矜持。
ジークムントさまのおかげか、葉や花の萎れ具合は夕方までにやや改善したように見える。
ホッとして私はティーテーブルに座り込んだ。
「ふぅ…」
「アイリーンさま、お疲れでしょう。お茶をどうぞ」
「ありがとうございます…」
相変わらずカミラさまのお茶はすごくおいしい。体の奥底にゆっくり染み込んでそこから熱が広がっていく気がする。
「おいしい…」
「りんごジャムの乗ったクッキーもありますよ」
「いただきます」
「少しお顔の色が良くなりましたね」
ミリアムさまは私の対面に座り、安心したように笑った。
「皆様のおかげです。飲みおわったら針仕事をやりますね」
「まぁ、アイリーンさま。今日はもうゆっくり過ごされては?」
「カミラさまの言う通りです。アイリーンさまのお仕事は毎日健やかに過ごすこと。ジーク爺もご自分を労るようにと言ってましたわ」
「ジーク爺…」
「幼い頃はレイモンドさま方とそう呼んでいたのです。ここらへん一帯を遊び場にしていたので…」
お茶を飲み終わり、ミリアムさまに宿舎まで送ってもらった。
「ジークムントさまの故郷はどこなんでしょう」
「ジーク爺のことは私にも詳しくわからず…いつもはっきり言わない人だったのですよ」
一瞬の邂逅だったけど、確かにそんな感じの人かも。
何か迷ったらまたアドバイスしてほしいんだけどな。
「レイモンドさまならある程度ご存知です。戻られたら聞いてみてください」
「はい!」
レイモンドさまのことを思い浮かべると、途端に気分が持ち直す。私、単純だなぁ。
宿舎の入口でミリアムさまと別れ、私は食堂へ向かう。
昨晩のことを思い出すと、足取りは重くなる。
食欲もあんまりないけど、食べないと明日がつらい。
村にいたときよりは楽だけど、農作業はそれなりに重労働だから。
私は自分を叱咤して、重い足を動かし渡り廊下を歩く。
辺りは暗く、食堂の灯りを目指す足元はよく見えない。少し不安を覚えた瞬間、横からどんと衝撃があった。
「きゃ!」
バランスを崩して石畳にひざをつく。見上げると人影が三つ。昨晩私に絡んできた三人だ。
「あら、何かにぶつかったわ」
「獣かしら」
「やだ、ワインが零れたじゃない」
目の前で女が飲み物のボトルを振った。ワインが私の服に掛かり、足元にもどぼどぼと広がっていく。
「ちょっと、私の靴にもかかったわよ」
「あら、汚れちゃった? でもこの子がぶつかってきたからじゃない?」
「そうね、この子のせいよ」
「ひどいわ、謝りなさいよ」
謂れ無く責められ、ワンピースのすそを踏まれて靴の裏を拭かれた。
それを見て頭が真っ白になる。ワンピースは今年の誕生日、お母さんが作ってくれたものなのに…っ。
私は立ち上がって叫んだ。
「やめてください!」
「は?」
「歩いていた私にぶつかってきたのはそっちですよね。そして手にしていた飲み物を零し、汚れたくつを私の服で拭いた」
「それがなによ」
「今、私に何か非がありましたか? どこが私のせいなんでしょうか」
私はいきなり押されて倒れ、服を汚された。
謝られるならともかく、謝る要素はない。絶対に。
その思いをこめて睨むと、一人の女が手を振り上げた。
「生意気な!」
頬をはられそうになったけど、身を引いて避ける。するともう一人がワインのビンを投げつけてきて、床に落ち割れた。
ガラスの砕ける高い音に思わずビクリと動きが止まる。
やばい。売られたケンカを買ってしまった。ここからどうしたらいい?
こんなケンカ、前世も今世もしたことない!
お互いに睨み合うけど、私の足はガクガク、手はブルブル。顔は引きつってる。
腕っ節に自信なんかないけど、ここで逃げたらダメな気がする。
そんな思いだけで必死に女たちを睨み返していたら、足音が聞こえてきた。
「誰かいるの?」
「やだ、人が…」
「い、行くわよ!」
誰何する声に女たちが慌てて立ち去る。暗がりから現れたのは、二十代くらいの女官服を着た人だった。
「大丈夫?」
「あ、はい…」
「あなた確かアイリーンだったわよね」
「……はい」
返事をするのが正直怖かった。また難癖付けられたらいやだなと思ってしまったので。
「今、走っていったのは文官に仕える侍女たちね。いじめられてた?」
「……」
「気にしなくていいわ。あの人たち、誰に対しても意地悪なのよ。あ、地位のある男性をのぞいてね」
返事の出来ない私に手を差し伸べて立ち上がらせてくれた女官はレーナさんと言うらしい。
「エイミーさんにあなたが姿を見せないから探しに行くようにって言われてたの。来て良かったわ」
「ありがとうございます…」
「目を付けられたみたいね。しばらく誰かと一緒に行動した方がいいわ。あの子たち、人前では大人しいのよ」
「人前では…?」
「そう。男性に見初められたいから、普段は猫かぶってるの。その分、裏では陰湿よ。いつからやられてたの?」
「き、昨日から…」
「そう。長期化してなくてよかったわ。さ、ごはんに行きましょう」
並んで食堂に行くとエイミーさんがゆっくり歩み寄ってきてくれた。
レーナさんと目配せして頷き合う。
「お疲れさま。ごはんを食べなさい」
「はい、いただきます」
夕食は相変わらずおいしかった。カミラさまのお茶と同じで、身に沁み入るやさしい味。
「アイリーンはこのスープが気に入ったみたいね」
「はい、薄味でおいしいです」
「私はもう少し濃い味がいいわ。実家の味付けが懐かしい」
「実家?」
「うちは商売をやっていて、色んな香辛料を取り扱っていたの。売るのに味を知らないわけにはいかないからってお父さんが言っててね。家で商う香辛料を必ず一度は口にしてた。だから色んな味の料理を食べたわ」
「すご〜い」
「だけど新しい香辛料を使った食事は毎回おっかなびっくりだったわよ」
話を聞いていると、レーナさんは裕福な商家の娘さんみたい。行儀見習いで働きに来ていると言っていた。
遠くから嫌な視線を感じたけど、なるべく意識しないようにして食事を終えた。
「レーナ、このまま二人でお風呂に入っておいで」
「はぁい。行きましょ、アイリーン」
「はい。ごちそうさまでした」
私を嫌な視線から守ってくれるレーナさんと食堂を出て、着替えを持ちお風呂に向かう。
今世、この国では各地に温泉が湧いていて、きちんとお湯をはって浸かる文化があった。
大きな町には日本の銭湯や、イタリアの昔のスパみたいな公衆浴場がある。
温泉がない場所ではお湯で体を拭くだけだけど、幸い私のいたヘルフォード村は湧き湯があり、毎日お風呂に入っていた。
王宮でも毎日お風呂に入れて、髪も洗える。元日本人として、本当にありがたい。
「は〜、ホッとするわね」
「はい」
レーナさんと広い浴室でのんびりお湯に浸かる。
寒さがきびしくなってきたから、この温もりが本当にうれしい。
肩まで浸かってお湯を満喫していたらレーナさんがくすりと笑った。
「リラックスしたみたいね」
「はい」
「さっきも言ったけど、あの人たち、新参者にはたいてい絡みにいくから気にしないで…。私がなるべくそばにいてあげるし、一人のときは食堂に逃げておいで」
「ありがとうございます…。あの…私の格好、みっともないですか?」
「え?」
村ではみんな似たような格好をしていたけど、王都ではおしゃれな人が多い。彼女たちに言われたのも服装のことが多かった。
「そうね、はっきりいわせてもらうと地味よね」
「地味…」
「王都ではデザインが洗練されているし、染色技術が進んでるからきれいな布が多いけど、アイリーンは色もデザインもシンプルな服ばかりだから」
そういう色合いも私は好きだけど、とレーナさんは続けた。
「王宮は…王宮で働く者は、国を体現しているという意識があるから、地味すぎるのは良くないと思うの」
「国を体現……?」
「地味でもいいのよ。自分の家ならば。だけどここは色々な人から見られる場所だから」
民衆の視線は王宮で働く人の一挙一動、服装まですべて見られている。
「華美すぎると反感を覚える人もいるし、私腹を肥やしているんじゃないかとか、役人が搾取しているのじゃないかと疑われる。だからと言って地味だとつまらないでしょ」
「つまらない?」
「流行は貴族や王族から始まることが多いじゃない。もちろん民衆から始まる流行もあるけど、ファッションはやっぱり貴族を見て、自分たちもって思うから」
「お手本にしている?」
「そう。それと外国からの目も意識しないといけないのよ。王宮で働く人間の服装が貧相だと国庫に余裕がないのかと思われたり、この国に付け入るスキはあるのかと思われる」
「そんなことが…」
思ってもみなかったことを言われて、私はぽかんとなった。
「まだアイリーンは幼いから許されてるし、王宮で他人と混じって働く立場ではないからいいのよ。だけど、私たちは髪のほつれ一本まで気にするわ。それが矜持」
「矜持…」
「仕事にプライドを持って、国のために働いてる。その気持ちがあるから背筋も伸ばすし、あなどられないようきちんとした服装をする」
レーナさんの言葉は私の胸にすとんと落ち、納得した。
「そっか。場違いなのは私だったんですね…」
あの人たちの言い分は間違ってなかった。
私の仕草や服装が王宮で働くレベルに達していなくて、一緒に働く自分たちが馬鹿にされているような気がしたのかもしれない。
がんばっている自分たちに対し、許せない気持ちになったのかも。
しかも人気のあるミリアムさまの隣に平民の格好をした私がいたらイライラもするだろう。
人から見た自分はどれだけ悪い方向に目立っていたのか…。軽く衝撃を受けている私にレーナさんが気遣うように続ける。
「意地悪な言い方をされたんでしょ?」
「はい…でも私にも思い違いがありました」
「そうかもしれない。でも言い方が悪いし、意地が悪い。なにより行動に品がない」
レーナさんはズバッと言い捨てた。
「私に教えてくれる気だったのかもしれません」
「教えてあげる気があるなら、いくらでも言いようがある。それをしないで、ただいじめる人間はやっぱり間違っている」
「……」
「だからあなたが自分を恥じる必要はないわ」
レーナさんは私の頭を一つ撫でて湯船を出る。
「のぼせちゃうわ。上がりましょう」
脱衣所で支給されたナイトウエアを着る。一日着ていたワンピースを手に私はため息をついた。
「この服は…お母さんが作ってくれたんです」
「そう、いいお母さんね」
「私には大切な服です。踏みにじられて、ものすごく腹が立ちました」
話しながら涙が勝手に零れていく。
「くやしい…なぐってやりたいって…思いました…」
「そんなことされたら怒って当たり前。怒っていいのよ、アイリーン」
「レーナさん…」
「当たり前だと思う気持ちを大事にして」
レーナさんは涙が止まらない私をそっと抱きしめてくれた。
「気が済むまで泣いて。やり返すなら手伝うわ」
やや好戦的な物言いについ笑みが浮かぶ。
「一晩寝てから考えます」
「そうね。明日の朝、また一緒にごはんを食べよう」
「はい」
今日もごはんがおいしかった。お風呂、気持ちよかった。
周りの人がたくさん助けてくれた。
今はそれで充分。
私もいつか、誰かが落ち込んでいたらこうやって手助けできる人間になりたい。
その前に自分も労ってあげなさい。
ジークムントさまの言葉が耳の奥に蘇る。
私はワンピースに顔を埋め涙をぬぐい、その言葉に心の中で頷いた。