくに話しかけてもらえてうれしい。
「アイリーンさま、向こうから何かが…」
年配の農民が遠くを指差して馬車の接近を教えてくれた。
「もしかして偉い人が来たんですかい?」
「だと思います」
馬車ももちろん流された今現在。フラドで馬車を使うのはレイモンドさまとリオネルさま、それに私くらい。リオネルさまは大活躍後、寝っぱなしだから……。
「たぶんレイモンドさまが」
「第六王子…」
「え、王子が来る?」
馬車に気付いた人たちが私の周囲に恐る恐る集まる。
すぐ近くで止まり、兵が扉を開けるとレイモンドさまが軽やかに降りてきた。
「アイリーン、調子はどうだ?」
「問題なく出来てます。見回りですか?」
「そう。みな困ったことはないか?」
王子から話しかけられて、緊張しつつ答えてる農民のみなさん。
「子供のお乳が足りず…」
「ではマルケスやロサノから牛や山羊を連れてこよう」
「遠くに避難した家族が、路銀がなく戻ってこられないんです」
「各領で旅団を作り、避難した者を送ってもらえるよう、王太子が手配している」
「治安が悪くて…」
「兵の見回りを強化する。国から応援部隊が毎日続々到着しているから大丈夫だ」
不安がる民一人一人にレイモンドさまがていねいに説いて回る。
王都にいたときと比べ物にならないほど面窶れしたレイモンドさま。疲れてるはずなのに休みなくこうして民と触れ合う時間を作ってくれている。
「大変だと思うがな。面倒なことは我々に任せて、皆はここで自分たちの居心地を良くしていけばいい」
「レイモンド王子…」
その態度がどれだけ民を喜ばせているか……。
民の一人として、私も誇らしい。こういう人が王族でよかったなぁ。うちの国はすごいんだぞ~って胸を張りたくなる。
「アイリーン、あっちでお茶を飲もう」
「はい、レイモンドさま」
ひとしきり民との交流をして、レイモンドさまは私を小高い丘の上に誘った。
そこでは数人の男女がお茶の用意をしてくれている。その中に見覚えのある女性が一人……。
「あ!」
フラドに来てから私の世話係をしてくれた人だ!
私が駆け寄ると、静かに深く頭を下げる。
「病いは治ったんですか? 体は…」
「手厚く治療していただき、こうして聖女さまの御前に出ることが叶いました。ベルタと申します」
「ベルタさん…よかった」
あの頃と違い、理知的な目が私を見て潤む。
「すべて聖女さまのおかげです」
「いいえ、むしろ皆さんのがんばりです。あの時私のそばにいてくれてありがとうございました!」
一人ぼっちの部屋で、遠見の広間で。ぬくもりがどれだけ心強かったか。
病んでいたのにそれでも私をかばってくれたベルタさんの強さにただひたすら頭が下がる。
「彼女らは完治して釈放された」
敷物に腰を下ろしたレイモンドさまが涙ぐむ私たちをうれしそうに見つめた。
「アイリーンも座れ」
「はい」
「ベルタ、お茶を頼む」
「かしこまりました」
私は涙をぬぐいレイモンドさまの横に座る。すぐにベルタさんたちが恭しくカップを手渡してくれた。
適温のお茶が農作業後の体に染み込む。
「ベルタを始め、アイリーンの近くで働いていた者の快癒が早いようだ」
「私の近くというか私の側にいた精霊と触れ合う機会が多かったんだと思います」
「アイリーンはこう言ってるが、どうだ?」
問われ、跪いたベルタさんが静かに答える。
「病いに罹っていた間はぼんやりと夢うつつでございました。体も重く、思考することもできず……何をしていたか記憶がありません。けれども聖女さまがいらしてからふと意識が清明になる瞬間が増えました」
ベルタさんの言葉に他の女性たちも頷く。
「領主に聖女さまを捜せと命じられたときには、反抗心も芽生えておりました。他の者も同じだったと思いますが、例え見つけても領主には知らせず逃げて頂こうと」
「ベルタさん…」
「遠見の広間に集まっていた頃にはほぼ全員が聖女さまをお守りせねばと考えていたと思います。視線がよく合い、頷きあえましたから」
それを聞いてぶわっと涙が出た。
「アイリーン」
「そう、なんです。みんな私をかばってくれて…見つからないように隠してくれて…」
「そうか」
きれいなハンカチを手渡されたので、遠慮なく涙を拭く。
攫われて知らない場所にいたことは本当に怖かったけど、一人ぼっちじゃなかった。
精霊も人もたくさん助けてくれたから、今こうしている。
感謝の言葉は嗚咽混じりになったけど、ベルタさんたちも泣きながら頷いてくれた。
「他の、人たちは…」
「快方に向かっております。近いうちに御前にてご挨拶させていただければ」
「ぜひ会いたいです」
あの場にいた全員に感謝を伝えたい。
「アイリーン、快復した者からフラド城でまた働く。その時にたくさん話すといい」
「はい!」
レイモンドさまはおかわりを所望し、私もご相伴させてもらう。
やわらかな風に吹かれて景色を眺めれば、自分たちが耕した農地が広がっている。
緑の新芽が陽光を受けて、天へまっすぐ伸びていた。




