そんな話になるとは。
帰りはレイモンドさまの馬車に乗せてもらう。
もちろんミリアムさまマックスさまも一緒で、顔なじみの人たちに囲まれるとホッとした。
と、同時に困惑する。
この手にある鉢植えはどうしちゃったんだろう。
レイモンドさまは何か言いたげだったけど、話は後でとばかりにかたわらに置かれたヘッドギア型防災頭巾を得意気に手に取った。
「アイリーン、これ、すごくよかったぞ!」
「お役に立てましたか?」
「立った、立った。ぐっすり眠れた。うっかり舌を噛んだりもしなかった」
「馬車が悪路を通ったときも、レイモンドさまはむにゃむにゃ安眠を続けてましたよ。私も欲しいです」
…うらやましかったとマックスさまが言うと、ミリアムさまが眉をしかめる。
「マックスさまは警護をしているんだから、寝たらまずいでしょう」
「寝るつもりはないが…急な揺れが来ても頭部が守られるのはいいと思う」
マックスさまは後頭部を指差す。
「壁に頭を打ちたんこぶができることもなくなるからね。アイリーン嬢、私のも作ってください…」
「はい、もちろんです」
「耳を塞がれると警備上困るので、そこは開けてもらって…」
「ビジュアル的に完全にヘッドギアになるなぁ…」
「ヘッドギア?」
「いえいえ、なんでもないです」
「そんなにいいなら私もほしいです」
ミリアムさまが身を乗り出した。
「作るのは構いませんけど、女性がこれをかぶったら髪型が崩れますよ?」
「あっ、そうか…」
「ならば、馬車の内部をアイリーン嬢の手法で、布張りすればいいんですよね」
マックスさまがひらめいた!と目を輝かせた。
でもそれ、めっちゃお金と手間がかかるやつやん。
「うん、作らせようか」
作らせちゃうんだっ?
鷹揚に頷くレイモンドさま。さすが王族だ。
温室に戻ると、カミラさまが出迎えてくれた。
「ただいま戻りました!」
「おかえりなさい。遅かったから心配しましたよ。あら、レイモンドさままで…おかえりなさいませ」
「うん、お茶にしてくれ」
慣れた足取りでテーブルにつくレイモンドさまを横目に、私はツイーディアの鉢植えを日当りの良い場所に置く。
「あっ…」
「まぁ…」
私に続いてミリアムさまが驚きの声を上げた。なんと萎れかけていたトマトたちがピンとなっている。
「少し前からぐんぐん元気になってきたんです」
カミラさまがお茶を淹れながら教えてくれた。私は驚きながら、すべてのトマトを見て回る。
「本当に持ち直してる…」
「トマトたちがどうかしたのか?」
レイモンドさまがいぶかしげに首を傾けた。カミラさまにうながされお茶を飲みながら、かくかくしかじか…トマトが萎れたこと、ジークムントさまが来たことなど、一連のできごとを報告する。
「うぅむ」
話し終えると、レイモンドさまは腕組みをしてちょっと難しい顔をした。
「ミリアム、この鉢植えを買ったとき花は咲いてなかったよな?」
「はい。一輪、二輪は咲いてましたけど、満開ではありませんでした」
「つぼみは…?」
「ついていませんでした。盛りが過ぎていたそうなので」
「そうか」
「開花の様子はレイモンドさまも目の前でご覧になっていたでしょう」
「もちろん見ていた」
目の前で皆さんが困っている。
私は木の棚に置いた鉢植えを見た。いきなり満開になったツイーディアは今も可憐な花を見せている。
いたたまれない空気に私はすがるようにレイモンドさまを見上げた。
「あの…」
「うわ久しぶりの上目遣いやばかわいいなにこれずっと見てたいおい絵師を呼べ」
「え?」
「レイモンドさま、抑えて」
マックスさまに不敬にも肘打ちされて、なんか呪文を呟いてたレイモンドさまが咳払いをする。
「うん、ちょっと話をしようか、アイリーン」
「はい」
「ジークムントに会ったんだろう」
「はい」
「彼はここを作った庭師で、マックスの大叔母の配偶者だ」
「おおおば…」
って、なんだっけ?
「大叔母は祖母の妹、その夫がジークムント。マックスの大叔母が野歩きをしている最中、二人は出会ったんだ」
マックスさまの大叔母さまってことは貴族だよね。そんな女性が野歩き?と思ったけど、黙って聞く。
「ジークムントは珍しい花を見つけて、育てる仕事をしていた。そのまま咲かせるだけじゃなく、花の色や形を変えたりするのがとても上手かった」
品種改良だな。ふむふむ。
「ジーク爺の手にかかると、植物はみんな生き生きと成長する。それでだな…」
「はい」
「この国に昔から伝わっている文献に「祝福の子」という項目がある。アイリーンは知っているか?」
「……おとぎ話としてなら、聞いたことがあります」
「そうだ。我々の目に見えないが、世界には精霊がいて、それらに愛される人間……それが祝福の子と呼ばれている」
「はい」
「祝福にも色々種類があって、水の祝福を受けている者は水脈が分かるし、火の祝福を受けている者は自在に火を熾せるらしい」
「しばしば不思議な現象が起きるんですよ。ジークムント爺さまもすごかった。枯れかけていた樹木をちょっと撫でただけで再生させたのを見たことがあります」
「あぁ、あったな」
レイモンドさまとマックスさまが懐かしそうに目を細め頷き合う。
「アイリーンも同じだと思う」
「ほぇっ?」
思わず変な声が出た。持っていたカップを落としそうになって、慌ててソーサーに戻す。
「同じ? 何が?」
「先程見たのが答えなんだが…」
「さきほど?」
「ツイーディアの鉢植え」
「あっ」
「あと、この温室を開けられたから、だな」
「ん?」
どういう意味だろう。
話があまり飲み込めないけど、とりあえず続きを聞く。
「マックスの大叔母と結婚したジーク爺は故郷と王都を行き来して色々な花を世間に広めたそうだ。そして花を商う商会を立ち上げて、周辺国と取引するまでの事業に発展させた」
「この温室は爺さまが二十年くらい前に建てたんです。花を欲しがった王妃のために…というのが表向きですが」
「国王も一枚噛んでたんだろう? 悪のりレベルで設計したと兄から聞いた」
「さらに私の父親もノリノリで爺さまを手伝ったそうです。そして爺さまは鍵に細工をしました」
「細工?」
マックスさまが私をじっと見る。
「あの鍵、どうして鉄製じゃないのかと思いませんか?」
「古い鍵だから木製なんだろうなくらいにしか考えませんでしたが…」
「あれは爺さまが故郷から切り出してきたけやきの木材で作った鍵で…祝福を持つ人間にしか開けられない契約を精霊と結んだそうです」
「え…っと……?」
「その木材はこの温室の色々なところに使われていて」
「ドアの鍵とか農機具の持ち手とかだな」
「すり棒もそうです」
マックスさまが両肩をすくめた。
「アイリーンさまがいとも簡単に使用する道具のほとんどが、私たちには使えません」
「え? まさか」
「俺もジーク爺の真似をしたくて持ってみたが、やけに重くてうまく動かせなかったな」
「ホントですか?」
戸惑う私にレイモンドさまが重々しく頷く。
私、この温室で特に不自由なく物を使ってるけど。むしろすべての道具が軽くて扱いやすい。
「ジーク爺は過去に存在した祝福の子の中でも異彩を放っているそうだ。本人は認めないが、精霊と話ができていると思う」
「ですね。もしかしなくてもジーク爺は魔法使いじゃないかと昔から思ってました」
静かに聞いていたミリアムさまがそう言って微笑んだ。でもマックスさまの次の話にすぐ表情を引き締める。
「去年の春、大叔母が亡くなったんです」
配偶者の命の灯火が消えた瞬間、この温室とジークムントさまの屋敷に植えられていた草花はいっせいに立ち枯れた。
そして葬儀を終えたジークムントさまが王宮の温室に戻ることはなかった。
「ジーク爺はもう花を育てることができなくなったんだ」
「悲しみはまだ癒えていないのですわ」
「お二人は本当に愛し合っていましたもの」
ミリアムさまとカミラさまはそっと涙をぬぐった。
ジークムントさまの気持ちを想像すると、私も涙が噴き出しそうだけど、ぐっとこらえて話を聞く。
「爺さまは故郷へ戻って余生を過ごすそうです。王都にいても意味はないからと……」
「この温室は閉めるから、いつか次に使う者が見つかったら鍵を渡してくれと俺が預かったんだ」
レイモンドさまがテーブルに置かれた鍵を見つめる。
はぁ…としか相づちが打てないけど、なんだかいや~な予感がするな。
「ジーク爺もまさかこんなに早く次の人間が来るとは思ってなかっただろうな」
「えっと、つまり…」
「アイリーンはここを開けられた。ジーク爺の言葉。そして…いきなり満開になった花」
「あの…」
「アイリーンは祝福の子だ」
いや、ちょっと待って。




