甘辛…じゃなくて甘酢っ。
馬車はカラカラと軽快な音を立てて進む。
私はレイモンドさまの隣に…ということなどもちろんなく、レイモンドさまの隣にマックスさまが、私の隣にカミラさまが座っていた。
「なんでマックスもこっちに乗り込んでくるんだ。馬にしろ」
「護衛がお側を離れるわけにはいかないでしょう」
「ちっ」
「王子が舌打ちしない」
カミラさまは物馴れない私のためにと付き添ってくれた。お忙しいだろうに隣でやさしく微笑んでいる。
「どうだ、カミラ。クッションの座り心地は」
「とてもいいです。安定感もありますし、腰もつらくなりません。アイリーンさまはすごいですね」
「いえ…、馬車の乗り心地を少しでも改善したいなと思ったので」
「そうなのですね。私も馬車が苦手だったのですが、そんなこと考えもつきませんでしたわ」
こんなに楽になるなんて…と感激してくれるカミラさま。たぶん四十路くらいだと思われるがふくふくのほっぺや笑顔がかわいらしい。
「曲がり角だ。二人とも掴まれ」
「はい」
内壁に取り付けられたバーを握り、揺れに備える。
やっぱり方向転換するときや悪路の揺れは、クッションだけでは受けとめきれないなぁ。
油断すると舌を噛んだり、頭をぶつけたりするし。
馬車は大通り近くで止まり、私はレイモンドさまにエスコートされ、馬車を降りる。
「アイリーン、ほらここ」
「あ、クッション」
馭者台に私が作った穴あき円座クッションが置いてある。
「使ってくださっているんですね」
「はい。レイモンドさまより支給していただきました。他の馭者たちにもどんどん広まっています」
「これのおかげで我々はすごく助かっているんです。ありがとうございます!」
馭者さんたちが私に頭を下げてくれた。
ほんの思いつきで作ったものなのに、こんなに感謝されちゃっていいのかな。でも誰かの役に立てたのならうれしい。
「行くぞ、アイリーン。市が始まる」
「はい!」
「いってらっしゃいませ」
馬車は警備隊の一角に停めておくようで、カミラさまとはそこで別れた。マックスさまが少し離れたところから付いてくる。
見上げると、そろそろ夕焼けに変わりそうな空。通りには人が集まり始め、売り買いのにぎやかな声が聞こえてきた。
「護衛がマックスさまお一人だけでいいんですか?」
「王都は比較的安全だからな。警備隊もそこら中にいるし」
「でも暴漢とか不慮の事故とかあるかもしれないですよね。そしたら……」
「不安か? まぁ、そんなことがあったら俺が…」
「私がレイモンドさまをお守りしますね!」
「え?」
「戦闘経験なんてないので、盾になるくらいしかできませんけど」
拳を握って言うと、レイモンドさまがあっけにとられている。
「アイリーンが俺を守る…?」
「はい、及ばずながら努力だけはしてみます」
「…うん、心意気だけいただくよ」
どこからかマックスさまのこらえきれてない笑い声が聞こえる。わかってますよ、突飛なこと言ってるのは。
でもレイモンドさまは、私がそうしたいと思わせるだけのお人柄なんだ。
「とりあえず、通りを歩いてみよう。こっちだ」
「はい!」
道の両端に様々な商品が並んでいる。食材はもちろん、食器、布や民芸品、小物は雑貨から武器まで。
雑多な雰囲気の中、私は夢中になって店を覗いた。
「レイモンドさま、あれはなんですか?」
「西の国の織物だ」
「このレースは…」
「北地方の名産だな。小さいけれどていねいな仕事だ」
「ガラスの置物もありますね」
「ペーパーウエイトだろう」
「小鳥かな? えっとあれは…」
「アイリーン、待て待て。はぐれるぞ」
私が浮き足立ってふらふら色々なお店を回ると、レイモンドさまが慌ててついてきてくれる。
落ち着こうと思っても、面白くてついきょろきょろしてしまう私のそばで、レイモンドさまが大きく息を吐いた。
「守りたいものがちょこまかすると、こんなに心労があるのか」
「身に堪えるでしょう」
「堪える。正直今まですまなかった」
レイモンドさまの背後でマックスさまがうんうんと頷いている。
「あれ…」
「どうかしたか?」
「いえ、一瞬、見覚えのある人がいたような…」
目を凝らしてみたが、いつのまにかあたりを覆っていた夜の闇と人混みに紛れて見失う。
「まぁ、いいか。それよりあっちからいい匂いがしますね」
「地方の名産や名物料理だな。のぞいてみるか」
「はい!」
屋台で調理されているのは、串焼きやクレープなどから金平糖、飴など甘いものまで色々ある。
「味付けに地方色が出るから、色んなものを少しずつ食べてみよう」
「はい!」
「まずは肉だな。親父さん、これをくれ」
「私も同じものをください」
胸元に入れた財布を出そうとしたら、レイモンドさまがさっと払ってくれた。
「あの、自分で払います」
「俺が誘ったんだから、気にするな」
「…ありがとうございます! いただきます!」
ここは遠慮しない方がいいかな。私はありがたく、たれのかかった串焼きを口にする。
「甘辛い! おいしい〜」
「うん、次々食べたくなるな」
「こっちは塩味だよ、お客さん」
「もらおう。野菜の串焼きも頼む」
よく日に焼けたおじさんに目の前で焼いてもらい、熱々を食べる。陽が沈んで少し寒くなってきたところだったから、余計においしく感じられる。
小腹が満たされたところで、しぼりたて果物ジュースを飲みながら、また散策を開始した。
「こっちには園芸品もけっこうありますね。花の種も…」
「欲しい種があるか?」
「今は…トマトに全力で挑みます!」
「それは頼もしいな」
「あっちには野菜も…あっ」
新鮮な野菜が並べられた一角で、私は思わず脚を止めた。店先で佇んでいた女性と目が合う。
「ヒルダさま…」
「やっぱり…あなたなの」
そこにいたのは領主の娘、ヒルダさまだ。かわいらしいお顔を憎々し気に歪めて私を睨んでいる。
ここは関わらない方がいいだろう。
「お久しぶりです。では失礼します」
「待ちなさいよ! こんなところで何してるの」
「市を見に来ただけです」
「うそだわ。私に仕返しをしに来たのでしょう!」
「仕返し?」
首を傾げたら、苛立たしげに詰め寄られた。
「私は平民をいじめたりなんかしないわ! ましてや横恋慕して嫌がらせなんて…」
「嫌がらせ?」
「ジミーが勝手に私を好きになっただけよ。それは私の責任ではないわ」
「はぁ…」
そういえば朝市で地位を利用して平民の恋人同士を引き裂いたとかなんとか噂されたんだっけ。
「あの…私は別に何も気にしてませんから、仕返しなんてするつもりもありません」
「でもっ! …あなたのせいで私はこんな目に遭ってるのよっ」
「こんな目?」
問い返すとヒルダさまは口を歪めて黙り込む。よっぽど歯を食いしばっているのだろう。ギリッと音が聞こえた。
「……あなたは何故王都にいるの?」
「雇われて野菜を作りにきてます」
「そう、やはり平民ね」
ヒルダさまはフンと馬鹿にしたように笑った。
「私は上級貴族のお宅へ行儀見習いに来ているのよ。毎日優雅にお茶をして色々な方とおつきあいをして…あなたとは違うの。あれ以来、お見合いだって目白押しで」
「お見合い? ジミーは?」
「誰があんな田舎者なんて!」
「婚約するほど好きだったのでは?」
「私は貴族だもの。平民と結婚なんて無理だし、土にまみれて生活なんてできないわ。あの男が私をとても愛していたようなので少し情けをかけただけよ」
吐き捨てるように名前さえ呼ばず、ヒルダさまはジミーの存在を切って捨てた。
ジミーのことは私もあほだと思うけど、その言い方はどうかなぁ。
あれでも基本的に真面目な性格で村一番の働き手だったんだから。いくら領主の娘でもそんなこと言われる筋合いない。
「ジミーはああ見えて一途なんです。愛する女性にそんなことを言われたら傷つきます」
「だから何よ。平民が傷ついたって関係ないわ」
「お嬢さま、お止め下さい。人目が…」
付き添いの女性がおろおろと言い、ヒルダさまはハッとしたように周囲を見回す。
「とにかく…私はあなたなんかと違うの。分かったら私の前からさっさと消えなさい」
「はい」
消えようとしたところを呼び止めたのはヒルダさまでしょうに。
でもこれ以上言い合ってもしょうがないから、私は踵を返した。と、すぐにレイモンドさまにぶつかる。
「いた…」
「すまない、アイリーン。鼻をぶつけたか?」
「いえ、おでこですけど」
答えると気掛かりそうに私の額をなでる。
「痛いか?」
「平気です。レイモンドさまは? 私は石頭なので…」
「アイリーンがぶつかったくらいでどうにかなるわけがないだろう」
目の前で微笑され、見とれて息が止まる。
ヒルダさまと話していた間、レイモンドさまはほぼゼロ距離で私の側にいてくれたらしい。ヒルダさまに会った驚きで全然気付かなかった。
「誰よ、それ」
当のヒルダさまはレイモンドさまを見てぽかんとしている。うん、まぁ正直かっこいいもんね。
しかしレイモンドさまのことを何て言ったらいいかなぁ。
困っていたらレイモンドさまが一歩前へ進み出て、私を背中に隠してくれる。
「俺は彼女の護衛だ」
「護衛っ? なんでそんな女に護衛が…」
言いかけたところをレイモンドさまの手が制す。
「それ以上アイリーンに何か言えば、俺は護衛としてお前を物理的に黙らせる」
「なっ…。誰に向かってそんな口を」
「誰だろうが関係ない。俺はアイリーンを守るだけだ」
広い背中からヒルダさまをうかがうと、レイモンドさまの顔を見て怯えていた。
「お嬢さま、あちらへ」
「く…っ」
付き添いの女性が慌ててヒルダさまを引っぱって人波の中に消える。それを見届けて振り返ったレイモンドさまはやわらかな笑みを浮かべていた。
「額の痛みは?」
「まったく何ともないです。あの…、ありがとうございます。レイモンドさま」
「気にするな。ジュースはこぼれてないか?」
「大丈夫です。残り少なかったので」
「今度は他のジュースを飲もう。おいで」
手を引かれて今度は泡立つ飲み物を買ってもらう。これ…サイダーだ!
「慣れないと咽せるから、ゆっくり飲め」
「はい!」
今世にも炭酸があるんだ、うれしいなぁ。
上機嫌で一口。柑橘系のフルーツ果汁が入っていて、しゅわっとさわやかな喉ごしに不快な気分が流されていく。
「おいしいです」
「よかった。…びっくりしただろう」
「はい。まさかこんなところで会うとは思ってもみませんでした」
「あれは領主の娘だな」
「そうです」
レイモンドさまは振り返ってマックスさまを見る。
無言で近付いてきたマックスさまの手には同じようにサイダーがあった。
「あの後、民の間で噂は収まる気配を見せず、領主は外聞を憚って親戚の男爵家に娘を預けました。おそらく社会勉強としてこの市を見学に来たのだと思います」
「行儀見習いとやらの成果は出ていないようだな」
「そうですね。上級貴族などと見栄を張ってまで…」
頷いたマックスさまはやさしい目で私を見る。
「怖かったでしょう」
「いえ…」
「その時は平気だと思っても、人の悪意は後から心に侵食してくるものです。無理に強がらなくてもいいんですよ」
お二人は私を労るようにやさしく笑ってくれている。
それだけで元気が出た。
「確かにちょっと落ち着かない気分になりましたけど、たぶん平気です」
「そうか? それにしても…いやにジミーをかばっていたな」
「そうでしたか?」
「そう見えた」
「そうですかねぇ…。まぁ弟のようなものですから」
「未練があるのでは…」
「以前も言いましたけど、それはないです」
レイモンドさまは私の言葉に嘘はないか、じっと見つめてくる。嘘じゃないよと思いを込めて青い目を見つめ返した。
しばらくそうしていたら、レイモンドさまがふっと横を向いた。松明の灯りに照らされ、顔が赤い。
「うん、よくわかった」
「ご理解頂けてよかったです」
「…リボン、きれいに編み込んであるな」
「カミラさまがやって下さいました。神業ですよね」
私も一応女子。かわいくしてもらえて、めっちゃうれしい。ついつい指で髪をくるくるしちゃう。
「うれしそうだな」
「はい!」
「白も似合うが、他の色もいいな。買ってやる」
レイモンドさまはスタスタ歩いてリボンを売っている店の前に立った。
「何色がいい?」
問われてのぞき込む。色とりどりに染められたリボンがたくさん並んでいた。
「目移りします。どれもきれいで…」
「好きな色を教えてくれ」
「決められないです」
布のリボンだけじゃなく、レースだったり模様が描かれていたり本当に色々だ。
「よし、全種類買おう」
「いえ、一本でいいです!」
「なら…」
レイモンドさまが私の顔を窺うようちらちら見て、ためらいがちに青いリボンを手に取った。
「これはどうだ?」
「わぁ! レイモンドさまの目の色と同じですね!」
「う、うむ。アイリーンに似合うと思うんだ」
「そうですか?」
手に取ってうっとり見つめてる間にレイモンドさまが支払をしてくれてた。私はお礼を言ってリボンを両手でそっと包み込む。
「きれいな青…」
「…気に入ったか?」
「もちろんです! ありがとうございます」
マックスさまが両手で顔を覆って天を仰いだ。
「あまずっぱい…」
「後で覚えてろ、マックス」
松明の灯りはレイモンドさまの顔をまだ赤く照らしていた。