浄化。
「リオネルさま。なぜ精霊たちは緊張してるんですか?」
夜明け前と違い、私の目には精霊たちがいっぱい映っている。
だけど誰もが私たちや聖遺物から離れないよう警戒していた。
「精霊たちを狂わせた何かがいて、まだ怯えてるんだ」
「狂わせた何か……」
「それを……元凶を排さないと同じことがまた起こる」
リオネルさまはレイモンドさまの肩を借り、難しい顔で立ち上がる。
「リオネルさま、どこへ?」
「精霊が嫌がる場所」
リオネルさまが足を引きずるように前へ。
精霊だけじゃなく、リオネルさまも嫌なんだろう。嫌悪感をほとばしらせながら、それでも進む。
城内を通り抜け、水の引いた階下へ。
それに付き添いながら、元凶って誰なんだろうって考える。
精霊を支配している人? でも祝福の子はいないって言ってたし。
「城内に誰かいるなら、俺たちが連れてきますよ?」
レイモンドさまがリオネルさまを気遣う。
確かに支えられて歩くのがやっとってくらいリオネルさまはくたびれてる。心配だな。あれじゃまるで幽霊みたい。
「……あ!」
「アイリーン?」
「もしかして……」
「心当たりがあるのか?」
振り向いた二人に私はこくりと頷く。
「亡霊……見ました」
覚束ない足を止めたリオネルさまに地下での出来事を説明すれば、より一層難しい顔になった。
「アイリーン、案内してくれ」
「はい」
城の北側の階段を下り、地下牢に向かう。
付いてきてくれた兵士が扉をそっと開けたら、冷えた空気が流れてきた。
「うん、ここだ。精霊たちが怖がっている」
「下りますか?」
「あぁ。みんなはここで待ってろ」
「何言ってるんですか、リオネルさま。一人で歩けないでしょう」
レイモンドさまが呆れつつ、リオネルさまの腕を自分の肩へ回す。されるがままのリオネルさまは、どっこも力が入ってない。うん、これじゃ自分で地下へ行くなんてムリだな。
「俺が付き添うから、アイリーンはここで待っててくれ」
「……私も行きます」
ひんやり冷気に亡霊と鉢合わせたときを思い出し、足がすくむ。だけど二人だけで行かせるなんて出来ない。なんてったって精霊が関わることなんだから。
「レイモンドさま、我々もお供致します」
「……そうだな」
マックスさまに言われ、レイモンドさまが頷く。不測の事態に備えて見張りを二人残し、私たちは十人ほどの兵士たちと共に地下へ向かう。
地下に溢れ出していた水は引いているが、水たまりが多く残って滑りやすい。
階段を下りきって、独房が並ぶ場所に来たら、より冷える。
「人ならざるものの気配がある」
リオネルさまのお墨付きをもらってさらに怖くなり、体が勝手に震えた。
「アイリーンはここに隠れてたのか?」
「はい、水が上がってきてからは階段にいましたけど」
「この下には行ってないんだな?」
「下…ですか?」
独房階より下なんかあったのか。動かずじっとしてたから知らなかったなぁ。
リオネルさまは半眼になり、小さな風の精霊を一つ指先から飛ばす。
それはくるりと旋回し、一番奥へ向かう。
風の精霊についていくと、独房かと思った場所は階段で、もう一階層下りれば私たちがいた部屋よりもっと広い空間に出た。
「ここか…」
目の前にぼろぼろの鉄格子がはまった独房。
たぶん作られたときはどの牢より太い鉄格子だったんだろうけど、今はもう腐蝕し、触るとすぐに崩れそう。
独房内には寝台もなく、ただ岩壁に囲まれた空間だ。
その片隅に白い棒が積まれている。
「あっ」
みんなの目が自然とそれへ集中した。
見覚えのあるフォルム。……白骨だ。
頭の片隅でもしかしたら死体でもあるんじゃないかって予測していたけど、目にしたのは水に洗われたのか、きれいな骨。
そこから、黒い光が一つ浮かび上がる。
「ひ」
「心配するな 闇の精霊だ」
兵士たちが剣を構え、私は情けないかすれ声を上げた。
それは冬まで生き延びた黒い揚羽蝶のように……弱々しく、今にも落ちそうな飛び方でリオネルさまの前に来る。
リオネルさまの差し出した手に乗った精霊は、しばしふるふると震え、すっと消えた。
「精霊が言うには……あれは領主の弟だそうだ」
「え、だって……その人、リノさんは追放されたって……」
私の言葉にみんなの視線が集まる。
「領主の弟はリノと言うのか?」
「はい。タチアナさまから双児の兄ロケと諍いあって、フラドを追放されたって聞いたんですけど」
「そう触れを出して、実際はここに放り込んだんだろう」
「牢内の様子を見ると、食べ物も与えず放置したんでしょうね」
何もなさ過ぎる牢内を見遣り、マックスさまが言う。無表情だけど、声の中に嫌悪感がにじみ出てる。
ふと、今度は青い光が牢内の床からすぅっと一つ浮かび上がった。
「リオネルさま、水の精霊が…」
「このすぐ下に水脈があるんだ」
水の精霊はリオネルさまを見つけ、うれしそうに寄ってこようとしたが、その動きが急にぎこちなく止まる。
蜘蛛の糸に絡めとられた羽虫のようにもがき、段々と白骨へ引き寄せられていく。
それを嫌がり不安定な飛び方をしていたが、急に光が点滅し、縮み始めた。
それを見たリオネルさまが聖杯を傾け「ここへ!」と叫ぶと、精霊が細く長い軌跡を描き逃げ込んでくる。
「アイリーン、見たか?」
「はい」
「何をだ?」
レイモンドさまが戸惑いつつ、私たちに問う。
どうやら今のは私とリオネルさまだけに見えたらしい。
「精霊が白骨に取り込まれそうになっていた」
「精霊が?」
「相当な恨みを持って死んだんだろう。それとも死んだことすら分かっていないのか……」
逃げ込んできた水の精霊はとても怯えていた。リオネルさまは聖杯をそっと懐に隠し、守る。
「恨みが強く残り、死しても復讐を遂げようとしている。精霊はそれに巻き込まれた」
「死者の妄執がことの原因だと?」
「そうだ。精霊に己の狂気を背負わせ、世界のバランスを崩した」
痛ましげに白骨を見つめるリオネルさま。
「あれは精霊を動かす力があったんだろう。周囲も本人も気付いていなかったようだがな」
「そのせいでこれほどのことが起こった、と? 文献以上の規模です」
マックスさまが乾いた声で言うのにリオネルさまが頷く。
「恨みで力が増幅し、死により生き物としてのリミッターが外れ、暴走した。それに巻き込まれた精霊たちも狂い、地下水脈に流れフラドに水が溢れた」
金剛杖がリオネルさまに同意するよう、一つ震えた。
その表面を撫でて思う。
これだけのことを引き起こしたリノって人はどんな人だったんだろう。
できたら会って話を聞きたかった。
興味本位とかじゃない。いつか自分がそうならないって保証はどこにもないんだから、自戒を込めて、心の動きを知っておきたかった。
「リオネルさま、私も同じようなことができちゃうんですか……?」
「アイリーンは祝福の子だから、しないだろう」
「え?」
「リノは精霊の呪い子だ」
「呪い子?」
意味が分からず、私はきょとんとしてしまう。
「呪い子のことは王族と上位神官くらいしか知らない」
国家機密とかかな?
「別に隠しているわけじゃない。存在が非常に稀なんだ。歴代神官が書き残した文献にも一人だけしかいない」
「それは…?」
「己の欲望を満たすために精霊を使役する者のことだ」
過去、問題を起こした祝福の子はだまされたり脅されたりしてその力を使ったものがほとんど。
「だが、その者は能動的に……利己的に力を使えた。そして祝福の子として聖遺物に認められなかった」
金剛杖がブンブン唸る。
「そうだ、当たり前だ。都合よく精霊を使い捨てる者に祝福など与えない」
呪い子に使われた精霊たちは皆消えてしまい、やがて周囲に誰もいなくなった。
精霊を失った土地は荒れ果て、呪い子は崩れてきた山に押しつぶされて死んだという。
金剛杖がさらにブンブンブルブル。
「もしかして……土の属性が強い人だったの?」
小声で問えばカッと光り、発火するんじゃないかと思うほど熱くなった。とっさに私は金剛杖を抱きしめる。
火傷してもいい。きっとその時のつらさ、悔しさ、怒りを思えば私にはこれくらいしかできない。
「…アイリーン」
気遣わしげにレイモンドさまが呼びかけるのに無言で頷く。
だいじょうぶ。精霊は私を傷付けない。
静かに抱き込んでいたら、徐々に熱が引いていく。触れた場所から金剛杖の深い悲しみが伝わってくる。
「どうだ?」
「落ち着いたみたいです」
「それなら…アイリーン、この鉄格子をどけてくれ」
「鉄格子を?」
「それなら俺が…」
レイモンドさまがそう言い、鉄格子に触れた。だけど、ぼろぼろで崩れそうな形のまま、鉄格子はビクともしない。
「なんで…」
「この鉄格子には土の精霊が宿っている」
「土の精霊が?」
「正確には…精霊の魂魄が」
「魂魄……」
リオネルさまはくちびるを一度引き結び、続ける。
「ここでなんとか呪い子の暴走を食い止めようとして力尽きた土の精霊の魂だ」
私はその言葉に頭が真っ白になった。
「死…んじゃった、精霊?」
「そうだ。精霊は生き死にで括るのではなく、いるか、いないか、消えたかくらいでしか認識できない。だが強い力を持った精霊には、人と同じように意志や魂がある」
「…はい」
「それらはこのように、仲間や世界を守るために行動するんだ」
悼むように鉄格子に語りかけるリオネルさまにつられ、私は金剛杖と共に横に立つ。
「アイリーン、頼む」
「はい…」
土の精霊がそこまでがんばってくれたことに涙が出てくる。私にできることはなんでもしよう。
その思いを胸に、たくさんの仲間を守って死んだ精霊のために手を合わせ、金剛杖で鉄格子に軽く触れた。
パキン!と高い音が地下に響き渡る。
すぅっと何かが金剛杖を伝い、私の体を通り抜け、背後へ……天へと流れていった。
目を開ければ鉄格子は崩れ、床に黒い砂となり重なっている。
「これで足を踏み入れられる」
よくやったと私の頭を一撫でし、リオネルさまが一歩前へ。慌ててレイモンドさまが付き添い、白骨まで歩く。
私も後に続き、二人の間から恐る恐る顔を出した。
白骨は標本のように白く形を保ったまま。壁から繋がっている太い鎖にも腐蝕の様子はなかった。
リオネルさまがため息をつく。
「もう一つ、結界があったか」
「結界?」
「さっきの鉄格子と、この鎖。精霊の魂魄が残っている。アイリーン、これも頼む」
と、言われてもどうすればいいのか……。
困惑してたら金剛杖がハンマーの形に変化した。頼まれる前に動くなんて有能か。
「これで叩けばいい?」
金剛杖に問えばブルブル同意されたので、そっと白骨に近寄り、鎖をコツコツと叩く。
あんまり変化がない。
「アイリーン、ガツッと行け」
「はい…」
手元が狂って白骨に当たりませんようにと願いながら思い切って鎖を打つ。
鈍い音がして、鎖の輪が一つ砕けた。
それを引き金に、すぐにその両隣の輪、その隣…と連鎖していく。
「すご……」
すべての鎖が砕け、粉々になって鉄格子と同じように床に散らばった。
「あっ」
レイモンドさまが小さな声を上げ。視線の先で、白骨も崩れ始めた。
「浄化の火よ」
リオネルさまが聖遺物の燭台を取り出し、そこに灯った真っ赤な火をふぅっと口で吹く。
火は細く長く伸びて、白骨に移った。ポンと大きくなり白骨を包み込む。
火力に驚いて一歩下がってしまったが、リオネルさまはその場で炎を凝視し続けた。
時間にして数分。炎の舌で舐められた骨は徐々に形を失い、溶けるように消えていく。
最後の小さな骨まで溶かし終えた後、浄化の火は鉄格子と鎖だった砂も焼き、燭台へと戻る。
あとには何もない岩肌だけが残された。




