声。
「なるべく、早く戻るから」
そう言ってレイモンドさまは出発して行った。
は~、しばらく会えないのかぁ。
なんだかやる気がおきないな。力が湧いて来ないというか……。
でもそんな気持ちで作物に接するのは失礼だ。彼らは日々懸命に生きよう、次世代に命をつなげようとしている。それを人間が生きるために搾取するわけだから、真摯な姿勢を失ってはいけない。
それが口癖になっているお父さんのことを思い出し、私は自分の頬を両手でパンと叩いた。
「うっし!」
気合いを入れて、新しく種を植えた木箱へ突入!
のぞきこむと種はすでに発芽していた。
恐ろしく早い。
新しい種だけじゃなく、トマトたちの成熟も日に日にスピードを増してる気がする。
この成長スピードでいくと、収穫まで気は抜けない。
トマトを収穫し、必要なところに水をやり、土の状態や生育状況をチェックして、脇芽かきや間引きをし…。栽培する作物が増えたから記録することも多い。
この記録をいずれ出来る第二温室で使ってもらうことになるはずだから、適当になんて書けない。
夢中で仕事をしていたらあっという間にランチの時間になった。
「家族が話していたのですが、レイモンドさまが向かった南ではほぼ毎日曇りか雨のようです」
「えっ」
サンドイッチを食べながらミリアムさまが難しい顔をしている。私は以前ミリアムさまから聞いた話をぼんやり思い出した。
「たしか…春にも大雨が降って洪水が起きたって」
「そうなんです。その復旧工事がつい最近終わったところで。けれど冬の長雨と日照不足で住民は苦労しているようですよ」
「農地はどうなっているんでしょう」
そろそろ春に向けて土を整え終えなくてはいけない時期だ。
「家族の話ではあまり良い状態ではないみたいです。見通しが立たないから、諦めて他の地域に移住する人も出てきたとか」
「そんな……」
農家にとって土地は生命と同じ。そう簡単に諦められるものではない。そんなにひどい状況なんだろうか……。
「町は道を石畳にして排水路を掘り水が流れるようにしたし、川の護岸工事もしているから、春のような洪水は起きていないそうです。けれど、農地は常に水浸しだとか」
「排水量が降水量に負けているんですね」
それはまずい。土中の栄養バランスがめちゃくちゃになる。
「その場合、どうすればいいんでしょう……」
「一カ所ならともかく、地域全体で起こっているから個人では手に負えない状況です。なので…国をあげての治水対策になると思います」
国政かぁ。じゃあ私にできることないよね…。何か手助けできたらって思ったんだけど。農地を作ることならできるんだけどな。
「今回は、国王さまの要請で専門家たちが同行してますから、手助けするなら調査報告が届いてからになると思います」
私の心情を読んだのかミリアムさまが微笑を浮かべて言う。
「わかりました。私は自分の手の届く範囲をがんばります。まずは温室のことですもんね」
温室栽培が普及したら、気象条件がちょっと悪くても作物を作れる。第二温室もそろそろ出来上がる。私は作物の安定供給を目指してがんばろう。
「アイリーンさま、次のお茶会が決まりました」
あ、そういえばそっちもがんばらなくちゃいけないんだった。
「次はフレッカー男爵家の庭で三日後です」
「わかりました」
「カミラ、ドレスはどうする?」
「次はクリーム色のドレスにしましょう。ミリアムさまは淡く、アイリーンさまはオレンジを差し色にして……」
ミリアムさまとカミラさまで当日の装いを楽しげに打ち合わせし始める。
また脚先から天辺まで磨かれてしまうのか。照れくさいけどきれいな格好はやっぱりうれしい。うれしいけど心配事が一つ。
「ミリアムさま、付き人という設定の私があまりいい服を着たら浮きませんか?」
前回は王妃さま主催で、王宮のお茶会だったから全員が一番いい服を着るものだろうと思った。でも今度は男爵家だから、少し抑えた方がいいのではないかと思ってしまう庶民心。
けれどミリアムさまは首を横に振った。
「いいえ。私の付き人ということは、伯爵家に繋がる人間として見られます。むしろアイリーンさまにみすぼらしい格好をさせてしまえば、我が家の沽券に関わりますね」
「なるほど」
そういう箔付けも必要なのかぁ。
「だから我が家のためにアイリーンさまは臆することなく着飾ってください」
「わかりました。心積もりをしておきます」
「お茶会マナーもおさらいしておきましょうね」
「はい、カミラさま」
「ではおかわりを差し上げますので、早速テーブルマナーから……」
ひぃ〜。
そしてお茶会当日。
カミラさまの愛情溢れる容赦ないマナー講座をこなして、ちょっとはレベルアップしたであろう私がミリアムさまに付き従い、しずしずと男爵家に到着した。
今回の出席者は同伴者や付き人合わせて十人ほど。こぢんまりしてていいなぁ。
主催のフレッカー男爵も人の良さそうな風貌。
今日の出席者の中では、フラムスティード伯爵家が一番身分が高い。つまりミリアムさまを中心にお茶会が進んでいく。
最初に全員でお茶を飲んだあとは、お庭を話しながら歩く。前回の王妃さま主催と比べたらみんなリラックスした顔で楽しげに話をしてる。
「我が家は花と緑のバランスを大切にしているのですよ」
「なるほど、季節ごとに花の咲く樹木が並んでいますね」
「あら、この白い花は…」
「ツイーディアです」
「ツイーディア?」
ミリアムさまが首を傾げる。
「ツイーディアは青色だけではありませんの?」
「はい、白と青の花があります」
「そうですのね。これは白くて…あちらで咲いているのは青だけどずいぶん薄い色だわ」
「よろしければ一株お持ち帰りなさいますか? この青はフラムスティード伯爵令嬢の瞳と同じ色ですよ」
「うれしいわ。少しだけ頂こうかしら」
令嬢スタイルをしている時、ミリアムさまは本当に儚げできれい。微笑むとアイスブルーの目が細められて本当にツイーディアを写し取ったみたい。
フレッカー男爵の指示を受け庭師たちがさっと現れ、ツイーディアを小さな鉢に植え替え始める。
「こちらの一画に生えてるツイーディアは少しピンクですのね」
「花が終わりかけるとピンク味を帯びてくるのですよ。それもまた風情があって私は気に入っています」
「では咲き終わりまで変化を楽しめますのね」
少し離れた場所で咲くツイーディアを見つめるミリアムさまや男爵たちのそばで庭師の仕事を目で追う。
植物の話をする人たちの目はやさしい。
ふと、おだやかな会話に混じりどこからか小さな声が聞こえた。
「ん?」
耳を澄ませばかすかで本当に小さな声。高く低くささやくようで途切れなく。
どこかジークムントさまの声にも似てて……。
あ、そうか。たぶんこれが精霊の声だ。
何か私に語りかけてる?
意識を集中した途端、ノイズのようだった声が明瞭になった。
——南へ向かえ。




