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雨の日。



 ここ数日、しとしと雨が続いている。

 季節が変わるのだろう。いよいよ冬が近付いてきて、あったかい紅茶がよりおいしく感じられた。


 私の対面に座り、温室のガラス越しに空を見上げたミリアムさまはゆっくり息を吐く。


「温室は暖かくて過ごしやすいですね」

「そうですね。それと雨を気にせず作業できるのはありがたいです」

「村では雨の日をどう過ごしてたのですか?」

「農機具の手入れをしたり、保存食を作ったり…あとはこうして針仕事です」


 私たちはちくちく針を使いながら、のんびり過ごしている。

 今は侍女さんにお茶を淹れてもらっているけど、村では女性たちが集まって甘い物をつまんだり、おしゃべりしながら繕い物をしていく。

 ちなみに縫っていたのはハンカチに刺繍といった優雅なものではなく、普段着や農作業で使うもの。それでも、今も昔も雨の日のおしゃべりは楽しい。


 ミリアムさまの刺繍は少し上達して、最近はお相手のイニシャルを練習している。

 どなたかにお渡しするつもりだと言うハンカチには、バラを一つとイニシャルを刺繍することにしたらしい。


「お好きなバラなんですか?」

「正確には好きになったバラですね。あの方と初めてお会いしたときに側で咲いていたバラなんです」


 ミリアムさまは薄紅色に頬を染めて目を潤ませる。

 かゆい~かわいい~。

 乙女は正義!

 これが前世ならムービーかスクショか。

 とにかく永久保存しておきたいくらいかわいい。


 にまにましてたら、こほんと咳払いを一つしてミリアムさまが私の手元をのぞき込む。


「アイリーンさまはいつものクッションを作ってるんですよね。でも少しデザインがちがうような…」

「これは旅行用まくらです」

「まくら?」

「レイモンドさまがこの前、移動中に居眠りしたと言ってたので、あったらいいかなと」


 お忙しいレイモンドさま。

 移動中は少しでも体を休めてもらいたいと思う。

 なので、またもや前世知識を使わせてもらう。


 私が今作っているのは、飛行機に乗るときとかに使うUの字の形のあれ。

 試作品を装着してみせたら、ミリアムさまは首を傾げる。


「分厚い襟巻きみたいですねぇ」

「この分厚さで首への衝撃を和らげてくれます」

「私にも試させて下さい」

「はい、どうぞ」

「あら…なんだか不思議な安定感があります」

「つけたまま、居眠りポーズしてみてください」


 ミリアムさまはわくわくした顔で首をこくりと傾けた。


「頭の重みを受けとめてくれますね」

「そうなんですよ。うつむいて寝ると、起きたときに首や肩が痛くなりますが、それが少し緩和されます」


 ミリアムさまは目を閉じ、首を回して使い心地を確かめる。

「いかがですか?」

「私の分も作って下さい…!」


 私の手をがっつり握り、至近距離でまた瞳をキラキラさせながらミリアムさまは言った。








 ランチを終えて食後のお茶を頂いていたら、レイモンドさまとマックスさまが重そうなマントをたなびかせて温室にやってきた。


「いらっしゃいませ、レイモンドさま」

「うん。雨が少し強くなってきたぞ」


 頭を一振りして水気をはらう。

 ダークブロンドの髪が踊って顔にはりつく。それを手で除けながら、レイモンドさまは私を見て微笑んだ。

 

「ランチは終わったのか?」

「はい、おいしかったです。レイモンドさまは?」

「馬車で済ませた」

「執務室に寄らず、ここに直行ですか」


 呆れた口調のミリアムさまを無視して、レイモンドさまはマントを脱ぐ。


「かまどの横に掛けておきましょう。すぐに乾きますよ」

「すまない」


 立ち上がり、レイモンドさまとマックスさまのマントを干した。その間に侍女のメリンダさまがお二人にタオルを渡し、お茶を淹れる。


「雨の日の温室は落ち着くな」


 紅茶の香りと湯気がレイモンドさまを包む。


「今日も視察だったんですか?」

「あぁ。河口の護岸がちゃんと機能しているか見て来た。アイリーンは何をしていた?」

「トマトのお守りと針仕事です」


 最近クッションばかり作ってたけど、ちゃんと仕事もしています。

 植え付けたトマトたちは葉の色が濃く根元が太い。つぼみもついているから、そろそろ花が咲くだろう。


「つぼみ? 見てみたい」

「ここです」


 生育の早いトマトに案内する。レイモンドさまは私の横に立ち、真剣な目で植え付けたトマトを見つめた。


「どれだ?」

「枝の分かれ目に細長いのが見えますか? それがつぼみです」

「これが…」

「この様子だとあと二〜三日で開花します」

「マックス、明日からのスケジュールは?」

「書類仕事の予定です」

「つまり視察はないんだな?」


 うれしそうに確認しているレイモンドさまの横で、私はトマトの脇芽を見つけてかく。それを見たレイモンドさまが大いに慌てた。


「なんで葉を千切るんだ?」

「これは脇芽かきと言って、余分な芽を取り除く作業です。脇芽が伸びてしまうと花や実に栄養が行かなくなり、おいしくならないから」

「脇芽かき…」

 

 またもやレイモンドさまは真剣な顔でトマトを見る。

 

「中心の幹に栄養が回るようにしているんだな?」

「そうです」

「どれが脇芽なのか、アイリーンは分かるのか?」

「はい。見慣れたら判断できます」


 澄まして言えば、レイモンドさまたちが私を尊敬の目で見てくれた。

 たいしたことないのに…照れくさい。









 その晩、雨は本降りから霧雨に変わって外は静かになった。


「そろそろ寝ようかな」


 あてがわれた部屋で寝る準備をしていたら、窓がこつんと叩かれる。

 驚いてカーテンを開けると、そこにレイモンドさまが立っていた。


「レイモンドさま! どうしたんですか?」

「おみやげを渡し忘れた。河口を視察に行ったときに見つけたんだ」


 手渡されたカゴには、白やピンクの貝殻がいくつも入っていて、揺れるとじゃらりと音を立てる。


「かわいい。こんなきれいな貝殻初めて見ました」

「アイリーンの村は海から遠いもんな」

「海…」


 前世では、子供のころよく海水浴へ連れてってもらった。でも今世ではまだ海水に触れてない。あのまとわりつくような暑さと潮騒、磯の匂いが無性に懐かしい。


「行きたそうな顔だな。今度、連れていってやる」

「いいんですか?」

「もちろん」


 夜はレイモンドさまの瞳の青が少し濃く見えて、まるで海に繋がっているみたい。吸い込まれそうだ。

 私は慌てて姿勢を正した。


「レイモンドさま…ありがとうございます」

「寝る前に悪かったな」


 レイモンドさまはおやすみと言って、踵を返す。あっという間にその姿は暗闇に消えた。


 私はその場を動けず、レイモンドさまの去った方向を見つめ続けてしまう。

 そのうちに風が吹いて雨が室内に入り込んできたので、カゴを胸にかかえて窓を閉めた。


「あれ、このカゴ…」


 朝市でトマトを売るときに使ったカゴだ。

 さっと編んだだけの粗末なカゴに貝殻が入ると、インテリア雑誌に出てきそうなおしゃれ感が出る。


 貝殻を手に取って楽しんでいたら、紙に包まれたやわらかいものが混ざっていた。

 そっと開くと、中からオフホワイトのリボンが二本出てくる。やわらかな手触りはおそらくシルクだろう。


「これ、私に……?」


 問いかける相手を探して窓の外を見るが、暗闇の中には誰もいない。

 胸が痛いような、熱いような心地がして私はベッドに倒れ込む。



 リボンは手の中でさらりと滑り、私を眠りに誘った。





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