密談。
溺れる者は藁をもつかむ。
私は目の前の服をつかんだ。
「聖女さま?」
「情報、ください」
「何のでしょう」
「分からないことだらけなんです」
そもそも何を聞けばいいのかも分からない。
ここはあらゆる疑問をぶつけていこう。
意気込む私の迫力に二人は目を丸くする。
「私は精霊を助けたいと思っています。助けてって声も聞こえてます」
「精霊の声が……」
「聖女さまって呼んで下さってますが、私はただの農家の娘です」
「けれど…マルケスの土地を蘇らせて…」
「ほとんど精霊たちがやってくれたことです。私は手伝いをお願いし、土を耕しただけ」
そう言えばルイさんがむずかしい顔をした。
「それを願って出来たことがすでに常人ではないのです」
そうかもしれない。
でもやっぱり、私の実力じゃなく精霊たちのおかげだ。
「今回のことだけではなく、私は過去気付かない間にたくさんの精霊たちに助けられて生きてきました。その精霊たちがこのフラドで困ってるなら……今度は私の番です」
精霊たちが人の手を必要としてる。
たぶん具体的に、実体を持つ人間が必要なんだ。
「何ができるか…大それたことができるかは自信ないです。私はそんなに強くない」
精霊の祝福の子と言われたけど、うすぼんやりとした理解しかなくて……自分が歯がゆい。
精霊に詳しい人について少しでも勉強しておきたかった。
だけどそんなこと言ってられない今だから、体当たりでもいいから動かなくちゃ。
「私は精霊を助けます。だからフラドの人はタチアナさまが助けてあげて下さい」
「私? なぜ?」
「領主の妻として義務じゃないですか?」
「私の義務……」
私一人で何ができるだろう。わからないし、そもそも誰でも助けられるほど強くもない。
「知ってることを教えて下さい」
異様な気迫で詰め寄る私にタチアナさまは気圧されて立ちすくんだ。
「ここは?」
「自分の部屋です」
暗闇で立ち話もなんなので、とルイさんの部屋に移動した。
私にあてがわれた部屋よりは狭いが、十畳くらいあるかな? でも家具はベッドと戸棚のみ。空いたスペースにたくさんの木箱が積み上げられている。
それをじっと見ていたら、どこからか椅子を調達してきたルイさんが「投げ入れるつもりの荷です」と教えてくれた。
「さっき言ってた薬ですか?」
「そうです。あとは食糧も少々」
話によると、水で分断された直後は執政たちが食糧を用意して小舟で運んでいたらしい。
でも領主のロケが苛立って禁止した。
「飢えたら女たちが出てくるだろうと領主が」
「皆、慰み者になることをいやがってあそこに逃げ込んでいたのです。出てくるはずがありません」
たしかに。
「そうこうしているうちに水が逆巻くようになり、行き来ができなくなりました」
「さすがに餓死させるつもりはないのか、食糧だけは投げ入れるのを許していますが、日用品や薬は行き届いておらず……。女たちの館からの要望もこんな事態でうまく聞き取れなくて、そのうち……」
「そのうち?」
「城で病いが出ました」
「病い…」
私が首を傾げると、ルイさんは重いため息をついた。
「雨がひどくなり始めたころから、フラドでは体調の悪い者が増えました」
「流行病ですか?」
「だと思います。皆顔色が悪くなり、ぼんやりして受け答えに時間がかかるようになりました」
「熱とか咳は?」
「ありません」
「症状の重い者ですと、体が動かせなくなり、訳の分からないことを呟いたり」
そんな流行病ある?
傾げた首がさらに急角度になった。
「聖女さま、どうぞ」
タチアナさまがお茶を淹れてくれ、蝋燭の灯りの中、三人でひざをつき合わせる。
「ありがとうございます。そうだ、今夜の宴は……」
「開かれないと思います。今、領主は国からの書状の対応で大わらわになってますので」
国からって聞いて、胸がどっきんと脈打つ。
「国はどんなことを書いてきてるんですか?」
「最初は第六王子の視察要求、その後は開城と指揮権の委譲でした。従わない場合は二日後の日の出と共に攻撃を開始すると」
タチアナさまの言葉にルイさんが眉根を寄せる。
「領主がそれに応じるとは思えません。最悪の場合、冷静さを失った領主が城内の者に危害を加えて道連れにするでしょう」
「無血開城も一緒に要求されていましたが」
それを聞いてもルイさんは難しい顔を崩さない。
「聖女さま、失礼ですがお部屋からはどうやって出入りを?」
「普通に抜け出してきましたけど」
いきなり問いかけられて、ちょっとびっくり。
「そうですか…。部屋に荷物などは残されてきましたか?」
「ううん、何にも持たないでさらわれてきたので」
「では、身一つですね。よかった」
「それがなにか?」
私とタチアナさまの視線を受け、ルイさんはもっと難しい顔になった。
「聖女さまにはこのまま身を隠していただきたい」
「なぜ?」
「領主が助かる道、それはあなたを人質にすることです」
ルイさんの言葉にタチアナさまが口元をぎゅっと引き締めた。
「現在の状況で領主にできることは、書状通りに開城するか、徹底抗戦か、立てこもるか。一番勝率が高いのは立てこもりです。人質が聖女であれば尚更良い。膠着状態に持っていければ好条件が引き出せるかもしれないし、逃げ出す隙も生まれる。その場合、領主は最後まで人質は離しません」
え、ムリ。
あの領主にしがみつかれてるイメージが浮かんで鳥肌。
「次に価値があるのはタチアナです。そういう事態を避けるためにお二人にはこのまま隠れて頂くか、一番安全なのは小舟で逃げ出すことでしょう」
「それはもう出来ない」
ルイさんの言葉に低い声が被る。
ハッと顔を上げれば、窓からマリオおじいさんが顔を出していた。
「マリオ、無事か」
「問題ない。ルイも書状の内容を聞いたんだな。だが小舟は動かせんだろう」
「まさか、もう船に手を回されたか?」
「そうだ。領主にしては知恵が回ってる。あと、聖女の不在もバレた」
「へっ?」
へんな声を上げた私を見て、マリオおじいさんが気の毒そうな顔をする。
「人質という考えはあのクズの頭にもすぐに浮かんだようだな。我が物にして国からの攻撃を止めさせようと……ついさっき、聖女の部屋に夜ばいを掛けた」
声にならない悲鳴が脳内で木霊する。キモ!
そして危機一髪?
「聖女を捜せと指令が出ている」
「じゃ、ここにも誰か来ちゃう…」
掴まったらあの領主の慰み者に? イヤほんとマジ無理。
「ルイ。マリオおじさん。何としてでも聖女さまをこの城から脱出させなくては」
「おじさん? お二人は知り合いなんですか?」
「集落は違うが、我々は山の民に属している」
ルイさんがそっと立ち上がり、ドアを開け廊下の様子をうかがう。
「まだ人の動きはないな。病いのおかげで人が少ないし、行動もゆっくりだから時間は稼げる」
「この部屋にいるのではダメなんですか?」
「隠れ場所がないし、鍵もありません。やはり何としても船を動かして……」
「聖女は泳げるか?」
「たぶん」
前世でスイミングは習ってた。今世では川遊び程度だけど、やればできるだろう。
「ならば仲間に船で近くまで来てもらって、そこまで泳ぐというのはどうだろう」
え、あのゾッとする水の中を泳ぐの?
私が水の感触を思い出して震えていたら、タチアナさまがそれを見て気の毒に思ったのか「地下に降ります」と言った。
「しかし、地下は……」
「ロケは地下のことを…おそらく忘れきっています。二日程度でしたら時間を稼げるでしょう」
「うむ、それもありか。食糧もここにあるし」
マリオおじいさんが積み上げられた木箱に目をやる。
そう言えばおなか、空いたなぁ。
三人がいろいろ話し合う前で私は腕を組んで自分の思考を整理する。城のどこかに隠れるか、泳ぐか、地下か。ん? 地下って地下室?
「あの、地下には部屋があるんですか?」
「部屋というか……牢獄が」
「あ、なるほど」
そうだね、城の地下に牢獄は鉄板の間取り。
「そこは安全に隠れられるのですか?」
「地下は数十年使われておらず、人の出入りがない場所ですので、見つかる可能性は低いかと思われます」
「今、囚人はいないんですか?」
「はい。先代領主の時代に牢獄を別の場所に作ったので」
タチアナさまはそう言い、自分の答えを確認するように頷いた。
「やはり地下へ行きます。明るくなってからでは遅いので夜のうちに」
「そうですね、聖女さまもご一緒に」
「わかりました……」
頷いてから気付く。なんだか全然思うように動けてないなぁ。
地下牢へは城の北側の階段を使うらしい。
そこに行くまでに大広間や執政たちの仕事場などを通らなくちゃいけなかったけど、本当に捜索してるのってくらい人がいない。
領主の命令が行き届いてない感じがするし、何よりやっぱり人々の様子がおかしい。
魂の抜けた、幽霊みたい。
「こちらが地下牢への入口です」
ルイさんが案内してくれたのは石造りの渡り廊下で繋がる、天然の洞窟らしき場所だった。
朽ち始めている木の扉と役に立たなそうな大きな錠前。
そして洞窟の中から冷え冷えとした空気が上がってくる。
「さむ……」
「聖女さま、マントをどうぞ」
「ありがとうございます。あの、中はもっと寒いんですか?」
「そうですね。でもご安心下さい。火おこしできるものと毛布なども用意しています」
マリオおじいさんとルイさんが木箱を、私たちが軽めの荷を持って地下へ向かう。
岩を階段状に削っているだけの不安定な足元なのにみんな危なげなく降りている。
置いていかれないよう真剣に脚を運んでいたら、平らな場所に出た。
小さな松明の灯りに照らされ、いくつかの部屋と鉄格子が見える。
いくつかのぞいて、ルイさんが「ここがいいでしょう」と決めた牢に入る。
鉄格子の鍵は開けてあるし、そもそも鉄格子自体が腐蝕してて今にも崩れそうだから閉じ込められるって気持ちにはならない。
内部は岩壁で、人が四人並んで寝そべられるほどの広さしかないが、それが妙に落ち着く。
他はここより狭かったり、汚れてたりした。ってか、あれ血の跡っぽいのが怖い。
深く考えないようにして、部屋に荷を運び込む。
私たちが隠れやすいように部屋を整えると、マリオおじいさんとルイさんは「追加の荷を運んでくる」と出て行った。
ついでに情報収集もしてくれるらしい。
私たちはシンとした空間で互いに目を見合わせた。
「なんだか、疲れましたね」
「はい。めまぐるしくて何が何だか…」
ここでちょっとゆっくりしたい。
けど、そうも言ってられないだろうなぁ。
「ここは天然の洞窟ですか?」
「そう聞いています」
「一応、探検してみるべきかなぁ」
「なぜですか?」
「万が一ここが見つかった時の逃げ道を知っていた方がいいかなって」
私がそう言うと、タチアナさまはしばらく考えてから、首を横に振った。
「万が一の場合は逆らわず捕まった方がいいかと思います」
「えっ?」
「ロケは人質にしたいんですから、命までは取らないはずです。でも洞窟の暗闇に迷い込んだら、命に関わります」
知らない場所、日の差さない暗闇で歩き回ることの方が危ない。深い穴があるかもしれないし、見た事のない毒虫がいるかもしれない。
そう説明され、確かにと頷いてしまった。
「そうですね、でも見つかるのはヤダなぁ…」
あの領主の慰み者にされたら…と思って鳥肌。
「寒いですか? 聖女さま」
「あ、少し」
「何か口に入れませんか?」
「そうですね。お腹減りました」
ルイさんが作ってくれた、灯りと暖を取るための小さな囲炉裏に鍋を掛け、タチアナさまが荷の中を漁り、スープを作ってくれた。
「手際がいいですね」
「料理は好きなんです」
「そういえばタチアナさまも山の民なんですよね」
「はい。領主に召し上げられる前に地方貴族の養女になりましたが、元は野山を駆け回っていました」
道理で脚が速いわけだ。
出来上がったスープはやさしい味がした。
「おいしいです」
「よかった。おかわりもありますのでご遠慮なく」
「ありがとうございます。あの……」
「はい?」
「聞きたいことがいっぱいあって。失礼な質問になるかもしれませんけど、どんな流れで領主の妻になったんですか?」
問えばタチアナさまは目を伏せてゆっくり息を吐いた。




