就労条件、悪くない。
「そうだ、王宮に行こう!」
みたいなノリで誘われて「わかりました!」なんていう人間はまずいないです。
「そう思いませんか?」
「そうか? しかし王宮には温室があるんだ」
「へぇ…」
この世界で温室なんて高価なものを作れるなんてすごい。
王宮っていうくらいだからなんでもそろってるのかな。
「今、心が動いたろう」
「ちょっとだけ…。でもその言葉にだまされて、野菜じゃなく私が売り飛ばされてもイヤなので」
「そんなことしないぞ。どうしても行かないか?」
「行きません。帰ります」
「村に帰るならうちの馬車に乗って行くといい」
「結構です。知らない人の馬車に乗っちゃいけませんて言われてますから」
言われたのは前世で、馬車じゃなく自動車ですけど。
市場の横に繋いでいたロバにひらりと乗ると、どこからともなく現れた黒い高級そうな馬車が男性の後ろにやってきた。
「レイモンドさま、お待たせいたしました」
「彼女の村に行く」
「かしこまりました」
男性が乗り込むと、カラカラと軽快な音を立てて馬車は動き出す。
このまま撒いちゃおうかなぁと考えてたら、馬車の窓からくすりと笑われた。
「ロバを走らせてもいいけど、馬車の方が早いよ」
「馬車の入れない道を駆け抜ければ追い付けないでしょう?」
「そもそも村の名前を聞いているし」
「あ、そっか」
うかつにも私は村の名前を教えてしまっていた。
危機管理能力全然ない。
しょうがないので、ロバと馬車は並走して田舎道を進んだ。
「何度も言いますけど、もうトマトはないんですよ」
「だが温室があれば作れるのだろう」
「そう思いますけど…私もやったことないから確実とは言えないです」
「試してみてくれ。興味はあるんだろう?」
「あります」
「よし、じゃあお家の人に許可をもらおう」
「本気ですか」
そんなことを話していたら村に着いた。
男性は馬車を降り、ロバの手綱を持って私の横を歩く。
すると畑からジミーが駆け寄ってきた。
「アイリーン、その男は誰だ」
「市場で会ったの。お客さんよ」
ジミーは男性の前に立ちふさがり、靴の先から頭のてっぺんまでじろじろ見る。そしてくちびるを震わせて私を振り返った。
「アイリーン、まさか僕にふられたのがショックで男を引き込んだのかい?」
「は?」
思わず目が点になった。
コイツは何を言ってるんだ…。裏拳でツッコミ入れたい。
男性はマネキンのような笑みを浮かべてジミーを見下ろした。
「彼は君の家族かい?」
「いえ、ただの幼馴染みです」
「そうか、では用件を話す必要はないな」
男性はそう言い、ロバの手綱を軽く引く。
まるで昔からしつけられてきたかのような従順さでロバは指示に従い、歩き出す。ウチの子なのに…。
「おい、待て。僕はただの幼馴染みじゃない。元婚約者だ」
「他人じゃないか」
「婚約は解消したが、絆はなくなっていない」
ジミーは歩き出した私たちを慌てて追ってくる。
男性は足を止めて、ジミーを見下ろした。
「その絆とやらは俺には関係ない。家族でないならば、下がってくれ」
「僕たちは一緒に育った。誰よりも分かり合える家族だ」
「彼はこう言ってるが、真実か?」
「いえ、むしろ私、彼の言ってることが全然分かりません」
「だろうな」
私と男性が頷き合うと、ジミーが目を見開いて立ち止まる。
「まさか…アイリーンはその男に心変わりしたのか…?」
「君の家はどこだ」
「右に行って、すぐです」
私と男性はジミーを無視してさっさとその場を離れた。
帰宅すると、畑の雑草取りをしていた両親が不思議そうな顔で出迎えてくれた。
「アイリーン。その人は誰だ?」
「知らない人。付いてきちゃった」
「元いたところに返してきなさい」
犬じゃないんだから…。
「初めまして。俺はレイモンドと言います。彼女の作るトマトが欲しくてお邪魔しました」
「あぁ、お客さんかぁ。しかしもう売れるトマトは残ってないんですよ」
「でしょ。そう言ってるんだけど…」
「すみませんねぇ、せっかく来て頂いたんだからお茶でも…」
お母さんが畑にしつらえた粗末な台で、大きなやかんから木のコップにお茶をそそぐ。
お金持ちっぽいこの人がそんなお茶飲むかなって心配したけど、レイモンドさんは気にせずおいしそうに味わっていた。
「あれができそこないトマトか?」
「できそこないじゃないですってば。今は完熟を待っているんです」
レイモンドさんが木のコップを持ったまま、ミニトマトを珍しそうにのぞき込んだ。
「この後どうするんだ?」
「完熟したのを収穫して日当りのよい所にしばらく置いておくんです。腐ったようになったら、水に入れて洗うと種が残るので、それを集めます」
「種が取れるまでどのくらいだ?」
「天候にもよりますが七日から十日くらい」
「なるほどなぁ…」
レイモンドさんは畑にしゃがみ込み、土を触る。
「どうかしましたか?」
「いや…種が採れたころ、迎えにくる」
「迎え?」
「温室で試してもいいって言ってたじゃないか」
そういえば試すだけなら…って話だった…かな?
「そこでこのトマトを育てて弟に食べさせてほしい」
「収穫まですごく時間が掛かりますよ」
「食事や部屋はこちらで用意するから好きなだけ滞在してくれ。もちろんその間の給料は出すし、できたものはすべて買い取る」
ふぅむ…なかなか好条件だ。
「でも、王宮でそんな勝手なことしていいんですか?」
「大丈夫だ。上には許可を取るし、温室は俺のものだし。なんならご両親と来て頂いてもいい」
「へ? 私らもですか?」
「二人も一緒なら行ってみてもいいかな」
「そうか、受けてもらえるか?」
両親を見ると、何が何やらわからないって顔しつつ、私に判断を委ねてくれている。
「試しに、ですけど行きます」
「そうか、よかった…」
レイモンドさんは心底ホッとしたように胸をなで下ろした。
「七日後に迎えにくる」
「はい。私はアイリーン・ウッドと言います」
「俺はレイモンド・ローガンだ」
「あ~、やっぱり」
この流れで予測した通りだ。
この国はローガン国という。
その国名を名乗る。その答えは一つだけ。
目の前の彼はこの国の王子だ。
レイモンドさんを見上げると、彼は居住まいを正してきれいな礼をした。