●●●彼らのその頃●●●
「アイリーンがいなくなった?」
第六王子、レイモンドの天幕に蒼白な顔をした護衛のダニエルと無表情の大神官リオネルが突っ立っている。
二人とも疲労の色が濃く、その報告が嘘ではないと思わせるほど顔色も悪い。
「それはどういうことだ?」
「所用とのことで一時、アイリーンさまから目を離した後、どこをお探ししても姿が見えず……」
自責の念に押しつぶされそうなダニエルが絞り出すように言葉を紡ぐと、リオネルは敷物にどっかりと胡座をかいて大きく息を吐き出した。
「精霊たちにも探してもらった。アイリーンは誰かに連れ去られたようだ」
「誰に」
「山に棲む者たちだろう。かすかに土の精霊の気配を感じた」
「では、アイリーンは山の民のところにいるんだな?」
「いや、その後の姿が追えない」
「追えない? どういうことなんだ」
レイモンドが詰め寄るとリオネルは面に苦渋を浮かべる。
「精霊たちにアイリーンの居場所を聞いても応えてくれない」
レイモンドが息を飲む。
「リオネルさまの意志に精霊が反していると?」
「どちらかといえば私の声が届いていない」
そこへ、呼ばれたレイモンドの侍従マックスと第二騎士団団長グレイグも同席し、車座になった。
侍女のモニカがお茶を淹れ、天幕は一瞬沈黙が満ちる。
「ダニエルも座れ」
「しかし……」
「祝福の子に誰かが危害を加えたら私に伝わる。そしてアイリーンは今現在、無事だ。私が保証しよう」
リオネルはキッパリと言う。
「精霊が祝福の子を守ってくれている。今のうちに次の手を打たなければ」
リオネルの言葉に他の面子も無言で頷く。一座を見渡し、ダニエルはそっと部屋の隅に控えた。
モニカはお茶を渡し、労るようその隣に寄り添う。
「アイリーン嬢が山の民にさらわれたというのは確実なのだろうか?」
「精霊たちの様子を見ると私はそう確信している」
マックスの問いにリオネルが頷く。グレイグが「山の民の所へ行きましょう」と今にも走り出しそうに提案した。
「精霊に見てきてもらった。周辺の山の民の里はもぬけの殻だったよ」
「もう、どこかへ移動したのか」
「計画的なものだったということでしょう」
「人をやって山の民の行方を捜索しますか?」
リオネルがマックスとグレイグの意見に首を横に振る。
「山に不慣れな者が簡単に足取りを追って探し出せるとは思えない」
「リオネルさまの風鳥に捜索をお願いできれば」
「うん、さっきアイリーンがいないか探してくれと放った。精霊たちにも伝言してあるので、どこかで引っかかるかもしれない」
だが、とリオネルはまた大きく息を吐いた。
「さっきレイモンドにも言ったが、精霊たちに私の声が届かない」
「それは一体……」
マックスが戸惑い、問うとリオネルは薄いくちびるをぐっと引き結んだ。
しばらく虚空を見つめ、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「――フラド城周辺の精霊たちは私を拒否している」
「リオネルさまを?」
「そうだ。特に水は、留まらず流れるよう説得しても応じない。頑なに耳を塞ぎ、身を縮めたままだ」
「だからあのような状態になっていると?」
「あぁ。そして昨日から私とアイリーンで少しずつ精霊を説得し、水を動かしていた。微々たる量だが作業は順調だったんだ」
リオネルは白い顔を上げ、座を見渡す。
「他の精霊たちの様子もおかしい。具体的には数が少なく、皆疲れきっている」
「疲れきっている…とはイメージがわきませんが」
マックスが戸惑い頭を抱えた。
「つまり、精霊の様子が通常とはまったく異なるということですね」
「そうだ。そしてそれはフラド領のみ」
レイモンドはすぐ脇に置いてある国内地図に目をやる。
「リオネルさまの支配できない精霊たちがいる場所にアイリーンもいるんですね?」
「そう思う」
「フラド城か……」
レイモンドは地図から目を離さないまま。
しばらく考え込んでからマックスを呼んだ。
「国王への現状報告と、フラド平定の許可を」
「はっ、アイリーン嬢のことも書きますね?」
「もちろんだ。グレイグはフラドへ書状を送れ」
「書状の内容は」
「まず俺を城内に入れろと要求する。どうせ拒否されるだろうから、そうしたら反逆の意志ありとみて、突撃だ」
「かしこまりました」
「リオネルさまは引き続き精霊への呼びかけをお願いします。……少し休んでからで構いません」
レイモンドの言葉にリオネルは片頬をあげて笑った。
「そんなに倒れそうか?」
「有り体に言って、はい。いつも以上に顔色悪いです」
「……まぁ、反論はしない。言うことを聞かない精霊たちの相手は骨が折れる。気遣いはありがたく頂いて、一休みしてからまた働かせてもらうよ」
「お願いします。あなたに何かあったら、父上に俺がシメられますからね」
「あいつは倒れた私にとどめを刺すという悪趣味があるんだ。マックス、私のことは報告するなよ」
「はい」
モニカに付き添われ、リオネルは自分の天幕へ向かう。マックスたちも書状を手に出ていくと、そこにはダニエルだけが残った。
「ダニエル」
「はっ…」
片膝をつき、首を差し出すようにうつむくダニエルにレイモンドは手を伸ばす。
冷えきった肩にそっと手を置き、小さな声で「すまなかった」とレイモンドは言った。
「アイリーンに護衛を一人しか付けなかったのは俺のミスだ」
「し、しかし……」
「せめて二人。余裕があれば三人。うち一人は女性であれば良かった」
レイモンドの声は苦渋に満ちていた。
「リオネルさまから、ダニエルは優秀だと聞いている。だが一人では不可抗力な部分がある。今回はそれを突かれた。そしてそれは俺の油断から来ていたことだ」
リオネルは大神官という地位にあるが、大抵のことを自らこなす。また地位に比例して能力が高いので何かに傷付けられることなどないに等しい。
アイリーンも土の精霊の祝福を持っているから、リオネルに及ばなくても危険は少ないだろう。
そう思っていて、実際精霊たちに守られてはいた。だが人間相手には守りが薄すぎた。
ダニエルは顔を上げられないまま、体を震わせる。レイモンドがのぞき込めば、噛みしめたくちびるから血が滲んでいた。
「フラド城に向かう時は先頭集団に入ってくれ。そして一番にアイリーンを見つけてほしい」
「…っ、はっ…」
「身柄を保護して、もし必要ならサポートも頼む。リオネルさまもアイリーンもおそらく精霊に関わって動くことになるだろうから」
「……はい」
「頼んだぞ」
「はっ!」
レイモンドはダニエルの肩を強く二度叩いた。
翌日、伝書鳥にてフラドからレイモンドの書状への返信が届いた。
「災害により城内が整わず、お迎えできないとの断りです」
「予定通りだな。では宣戦布告を。矢文にしろ。船を近付けて城門に打ち込んでやれ」
「はっ」
リオネルはすでに早朝から船で出掛けていた。
レイモンドは天幕を出て、自ら率いていた小軍と第二騎士団を前に大地を踏みしめる。
「もう話は聞いているだろう。土の祝福の子アイリーンがさらわれた。身柄は現在フラド城内にあると思われる」
レイモンドは騎士団を見る。彼らの目は使命感に彩られている。視線はそのまま小軍へ。
「長く調べていたこの異常な状態もフラドが発端だと推測する。民が困窮し、その先は国の大事に発展するのが明白だ。ここで、動く」
兵たちの力強い眼差しにレイモンドは頷いた。
「フラドは第六王子の視察を拒否し、国に反逆の姿勢を示した! ただ今より城を包囲し、抵抗するようであれば攻撃を開始する。立て! 進軍!」
「はっ」
湖に沿って城が見える位置まで移動し始めてすぐ、レイモンドの元に国王からの伝書鳥がやってきた。
「マックス、父上から平定の許可が出たぞ」
「その前に行動してますけどね」
「うれしい情報もある。海軍の増援も手配してくれた」
「海軍まで。ではそちらの指揮はおまかせできるんですね」
マックスに書状を渡すと馬上でせわしなく目を通す。
「酔うぞ」
「これくらい問題ありません。それより列の動きが鈍いですね」
「あぁ」
マックスが近くの兵に前方を確認するよう指示しようとした時、伝令がやってきた。
「申し上げます! 周辺の民が次々こちらへやってきます」
「なぜだ?」
「緑の聖女を救うと口々に叫んでいます」
「なんだと?」
列を止め、レイモンドが先頭に移動すると、着の身着のままの民が集まっている。
民の代表と話していたダニエルがレイモンドのところにやってきた。
「緑の聖女がフラドへさらわれ、国が救出に動いているという噂が広がっています。それを聞きつけて自分たちも何か出来ればと」
「ふむ」
「マルケス領やロサノ領を中心にアイリーンさまの功績は広く語られていて、民は皆義憤にかられているようです」
それを聞き、レイモンドはアイリーンの笑顔を思い浮かべた。
リオネルが言うには、旅に出てからのアイリーンの行動は賞賛されるべきものだった。
土地を蘇らせ、すぐにでも食べられる作物を植え付ける。
リオネルの後押しと精霊たちの助けがあってこそだが、民衆から見ればすべてアイリーンの功績だ。
自然発生的に聖女と呼ばれるようになったのも頷ける。
自ら鋤を持ち、豊穣の大地を民に与え、分け隔てなく交流する。住む場所が流され暗かった世情を背景に人気はうなぎ上り。
アイリーンは今や、民にとって王族に匹敵するほどの敬愛を集め始めている。
ふと……自分が小さな市場で見つけた少女が、手の届かない場所へ行ってしまったような気持ちが浮かぶ。
「……馬鹿なことを」
レイモンドは胸に一瞬よぎった切なさを振り払い、馬上から民の前に立つ。
あの笑顔にまた会えるよう、為すべきことを為す。
「皆の気持ちは確かに受け取った。我々では行き届かないところを手助けしてもらえたら、ありがたい」
ざわりざわりと民の返事がある。
災害に遭い、苦難の内にいる民。それでもこうして誰かのためにと立ち上がった心を、体を守る。
それが王族である自分の責任だと強く思う。
「聖女は民に犠牲が出ることを嫌うはずだ。戦いになったら身に危険のないよう、軍の後ろに控えるように。共に行こう…!」
民に向かって差し伸べたレイモンドの手に、一陣のやわらかな風が触れていった。




