新しい色んな扉。
レイモンドさまに祝福の子の可能性があると言われてから二日後。
まだ陽も昇らぬ薄暗い時刻。私は宿舎へやってきたカミラさまに起こされた。
「おはようございます、アイリーンさま」
「え、あ、おはようございます…? えっ……」
「大丈夫、寝坊してません。私が押し掛けたんですよ。さ、こんな時間ですけれど起きて湯を浴びてきてください。メリンダ、頼みましたよ」
「はい」
メリンダさまは温室でよくお茶を入れてくれる人で、カミラさまがお休みのときに来ている。
そのメリンダさまと他に二人の侍女さんに手を引かれ、寝ぼけ眼のままお風呂に入り、全身を磨かれた。
「ひょえ~、くすぐったい」
「声は出していいから、動かないでくださいな」
「そんなこと言ったって…。自分で洗っちゃだめですか?」
「だめです」
きっぱり笑顔で言われて、だめな理由も聞き出せない。とりあえずあきらめて、私はふわふわもこもこのせっけん泡に包まれることにした。
早朝だけど仕事前にちらほらお湯を使う人がいて、私たちを見ると目を丸くしている。
ほかほかで部屋に戻るとエイミーさんがいた。
「おはよう。スープとサンドイッチを持ってきたよ」
「あ、ありがとうございます…」
「アイリーンさま、こちらに座ってお食べ下さいな」
部屋の真ん中に椅子が置かれ、カミラさまたちに髪をセットされながらもぐもぐタイム。食べ終わるとシンプルだけど肌触りのいい白いドレスを着せられた。
「メイクは粉を軽く。あとは眉を整えて紅を差せばいいでしょう」
「あの、これは一体…」
「国王さまからのご指示です」
「こくおう?」
頭の中で疑問符がいっぱい渦巻くけど、驚愕で声が出ない。
「さ、行きましょう」
「どこへ?」
「もちろん国王さまのところです」
驚くと人は言葉を忘れるんだなぁ。
そんなことを頭の中で考えながら宿舎の玄関ホールへ出る。いつもなら私も起きて食堂に行く時間帯だ。これから仕事に入る人や夜勤明けの人がたくさん行き来して、にぎやか。
そんな中をカミラさまに先導されて白いドレスを着た私が歩く。うわ、これ以上ないくらい目立ってるわ〜。
私に絡んできた人たちがこぼれるんじゃないかと思うほど目を見開いてる。
うん、その気持ち分かる~。私も超びっくりしてる〜。一体何事なんだろう…。
「そんな不安そうな顔をするな」
「レイモンドさま!」
外に出ると、レイモンドさまが微笑を浮かべながら立っていた。
「迎えに来たぞ。うん、めちゃくちゃかわいいな」
「あ、ありがとうございます」
キラキラしてるレイモンドさまに言われると照れるなぁ。
「本当によくお似合いです」
「可憐ですねぇ」
ミリアムさまとマックスさまも褒めてくれて、整えてくれたカミラさまたちも嬉し気だ。
「レイモンドさま…国王さまに会うって…」
「うん、急ですまないがそういう話になってな。眠たくないか?」
「びっくりしてて眠気はあまり…でも何が何だかわからないです」
「あぁ、そんなに心細そうな顔をしないで」
ミリアムさまがそっと私の手を取り、励ますように握りしめた。
「アイリーンさまが怖がるようなことにはなりませんよ。もしつらかったらおっしゃってください。私が助けますからね」
麗人に至近距離で言われて、新しい世界の扉が開きそうだ。
「ちょ、それ俺のセリフ…」
「ほら、ぐずぐずしないで行きますよ」
マックスさまに促され、カミラさまたちに手を振って私は初めて通る道を行く。
「えっと…」
「うん、急に悪かったな」
「いえ、国王さまと会えばいいんですよね?」
「そうだ。あと大神官が起きたので今のうちに」
「大神官さま…」
やだ、またパワーワード来た。
「大神官だと言ってそう構えなくていい」
「国王さまと大神官さまに構えなくていいなら、あと誰に構えたらいいんですか。なにその強烈なコンビは。なんでこんなことに…」
衝撃と不安で一瞬、素が出た。泣き言をぶつぶつ言ってたらレイモンドさまが私の頭を労るようになでる。
「そうだよな。すまない」
「急に言われても心の準備が…」
「うん、その通りだ。だが大神官は普段寝てばかりで、今会わないと、次は何年後になるか…」
三年寝太郎か?
「鑑定は他の神官でも出来るけど、やっぱり確実なのは大神官だからな」
そうなのかぁ。でもこんな大事になって正直現実味が全然ない。
「ここだ」
レイモンドさまが重厚な扉の前で足を止めた。騎士がその前に待機していて、レイモンドさまの頷き一つで動く。
重そうな扉がゆっくり開かれた。
朝日が室内を照らして、まぶしい。
もちろんきょろきょろなんてできないから、うつむいたままレイモンドさまの後に続く。
じゅうたんふかふか。
前世でも踏んだことのない感触だよ。これ絶対高価。
「父上、連れてきました」
「うむ、礼儀は問わない。顔を上げよ」
そう言われてもすぐには上がらないでしょ、普通。緊張で体がカタカタ震えるし、めまいもするし。藁があったらすがりたい。
「大丈夫か、アイリーン」
心配そうな声と共に、うつむいた視界の中へレイモンドさまの腕が伸びてきた。藁より力強いであろうそれにぎゅっとしがみつく。
「わ、うぉっ、こ、怖いのかそうか平気だぞアイリーンそうやって掴まってたらいい」
お許しが出たので、私は遠慮なくさらにぎゅっとした。
「お、う、あ~」
レイモンドさまのうめき声とマックスさまの全然忍んでないくすくす笑い。
わかってる。子供みたいな振る舞いだってことは。
でも前世、今世ともに平凡地味に生きてきた私にこの事態で冷静になれってのはムリ。
「人馴れない子猫のようだな」
「いつもは物怖じしない方なのですが…父上がいきなり呼び出すからですよ」
はい、自分でもびっくりしてます。
でも祝福の子だの、寝てる所を急襲されて国王に呼ばれてるだの言われて着たことのないドレスを身につけて、王子のお迎えとさらに大神官に会うって告げられ、いきなり国の中枢に来たらパニックしない方がおかしいと思うの。
「そうかそうか、私の威厳に畏怖してるのか」
からかうような国王さまの笑い声が、レイモンドさまによく似てる。
そう思ってそろそろと声のした方を見たら、いわゆる玉座にシブいイケメンが座っていた。
私を見て、面白そうに笑う。
「お、やっと顔を上げたか」
「父上、彼女を座らせてもいいですか?」
「もちろん…と言いたいところだが、すぐに移動する」
「このまま神殿へ?」
「あぁ、ついてこい」
国王さまはそう言って玉座から降りてくる。
私のすぐ横を通り(私の口からひぃって、か細い声が出てたわ〜)カーテンで仕切られた場所へ入っていく。
「アイリーン歩けるか」
「腰抜けそうですけど…がんばります」
私は深呼吸して、歩を進める。両手でレイモンドさまに掴まったままだけど。
「すみません、杖みたいにしちゃって」
「いいんだ、いくらでも掴まれ」
「歩きにくくないですか」
「いや、まったく!」
カーテンの向こうには何もない廊下が長く伸びていた。
装飾は立派だけど、天井が低いし窓がないから閉塞感がすごい。壁のランプが等間隔に光ってて、夜の高速道路に似ている。
少し先で国王さまが私たちを待っていた。
「二人とも問題ないな」
「そうですね、アイリーン、気分は?」
「さっきより落ち着きました」
きらびやかな謁見の間……まぁ、ほとんど見てないけど……に比べると、人の目もないから静かでいい。国王さまというヒトにも慣れてきた感。
「ここは…?」
「王宮と神殿を繋ぐ通路だ。王族と、それ以外……許可を得た者しか通行できない」
「えっ、私が通ってもいいんですか?」
「場に拒否されていないからいいんだろう。ちなみに許可をするのは王族ではない。精霊だ。精霊が許可を出す」
ここでもまた精霊だ。私はレイモンドさまを見上げた。
「アイリーンが祝福の子だからだろうな」
「早まるな、レイ。確定するまで軽々しく言葉にしてはならない」
「はい」
国王さまにたしなめられ、レイモンドさまは素直に頷く。
王族の立場を言葉にしたんだろうけど、表情や口調は親子の会話だ。
国王さまはきちんとした人なんだな。
ってか、レイモンドさま、レイって呼ばれてるんだ〜。
二人の会話を聞いていたら徐々に緊張がほどけ、レイモンドさまの腕にしがみつく力をゆるめることができた。握りしめるから、手を繋ぐに変わっただけだけど。
長く続いた廊下の先に小さな扉が見えた。国王さまが手をかざすと自動的に開く。
「ついて来い」
国王さまの言葉を受け、レイモンドさまが私の背中にそっと手を添えてくれる。
ぬくもりに励まされ一緒に扉をくぐると、そこは白い部屋だった。家具も何もない、ただの空間。
国王さまは私たちが部屋に入ったのを見ると、頷いてまた一つ扉を開けた。
途端に、やわらかな風が吹き抜ける。
「わぁ…」
扉の向こうに草地があった。一歩踏み出し見渡せば、小学校の校庭ほどの大きさに緑や花が生い茂っている。
周囲に回廊があり、振り返れば草地の真ん中に私たちが出てきた白い小屋が建っていた。
「中庭……ですか?」
「そうだ」
国王さまが頷くと回廊から数人、早足で歩み寄ってくる。
「ようこそお越し下さいました。国王陛下」
「うむ。大神官は二度寝をしていないか」
「はい。お待ちでございます」
白い修道服のようなものを着た女性が国王さまの前に進み出て、深く頭を下げた。
その人に案内されて着いたのは、応接室のようだった。ちょっと広いけど普通だ。
厳かな部屋とか教会っぽいところに案内されるのかと思ってたから、ついきょろきょろ見回してしまう。
先導してくれた女性は私たちを案内して出て行き、国王さまは遠慮なくソファに腰掛けた。
「お前たちも座るといい」
国王さまが自分の隣をポンポンと叩く。そこにレイモンドさまが座るんだな。
三秒前まではそう思ってました。
「なんで私がここに…」
「今日の主役なんだから真ん中でいいだろう」
「そうだぞ、アイリーン。まだ緊張してるのか? 俺がついてるから怖いことは何もないぞ」
あのね、レイモンドさま。国王と王子にサンドされた今の状況がいっちばん怖いっす。
はぁ〜……想像もしなかったな。
一生、村で農業していくと思ってたのに両脇に国王と王子を侍らす日が来るなんて…。
軽く白目になっていた私を国王さまが面白そうに見てる。
そういうところ、レイモンドさまに似過ぎ。いや、レイモンドさまより強引だよな。
恨みがましい気持ちになって、つい睨むとなぜか喜ばれた。
「うん、そういう顔いいな。私の好みだ」
「父上」
「その気があるなら側室にしてもいいが…」
「父上、冗談でも許しません」
「お前も弟妹が増えていいだろう」
「これ以上いりませんよ!」
私をはさんで何やら親子喧嘩を始めてる。仲良しだなぁ。
会話に色々つっこみたいけど緊張して喉がカラカラ。声も出せない。なんか飲みたい~。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
目の前にグラスが差し出された。おいしそうなお水がなみなみ注がれていて、私は礼を言って受け取る。
遠慮なく口をつけると、程よく冷たい水がするりと喉を流れていく。
「おいしい…」
「それはよかった。おかわりもどうぞ」
またグラスに水が入る。
それも飲んで、はたと目の前にいる人を見た。
「あれ…?」
「おはよう、君がアイリーンかい?」
白…いや銀の髪を一つに結んだ女性が私の目の前で微笑む。
「はい、そうです」
「喉が渇いてたんだね。まだ飲む?」
「いえ、もう結構です。ありがとうございます」
礼を言う私から空いたグラスを取り上げ、そっとテーブルに置く。筋張った手は男性のものに見えた。
年齢はきっと国王さまと同じくらい。アラフォーっぽいけど、中性的で性別がわからない。
顔の造作は整っている。何より全身からあふれる透明感がすごい。
銀の髪は陽射しに輝いてるし、肌は少し青みが掛かって透き通っている。瞳はグレイで吸い込まれそう。
白い服に白い刺繍。爪の先まで整えられてまるでビスクドールみたい。
「相変わらず死人のような出で立ちだな。青白い肌しおって」
「寝起きだからね」
国王さまに答えた低い声は男性っぽい。
「どっちでもいいよ」
その人は私に向いてそう言った。
「私は性別なんて全然重要じゃないと思ってる」
「精霊にとっては、だろう。人間には重要なんだ」
「そう言えば……お前の女好きにはあきれてばかりだ、ハロルド」
目の前の人は国王さまをそう呼び捨てにしてる。ぽんぽんと軽口の応酬が続く横で、私はレイモンドさまをちらりと見た。
「大神官のリオネルさまだ」
「やっぱり……」
想像してたのとちがう。大神官って言うくらいだから、ジークムントさまのようなおじいさんかと思ってたよ。
「それで、リオネルさま。アイリーンの鑑定は…」
「一目瞭然だろう。この子は祝福を受けているよ」
「そうか、ではアイリーンが祝福の子だと認めよう」
レイモンドさまの問いに大神官さまと国王さまがあっさり言う。溜めも焦らしも引きもない。
「え? それで終わり?」
「終わりとは?」
「なんかこう…聖なるなんとかに手を触れて光ったらとか、そういう儀式とかないんですか?」
「あるよ、でも私は無駄が嫌いでね」
びっくりして問いただした私に、リオネルさまがゆったりと笑った。
「私以外の人間が鑑定するときには聖なるなんとかを使うよ。聖遺物って言うんだけど」
「無知ですみません…」
「まぁ、普通は知らないよね。神官たちで行う鑑定式は、潔斎し精霊の間で聖遺物と呼ばれる道具に手を触れる」
水なら聖杯。火は燭台。風は鳥かご。土は金剛杖。そして光と闇なら鏡。
「それらに触れて使えたら精霊の祝福がある」
「はぁ…」
「ちなみに私は大神官だからすべて使える」
チートやん。
「自分で言うのも何だけど、すべて使える人間は私以外、過去に誰もいなかったらしいよ」
チートをコンプリ自慢やん。
「そんな私が保証する。君は土の祝福がある」
「では国の保護対象として手続きを進めよう」
「父上、俺にやらせてください」
私以外の三人が会議を始めた。その間私はぼ〜っとしてるだけ。
はぁ〜、なんだかエラいことになっちゃった。




