第8話:イビツな兄弟たち
第8話 イビツな兄弟たち
俺の親父は、家計に金をロクに入れず、不憫な身の上の清弘を守るどころか清弘に辛く当たる人間だった。そして、親父の姉たちや兄たちは親父の放蕩ぶりをバカにするだけで親父という末の弟に一切の愛情を示さない人物たちだった。
そんな俺の親父、そして、その姉たちと兄たちは、2018年現在で全員が既に他界している。
しかし、この兄弟たちは、いったいどうして、そのように薄情だったのだろうか?
それには頷ける理由がある。
俺が思うに、彼らが薄情だった原因は、彼らの父親、つまり、俺の祖父にある。
祖父は、早瀬甚平という名前だったのだが、大きな会社の社長だった。
日本占領時代の台湾には台湾電力という、台湾の電力供給を一手に担う会社があったのだが、そしてその会社は台湾人が経営する会社として現在も存続しているのだが、早瀬甚平は叩き上げでその会社の社長になった。そして、長らく社長職を務めた。
だから、俺の親父の実家は、たいそう裕福だった。
その屋敷が立派だったのは当然のこととして、そこには5人の家政婦がいて、兄弟たちは皆、俺の親父に至るまで、それぞれの学校に人力車で通っていた。つまり、今で言えば学校にタクシーで通っていたような話だ。
つまり、俺の親父とその兄弟たちは、それぞれ、お坊ちゃんだったし、お嬢ちゃんだったのだ。
俺の親父には、菊枝を含む2人の姉と2人の兄がいた。つまりは、俺の親父を含んで5人兄弟だったわけだ。そして、親父は一番年上の長兄から20歳も離れた末っ子だった。
さて、話はここからなのだが、彼ら兄弟の父親、すなわち、俺の祖父の甚平は、とんでもないスパルタ教育パパだった。
「出世する人以外はクズ」と言い切り、学校の成績が悪いと兄弟たちに極めて厳しい折檻を加えた。
殴る蹴るなど「あたぼう」だったし、竹刀で叩くことも少なからずあった。
しかし、それ以外にも極めつけの罰を与えた。
例えば、寝小便をすると、まずは殴り、次に冷たい井戸水を浴びせ、そして、自分の寝小便布団を背負わせて町内を一周させるという残酷そのものの屈辱を加えた。
しかし、歳の離れた末っ子だった俺の親父だけは、その厳しいはずの甚平から折檻を加えられるどころか猫可愛がりされた。
だから、その有様を見た他の4人の兄弟たちは親父に嫉妬するようになった。
俺の親父がその姉と兄から可愛がられなかったのは、そのような事情があったからと思われる。
さて、そのような非情なスパルタ教育を受けた親父の姉たちと兄たちは、スパルタ教育の賜物か学業の面では非常に優秀で、二人の兄はともに京都帝国大学(現在の京都大学)の卒業者であったし、二人の姉はともに、誰もが知る名門のお茶の水女子大の前身である東京女子師範学校の出身者だった。
つまり、親父の兄弟の四人ともが一流名門校の出身者だったというわけだ。
一方、俺の親父も名門の旧制高等学校に進学していたのだが徴兵で海軍に少尉として従軍したため大学には進学できなかった。それでも、人力車で学校に通うという極めて恵まれた生活を送っていたためにエリート意識がかなり強かった。
いずれにせよ、俺の親父ら兄弟は、裕福な名門の子女という類稀に恵まれた境遇にあったため、人に対する同情心や配慮を著しく欠いていた。
また、俺の親父以外の兄弟は、その厳格な父親によるイビツなスパルタ教育を受けたため、性格の極めてイビツな人間として成長してしまった。
まとめると、兄弟の全員が他者に同情を寄せない、他者を思いやらない、不遇の他者をバカにし、エリートだけが人間と考える極めて歪んだ人物として大人になってしまったのだった。
だから、5人の兄弟たちは、その全員が「エリートだけを人扱いし、それ以外は人とも思わない」薄情な人間として成人してしまった。
そのようなわけで、5人の兄弟たちは、優れた身内や親戚の自慢話にはやけに熱心でも、いわゆる「出来損ない」のことは徹底的に隠す、そのような人物として生きてしまった。
それ故に俺の兄貴、清弘は、「この世にいない」ことにされてしまった。
そういうことだ。
ちなみに、台湾電力の社長にまで上り詰めた俺の祖父、早瀬甚平だったが、彼には特筆すべきエピソードがある。
俺の祖父は、台湾電力の社長職を勇退すると、どうしたわけだか派手に乱心した。
台湾の台北の歓楽街にあった「お茶屋」(今日では京都などにおいて花街で芸妓を呼んで客に飲食をさせる店のこと)に一ヶ月以上居続けて豪遊をしたのだ。
その間、俺の祖父の妻、つまり、俺の祖母は、自宅に籠り、知人を招いて麻雀三昧の日々を送った。
なぜだか、俺の祖父と祖母は、そのような御乱心に及んでしまったのだった。
しかし、俺は、その御乱心の原因を聞き及んでいない。
とにかく、「このままでは財産を使い果たしてしまう」と危惧した親父ら兄弟は、必死で両親の説得に当たり、俺の祖父と祖母は、二ヶ月に渡る乱心からようやく脱して日本に引き上げた。
とにかく、俺の祖父と祖母をはじめとする俺の親父たちの一家には、そのような常軌を逸した側面があった。
俺の兄貴、清弘は、そのような尋常ならぬ人間性の被害者になってしまったというわけだ。
つまり、俺の兄貴は、知的障害と精神障害に加えて、そのような異常な背景を持つ悲運の人ということになる。
さて、俺の親父とその兄弟たちの生い立ちの紹介が長くなってしまったが、俺の兄貴の話に戻ることにする。
俺の兄貴は、「仏の院長」という愛称で地域住民から親しまれていた院長兼理事長の逝去により、その周囲の環境は徐々に悪化していくことになった。
「仏の院長」の後を継いだ息子が「金儲け一辺倒」の人物だったからだ。
そのような環境の変化の中で俺の兄貴は、入院が長期に及び過ぎたために病院から追い出そうとされたのか邪魔者扱いされるようになっていった。
また、病院側が「追い出せないならその分稼ごう」と、兄貴に無駄と思われる検査や治療を押しつけたため、兄貴は、多大なストレスを感じるようになった。
そんな中、兄貴は、「膀胱ガンの疑いがある」として、その治療を受けることになったのだが、この不要な治療は、兄貴を「車椅子の人」にしてしまう発端となるのだった。
兄貴は、結局、膀胱ガンの手術を受けたわけだが、手術の結果として、膀胱ガンなど存在しないことが分かった。
それは甚だしい誤診だったのだ。
それはともかくも、兄貴の顔色は、その手術を境にして、次第に土気色になっていった。
=続く=