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精神病な生霊たち  作者: 破魔矢タカヒロ
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第5話:投石


第5話 投石




 かくして、俺たち一家は、寝屋川市の文化住宅に引っ越した。




 その間取りは、西宮市の文化住宅と全く同じ2Kだった。




 ただし、この頃には、姉が1人暮らしを始め、兄も寝屋川市のとあるサナトリウムに入院したので、両親と俺の3人暮らしになっていた。




 だから、俺は四畳半の部屋に1人で寝ることが出来るようになった。




 しかし、西宮市内の精神病院よりはマシでも、兄が時折、虐待されることに違いはなかった。




 それでも、兄と御袋は、「まだマシ」という思いがあったので、そのサナトリウムを甘んじて受け入れていた。




 だから、俺は、西宮市の小学校に通っていたときよりは落ち着いて学校に通うことが出来ていた。




 寝屋川市では、そのようにして、二年半ほど暮らしたのだが、門真市の公営住宅、つまりいわゆる団地の公募の抽選に当選して、俺たち一家は、門真団地という団地に引っ越した。




 それは、辺りを蓮畑に囲まれた陸の孤島の団地だった。




 親父は、家計に金を僅かしか入れなかったものの、そこは都銀の銀行員、その所得は普通よりも高かったので、風呂付の一室に入居することが出来た。所得がある程度以下だと風呂なしの部屋にしか入居出来ない決まりになっていたからだ。とは言うものの、俺の親父が家計に金を僅かしか入れないことに変わりはなく、我が家は、相変わらず、しっかりと貧乏だった。




 それでも、キッチンはダイニングキッチンとなり、そこに六畳間が一部屋増えた3DKの間取りとなった。




 そのことを受けて、姉は、その独り暮らしの住いを引き払い、我が家に戻ってきた。




 そのようにして、両親と姉と俺の四人暮らしが始まった。




 兄はというと、寝屋川市のサナトリウムを退院して知的障害者の施設に入っていた。




 しかし、その施設にも馴染めず、また別の精神病院に入院した。




 そうこうするうちに、ある日、御袋がまた、泣きながら兄貴を連れて帰ってきた。




 だから、俺は御袋に兄貴を連れて帰ってきた理由を聞いた。




 ちなみに、この時、俺は、小学校の4年生になっていた。




 それは、昭和42年、1967年のことだった。




 大阪で日本万国博覧会が開催された年の3年前だ。




「お母ちゃん、どうしたんや? また病院で何かあったのか?」




「面会に行ったら、明ちゃんが刑務所の囚人みたいな扱いを受けていたんや。そやから、連れて帰ってきたわ」




「それ、どういうことやねん?」




「お母ちゃんが行ったときは、ちょうど運動の時間やったのやけどな、男の看護人が広い部屋の真ん中に竹刀を持って仁王立ちしていたのや」




「それで?」




「それでな、その竹刀の先でな、その部屋の床を強く叩いていたのや、音を出すためにな、一定のリズムでな、コーン、コーンとな」




「それの何があかんの?」




「その介護人の周りを患者が盆踊りみたいに歩かされとってな、床がコーンと鳴ったタイミングで足を一歩先に送らなあかんのや。そういう決まりやねん、そういうのがあの病院の散歩やねん。だからな、コーンで一歩、次のコーンでまた一歩、そういうことや。お母ちゃんは、そういう場面に出くわしたんや」




「自由に歩いたらあかんのか?」




「あかんねん。勝手に歩いたら竹刀で叩かれるねんで」




「それ、ほんまか?」




「ほんまや」




「それで、明ちゃんも叩かれたんか?」




「うん、しまいに叩かれよってん。ほやからな、お母ちゃんは『あんた、ウチの息子に何をするねん!』ってな、止めに入ったのや」




「それで、その看護人はどうしたんや?」




「『お母さん、これは教育なんですよ、甘い顔を見せるから、患者が付け上がって、精神障害が治らんのですよ。少し我慢して見ていてください、そのうち必ず治りますから』って言いよるねん」




「そんなアホな!」




「そうやろ、アホやろ! だいたい、あの子は囚人とちゃうねんで。それに、竹刀なんかで叩いて治るわけなんかないやろ」




「そりゃそうや、そんなん無茶苦茶や、治るわけないわ、そんなん当たり前やんか」




「そやろ! そやから、お母ちゃんな、もうハラワタが煮えくり返ってな、それで、すぐに連れて帰って来たんや」




「そうやったんか、それは連れて帰らな仕方がないよな。それで、これから、どうするねん?」




「しばらくは、この家に置いておくわ。その間にどこか良いところを探すわ」




「ほんなら、明ちゃんはどこで寝るねん?」




「タカちゃん、悪いけど一緒に寝て」




「そうか、しゃあないな、しばらくならええで」




 そのようなわけで、兄貴は、俺と同じ部屋で寝起きするようになった。




 しかし、それがいけなかった。




 何故なら、酔っ払って帰ってきた親父が事あるごとに兄貴に辛く当たったからだ。




 知恵遅れの兄貴に難しいことを言って「ああしろ、こうしろ」と命じても、そんなことは無理に決まっている。




 なにせ、兄貴は知的障害者なのだ。




 それなのに、俺の超アホ親父は、思い通りにならない兄貴にすぐに手を上げた。




 兄貴は、手を上げられる度に、




「キーッ」




「イーッ」




「俺はアホか? 俺はセイハク(精神薄弱のこと)か? イーッ、キーッ!」




 と、ヒステリーを起こすのだった。




 その有様を見た親父は、必ず、兄貴のことを腕力で制圧しようとした。




 そうこうするうちに、兄貴は、それまでは知恵遅れと自閉症気味と癲癇持ちに過ぎなかったのに、そこに精神分裂症(今で言うところの統合失調症)が加わり、誰から見ても狂気じみた有様の人間になってしまった。




 その一方で、安心して入院させられる精神病院は一向に見つからず、それに苛ついたクソ親父の折檻は益々酷くなり、ついに兄貴は徘徊を始めるようになった。




 そして、兄貴は、徘徊して行き着いた先で様々なトラブルを引き起こすのだった。




 俺から言わせれば、兄貴のことをキ●ガイと決め付けて、人間扱いしない精神病院も社会も悪いが、誰よりも俺のクソ親父が悪い。




 自分の息子じゃないか!




 その自分の息子の障害を更にこじらせてどうする?




 親父は、外で遊びほうけて、家計に金をロクに入れず、俺たちに貧乏暮らしをさせるだけでは満足出来ないのか?




 当時の俺は、親父のことを、そのような不審と憤りの目で見ていた。




 そして、その思いは、還暦を過ぎた今も変わらない。




 それはともかく、そんなある日、俺は、団地のとある棟の一階のベランダの下に避難していた。




 俺は、隣のクラスの三人組から石を投げられていたのだ。




「おい、こら、そこのキ●ガイの弟、正々堂々と出てこいや!」




=続く=


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