花が咲いたら。
長い雨の季節が終わった。
起床の鐘が聞こえてきて、ベッドの中で伸びをする。窓を開けるとすっきり晴れた空が広がった。
ひんやりとした空気が寝起きの頬に気持ちいい。
「おはようございます」
「おはよう、アイリーン」
身支度をして宿舎の隣にある食堂へ行くと、周囲の人たちが声を掛けてくれる。
ここに集うのは王宮で働く侍従や侍女、そうじや洗濯、力仕事などをする使用人。身分は平民から下級貴族まで。
私が寝起きするのはもちろん女性限定の宿舎で、その隣に食堂があり、その食堂をはさんで反対側が男性宿舎。
住み始めたころは遠巻きにされてたけど、今ではあいさつや軽い会話もできる。
「はい、今日の朝食だよ」
「わぁ、おいしそう!」
配膳口で湯気の立つスープとパンをもらう。このスープが具材ごろごろ、栄養満点でおいしい。
味も毎日変化を付けてくれていて、まったく飽きない。
周囲はさっと食べて慌ただしく仕事へと向かう働き者ばかりだ。私はしっかり味わいつつ、みんなに倣って村にいた頃より早めに食事を終える。
「ごちそうさまでした」
「アイリーンは今日も温室かい?」
食べ終わったお皿を下げると、見習い料理人のミックさんが話しかけてきた。
「そうです。そうだ、卵の殻があったら分けてもらいたいんですが…」
「あぁ、いいよ」
ミックさんはくず箱をのぞき込んで布袋を引き上げた。
王宮では野菜くずなど、堆肥にできるものを業者に引き取ってもらっている。卵の殻は燃えるゴミになるため別に選り分けられていた。
「このくらいの量でいいか?」
「ありがとうございます」
「これをどうするんだ?」
「加工して肥料にするんです」
「へぇ、肥料かぁ。本当にあそこで野菜を作ってるんだ」
「はい、挑戦中です」
「そっか。出来たら食わせてくれ」
そう言われて、私は言葉を濁す。
温室のものはすべてレイモンドさまに所有権があると思うから、私がほいほい上げていいものでもない。
即答できないでいたら、料理人のピーターさんがミックさんをこづいた。
「ミック、無駄口叩いてないで仕事しろ」
「は〜い。アイリーン、困ったことがあったら何でも俺に言ってくれよ」
「ありがとうございます」
「ほら、アイリーン。ミリアムさまがお見えだよ」
「すぐ行きます!」
ピーターさんとミックさんに手を振り、戸口で待っているミリアムさまへ駆け寄る。
「ミリアムさま、おはようございます!」
「おはようございます、アイリーンさま」
浮かべてる微笑が今日も美しい。
二人並んでてくてく温室へ向かう。
温室ではかわいいトマトたちが緑の葉に陽射しをたっぷり浴びていた。その合間に黄色がちらほら見え隠れしている。
「あっ、花が咲いてますね」
ミリアムさまが弾んだ声でトマトに近寄る。
「かわいい、星形だわ」
「一気に開花しましたね」
「えぇ、まるで雨が上がるのを待っていたかのよう」
「そうなんですよ。不思議なことに草花は自分に都合のいい瞬間っていうのが分かっているんです」
「本当?」
「日光や雨、湿度に気温を感知してると私は思ってます」
「お利口なんですね」
年少者を褒めるような口調でミリアムさまは感心している。
私はもらってきた卵の殻を洗い、日当りの良いところで乾かした。
「アイリーンさま、これをどうするんですか?」
「焼いて粉にして土に混ぜるんです」
「肥料ということですね」
「はい。トマトを作っていると、熟す前に実が腐ってしまうことがあるんです。それを防ぐために両親は卵の殻を灰にして土にまいていました」
たぶん土にカルシウムが足りないと経験的に知っているんだろう。
離れて一人で作物を育てると、両親のありがたみをすごく感じる。これまでは指示されて作業していたけど、今は自分で考え、対処していかなくちゃいけない。
肥料は与え過ぎてもよくないから、生育状況を見ながら足していく。これから起こることも予測して準備しなくちゃ。
気を引き締めて作業をしていたら、あっという間に午後になった。
ランチの後はミリアムさまと針仕事をする。
私はいつも通り縫って綿を詰めて、移動用まくらの改良をくり返す。
その対面でミリアムさまが大きく息を吐いて針を置いた。
「で…できました」
「わぁ、おめでとうございます!」
ずっとがんばっていたハンカチへの刺繍が完成している。
「おかしなところがないか確認していただけますか?」
「はい。……大丈夫そうです。とてもきれいに刺繍できてますよ」
「よかった…」
安堵の吐息のあと、間に合ったとミリアムさまが呟いた。首を傾げるとミリアムさまがはにかむ。
「明日、お会いする予定なんです。これでやっと渡せます」
「わぁ、よかったですね」
「ホッとしたら甘い物が欲しくなりました。お茶にしましょう」
「おい、来たぞ」
「レイモンドさま!」
まるでミリアムさまの言葉を聞きつけたかのようなタイミングでレイモンドさまが温室にやってきた。
「いらっしゃいませ、レイモンドさま。花が咲いています」
「本当か!」
レイモンドさまは私の言葉に大股で歩み寄ってくる。
「こちらです」
「おぉ、いくつも花がある」
「ここからしばらくは次々咲き続けます」
「なるほど、トマトはこういう花なのだな」
「はい。そして花が咲いたら受粉させます」
「どうやって」
「周囲の茎や葉を揺らすんです」
私は指でトマトの葉を揺らし、花を軽く弾いた。
「これで受粉したはず」
「これだけか?」
「はい」
「もっと何かこう…儀式のようなものがあるのかと思っていた」
レイモンドさまに拍子抜けした顔で言われ、ちょっと申し訳ない気分になる。もう少し派手なパフォーマンスがあればよかったなぁ。
「地味ですみません。自然界での受粉は昆虫や風が行うので……」
「そうか、アイリーンは風の動きを真似たんだな。確かに風なら、そんな感じだよな」
つい、しょんぼりしてしまったらレイモンドさまが慌ててフォローしてくれた。雇用主に気を遣わせてしまってすみません。
「レイモンドさま、アイリーンさま。お茶が入りましたよ」
呼ばれて振り向くと侍女さん…カミラさまという人がすすすっと壁際に下がるところだった。相変わらず音も立てずお茶の支度をするプロだ…。
レイモンドさまは私の手を取り、テーブルまで連れていってくれた。
「今日のお茶受けはなんだ?」
「エイムズ菓子店のパウンドケーキをご用意いたしました」
カミラさまの答えにレイモンドさまはうれしそうに頷く。
「アイリーン、このパウンドケーキは俺の好物なんだ。食べてみてくれ」
「はい、いただきます」
遠慮なく食べると、レーズンの甘さとしっとりとした生地の口当たりがとてもおいしい。
「ほっぺ落ちそうです…」
目をつぶり、頬を手で押さえて味わう。村で食べる素朴なケーキもいいけど、ここで出されるものはすべてこだわりの材料を使っているらしく、とにかく味が濃厚だ。
つい長々とうっとりしてしまったが、紅茶もいい香りでケーキの甘味をさっと流してくれる。だからまた次を食べたくなってしまうというループにはまってあっという間にケーキを食べ終えてしまう。
それを見て、カミラさまがさっとおかわりを淹れてくれた。
「ありがとうございます」
「アイリーンさまはおいしそうに食べますね」
カミラさまから慈愛のこもった視線をいただいてしまった。これは食いしん坊と思われたな。
恥ずかしくなって視線を彷徨わせたら、レイモンドさまがぼんやりしていた。
「レイモンドさま、どうかしましたか?」
「いや…うん」
レイモンドさまは少し長いため息をついて、天を仰いだ。
「いい…」
「そうですね、とても美味しいです!」
レイモンドさまおすすめのことだけある。同意すると苦笑いされた。なんでだろう。
首を傾げていたらミリアムさまが紅茶のカップを置いて私に向き直った。
「アイリーンさま。実は明日から私の非番に当たりまして」
「非番?」
「王宮勤めの人間は十日に一度、合計二日間の休みを取るというルールがあるんです」
「そうなんですか…」
「私のいない間、アイリーンさまの護衛はマックスさまになります」
なんとマックスさまが護衛? っていうことは…。
「レイモンドさまの護衛はどうするんですか?」
「他の者に任せますのでご心配なく」
「俺がずっと温室にいればいいんじゃないか? それならお前たちも護衛しやすいだろう。今後そうして……」
「仕事が溜まりまくるので却下です」
「書類仕事なら温室ででもできるだろう」
「機密事項もあるので執務室以外に持ち出し禁止です」
マックスさまにすげなく言われ、レイモンドさまは口を尖らせた。
「ちっ。でもランチとお茶はしにくるぞ。アイリーンがさみしくなるといけないからな」
「そんな…申し訳ないです」
私のために色々な人の手を煩わせてしまっている。王宮に来る前、一人で不安だとわがままを言ってしまったせいだ。
ミリアムさまが側にいないと確かにすごくさみしいけど、今後は我慢しよう。
「あの…私もここの生活に慣れてきたので、一人でも大丈夫です」
「いや、アイリーンを一人にするつもりはない」
「でも…」
「そうです。アイリーンさまは年齢的にもまだ保護者が必要ですし、いくら王宮といえども何があるかわかりません」
「ミリアムさま…」
「私の護衛はご迷惑ですか?」
「とんでもない!」
むしろ眼福です!
ブンブンと頭を振ると、ミリアムさまは微笑んだ。
「よかった」
「とにかくアイリーンは気にせず、ここでトマトを作ってくれればいいんだ」
「はい」
レイモンドさまの言葉に安心感が広がる。
マックスさまとミリアムさまは明日からのスケジュールを打ち合せし始めたので、私はもう一切れパウンドケーキを頂いた。
レイモンドさまもおかわりをし、目が合うとやさしく笑ってくれる。
「リボン、使ってくれてるんだな」
「はい、ありがとうございます」
もらったリボンはポニーテールの根元に巻き付けた。
動く度に揺れて、その度にうれしい気分になる。
「よく似合う」
青い瞳を細めて見つめられると、気恥ずかしくてうつむいてしまう。顔が熱い。
トマトたちが私の背後で笑っている気がした。




