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茶色い瞳のおじいさん。



 なんで?

 なんで?


 私は慌ててすべての木箱を見回る。何度確認しても葉は萎れていたし、花はくたっとしぼんでいた。

 

 何が悪かったのかな。

 室温?

 霜にやられた?


「アイリーンさま、どうしましょう」

「……とりあえず、室温上げてみます」

「寒さのせいでしょうか」

「そうかもしれません。それほど冷え込んでなかったと思うんですけど」


 ミリアムさまに手伝ってもらい、かまどの火を増やす。お昼前、ランチを持ってきたカミラさまもトマトの惨状に目を丸くしていた。


「暖めたら、少し元気になったような気がします」


 ミリアムさまがなぐさめるように言う。確かに朝より元気になったけど、やっぱり花や葉はしおれたままだし、つぼみだったものは力なく垂れ下がっている。


 原因はなんだろう。温度じゃないなら、お水が多すぎた?

 どうしよう…。

 私は両親の顔を思い浮かべる。


 お父さんなら、こういう時どうしてた?

 お母さんなら何て言う?


 両親の行動を想像しながら、木箱の土をチェック。

 見た感じ、特に変わりはない。

 水が少なすぎたのかと思ったけど、葉の様子からは雨が降り過ぎたときのような感じがする。

 もしかして……。


「誰かが夜中に水をまいたのかな」

「アイリーンさま、ここの鍵は一つだけです」

「私の持ってる鍵だけなんですか?」

「そうです。あの鍵がなければ誰も開けられません」


 合い鍵無いんだ…。

 っていうか、それじゃ絶対失くせないじゃん。


「万が一にもありえないと思うけれど…どこかを壊して侵入されたのかしら」


 ミリアムさまが険しい顔になって温室中を見て回る。それを力なく見ていたら、ふと頬に風を感じた。


「ここの温室は鍵を持つものしか開けられないよ」


 声のした方を見ると、黒い人影が窓の向こうに立っている。

 横にいたカミラがハッとなり、ミリアムさまは不審者かと身構えた。


「誰だ!」


 ミリアムさまが誰何する声を笑顔で受け流し、人影は一歩温室へ足を踏み入れた。


 その途端、一気に温室内の空気が濃くなった。

 押し寄せる葉っぱの匂い。

 包み込んでくる深い森の匂い。

 濃密な空気に私はくらりとめまいを覚える。


 気付いたら私は床に座り込んでいた。


 人影…おじいさんだった…は温室を見回し、懐かしそうに微笑む。

 そして目線を合わせてくれるためか、私の正面にひざをついた。


「初めまして」

「は、初めまして…」


 しわの深い、よく日に焼けた顔。おだやかでやさしそうな茶色い目。ちょっとうちのお父さんに似ている。

 そう思ったら、驚きが収まってきた。


「…そこの窓、開くんですね」

「そう。軽く触れてごらん。君が開くと思えば開く」

「へぇ?」


 タッチ式の自動ドア? でも今世で自動ドアなんて見たことない。原理はなんだろ。

 疑問が顔に出てたのか、おじいさんは私の手を取り、立ち上がらせた。

 そして窓にそっと触れ、うながすように私を見る。

 私も指先を窓に伸ばすと微かに静電気のようなものを感じ、指を引っ込めると窓が数センチ開いていた。


「そうじの度に触ってましたけど、今まで開いたことなかったです」

「開くと想像すればいい。ここは君の温室。君が支配する場所」


 おじいさんは葉がしおれたトマトたちを手で指す。


「これは君の心。そう考えると葉がしおれた理由も分かるだろう?」


 え、全然わかんない。どういうこと?

 困惑しながらおじいさんを見上げると、思慮深い目でじっと見つめられた。


「君は自覚した方がいい」

「自覚?」

「自分のことをもっとよく知るんだ」


 そう言われて、さらに頭がこんがらがる。っていうか、この人誰?


「あの、あなたは…」


 困惑しているとカミラさまが私の背にそっと手をあて、落ち着かせるようぽんぽんと叩いてくれた。


「その方は庭師…。前の温室の管理者です、アイリーンさま」

「え?」

「お久しぶりです、ジークムントさま」

「うん、カミラもミリアムも相変わらず元気そうだね」

「おかげさまで。もうお引っ越しなされたかと思っておりました。こちらへはなぜ?」

「最後におせっかいをしようと思ってね。あとはこの子に会いたかった」


 ジークムントさまと呼ばれたおじいさんは私を見て言葉を続ける。


「私は王宮で長年花を育ててきたが、年を取ったので、引退して故郷に戻るんだ」

「故郷へ?」

「そう。そこでゆっくりするつもりだ」


 ジークムントさまが木箱へ私を誘った。


「こうなった原因は分かったかい?」

「…わかりません」

「そうか」


 さっきから色々問われるけど、どんな答えが正解かまったく分からない。出来の悪い生徒になった気分だ。

 うつむいた私を責めるでもなく、ジークムントさまは頷くと木箱の土を手で掘り起こす。

 手付きはやさしく、空気を含むように軽く軽く掘っていく。

 気のせいかもしれないけど、土が「ぷはぁ!」って深呼吸したように見えた。


「…土が固まって、息苦しかったのかな」

「そうだね」

「温度が上がり過ぎて土が硬くなってしまったのでしょうか…」

「そうとも言えるが、まだそれほどではなかった」


 相変わらず、禅問答のような会話。だけど不思議とずっと聞いていたい声。


「枯れてしまえば私も君も助けられない。その前にできることをして助けてあげよう」

「はい」

「同じことが君自身にも言える」

「え?」

「萎れた心のままでいてはいけないよ。植物にするように自分も労ってあげなさい」


 言われてどきりとした。頭をよぎったのは、昨夜のこと。誰にも言ってないけど、未だ私の心にどんより澱んでいる。

 マックスさまが以前言っていた通り、悪意は心に棘や傷を残すんだな。忘れてしまえれば一番いいとは知っているけれど…うまく自分をコントロールできていない。


 実際それほど気にしてないと思っていたが、もしこのトマトたちの惨状が私の心を表しているなら…自分が考えている以上にダメージがあったんだろう。


 さっきから問われていた答えを見出したかも?

 ジークムントさまを見上げるとやさしく浮かぶ笑み。それが正解だと肯定された気になった。


「…ありがとう…ございます」

「君の心に平穏があらんことを…。いつも祈っているよ」


 頭を一撫でされる。節くれ立った大きな分厚い手。あったかい。

 また一瞬で空気が濃くなった。土の匂い。草の香り。樹々の狭間を渡る風が運ぶ、あの空気。


 目をつむり、胸いっぱい深呼吸する。

 もう一度目を開けると、ジークムントさまは消えていた。






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