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聖遺物。




 格段に騒がしくなった階下に気をとられつつ、私はリオネルさまを見つめる。

 リオネルさまは自分の周囲に聖遺物を配置していた。

 そして私と視線を合わせ頷き、白い手をそれらへ伸ばす。


 指先で燭台に火を灯せば、水から飛び出してきた火の精霊が、うれしそうにその炎の中へ入る。


 次に鳥かごの小さな扉を開くと、風の精霊が楽しげに吹き込んだ。


 両面鏡を周囲に向ければ表にダイヤのように輝く光の精霊が、裏返せば黒曜石のような闇の精霊が吸い込まれていく。


 黎明の空の元、光りながら蛍のように聖遺物へ精霊たちが押し寄せていく。

 そして地平線から差し込んだ陽光を背に受け、リオネルさまが精霊たちに包まれた。

 湖面から次々と光が生まれ、舞い踊る。

 ショーを見るような気持ちで眺めていた私の手の中で金剛杖が何度も震えた。


「金剛杖さん、武者震い…?」


 相棒の表面に指を滑らせれば、馴染んだ鋤の形ではなく、最初の麺棒サイズ。ほどこされた繊細な彫刻が降りしきる雨の中、神秘的な陰影を浮かべている。


 最初、フラドの水を引かせるには水の精霊のコントロールを取り戻さなければって以前リオネルさまが言ってた。

 でもここに来て水の精霊だけじゃない。すべての精霊が巻き込まれているっていうのが分かった。

 だから、土の精霊は私が鎮めたい…。


「……金剛杖さん、協力してもらってもいい?」


 ぶるりと一バイブ。


 鋤でマルケスの土地を耕していたころ、金剛杖を伝ってどこからか集まった土の精霊たちが野に放たれた。


 今度はその逆をいくんだ。リオネルさまの見せてくれた手本通りに。


「水の中にいる土の精霊たちに伝えて。一度私のそばに……金剛杖さんの中に集まってほしいって」


 そして少しでも休んでほしい。もう苦しんでほしくない。

 その願いを込めて私は金剛杖を湖面へ向けた。


「みんな、ここへ来て!」


 私の声に応え、金剛杖がひゅるりと伸び、湖面へ突き刺さる。

 まるで夢で見た、如意棒のようだ。


「金剛杖の中で休んで……っ」


 そう叫べば、金剛杖がパッと光り、手にずしりと重みを感じた。水中から金剛杖の中へ次々と土の精霊が流れ込んでくる。


 たくさん傷ついて疲れ果てた精霊たち。

 いつも癒され頼っていたけれど、もし恩返しが出来るなら、抱きしめて癒したい。

 だからどうか、ここへ!


「ここにいたのか、聖女」


 無心で金剛杖を握っていた私の耳にざらつく声。振り返ればロケが私を見てにたりと笑っていた。

 ロケの後ろに同じような顔をした執政たちもいる。


「すばらしい。聖女の奇跡か」

「違っ、これは聖遺物が……」


 と言いつつ、私の周りでたくさんの精霊たちが光ってる。

 大量すぎるせいか、聖遺物の力か。これは皆に見えるみたいで、今の私は聖女感発揮しすぎてる。


「ますますオレの女にふさわしい」


 ロケがそばに来て、金剛杖を持つ腕を掴まれた。途端に金剛杖が動きを止め、麺棒サイズに戻ってしまった。


「離して!」


 振り払うが、分厚い手はがっちりと動かない。


「聖女さまを離しなさい、ロケ!」


 鉄の扉から、頬を赤く腫らしたタチアナもやってきた。

 よろよろと近付き、ロケの腕にしがみつく。


「お前は下がってろ!」

「聖女さまは今、フラドを救うため奇跡を起こしています。邪魔をしてはいけません。私たちはこの城にいる人を助けなければ」

「ふん、オレの指示に従わない無能共なぞ助ける気にもならん」

「…あの人たちは私たちの大切な民です。あなたが陣頭に立って避難させるべきでしょう」

「使い物にならん奴らなど、放っておけ」

「ロケ、昔のあなたに戻ってください」


 タチアナさまの、凛とした声。


「領主に着任したときのあなたなら、どうしますかっ? こんな…民を犠牲にして自分ばかり助かろうなんて思いましたか?」

「……黙れ」

「今からでも全員を救うべきです。私も領主の妻として協力しますから、保身に走らず、すぐに国王軍に白旗を」

「黙れぇぇ!」


 すぐ横で、タチアナさまがロケに殴りつけられた。


「タチアナさまっ!」


 どさりと床に叩きつけられたタチアナさまは、小さなうめき声をあげてすぐに動かなくなる。

 執政たちは誰も助けないでニヤニヤしたまま。

 タチアナさまの白い顔。口から血が一筋流れ出る。


「最…低っ」

「オレの邪魔をする者はこうなる。お前もだ」

「国王軍も海軍も来てる。勝てる訳ないでしょっ」

「いや、お前を人質にして国王軍を蹴散らす。そしてオレがこの国の王になる!」


 つっこみどころ満載!


「なんで私が人質になっただけで国王軍が蹴散らせるのよっ」

「さっき使ってた聖女の力であれらを追い払えばいいだろう」

「できるわけないでしょ! 全然違うものなんだからっ」

「できなくてもやってもらうぞ。褒美ならベッドの上でくれてやる」

「人の話を聞きなさいよ! そもそも王になるって、フラド領さえきちんと治められてないじゃない。そんな人に国が治められるかってんだっ」


 ほんの少ししか知らないけど、国王さまやレイモンドさまがどれだけ国という存在に対して真摯に向き合っているか、こいつにはきっと一生わからない。


「オレなら今よりもっと民を富ませてやれる」

「じゃあ、まずこのフラドを立て直しなさいよ! 無能なあんたに出来るわけないけど!」


 レイモンドさまたちを侮辱された怒りや、これまでのストレスか、私は何も考えず叫ぶ。

 すると、ロケの顔色がスッと変わった。


 さっきまで空虚を感じる目だったのに、今は私を見据えて憤怒の色を浮かべている。

 やば、図星を指されたら人は理性を失うんだった。

 掴まれた腕に力が掛かり、ギ…と骨のきしむ音がする。痛くて声が出ない。


 ロケは私の腕を離し、懐から短剣を取り出した。

 間近で見る、ぎらりと光る刃先に体が動かなくなる。


「まったく、聖女とは思えぬ粗雑なやつだ」

「……だから、聖女じゃないって言ってるでしょ」

「では、魔女か? うん、お前が来てから水がさらに増えた。お前が厄災を運んできたんだな」

「は?」

「魔女なら、このフラドを守るために成敗しなくてはな」


 振り切っちゃってる目で、短剣の柄をぐっと握り、にたりと笑う。

 対峙する私の背後には硬い城壁。

 まずい、逃げ場がない。

 左手で金剛杖を持ち、破れかぶれで右の拳を構える。

 やられるにしてもちょっとは応戦して、願わくばその顔に一発お見舞いしたい。

 できるか、私! いや、やるしかない! うなれ、私の鉄拳!


「死ね!」


 短剣で斬りつけられた瞬間、さっと身を躱し横っ面に一発。イメトレでは完璧だったけど、現実はあっさりスカった。くやしい!

 だけどロケの短剣も空振りしたので、ある意味相打ち。しかも自分の勢いに負けてよろめいてる。弱っ。

 その隙に少しでも距離を取ろうとし、濡れた床に滑って転んだ。

 振り返れば、体勢を立て直したロケが再び短剣を振り下ろそうとしている。これは避けられない。身を竦めて歯を食いしばった。


 くやしい、せめてもの一発を入れられなかった。

 頭が真っ白で走馬灯さえ流れない。こんなとこで死ぬなんて……。


 ガキンと硬い音が耳に届く。


 刺されたら痛いんだろうな。また死んだら次の人生はどんな国だろう。

 できれば平和で、戦争がない国で神様お願い!


 そこまで覚悟を決めたけど、衝撃が来ない。


「ん…?」


 恐る恐る目を開けば、私の目の前に立ちふさがる背中。

 見覚えのあるダークブロンドの髪。


「無事かっ?」


 この声は……。


「…レイモンドさま……」


 油断なく抜き身の長剣を構えたまま、レイモンドさまが座り込む私の前に跪く。


「遅くなってすまない」

「レイモンド、さま」

「うん」

「ほんもの……?」

「本物だ」


 苦笑する顔を私はじっと見上げた。

 急いで駆けてきてくれたのか、息が弾んでいるレイモンドさまの青い瞳が気遣わしげに揺らぐ。


「ケガは」

「…ない、です」


 安心して涙がどっと出てきた。雨と涙と、たぶん鼻水で私の顔はぼろぼろだ。それでも嬉しくて笑った。

 レイモンドさまも安心したように笑い返してくれる。


 その笑顔の向こうで、ギギ…と音がしそうな動きをしながらロケが立ち上がった。

 理性のカケラもない表情で再び短剣を構える。


「レイモンドさま!」

「死ねぇ!」

「ちっ」


 ロケの声にレイモンドさまが一歩踏み出し、長剣でロケの短剣を弾き飛ばした。その衝撃でロケ本人も床へ叩き付けられる。


「くそぉ…!」

「ダニエル!」

「はっ!」


 もがくロケをレイモンドさまに呼ばれたダニエルさんが押さえつけて拘束する。


「ダニエルさんっ」

「アイリーンさま、ご無事で……」


 私の姿を認めたダニエルさん。泣くのをこらえているのか、目が赤い。

 私はそれを見て、涙腺決壊。


「……よく、がんばったな」


 レイモンドさまが、頭をやさしく撫でてくれた。


「どうやってここに……」

「アイリーンの姿が見えたから城壁を登ってきた」

「城壁をっ?」

「水が増えたおかげで城のすぐ近くまで船で来られたから、ああやって……」


 指差す方向、レイモンドさまの言葉を再現するように、鈎ロープを城壁にひっかけた兵士たちが次々と屋上に上がってくる。

 

「下では船で乗り付けた兵士たちが城内の制圧をしているところだ」


 ニヤついてた執政らも兵士たちに捕縛され、引きずられていく。


「アイリーン、立てるか?」

「はい……続きをしないと」


 目まぐるしく動く周囲に翻弄されつつ、私は再び金剛杖を握り、水中へ伸ばす。


 金剛杖がうなりを上げ、さっきより強く水中で暴れる。

 ロケに中断されて、ストレス溜まっちゃったっぽい。私もそうだから、気持ちがよくわかる。


「金剛杖さん、お待たせ」


 ブブブと力強いバイブ。


「うん、私もみんなを助けたい」


 誰も取りこぼすことなく、すべての土の精霊をここへ!


 手から、金剛杖越しに水中へ思いを通す。

 私は強く、ひたすら願う。

 その度に金剛杖はどんどん重くなっていく。

 負けじと手が白くなるほど握りしめ、しびれてきたそのとき、突然ふわぁっと熱を感じた。

 目を開ければ、黄金色に輝く金剛杖。


「きれい……」


 そのままゆっくり縮み、私の手元に戻ってくる。

 撫でさすれば、金剛杖の中は土の精霊で満ち、うれしそうな笑い声が聞こえた。


「……出来た」


 私は金剛杖を抱きしめた。

 金剛杖も精霊もただただ愛おしい。

 その気持ちのまま頬擦りすれば、蛍光グリーンに光る精霊が飛び出してきて、私の周囲を光りながら旋回した。


 飛び回り、また金剛杖に戻り……をくり返し、大量の光が私を取り巻く。


「みんな、ありがとう……」


 水の中から出られた精霊たちがそこかしこで踊る。

 見れば土だけじゃなく、他の精霊もきらきらと踊り回っていた。


 いくつかは水面近くで飛び、黒船に向かう。

 日は完全に昇り、舳先にいるリオネルさまの顔がよく見えた。

 私をやさしい目で見て頷いている。


「リオネルさま…」


 薄いくちびるが、よくやったと動く。


「はい…っ」


 また一つ頷き、リオネルさまはゆっくりと聖杯……水の精霊の聖遺物を天に掲げた。


 その瞬間、フラド中の空気が震えた気がする。

 精霊たちも踊りを止め、固唾を飲んでリオネルさまを注視した。

 湖面は変わらず渦巻いていて、目の前には館を囲む逆ナイアガラがある。


 それらに向かい、聖杯を手にしたリオネルさまが何事か唱えた。


 すると……ぽつりと一つ、青い光が湖面から浮かび上がり、戸惑うようゆっくりと聖杯に入っていく。

 南の海みたいな色をした水の精霊だ。


 また一つ、ぽかりとアイスブルーの光が浮かび、恐る恐る聖杯に近付いてそっと沈み込む。


 次の精霊は涙色。ふらふらと震えながら、聖杯へ。


 気付けば辺り一面、空か海の中にいるような青、蒼、碧。

 ブルーの光が滝のように川のように聖杯へ押し寄せ、流れ込んでいく。圧倒的な光量。

 私を包む光も呼応し踊り、歌い、城周辺に光が溢れ、満ちる。


 どれくらい見とれていただろうか。


 気付けば雷雲は消え去り、フラド中が朝日に静かに照らされて、噴き出し渦を巻いていた水は凪いでいた。






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