おいしいは正義。
今日はこれくらいで勘弁してやるよ。
とかなんとか言った訳ではないけれど、私の気が十分遠くなった頃にやっとロラさまが筆を置いた。
「ふぅ…っ」
「ロラ、終わりましたか?」
「はい、ミリアムさま。デザインが決定したら王宮へ上がります」
「いや、また私たちが来るよ。おいしい紅茶が飲みたいしね」
これでもう帰れるみたい。ホッとした〜。
ロラさま以下従業員総出で丁重に見送られたけど気疲れで体が重い。けど早く帰りたい。慣れない場所はホント肩が凝る。
「アイリーンさま、もう一軒寄ってもいいですか?」
「えっ」
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。私の好きなケーキを注文して帰ろうと思って」
「ケーキっ」
「えぇ。カミラさまにも頼まれたんですよ。そこはとてもおいしいと評判なので」
これまでカミラさまから出てきたお菓子は全部おいしかった。ならば、ケーキもさぞかし期待できるお味だろう。
「どんなケーキがあるのかなぁ」
想像したら疲労はどっかに飛んでいった。夢見心地でミリアムさまの後に付いて、ロラさまのお店から少し離れた、あま〜い匂いを漂わせる白いお店に案内してもらう。
ガラス越しに店内をのぞき込むと、様々なホールケーキが並んでいるのが見えた。わくわくが最高潮になる。
ここもやはり門番がいて、うやうやしく出迎えられた。赤いリースが飾られた白いドアを通ると甘い匂いはさらに強くなる。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」
窓越しにやわらかな光が差し込む席に案内され、すぐに香り高い紅茶が運ばれてきた。
「本日はどのようなものをお求めで?」
「おすすめのケーキと、クッキーを」
「かしこまりました。本日のケーキはフルーツを乗せたものとチーズを生地に練り込んだものになります」
フルーツタルトとチーズケーキ!
どっちも大好物!
タルトはりんごとオレンジ、それに数種類のベリー。チーズケーキはきれいなきつね色。いかん、よだれが。
「アイリーンさま、うれしそうですね」
「はい…。至福です」
「クッキーはどのようなものが?」
「最近はいちじくジャムを乗せたクッキーが人気ですね。あとは定番の木の実を生地に混ぜ込んだもの、ミルクティ味のもの…」
次々紹介されるクッキーにめまいがしそう。ケーキはその日によって変わるけど、クッキーは十種類ほどが定番メニューとして用意してあるみたい。
「全部食べたい……」
「味見されますか?」
店員さんからの福音。ってかわたし心の声がだだ漏れだった。ミリアムさまがくすくす笑ってる。
「おみやげにするにしても味が分からないことには自信を持って渡せませんよね。味見をさせてもらいましょう」
「はい。いただきます……」
ここで否というルートなんてないよね。食べるよね!
小皿に乗って運ばれたクッキーを一つ食べ、しっかり味わってから紅茶を飲んでまた次へ。ゆっくり咀嚼してるつもりだったけど、おいしくてさくさく進む。
ミリアムさまも目を細めてクッキーを食べつつ、ケーキの注文を終えていた。
「カミラさまに頼まれたケーキですか?」
「フルーツケーキはそうです。チーズケーキは私からカミラさまへと。まぁ、どちらも私たちが温室で食べるんですけどね」
ケーキは明日のお昼頃に温室へ届くように手配している。
ってことは明日のお茶の時間は至福になる…っ。
レイモンドさまとは今日のお茶をご一緒できなかったけど、ミリアムさまの口ぶりからすると、明日は会えるだろう。
「クッキーはお口に合いましたでしょうか?」
かわいらしい顔立ちをした店員さんに問われて、私は大きく頷いた。
「どれもとてもおいしいです。選べないから全部ほしい…」
と、言いつつ言葉尻が小さくなる。
なぜならこのお店、どこにも値段表がない。店内に数人いるお客は身なりのよさそうな人ばかりで、村の市場価格じゃないことだけは確かだ。
「アイリーンさま、ご心配なく。値がはるものもありますけど、クッキーなどは庶民的な価格ですよ」
ミリアムさまの助け舟。周囲に聞こえぬよう耳元でささやかれたクッキー一枚のお値段は、確かに平民にも手の届く範囲だ。
「じゃあ私も注文お願いします」
日頃お世話になっているカミラさまや雇用主のレイモンドさまたちへのおみやげにしよう。
「ありがとうございます。お持ち帰りになさいますか? それともケーキと一緒に明日お届け致しますか?」
「えっと…持ち帰ります」
宿舎でお世話になっているエイミーさんたちにもすぐ食べてもらいたい。喜んでくれるかな。
クッキーの代金は温室で働いた分のお給料で支払う。自分のお金でおみやげを買うってなんだか幸せだなぁ。お仕事、もっとがんばろう。
包み終わったクッキーを受け取ろうとしたら、店員さんにやんわりと制され、馬車まで運んでもらうことになった。
そっか、貴族は自分で荷物を持つなんて習慣ないんだよね。私は今、お貴族さまっぽく擬態してるから…しょうがない。郷に入っては郷に従え精神で手を引っ込める。
本当はあま〜い匂いのクッキーを抱きしめて帰りたかったけど、がまんがまん。ミリアムさまに恥をかかせちゃいけないからね。
ほくほく気分でミリアムさまと白いドアを出れば、店員さんが後ろからクッキーの包みを持って付いてきてくれた。
周囲にはさりげなく護衛たちの姿。頼もしい。
「まぁ、またあなたなの」
お店から数歩も行かぬうちに横合いから刺々しい言葉が聞こえてきた。
振り向くと私を睨みつけるヒルダさまがいる。
えぇ〜、なんでこんなところで会うのさ。
「私の前から消えなさいって言ったのに、まだ王都にいるのっ?」
「……仕事ですから」
「仕事…? 平民風情がみっともなく着飾って、こんな店に入るのが仕事ですってっ?」
あちゃ~。しょっぱなからイヤミ全開で飛ばされた。
でもまぁ確かに私は平民だし、慣れない服着てますけど……いや、反論しても火に油を注ぐだけだ。気にせず無言で通り過ぎよう。
私が足を速めたら、ミリアムさまに腕を掴まれ止められた。
「アイリーンさま、お知り合いですか?」
「私が住んでいた村の領主の娘でヒルダさまです」
「そう。……不愉快だな」
「ミリアムさま?」
「ヒルダとやら、今の発言を取り消しなさい」
ヒルダさまに向かってミリアムさまが毅然と言う。麗人の一睨みにうっかり見とれ、でもヒルダさまは私憎しですぐに立ち直った。
「護衛の分際で貴族に向かってなんて口の聞き方を…」
「あなたは貴族か?」
「そうよ」
「では貴族とは何たるものか、知っているだろう。貴族は平民に向かって高圧的な態度を取る存在ではない。貴族と名乗るならば今の発言を撤回すべきだ」
「な、なによっ」
「貴族の心構えを親から教わらなかったのか? 家名は?」
「なんで名乗らなくちゃいけないのよっ、生意気な!」
ヒルダさまは激昂し、見覚えのある侍女がまた背後でおろおろしている。ってか、さっさと止めなよ。
ちなみに王宮から警護してくれてる護衛たちはミリアムさまが目線で制されスティ状態。ま、そうか。ミリアムさまがヒルダさまにやられるはずはないもんね。
「人前で取り乱さない。職業や身分で人を差別をしてはいけない。最低限それくらいは習っただろう?」
「うるさいわね、ちょっと! この二人を追っ払ってちょうだい」
侍女に向かいヒルダさまは金切り声を上げた。と、同時に店から屈強な男性が出てきてヒルダさまの前に立ちふさがった。
「ちょっと…おどきなさいっ」
「大人しくしなさい。暴れると警備隊に引き渡すぞ」
「なっ…」
そばにいたケーキショップの店員がミリアムさまに恭しく頭を下げる。
「恐れ入ります。この場はわたくし共におまかせいただけますか?」
「えぇ、お願い」
「かしこまりました。フラムスティード伯爵令嬢さま」
「は、くしゃく…?」
呆然とするヒルダさま。きっと私も同じ顔をしてる。
「……ミリアムさま、伯爵令嬢だったんですね」
「はい。フルネームはミリアム・クラリッサ・ジンジャー・フラムスティード」
名前がたくさん…。
口に出さない私の感想を正確に読み取って、ミリアムさまが苦笑する。
「男子が三人続いた後の女子だったので両親が暴走して……どちらも自分が考えた名前をつけようと大げんかになったそうです。その争いに兄たちも混ざってさらに大騒ぎになり、祖父母たちが収めたのですが」
結局父親が考えたミリアムと母親が考えたクラリッサ、両方付けることで決着したそうだ。兄たちの考えた名前はお蔵入り。それが付けられていたら、ミリアムさまはリアル寿限無になるとこだったのか。
「ではフラムスティード伯爵令嬢さま、どうぞ馬車へ」
「えぇ、後はお願いね」
先程の緊迫した雰囲気を少し和らげ、おっとり頷くミリアムさま。そういうところを見ると、普段はキリッとしてても、やっぱりお嬢さまなんだなぁ。
「すみません、ミリアムさま。ご迷惑をおかけしました」
「アイリーンさまのせいではありませんでしょう。むしろ迷惑をかけられた方なのですから。ところで……」
ミリアムさまは声を潜める。
「もしかしてあれはアイリーンさまの自称婚約者に横恋慕した者ですか?」
「そう…ですね」
「二、三発入れておけばよかった」
不穏な言葉が聞こえた〜!
「あの、私は大丈夫ですので…」
「羽虫はさっさと退治した方がすっきりしますよ」
「いえいえ、もう二度と会うことはないでしょうし」
たぶんね!
「わかりました。とりあえず見逃します」
とりあえず…?
美人が凄むと迫力ありすぎ。
ちょっとびびった私にミリアムさまは気を取り直すように咳払いして、いつもの笑みを浮かべる。
「次に来た時はシュークリームも注文しましょう」
「シュークリーム!」
「お好きですか?」
「大好きです」
「よかった。生クリームとカスタードの両方を用意しておいてね。カスタードはレイモンドさまのお好みなので」
「承りました」
付き従ってくれる店員にそう言いながらミリアムさまは通りを渡る。
「レイモンドさまはカスタードがお好きなんですか?」
「そう。甘過ぎない甘さがいいと言ってますよ」
そうなのか〜。っていうか、そもそも私、レイモンドさまのこと全然知らないなぁ。
何が好きかとか、普段仕事以外で何してるとか。
そこまで考えて、はたと気付く。
「そうだ、別世界の人だった…」
相手はこの国の王子さま。たまたま今親しくしてもらってるけど、普通に生きてたら話すことすら難しい立場の人。
好きって思ったけど、はなから叶わない恋……ってやつだ。あ、ちょっと落ち込んだ。
「アイリーンさま、どうかしましたか?」
「いえ、大丈夫です」
いきなりテンションの下がった私をミリアムさまが心配そうにのぞき込む。
個人的なことでわずらわせちゃいけないよね。
この恋はあこがれでとどめておこう。私は仕事に生きるつもりだし。
ミリアムさまと並んで馬車に乗り込もうとした瞬間、通りの向こうから大声で名前を呼ばれた。
「アイリーン!」
「ふぇっ?」
この声、めっちゃ聞き覚えある。
警備隊らしき人に両腕を掴まれ、いかめしい建物から出てきた男が私の名前を叫んでる……!
「アイリーン! 僕だ!」
うそでしょ……。
村にいるはずのジミーがなんでここに…?




