懸垂、無理。
私が、再び目を覚ましたのはどこかの部屋だった。
パッと視界に入った白い天井に一瞬、日本の自室を思い浮かべた。でも視線をずらしてみたベッドや壁に和を感じず、我知らず重いため息をつく。
ゆっくり体を起こして部屋を見回してみる。しつらいは悪くないけど、全体的に古そう。
王宮であてがわれた場所と同じような造りだ。
ベッドから出て、ドアノブにふれる。
音を立てないようそっと回してみるが、小さな金属音と抵抗がある。外から鍵がかかっているらしい。
そうじゃないかと思っていたが、やっぱり……と落胆してしまう。
ため息をついて振り返れば壁紙や調度がくすんで埃をかぶっている。
小さな窓には頑丈そうな格子がはまっているのが見えた。
「これじゃあ、窓からも出られない」
またため息をついたら、ドアの鍵が外された音がして、すぐに中年女性が入ってくる。
「あ、あのっ…」
驚きつつ話し掛ける私をきれいに無視した女性に手を引かれ、すぐ隣の小部屋に押し込まれた。そこにはトイレと洗面台がある。
「身支度しろってこと?」
返事はないまま、女性が出て行く。その背を見送り、とりあえず寝起きのいろいろを済ませて小部屋を出れば、女性にグレーの地味な服を差し出された。
「なにこれ…」
生地の薄いワンピースで、すとんとしたデザイン。装飾のないナイトウエアみたいだ。
はずかしくて人前に出られないし、なによりポケットがないことが引っかかる。
これでは金剛杖を持ち歩けない。
「着替えたくないです」
起きたときからさりげなく熱を発し存在を訴え、私を安心させてくれていた金剛杖。寝ている間に離されてなくてよかった。
そう思ったらポケットの中でまたブルリと震えて、たぶん私を励ましてくれてるんだろう。
この金剛杖だけは絶対に取り上げられたくない。
けれど着替えを拒否する横から、ぐいぐい服を押し付けられた。
「着替えろっていうなら、ここがどこか教えてください」
正面から女性の目をのぞき込んだが、返事はない。感情がまったくうかがえない目で見返されただけ。
無機質な人形のようで、ゾッとした。
私をきらいとか、仕事だからしょうがないとか、そういう個人的な感情はまったく持たず、ただ作業するだけのロボット。
後ずさり頑なに着替えを拒否してたら、女性はあきらめたのか、一度消えてすぐにまた現れた。
押して来たワゴンにお皿が乗っていて、蓋を取れば野菜がすこ~しだけ入ったスープがある。
これ、毒入りとかじゃないでしょうね……。
怖じ気づいてたら、金剛杖の熱が太ももに当たる。
毒なの?と心の内で問えば反応はない。
毒じゃない? 食べていい?
もう一度問うたら、頷くように震えたので安心してスプーンを手に取る。
見た目通り、味も薄い。
でもおなかが減ってたから、私は夢中で食べた。
「ふぅ…っ」
お腹が満ちると、頭がようやく回ってくる。
今はいつなんだろう。
ダナとルカに会ったのは夕方で……そうだ! ダナとルカもあの場にいたんだ!
「まさかあの子たちも捕らわれたっ?」
あんな小さな子に何かあったらどうしよう。
私をさらったおじいさんに聞けば良かったけどすっかり失念していた。
正直パニクってたし。
私は慌てて立ち上がり、女性の服の袖を掴む。
「あの、一緒にいた子供たちのことを知りませんか?」
「………」
必死な私の様子にも、やっぱり心を動かされなかった女性は、無表情のままワゴンを押して部屋を出て行った。
することもなく放置された部屋で私はうろうろと歩き回る。
「たぶん、まだそんなに時間は経っていないはず」
リオネルさまたちと出掛けて一日くらいかな。
窓の外を見ればどんよりくもっているけど、日が暮れてきた。
ふいにドアが開けられ、食事が運ばれてくる。朝とは違う女性だけど、人形のようなのは変わらない。
心の中で金剛杖に伺いを立てて、毒入りじゃないことを確認してから、薄いスープを飲む。
そしてその後も放置され、誰も会えないまま夜になる。
「どうしよ…」
この部屋では格子越しに外を見ることくらいしかできない。
でも陽が沈んだ後の雲の厚い空に星は見えない。波の音は聞こえるが、辺り一帯が真っ暗な世界。
「もしかしなくてもここはフラド城…かな?」
足は縄でくくられたまま、すり足でしか移動できない。
ドアに耳を当てて外の様子をうかがうが、人の声はおろか、物音すらしない。
まるで音が消えた世界だ。
もちろん精霊の存在も感じない。
幼い頃は見えていなかったけど、精霊たちの放つ音を聞いていたと思う。精霊同士のささやき、笑い声。飛び回る気配。私はそれらを聞いて育った。
でも今は何も聞こえない。
ここにいないのは土の精霊だけじゃない。
水も火も風も。みんないない。
そう考えて、自分に首を傾げる。
目の前にこんなに水があるのに、水の精霊もいない?
自問自答して、でもやっぱり結論は『いない』と出る。
精霊の存在なんて何も知らずに生きてたはずなのに、今はこんなに頼り切っていることに気付く。
涙が自然にあふれてくる。
今の状況も、精霊の不在も、ただただ怖くて泣いた。
どれだけ泣いたかわからない。
でも泣くだけ泣いて、私はやっと開き直った。
こんな状態だけど、今何ができるか。
部屋の中を再びうろつく。
逃げ出した方がいいだろう。
「早く戻らないとリオネルさまに心配かけちゃうよね」
あえて、レイモンドさまの名前は呼ばない。
口に出したらまた泣いちゃいそうだから。
リオネルさまなら、心配かけるなって怒ってくれそうだけど……レイモンドさまはたぶん責任を感じてしまう。
自分がきちんとできなかった結果こういうことになったと、私にも両親にも申し訳ないって思う人だ。それは今までも会話や行動でわかる。
「だから、私は無事に帰らないと」
また部屋をすり足でうろうろしながら考える。
「すぐに殺されなかったってことはラッキーだったよね。でも明日にでもってこともありうる。なんとか今すぐここを出たい」
ドアは鍵もかかってるし、人目もありそうだ。でも窓なら?
はまっている格子の幅は、腕が通るくらい。頭も入らない。
「これ、壊せるかな」
ガタガタ揺らしてみるが、私の力ではとても無理だ。鉄なのかな、金属製の格子は石の窓枠にしっかり固定されている。
「ん? 石?」
石なら私に有利なんじゃない?
私はポケットから金剛杖を取り出し、格子に近付けてみた。
「これをどうにかできない?」
金剛杖に声が出せたら『は? 無茶ぶりすんなし』って言われた感。でも頼れるのは金剛杖だけだと、両手でぎゅっと包んだ。
「お願い。石とか金属ならあなたの支配下じゃない?」
私の必死さが伝わったみたい。
金剛杖がため息をついて……るようなカンジで、身震いし、格子が固定されていた石を叩く。
途端に石がさらさらと砂に変わり、はまっていた格子がごとんと音を立てて外れた。
「あっぶな……」
下に落下して物音を立てないよう、咄嗟に格子を掴んで止める。
重い格子をそっと部屋に引き込み、壁に立てかけてから身を乗り出す。
暗い中、見下ろせば窓から地面までは垂直の壁があるだけだ。足場はどこにもない。
「三階…くらいかな」
垂直の外壁を降りるのは不可能だけど、目の前にトネリコの大木がある。折よく枝がこちらに突き出していた。
「村では木登りくらいやってたもんね」
ほくそ笑み、ポケットに金剛杖をしまって枝を掴む。
くいくいと引いてみて、簡単には折れなさそうなのを確認し、窓枠を蹴って飛び付いた。
いったんぶら下がってから枝に足をかけてしがみついた後に反転して…と頭の中で算段していたのに、なんてことだ。足の縄のことを失念していた。
「きゃ…」
縛られていた足で行ったジャンプはもちろん不発で、右手だけ枝にかかる。変な勢いのまま、私はみの虫みたいにぶらぶら宙に浮いた。
慌てて左手で枝を掴むけど、揺れの勢いは止められず手汗でつるりと滑る。結果、私は右手だけで枝にぶら下がった格好のまま、動けなくなった。
このままでは落下する……!
半ばパニックになりながら左手を再び伸ばせば、指が枝にかかった。右手の握力が限界に近い。とにかく両手で体を支えなければ…。
その後に懸垂の要領で体を引き上げ……って、一般人にそんなことできるわけな〜い!
進退窮まって頭が真っ白。握力がどんどん無くなって腕がぶるぶる震え、とうとう手が離れた。
一瞬の浮遊感、のちの落下。
その瞬間はスローモーションのようにゆっくり景色が流れていて、そっかこれが走馬灯なんだなとか頭から落ちたらヤバいからなんとか上手く着地できないかなとか色々考えてた。
その私の背中に枝がぶつかる。
目の前でトネリコの枝たちがぐいっと傾ぎ、反り返って私に迫ってきた。
「うひっ?」
驚いてまるで真剣白刃取りのように受けとめたら、枝がどんどん私にまとわりついて……気が付けば身体を支えられていた。
「……え…」
地上二メートルくらいのところで、私の落下が止まった。トネリコの枝が鳥の巣のように私を抱え込んでいる。
そこからゆっくりゆっくり私は地上に降ろされた。
何が起こったか整理しきれないまま、あんぐりと上を見る。
曇った夜空と私が出てきた窓がトネリコの枝の向こうにあった。けっこうな高さだ。
「あ、ありがとう……」
太い幹にすがりながら、もしかしなくても助けてくれたトネリコの木にお礼を言えば、枝の先端で頭を撫でられた。
「やだ、泣きそう…」
金剛杖といいトネリコといい、心細いときにやさしくされると効果はてきめんだ。
だけど泣いてしまえばまた止まらなくなるのは分かってたから、ぐっとこらえる。
深呼吸して気持ちを落ち着けて、トネリコの幹をポンポンと叩きもう一度心を込めてお礼を言う。
そしてすり足で歩き出す。
誰かに聞きとがめられないか不安だったけど、夜露にしめった下草たちが足音を消してくれて、私はあっさり城壁らしきところまで辿り着いた。
「さて、これからどうしよう」
いきあたりばったりで出てきたから進路に悩む。
とりあえずこの塀に前世みたいな感知センサーとかなさそうだからよじ登れば乗り越えられるよね。
ここがフラド城だとしたら、外に出て船を調達しなくちゃ。
できるかな………。
よじ登るって言ったって、足は縛られてるし手はさっきのぶら下がりで握力まったくないし。
う~んと唸ってたら、背後で音がした。
慌てて振り返れば茂みの中で、何かが動いている。
身を隠す場所もなく固まってたけど、それはそこから動かない。
「動物、かな?」
恐る恐るのぞき込めば、そこにはぼろぼろの服を着た女性が横たわっていた。
「ひっ…」
一瞬死んでるのかと肝が冷えたが、かすかにうめいているので生きてるのが分かりホッとする。
それと同時に他に誰もいないか、違う意味で冷や汗が出た。
「あの…、だいじょうぶですか?」
ゆっくり、這うように近付いて様子を見てみる。
動けないみたいだけど、ケガかな?
血は流れてない。
「具合が悪いんですか?」
話しかけたら、うめき声を止めて女性が私を見た。
その顔を見て思わず悲鳴が出そうになる。
なぜならそれは最初に部屋にやってきた女性だったから。
「あの、あなた……」
「逃げ、て」
女性はそう言うと苦しそうに浅い息をする。
「でも…あの」
「ここに、いる、者からの…助けは、ありま…せん」
途切れ途切れの声はかろうじて私の耳に届く。
「みんな敵ってことですか?」
「私、たち……はもう、魂、を失っ……ているので、す」
「魂を? どういうことですか?」
驚いて問い返せば、女性は何か言いかけた。だけどそのまま力尽きたように地に顔を伏せる。
「しっかりしてください、今誰かを……」
逃げるのが優先だとは分かってるけど、具合の悪そうな人を放っておけない。
誰かに助けを求めなくちゃ…と立ち上がった途端、女性が再びパッと目を開けた。
そしてすぐにむくりと起き上がり、よたよたと建物に向かって歩き出す。
「あの……」
呼びかけにも応えない。その目はうつろで、またもや人形のようになっていた。
「これは一体どういうこと?」
「ここに長くいると皆そのようになる」
女性を見送って立ち尽くしていたら、また声がした。
飛び上がって振り返れば、背後に私をさらったおじいさんがいた。
「あ! あなた……むがっ」
「声を出すな」
分厚い手のひらで口元を覆われる。
人形に戻った女性が屋内へと消えていくのを見送り、おじいさんは私を大木の影に引きずりこんだ。
今度こそ殺される?
「どうやって出てきた……」
「えと…」
「お前の部屋をのぞいたら、格子が破壊されていた。おまえの仕業か?」
「えと、えと……」
なんて答えたら生存確率は上がる?
うまい言い訳、あぁ、だめだ。頭ん中真っ白のままだ。
たしかこの人、私を貢ぎ物にするって言ってたよな。
……連れ戻されるのか。
そう思ったらがっくり肩が落ちた。すっごい疲労感がのしかかってくる。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。またじわりと涙が浮かぶ。
どうせ殺されるなら犯人の顔を覚えておいて、死後に祟ってやる。
破れかぶれにそう思い、おじいさんを睨め付けた。
すると彼はうめくように目を伏せる。あれ?
「……すまぬ」
その苦悩の浮かんだ顔を見たら、不思議に落ち着いた。
このおじいさん、けっこう気が弱いかもしれない。
「……ダナとルカは無事ですか?」
「もちろんだ」
「私を貢ぎ物にするって言ってましたよね」
歯を食いしばった顔でおじいさんは頷く。よくよくその目を見たら既視感を覚える。
「もしかして……あなたはダナたちの家族?」
「あぁ」
「やっぱり」
どこがとは言えない。あの子供たちに会ったのも短時間だから。でも彼らには同じような空気が漂っていた。
「……なぜ私を?」
「言い訳を聞いてくれるのか?」
「聞くだけなら」
なんだか偉そうに答えちゃったけど、ここは強気でいくべきかな。
ぐっとにらむとおじいさんは「領主の隙を作ろうと思った」と言った。
「隙?」
「ここに多くの女が捕らわれている」
「女…何人くらいですか?」
「わからないが数人じゃない。その中にはダナたちの母親もいる」
おじいさんは私を拘束していた手を離して城を見上げた。
「お前が領主に目通りされてる間に女たちの居場所を突き止めて城を落とす算段をつけようと思っていた」
「そんなことできるんですか」
「領主が新しい女を気に入れば、城の支配をおろそかにする。その隙をついて城外に待機させている仲間と共に忍び込んで女たちを解放するつもりだ」
「仲間?」
「山の民だ」
「……山の民」




