第3話:悲しき人気取り
第3話 悲しき人気取り
兄貴には、すぐに追いついた。
脳に障害があっての知的障害者はその運動能力がかなり低い。
だから、走るのが遅く、小学校1年生の俺でも難なく追いつけてしまうのだった。
当然、俺は兄貴を無事に自宅に連れ帰ったのだが、近所の多くの人たち、当然、多くの子供たちに見られてしまった。
それは、昼下がりの出来事で、人目に付くほど十分に明るかったからだ。
もちろん、近所の人たちだから顔見知りばかりだった。
恥ずかしかった。
けれども、恥ずかしいだけならまだ良かったのだが、俺に知的障害者の兄がいることがすぐに拡散してしまった。
結果、特に小学校でクラスメートから冷たい目で見られるようになった。
しばらくすると、「キ●ガイの弟のくせに」とか「お前は足が臭いからウチに来るな」とか「服がみすぼらしいから近付くな」とか言われるようになった。
やがて、無視されるようになった。
もちろん、俺は寂しかった。
そこで、俺がしたこと。
それは、近所の駄菓子屋に行き、そこに近所の子供やクラスメートがたまたまいたら、駄菓子を買って振る舞ってやることだった。
その効果は絶大だった。
そう、俺は駄菓子で人気取りをしたのだ。
そのような行いは小学校1年生の3学期から小学校2年生の1学期まで続いた。
菓子を奢ってやる見返りに、俺は子供たちの輪の中に入ることができた。
金?
もちろん、親から貰った小遣いではない。
家の金を持ち出していたのだ。
俺は、6畳間のサイドボードの引き出しに小銭が入れてあることを知っていた。
不思議なことに、その不品行は半年ほどの間、ばれなかった。
しかし、当然、しまいには破綻を迎えることになる。
それは、俺の8歳の誕生日の出来事だった。
俺にとっては事件と言えた。
俺は、誕生日なので、いつもよりも多くの金を持ち出し、その金で多くの駄菓子を買って、クラスメートを自宅に招いた。
菓子に釣られた8人ほどのクラスメートが俺たち家族の住む文化住宅の狭い一室に来てくれた。
それは、平日の昼下がりのことだったので、共稼ぎの両親が帰ってくるはずはなかった。
しかし、思わぬ事態となった。
駄菓子屋で多くの駄菓子を買いそれを他の子供たちに振る舞う俺のことを、近所のオバサンが、かねてから、不審の目で見ていたのだ。
その場の一同が菓子を食べようとしたまさにその時、そのオバサンが我が家に踏み込んできた。
そのオバサンが言った。
「あんたら、なんやのん、そんな仰山のお菓子、誰のお金で買ったの?」
それがきっかけで、全ての事が両親にばれてしまった。
俺は親父に激しく叱られた。
もちろん、それだけでは済まず、親父は、俺を殴った上に俺の衣服をひん剥いて、俺のことを家から閉め出した。
俺は、当然、家に入れて貰えず、裸のまま外で立ち尽くすことになった。
その日に限って、親父が早く帰宅したので、時刻はまだ午後8時とかだった。
だから、家の外では、近所の人たちが、夏のこととて、夕涼みなどをしていた。
もちろん、俺は、それらの人たちにジロジロと見られた。
惨めさと恥ずかしさで泣く気にもなれなかった。
とにかく、近所の人たちに見られることを嫌った俺は、どこに行くともなく、俺の一家が住む文化住宅の前にある車道を阪神電車の鳴尾駅の方へと向かって歩き出した。
その車道は阪神電車の線路の土手に沿って走っていたのだ。
ふらふらと歩いていると、俺は、いつの間にか、鳴尾駅の踏切に行き着いていた。
俺は、街灯の薄明かりの下で、往来する阪神電車を呆然と眺めていた。
裸で。
夏とは言え、いつまでも裸のまま電車を眺めているわけにも行かないので、俺は家に戻ることにした。
自宅に着いて、試しにドアのノブを回してみると、ドアが開いた。
家に入ると、御袋が台所にいて食器洗いをしていた。
帰ってきた俺を見て御袋が当然のことを聞いた。
「どこに行っていたの?」
「鳴尾駅の踏切」
「踏切?」
「うん、踏切」
「電車に飛び込んで死んでしまおうと思ったのやろ?」
俺は、返事をせずに寝間着を着て二段ベッドに入った。
腹が減っていたはずなのに、そんなことは気にならなかった。
俺は、心の中で呟いた。
俺が大人だったら、こう呟いていたはずだ。
「俺をよく見ろよ。涙ひとつ流していない奴が自分で死んだりするかよ。俺はな、憤っているのだよ、恨んでいるのだよ。いったい、誰のせいで、こうなったと思っているのだよ」
=続く=