まさか、私は。
空の青色が薄くなり、雲はかなり高くなった。朝晩はもうかなり冷え込んで起きるのがつらい。
料理人が考慮してくれているんだろう。食堂で出されるスープの温度が上がって、よりおいしく感じる。
ミリアムさまが迎えにきてくれたので温室へ向かう。
「いつも思うんですが…温室まですごく近いので…護衛していただかなくてもいい気がするんです」
「レイモンドさまが必要と判断されたので」
でも、わざわざ申し訳ないなぁ。
そんな思考が顔に出てたのか、ミリアムさまから一言。
「慣れて下さい」
「はい」
笑顔で言われて、頷くしかない。フォローするようにミリアムさまは続けた。
「個人的に、アイリーンさまと一緒にいるのは楽しいです。剣術をたしなむせいで野蛮と思われているのか、同性の友人が少ないんですよ」
剣術のせいじゃなく、その美しさで近寄り難いんだと思う。
前世でも美人で凛々しい女優さんは、同性にも人気があった。
ミリアムさまはそれに輪をかけてきれいだから、周囲から崇拝されるレベル。
今は男性と同じような服を着てるけど、ドレスアップしたらどれだけ破壊力のある美貌になるんだろう。夜会とやらに行く時はおめかしするんだろうな。見てみたいな。
温室に着くとすぐに温度チェック。かまどでは夜通し炭を燃やして暖を取っているけど、朝にはほぼ火が消えている。
灰をかき、もう一度空気を入れて残り火を強めつつ、新しい炭を置く。空気が入るよう薪を組んでから、トマトたちの様子を見る。
「今日も花がいっぱい咲いてますね」
ミリアムさまが私の後ろからうれしそうに言う。
「はい、ちょっと背が伸びてきたかなぁ」
「それは良くないことなのですか?」
「あまり茎と葉が成長すると、花や実に栄養がいかないので…」
私はかまどでお湯を沸かし、鉄ばさみを熱湯消毒してから支柱より伸びた茎をていねいに剪定した。
「なぜはさみを消毒したんですか?」
「トマトは切り口から病気になりやすいので清潔なはさみを使用するようにって親から教わったんです」
「デリケートなんですねぇ」
私は摘心した茎を水を入れたコップに挿した。脇芽と同じように挿し木にできればいいな。
咲き終わって土に落ちた花弁を拾うと、ミリアムさまも手伝ってくれた。
「この花弁は捨ててしまいますか?」
「はい。土に置いたままにしておくとそこからカビが生えたりするので」
花が咲き始めたらざっくりと受粉させたり、土が乾き過ぎていないか、固くなっていないかなど毎日気にかけることはたくさんある。
「花が数えきれないほど咲いてますね」
うれしそうに呟くミリアムさまを見ていたら、レイモンドさまを思い出した。
今、何をしてるのかな。どこにいるんだろう。
できれば、この黄色い花たちを一緒に見てほしい。
レイモンドさまがここにいないのがさみしい。
「…アイリーンさま、こちらへ」
少しぼんやりしてしまった私を気遣ってくれたのか、カミラさまが呼ぶ。
「喉は乾きませんか? もうお昼にしましょう」
「あ、でももう少し…」
「少しお疲れに見えます。病み上がりなのですからほどほどに」
「…はい、ありがとうございます」
うながされ、素直に椅子に座るとハーブティが出てきた。
「レモンバームティです。疲れが取れますよ」
「いい香り…」
柑橘系のさわやかな香りが鼻に抜けると、気分がすっきりする。前世ではあまり口にしなかったけど、ハーブティっておいしいなぁ。
私がハーブティを堪能している間に一口サイズのサンドウィッチが並び、ミリアムさまと一緒に頂く。
話題はミリアムさまの婚約者についてだ。
「去年お見合いして婚約者になったばかりなんです」
「お見合いで初めて会ったのですか?」
「いえ、その…ずっと憧れていた方だったので」
ミリアムさまは白い頬を赤らめる。
「剣術に優れていらっしゃるので、騎士団の武闘大会などで活躍されているんです。私は幼い頃からそれを見ていて、一方的にお慕いしてました」
ふむふむと頷く。恋バナはいつ聞いてもいいね!
「たぶんあちらは私のことなんて気にも止めてなかったと思うんです。少し年上の方ですし」
「言葉を交わしたりは?」
「レイモンドさまやマックスさまと親しいので、ごあいさつ程度なら何度か。でも個人的にお話できたのは、お見合いの席が初めてです」
ミリアムさまはふと、真顔になり大きく息を吐いた。
「アイリーンさまはご存知でしょうか。今は昔と違い、婚約前に本人同士の意志をちゃんと聞いてくれるようになってきたのです」
「昔は違ったのですか?」
「はい。やはり家同士のつきあいや関係もあって、相手を自由に選べるものではなかったそうです」
私は首を傾げた。
「なぜ変わってきたのですか?」
「好ましくない相手と人生を長く過ごすのはお互いつらいでしょうし、良くない結果になることもあります。そういうことが続いて、世の中の流れに変化が起こったのではないかと」
ミリアムさまは側に控えるカミラさまを見上げた。
「そうですよね、誰かを無理に好きになるのは難しいです」
「人の心は思い通りに動きませんから。先代国王も在任中は恋をした相手と結婚すべきと、おっしゃってました」
なんと、国の中枢から恋愛推奨とは。
前世を思えば当然だと思うけど、貴族制度の中では大改革になるのかも。
一瞬、ジミーとヒルダさまの顔が脳裏をよぎる。今後、そういう思考が地方にも広まり、あの二人が結ばれて幸せになることもあるのかな。
「けれどやはり家格は考慮されます。お見合いであれば特に」
ミリアムさまの声が沈んだ。
「ミリアムさま?」
「すみません。ちょっと不安で」
「不安?」
「嫌われてはいないと思いますが…本当に私でいいのかなと」
「そんな、ミリアムさまほどきれいな人はいないと思いますよ」
「ありがとうございます。でもあちらは素敵な方ですから…私のような小娘では面白みがないかと」
えっと、こういう時なんて言えばいいのかな。お相手を知らないからうかつなことも言えないし…。
私は困って目線でカミラさまにすがった。
「ミリアムさま、あちらはこの婚約を承諾されたのでしょう?」
「はい」
「では少なくとも嫌々ではないはずです」
カミラさまは静かに続ける。
「お聞きになってごらんなさい」
「聞く?」
「不安なお気持ちもわかります。けれど自分の中で悩んでいても、私どもに相談しても、ご本人ではないので正確な答えは持ち合わせていません」
ごもっとも。さすが大人の意見だ。
私はカミラさまを尊敬の目で見上げる。
「でも…」
「知りたいなら聞くしかないのです。そしてご自分の思いを伝えなければなりません」
「伝えるなんて、そんな…」
「恥ずかしがったり遠慮するのは間違いです。素直に話し合うこと、それは二人の関係を良い方向へ進ませる正しい努力です」
カミラさまはミリアムさまに微笑んだ。
「初めから何もかもがぴったりくる夫婦なんておりません。そこに到達するまで、みんな努力をしています」
「努力…」
「恋をすると誰でも様々な不安を覚えます。当たり前の心の動きなのです。でも不安に負けて手放していい人ではないと思うなら、怖くても話し合うしかない」
カミラさまの言葉を真剣な顔で聞いているミリアムさまの横顔はいつも以上にきれいで、とてもかわいい。
全力で応援したくなる。
そして私も恋がしたくなった。
あんな風にいつもその人のことを考えてしまう恋。
ドキドキわくわくと不安と。ささいなことで一喜一憂してしまう。
前世でしていた恋もそんなのだった。あいにく誰かと付き合うこともなく生を終えたみたいだけど…。
恋をしていた時、いつもその人のことを考えてた。
何かする度にあの人ならどう言うかな、とか想像して楽しかった。
そこまで考えてふと気付く。
あれ、私は今…いや最近……。
空の青さで彼を思い出し、トマトの花が咲くと喜んでもらえるかなと考え、そばにいないことをさみしく思う。
これって……まさか。
「私、わたし……」
「アイリーンさま?」
突然真っ赤になった私にミリアムさまとカミラさまが立ち上がる。
「お顔が赤いですよ、アイリーンさま」
「またお熱が出てきたのかしら。隣で休みましょう」
「動けますか? お運びしますよ」
「いえ、大丈夫ですっ」
心配してくれる二人の声に慌てつつ、私は震えた。
その震えは脳天からつま先まで伝わり、全身がしびれるようだ。
私はレイモンドさまのことを…………。