水音。
どのくらいの時間が経ったのか、日光の入らない地下では分からない。
浅い眠りから覚めて携帯食を食べて、タチアナさまと話をして…というふうに過ごしていたら、ふいにルイさんが現れた。
「失礼します」
「あ、ルイさんだ! 今、何時くらいですか?」
「陽が天辺に近付きました。食糧をお持ちしましたのでどうぞ」
「すみません、ありがとうございます」
「ルイ、外の状況は?」
タチアナさまがお茶を淹れてくれて、三人で情報交換をする。
「執政たちは国からの書状に悪あがきの返答で時間稼ぎをしようとしている。だが事態の進展はないようだ」
「そう、じゃあ国王軍は…」
「布告通り……明日、日が昇れば攻め込んでくるだろう」
その言葉に私は自分の顔が強ばったのを感じる。
前世でも今世でも、戦争や紛争とは縁がなかった。だから実感もないし、どういう風に行動すればいいのか想像も付かない。
そんな私の考えを読み取ったのか、ルイさんがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「聖女さまとタチアナの行方が分からないとのことで、朝から城兵や侍女たちによる捜索が始まっています」
「はい…」
「お二人を見つけたら、ロケは抵抗する手段を得たとして、引き際を見失う可能性が高い。その場合、城の人間に大きな被害が出ます」
そうだろうなぁ。全面戦争になったら死傷者が出るかもしれない。そしてそれは多分、このフラド側にたくさん。
ぼんやりした人たちばかりで、どこまで戦えるだろうか。一方的な虐殺になったりしないかな。
なんとか回避できる方法があれば………。
頭を絞るけど、妙案は浮かばない。
「やっぱり、私たちが見つからないのが一番ということですね」
「そう思います」
「わかりました。ここでしっかり隠れてます」
私の答えにルイさんがホッとした顔をする。
あれ? 私もしかして勝手に行動して現場を引っ掻き回すキャラだと思われてない?
「あの、なるべく大人しくしてますんで……」
「お願いします。聖女さまを信用していない訳ではないんですが……。こういう場所に長くいると判断力が乱れますので」
どういうことだろう?
首を傾げたら、タチアナさまも怪訝そうにルイさんを見ている。
「ずっと動けず、暗闇で、状況が分からないとなると、人は自分を追いつめます。そういう時は得てして正しい判断ができないものです」
「そっか…」
「情報の少ない、何が起きているのかわからないというのが一番つらい」
「そう、そう!」
思わず私は力強く頷いた。
ここに来てからそれの連続でもうどうしたらいいかわからないってなったもの。
「なのでお二人にはなるべく冷静になっていただいて」
「努力します」
「特にタチアナは無闇に動かないように」
「…えぇ」
あら、もしかしてタチアナさまがそういうキャラなの?
じっと見ればタチアナさまが恥ずかしそうに頬を両手で隠した。
「私はその…跳ね返りでして、考えるより先に動いてしまうところがあるんです」
「意外」
「あと少し視野が狭いな。昔から目の前のことばかりで大局が見えない」
ルイさん、きびしい。
でもタチアナさまが反論しないところをみると、そういうことがあったんだろうなぁ。
ってことは、さっきのルイさんがホッとしてたのは私じゃなく、タチアナさまの行動を懸念してたのか。
ああいう風に言えば、私のことを聖女だと思ってるタチアナさまは勝手なことできないもんね。
そうすると、私がパニックになったら……最悪だ。気を付けよう。
「あの、ルイさん」
「はい」
「昼間からここに来て大丈夫なんですか?」
「はい。今は誰もここを気にしていません。湖側に脱出したのじゃないかと水際や湖面ばかり探しています」
「確かに、逃げるならそっちって最初に考えるかぁ」
「城内の探索は少人数ですが、探しつくしたらここにも手が伸びるかもしれないので、マリオたちが出入り口付近に潜んで警戒しています」
守ってくれてるんだ〜。
マリオおじいさんは私をさらったりずさんな計画に加担させようとしたりで印象最悪だけど、ルイさんは善い人っぽい。タチアナさまも。でもルイさんもあの計画に絡んでるのかな?
……うん、でもまぁ……油断はなるべくしないけど、脱出までは協力態勢をとっててもいいよね。
「では私は探索の手がここに伸びないよう、人の動きを操作してきます」
ルイさんがそう言って地上へ戻ると、私たちはそれぞれ物思いに耽る。
国王軍の攻撃ってどんなんだろう。
今世での武器は兵や騎士が持つ刀と弓矢で、銃や大砲など火薬を使ったものはない。
やだな、もしかしなくても……地上に戻ったら血の海ってこともあり得るんだよね。
やだやだ……。
やだけど……心のどこかでしょうがないよね、私にはどうにもできないしって声がする。
あと、頭が重い。
「聖女さま?」
げんこつで自分のこめかみをマッサージしたら、心配そうにタチアナさまが声を掛けてくれた。
「具合でも悪いんですか?」
「いえ、ただなんだか頭がぼんやりするなぁと」
ルイさんが言ったみたいに、暗い洞窟にずっといるって精神的にやられるんだ、きっと。
だから、人の命に対して投げやりな思考も浮かぶのかな。
それにしても寒いなぁ。陽が沈んだのかな。
寒気する。
そう考えて、ふと私は自分の足元を見た。
「あれ?」
「まぁ!」
タチアナさまも気付いた。いつの間にか足元に水が流れている。
いつからだろう。二人とも木箱の上で膝をかかえて座ってたから分からなかった。
「水量が増したんでしょうか」
「そうなると水没の危険がありますよね」
しかもこの水、湖面に手を入れたときに感じたのと同じくらい、ゾゾゾッとなる。めっちゃ鳥肌。
「どうしよう……」
「まず火種を守りましょう」
タチアナさまは木箱を解体し、おがくずなんかも上手に詰めて小さな松明を二つ作った。
「ルイさんから動くなって言われたけど、ここは危ないですよね」
「かと言って、地上に出るというのも…。時刻的にもまだ日は沈んでないと思いますし」
「ですよねぇ」
話し合って水の来てない地上への階段で待機することにした。
壁にちょっとしたくぼみもあるので、人が来たら火を消してそこに隠れられる。たぶん時間稼ぎくらいにはなるだろう。
部屋を出るときに脚先があの水に触れて、もうホントに鳥肌が収まらない。
木箱の中の荷物も一緒に移動させたので、食糧はある。荷の中に蝋燭もあったので、それに火を移して松明は消した。
私たちは少し眠っては、周囲を警戒し、火が絶えぬよう見張る。
湿気の充満する地下では天井についた水滴がせわしなくピチャンと音を立てて落ちていった。
「タチアナさま、気のせいじゃないと思うんですけど」
「えぇ、水が増えています」
「ですよね。さっきより迫ってきてるような……」
階段に避難したときは下の方に水はなかった。でも今は蝋燭の明かり越しに、一、二段目まで水没している気がする。
「早めに牢から移動してよかったです」
「ほんとに。もっと水が来たらすぐに上に移動しなくちゃ。地上はどうなっているのかな」
「分かりませんが…明日の期限を前にロケは焦っているでしょう。地上へ出るのは避けたいです」
頷き合っていたら、ぱしゃん!と音がした。
「魚が跳ねてるんでしょうか」
「そうみたいですね」
地下の水脈に棲んでるんだろう。
断続的に音がしては、収まり、また聞こえる。水滴が落ちる音とあわせて、地下も結構にぎやかだなぁ。
「じっとしているのに疲労感ハンパない」
ついぼやいたら、タチアナさまも頷いた。
「私も走り回っているほうが楽です」
「タチアナさまがそういう人だとはホント意外でした。おしとやかな美人かと」
「いえ、昔から仲間内では野ザルと言われてまして」
「マリオおじいさんやルイさんですか?」
「はい。男に生まれたらよかったと思ってましたが…やっぱり年頃になるとキレイな服に目がいったりして、木登りは封印しました」
「そうですね、枝に服を引っ掛けるのは私もイヤです」
わかる!と頷き合い、また水音のハーモニーに耳を澄ませる。
「……おそらく国王軍の攻撃が始まってすぐに決着はつくと思います。このフラド城に戦備などないに等しいですから」
「どのくらいですか?」
「屋上の投石機とフラド城所属の兵たちの武器のみです」
「国王軍っていうくらいだから、当然強いんですよね」
「はい。なのでフラドに勝ち目はないです」
「じゃあ開城する可能性の方が高い?」
「そうですね」
タチアナさまは表情を曇らせた。
「ロケはおそらく聖女さまは山の民にさらわれてきたので保護していたと言い訳をするでしょう」
「あ、そっか」
「姿が見えないことも適当なことを言うはず。すべて山の民に罪を押し付けて」
ありそう。
ってか、まぁ私の誘拐に関しては事実だし。
もちろん今でも私は、マリオおじいさんに気を許してない。
誘拐をなかったことにしちゃダメだと思う。
だって私を連れてこなければフラドに国王軍が攻めて来るなんて状況にはならなかったかもしれないんだから。
もし戦闘中に誰かが死んだら、そのきっかけを作った責任を自覚してほしい。
でも精霊たちを助けようとすれば、いつか絶対フラド城には来なくちゃいけなかった。
そしてこのフラドの状況を見ると早い方がよかったみたい。
だからそういう意味では感謝してるんだよなぁ。
「私が国王さまや大神官さまにちゃんと事情を説明します。きっかけは山の民だけど、精霊のために動いてるって。あと、山の民の人たちもフラドの中に取り残された人を救おうとしてただけだって」
「はい。ですが罪は罪です。私も、山の民も国王陛下の沙汰に従います。ロケにも……そうさせます」
絞り出すタチアナさまの吐息で蝋燭の明かりが揺れる。
ぴちゃん。
ぴちゃん。
魚の気配を近くに感じる。
「また水量が増えたんでしょうか」
「かもしれません」
魚の音は段々近付いてきて、何かが水の中にいる。
「日の出まで水かさが増えないといいんだけど」
「ルイたちが国王軍をここに誘導してくれると思いますので、それまでの辛抱です」
ぴちゃん。
ひた…。
そういえば精霊が結界って言ってたなぁ。未だになんだか分からないや。
精霊ちゃん、ヒントちょうだいよ~。
ひた…。
ぽたっ……。
一瞬水音が止み、私たちは顔を見合わせた。
「あの、音の種類が増えてません?」
「魚と、壁や天井の水滴が落ちる音…だと思いますけど」
ひた……。
「でも段々、魚が近付いてきているような……あれって、魚、ですよね…?」
「おそらく……」
私たちは息を殺して耳を澄ませる。
ひた……ひた、ひた…ひた………。
やっぱり何かが近付いてくる。爬虫類の足音?
カチン…と金属音が一瞬した。
まさか、兵士?
「下から聞こえてきます」
タチアナさんは表情を強ばらせて、そう言った。
「下?」
「はい。さっきまで潜んでいた牢よりさらに下」
「それって水の中じゃないですかっ」
小声で、空気ばっかり多い言葉を吐く。
二、三段目まで来ていた水はすでに私たちのすぐ下まで押し寄せている。
無言で後退し、水と距離を取った。
この位置はむしろ扉のすぐ近く。あと数段で地上だ。
ひた、カチン…ひた、カチ……。
音は止まない。
怖くてたまらないけど、確認しないわけにもいかなくて、蝋燭の火を松明に移し、地下水で満ちている方へかざす。
真っ暗な地下。真っ黒に見える水。その中に白いものが見えた。魚影かと目を凝らせば、二つの真っ赤な目と目が合う。
それは私たちから視線をそらさぬまま、ひゅるりと体を伸ばした。
水面に濃い霧のような白い影が立ち上がる。
「きゃぁぁぁ!」
「ひぎゃあぁぁぁ!」
タチアナさまから女性らしい叫び声が、私からカエルみたいな声が出た。
影は人の形をしている。眼窩は血のようにどろりと赤い。それがこっちに少しずつ近付いてくる。
私たちは手を取り合って階段を駆け上がった。
湿度が高くて足元滑る。でも互いにフォローし合って地上への扉を蹴破るように外へ出た。
扉、腐りかけててよかった!
飛び出せば空が赤い。
これは夕焼け?
それとも朝焼け?
私たちは崩れ落ちるように座り込み、荒い息。
それを見つけて、マリオおじいさんが木陰から飛び出してきた。
「おい、どうした」
「出た…」
「出た?
「水の中から、亡霊……」
「亡霊? そんなものが……」
息も絶え絶えに言う私たちの様子を見て、マリオおじいさんが確認しようと地下をのぞく。だがすぐに戻ってきた。
「一体どうしたんだ? 水があふれてるぞ」
「マリオおじさん、亡霊、いなかった?」
「白くて、目が、赤いの」
「何もいない」
それを聞いても、私とタチアナさまは互いを抱きしめたまま動けない。
「とにかく隠れろ」
マリオおじいさんは私たちをひょいと小脇に抱え、繁みの奥深くまで連れてってくれた。力強すぎ。
「何があったんだ」
ガタガタ震えて、息も全然整わないけど、言わずにはいられなくて、タチアナさまと代わる代わる説明すれば、戸惑ったような顔をされた。
「亡霊なんて本当にいるのか?」
「だって見たのよ」
タチアナさまが子供のように必死で言い募る。
それを見ていたらやっと呼吸が落ち着いてきた。
「マリオおじいさん、もう朝?」
「いや、日没だ。あれじゃあもう地下は使えない。あと一晩、なんとかして逃れよう」
「おじさん、ロケは?」
「執政たちと執務室に籠ってる」
「開城の準備かしら?」
タチアナさまがそう言えば、マリオおじいさんは首を横に振った。
「昨夜ロケは小舟を壊した。だが、自分の逃走用の船はキープしてあるらしい。それに乗って昼過ぎに逃げ出そうとした」
「自分だけ? 城にいる他の人はどうするの」
「見捨てるつもりだろう」
「そんな」
タチアナさまが顔に絶望を浮かべる。
「あの人はそこまで…」
「だがその直前に海軍が湖面に布陣したので動けなくなったようだ」
「海軍が?」
「攻撃は明日の朝じゃないんですか?」
「攻撃開始は日の出だが、布陣はいつでもできる。姿を見せることでプレッシャーを掛けているんだ」
「なるほど」
説明されれば分かるけど、軍が動くなんて事態を体験するのが初めてだから、色々と想像付かない。
つくづく、平和呆け脳なんだ、私。
ため息をつく私の横でタチアナさまの顔色はまだ悪い。
「この湖は孤立していて、川へ水も流れていないし船の通行も出来ていないはずですが……」
「だが、海軍は海から南側のフラド川を遡上してきた」
「では、水の流れが復活したと?」
「リオネルさまです」
「え?」
「マリオおじいさんが言ってましたよね。大神官が陣頭指揮を取ってるって。リオネルさまが精霊たちを説得して船を通したんだと思います」
十中八九、力技で。
どうやったかは、会えたら聞こう。リオネルさまは本気出したんだ。
私と一緒にちょろちょろ水を流していたときのリオネルさまを思い返せば、大変そうだったけど……あれはどちらかと言えば流水量をコントロールしたり、自然界のバランスを考えたりとかしてたからだろう。
なんて言えばいいかな。
あの時のリオネルさまは精霊に対して、対等な存在として説得していた。やさしかった。
でももしそういう人が有無をも言わさず、精霊に意に従えと命令したら……。たぶん、ガチで怖い。
大神官でチートなあの人の本気。
それこそ、パニクってる精霊を正気付かせるほどの迫力出したと思う。
「なるほど、大神官の力で、湖と川の間が繋がったのか」
「はい、絶対」
間違いない。
「聖女がそう言うならそうなんだろうな。あと、ついさっき対岸から十艘ほどの国王軍の船も正面に布陣した」
「国王軍も……」
「ロケは完全に逃げ出すタイミングを失ったな」
マリオおじいさんの言葉は暗闇に落ちる。
いつの間にか日はとっぷりと暮れていた。




