新作。
「ダニエル、アイリーンを頼んだぞ」
「はっ」
朝日の中、指示を飛ばしながらレイモンドさまが階下へ。その背をぼんやり見送り、私は金剛杖を握ったまま座り込んでしまった。
「アイリーンさまっ?」
「あ、気が抜けちゃって…」
「どこか、休める場所を…」
「大丈夫です、それより」
立ち上がれないけど、背筋は伸ばしてダニエルさんを見上げる。
「心配かけてごめんなさい…」
「アイリーンさま」
「私がもっと用心してれば、こんなことにならなかったのに」
私に何かあれば護衛していた人の責任になってしまう。重い罰もあるだろう。それでも仕事だからと身を挺して安全に気配りしてくれる。
そばにそういう責務を負って守ってくれてる人がいたのに、私にその自覚がなかった。
私が謝罪をすると、ダニエルさんはぐっと拳を握り「もったいないお言葉です」と跪き、深く頭を下げる。
「これよりまたアイリーンさまの護衛の任につかせていただきます」
「はい、よろしくお願いします!」
ダニエルさんの微笑。今後はなるべく迷惑かけないようにしよう。
「アイリーン」
呼ばれて振り向けば、城壁のすぐ近くまで乗り付けた船の舳先にリオネルさまがいた。
屈強な兵士が舳先から屋上へ長い板をかけ、リオネルさまはそれを渡り、私の側に降り立つ。
「リオネルさま!」
「よくやった、えらかったぞ」
子供のような褒められ方。でもそれを聞いた途端、涙が溢れだした。
「あぁ、泣くな泣くな」
リオネルさまがやさしく抱き寄せてくれ、背中をポンポンと叩かれる。
「がんばったな、怖かっただろう」
そう、すごく怖かった。暗闇で目覚めたとき。誰も味方がいない場所だって分かったとき。精霊たちにありえないことが起ってるって知ったとき。
地下で亡霊に遭い、雨に打たれて夜明けを待っていたとき。
「精霊を助けてくれてありがとう」
いろんなことを思い返し、もうダメ、涙を止められない。優しい言葉に涙腺の栓が抜けた。
リオネルさまのせいということにさせてもらい、遠慮なくしがみついてしゃくり上げる。
小一時間ほど泣いてたら、城内は完全に制圧されたようだ。
私たちは伝令に呼ばれ遠見の広場に移動し、レイモンドさまと合流する。あ、マックスさまもいた!
広間のシンとした空気に再会を喜ぶのは控え、目礼で頷き合う。マックスさまの黒い目がやさしげに細められて、労ってくれたのが伝わってきた。
ロケたちは隣の小部屋に監視付きで拘束されている。きつく縛られ、悄然とうつむくばかり。
それ以外の城勤めの人たちは全員広間に集められてる。昨晩と同じように座り込んでいるけれど、どこか理性を感じる目をしていた。
ちょっとずつ正気に戻ってるのかもしれない。
「そこにいるのは?」
「人の誘導に協力してくれた者たちです」
レイモンドさまが声を掛けた先には両頬を赤く腫らしたタチアナさま、薬箱を持ったルイさん、数人の山の民がいた。
彼らはレイモンドさまを見ると居住まいを正して跪く。
「顔をあげるように。第六王子レイモンドだ」
「フラド領主ロケの妻、タチアナでございます」
「ケガをしているなら座れ」
さっきまで執政たちが陣取ってたソファをレイモンドさまが指差す。
「お心遣い感謝いたします。手当をしてもらいましたので大丈夫です」
「……領主とその周りにいた者は捕らえた。他に今回の件に関わっている者は?」
「それら以外は皆、病いに罹りロケの命令に逆らえなかった者たちです。どうぞ寛大なご処置を」
「隣は?」
「薬師のルイと申します。私も彼らも山の民です」
「ふむ…」
「第六王子殿下、聖女さまをさらいフラドに運び込んだのは我々山の民です。どのような罰でもお受け致します」
タチアナさまがそう言えば、ルイさんたちがレイモンドさまへ頭を垂れる。
私はとっさに首を横に振った。
違うよ、違わないんだけど、言葉にしちゃったらそうなんだけど、色々あって……。
タチアナさまの言葉を聞いたレイモンドさまは一瞬怒りをあらわにする。だけど私の様子を見て長く息を吐き、いからせた肩を下ろした。
「山の民にはなぜ…と聞くべきだが、まずは船に乗れ。城から避難後、全員を審議する」
「審議?」
レイモンドさまの青い目が私を向く。
冷静な、為政者の目だ。
「なぜフラドがこのような事態に陥ったか、こうなるまでにどのような行動をしたか、なぜアイリーンがさらわれたのか。国は調査し、すべてを明らかにせねばならない」
そうだよね…。ちゃんと調べて正しい沙汰をしないと国が揺らぐ。
でもあのロケだって、精霊の不穏に心を乱されて引きずられていたのかもしれない。己の行いを忘れてしまっている人も多いだろう。
「審議は船の上で行う。病いある者はそこで治療し、フラドの悪事に加担していない者は釈放される」
「お心のままに」
「全員、武器を預けろ。拘束はしないが、おかしな行動をしたら問答無用で処罰する」
「かしこまりました」
山の民は恭順姿勢を取っている。ひどいことにならないと思うけど……マリオおじいさんは私をさらった主犯格だから、何かお咎めがあるかもしれない。って、そういえば、マリオおじいさんの姿がないな。
私の様子に気付いたルイさんが引き立てられつつ「マリオは館の方へ……」と教えてくれた。
「あ、そっか」
「マリオとは?」
「……山の民です。ロケに連れていかれた娘さんを奪還しようとしてた人です」
家族愛の深い人。でもそのために私を犠牲にしようとした人。
「レイモンドさま、館にいた人たちは無事でしたか?」
「あぁ、救助できている」
「その人たちも審議を?」
「する」
城に横付けした船へフラドの人たちが乗り込むのをリオネルさまがじっと見つめ続ける。
館にいた女性たちも船上に一列に立たされ、リオネルさまの視線がさらに鋭く注がれた。
城内に残っている人がいないか兵に確認させたレイモンドさまが、ゆっくりと城を離れる船を見送る。
「リオネルさま、どうでしたか?」
「祝福の子はいない」
最後に連れ出されたのはタチアナさまたち。これで城にフラドの人間はいなくなった。
レイモンドさまに問われたリオネルさまは、凪いだ湖面へ長く息を吐く。
「……いなかったんですか?」
「城も館の者にも該当者はいない」
じゃあなぜこんなことに…。
てっきり祝福の子の力だと思ってた私が混乱していたら、リオネルさまが湖面に反射する陽光に目を細めた。
「最初からいなかったのか、途中で逃げ出したのか……」
リオネルさまはそれきり黙ってしまい、私とレイモンドさまは顔を見合わせる。
笑顔の多いリオネルさまが難しい顔をしていると、それだけで「あ、何かまずいんだな」って緊張しちゃう。
レイモンドさまも同じ気持ちなのか、表情を引き締めた。
「いないのであれば仕方がない。ひとまずリオネルさまとアイリーンに休息を取ってもらおう。二人とも船へ……」
「レイモンド」
次の指示を出そうとしたレイモンドさまをリオネルさまが止めた。
「私は船に乗らない」
「なぜ」
「フラドにたまった水を引かせようと思う。このままでは復興までの時間が掛かり過ぎる」
「この大量の水をどうやって……」
リオネルさまが私を手で呼ぶ。
「アイリーン、そばにいてくれ」
以前聞いたセリフをもう一度。
「また何かやるんですか?」
「あぁ。これを使って」
リオネルさまはフルーツも乗せられるような大きい杯を兵に持たせていた荷物から取り出した。
「これは?」
「船長の部屋にあったやつを拝借して、手を入れた」
「手を…?」
「うん、ここに紋を刻んだ」
なんの変哲もない、ガラス製の杯。ふちにぐるりとレース模様の彫刻が入っててきれい。これが紋なのかな。流れ踊るような図案がリオネルさまによく似合う。
「これで水を動かそうと思う」
「は?」
「レイモンド、全船を大至急、河へ移動してほしい」
「え…?」
レイモンドさまもぽかんとしてる。
でもすぐに気を取り直し、出発していた船に伝令を送った。
「レイモンドたちも城から離れていい」
「冗談。二人が残るなら、俺も残りますから」
フラド城を取り囲んでいた船たちが、海へと続く河に滑るよう消えていく。
やがてドンと一つ、銅鑼の音。
「移動完了したようです」
「うん、じゃあやるか」
リオネルさまは屋上に上がり、杯を天にかざしてからゆっくりと床に置いた。
「アイリーン、金剛杖を持て」
「はい」
「この杯が動かないよう、アイリーンと金剛杖で支えてろ」
「よくわからないけど、はい!」
前みたいにまたなんかやるんだ。
リオネルさまが水に集中するから、土の秩序を保ってろってことだと思う。
金剛杖を右手に持って杯に触れ合わせる。左手も杯に添えて、リオネルさまを見上げた。
「水よ、我が意志に従え」
静かな口調。銀髪とグレイの瞳が陽光に透ける。
表情に気負がないせいでビスクドールっぽさが増し、神の御使いとしか見えない。
見とれる先でリオネルさまが「来い」と命じる。
途端、周囲を覆っていた水たちが、私に向かって飛んできた。
「えっ…」
けれど水は私にぶつかることなく、目の前の杯に吸い込まれていく。私の背後でレイモンドさまたちが息を飲む気配。
ちょ、何やってくれてんの、大神官!
呆然とする私の眼前を、とめどなく水がやってきて杯の中に消える。
あっという間に早回しのように。いや、逆戻しかな?
地表から水が引いていく。
最初に一番高い位置にあった城の地面が。次にそこから繋がる道だった場所が見え始め、城下町が現れた。
どこもかしこも水と土で薄汚れ、一面灰色だけど、水没前の風景がうかがえる。
干上がった場所に取り残された魚などの生き物は見当たらない。
不自然な水だったから、最初から棲んでいなかったのか、たぶんリオネルさまが逃したか。
後者だとしたらそれも伝説になるわ。
チート健在だわぁ。
もしかしなくても、私は伝説が生まれる瞬間に立ち会ってる…!?
今回のことを書き残して本にするか?
リオネル大神官最強伝説。今世のベストセラーに絶対、なる……!
そんな現実逃避で白目になりながら杯を支えていたら、フッと空気の圧力が和らぐ。
幾度か瞬けば、広大な湖が消え、その跡に荒涼とした大地が広がっていた。
「なんということだ……」
驚きの声に振り返れば兵士たちがうろたえている。
レイモンドさまやマックスさまは狐につままれたような顔。きっと私も同じ顔してるはず。
感動するには現象が非現実的すぎて。でもリオネルさまだからそれくらいやるだろうって気持ち。
すご~いってはしゃいでいいのか、崇め奉ればいいのか判断に困っていたら、ハッとなったレイモンドさまがリオネルさまに駆け寄った。
「リオネルさま!」
間一髪、ふらりと倒れる大神官を王子が抱きとめる。
「大丈夫ですかっ?」
「……うん、やればできるもんだなぁ」
「成功すると思ってなかったんですか?」
「いや、私ならできるはずと知ってた。けどこんな大技、体力使うから面倒だなと思ってさ」
レイモンドさまに支えられ、リオネルさまが私の横に座り込む。疲れ過ぎたのか、そのまま動けない。
「アイリーン、助かった」
「いえあの、……お疲れさまです」
とりあえず労り、私は疑問をぶつける。
「これ、船長さんの部屋にあったものなんですよね」
「そう」
「それにリオネルさまが紋を彫り込んだ……」
「うん、聖杯に刻まれた紋をアレンジしたんだ」
「そういうのって、…呪符って言いませんか?」
「言うな。完成したら呪器になってたから」
「リオネルさま……」
要するにこれ、聖遺物(新作)だよね。
「途中で杯が壊れなくてよかったよ」
「ソウデスネ~」
「思ったより簡単に出来たから、他の属性のアイテムも作ってみるか」
「スゴ~イ」
リオネルさまの言葉にカタコトで返す私は白目。
「リオネルさま、水はもう戻ってこないんですね?」
王子としての意地か、私の呆けっぷりのせいか。レイモンドさまは誰より早く気を取り直し、問う。
確かに水は引いた。惑っていた精霊たちも回収できてる。でも、なにか棘がささったような感覚。
首筋にチリリと違和感。
リオネルさまは、また長いため息をつき首を振る。
「まだ、やることがあるみたいだ」
「やること?」
「この地の引っかかりが取れていない。アイリーンなら分かるな?」
問われて、こくりと頷く。
この違和感を解消しないと、気持ち悪くて眠れなさそう。




