到着した日。
時間を経る毎に悪化していく馬車酔いの体調をなんとかやり過ごし、私たちは二日後やっと南に着いた。
南地方で一番大きい町の名前はマルケス。それ以外にもいくつかの町があり、国から派遣された役人や貴族がそれぞれの領地を統治している。
そのマルケスで馬車を降りたときはもう夜遅く、私たちは護衛の人が用意してくれた小さな宿に入った。
夕食もお風呂も拒否してベッドに直行したけど、揺れない地面最高!
そう思ったのを最後に文字通り気絶睡眠。
夢はまったく見なかった。
ぱしゃん!
「うわっ、なにっ?」
気持ちよく寝ていた私の顔に水が掛かった。寝ぼけ眼で飛び起きると、顔から流れて枕を濡らすはずの水がふぅわりと浮かび上がり、みかんサイズの球体になる。
宙に浮く水の固まりを働かない頭で見つめてたら、ドアをノックされた。
「おはよう、アイリーン。朝食の時間だ」
「あ、はい!」
「私は先に行く」
「はい!」
リオネルさまの声にベッド上で返事をすると、足音が遠ざかっていく。
慌てて支度をしドアを開けたら、リオネルさま付き侍女のモニカさまがきれいな姿勢で立っていた。
肩のあたりに水で出来た小鳥を乗せている。
「食堂にご案内いたします」
「リオネルさまは…」
「空腹を訴えられていたので、もうお食事を始めていると思います。お体の具合はいかがですか?」
「関節がギシギシ言ってます」
「ここまでひどい馬車の揺れは、私も初めて経験しました」
モニカさまに連れられ階下へ向かう。私の部屋に浮いていた水の固まりも小鳥の姿になって、周囲を飛び回った。
食堂では護衛の人に混じってリオネルさまが朝食をとっていた。顔に少し疲れが残ってるけど、私を見て優美に微笑む。
二羽の小鳥がリオネルさまのそばへ嬉し気に飛び、すぅっと薄れていった。
「水の精霊ですか?」
「そう」
「すごい技ですねぇ」
「本当は目覚めに大樽いっぱいの水をかけてやりたかったんだが…」
「ベッドの後始末が大変じゃないですか」
リオネルさまの正面に座り、運ばれてきたスープとパンをいただく。
「…正直に言うとな、大樽ほどの水を出せなかった」
「出せない?」
「精霊の様子がおかしい。私の周囲に集まらない」
リオネルさまはお茶を飲みながら、むずかしい表情を浮かべた。
「食べたら行きたいところがある。アイリーンにも付き合ってほしい」
「はい」
マルケスに詳しいというモニカさまの案内で食後、私たちは町の外にある高台へ上る。
そして言葉を失った。
見渡す限り辺り一面、ただの茶色い大地。
平地に緑色はどこにもない。
「寒い」
「寒々しい」
やっと出た私の言葉がリオネルさまとかぶる。互いに顔を見合わせ、また無言で遠くを見た。
どこかに緑はないか、探してしまう。
昨夜は暗かったし馬車に乗っていたのでここまで荒涼としているとは知らなかった。
「これが水害の影響か?」
リオネルさまは厳しい表情を浮かべる。
王宮からこの地に派遣されている役人が俯き加減に答えた。
「ここはまだいい方です。水が引いてますから」
「水が? もしかして他の地域は…」
「大地が沼のような状態です」
「南全域でか」
「はい」
「レイモンド王子が来ているはずだ。どこにいる?」
「第六王子はさらに南下しました」
「なぜ」
「隣町で復興指揮を取っていましたが、他で救助が必要になったため、移動しました」
「そちらはまだ雨が降っているんです」
もう一人の役人も肩を落として言う。二人とも声にまったく覇気がない。
「ここまでひどくなったのはつい数日前です」
「国に報告は」
「早馬で出ています」
「一気に雨が降ったんです。私たちは何もできず…」
その様子を思い出したのか、役人たちの目がうつろになる。
リオネルさまは役人よりもっと覇気のない声で呟いた。
「……精霊が、応えない」