第1話:イタズラ
第1話 イタズラ
路地。
お屋敷街の路地。
その居並ぶ屋敷には、もちろん、金持ちたちが住んでいる。
その金持ちの中には有名な時代劇スターも多い。
東映の太秦撮影所に近いからだ。
つまり、場所は京都だ。
京都の植物園に近いお屋敷街だ。
そんな屋敷と屋敷の間の路地。
その路地は高い木製の塀に挟まれているので通行人から見られることはまずない。
だから、そこには時々、不届きなことをするヨコシマな者が現れる。
昼下がりだ。
あるヨコシマな美女が微笑みながら立っている。
その美女の目前には6歳の男の子がいる。
男の子はトロンとした顔で呆然としている。
呆然とする中にも満足げな様子がうかがえる。
男の子は胡坐をかくような姿勢で地べたに座っている。
なにも座ろうとして座ったわけではない。
腰が抜けて尻餅をついて、そのままの姿勢でいるのだ。
どうして腰が抜けたのか?
それは、あまりにも気持ちが良かったからだ。
では、何故、気持ちが良かったのか?
それは、気持ち良くなることをされたからだ。
誰に?
文脈から分かるだろう。
美女にだ。
つまり、早い話、美女にイタズラされたのだ。
その男の子は知恵遅れだ。
生まれつきだ。
だから、可哀そうな身の上の男の子だ。
幼い上に知恵遅れなのでターゲットにされたのだ。
しかし、理由は他にもある。
その男の子は美しい顔をしているのだ。
子供のくせに、鼻筋がすっと通った細面の端正な顔をしている。
その端正な顔をした男の子は、その顔を見た両親に清弘と命名された。
清い顔をしているからだ。
しかし、その姓名を占ってもらったところ運勢が大凶と言われて、後に明弘と呼ばれることになる。
美女は去り際に、その男の子に何かを言い含めた。
たぶん、「誰にも言っちゃだめよ」とか言ったのだろう。
その男の子と美女は顔見知りだ。
いや、普段から親しい関係と言えるだろう。
なぜなら、二人は同じ町内に住んでいるからだ。
お屋敷街なので、美女の家は裕福だ。
しかし、その男の子は、立派なお屋敷に住んでいながら、その親は裕福からは程遠い。
その辺の事情は後で説明する。
さて、その美女の正体だが、美女と言っても、少女に近い年齢だ。
18歳だ。
美女はとある音大の一回生だ。
ピアノ科の学生だ。名をミドリという。
その男の子、つまり、清弘は、その美女のことを「ミドリちゃん」と呼ぶ。
実のところ、ミドリは、男の子の家に頻繁に出入りしているのだ。
だから、清弘の両親や姉とも親しい。
それ故に、男の子は、路地に連れ込まれることを一切拒まなかった。
そして、ミドリは去った。
しかし、清弘は動けないでいて、胡坐をかいた姿勢でそのまま座っている。
気持ち良かったのだ。
その余韻で呆然としてしまい動けないのだ。
イタズラ、それはもちろん犯罪だ。
それでも、清弘はその犯罪のことを、それからの生涯、犯罪とは思わない。
なぜなら、そのイタズラは、清弘にとって、忘れることの出来ない、生涯で唯一の「体験」となったからだ。
ところで、このエピソードを語っているのは誰だろう。
それは俺だ。
俺とは清弘の弟だ。
名は隆弘という。
しかし、この時、俺はまだ生まれていない。
この後すぐに生まれることになるのだ。
その生まれてもいなかった俺がどうしてこのエピソードを知っているのか?
それは、後に兄の清弘が弟の隆弘に幾度か語って聞かせるからだ。
それほどに幸せな体験だったのだ。
イタズラだったというのに。
では、どうしてそんなに幸せな体験として清弘の記憶に残ったのか?
もちろん、それは清弘の生涯で唯一の体験となったからだ。
ではなぜ、唯一の体験となるのか?
それは、当然、清弘が知恵遅れだからなのだが、それだけではない。
この後に判明することなのだが、清弘の障害は知恵遅れだけではなかった。
精神分裂や自閉症や癲癇持ちであることも分かることになるのだ。
だから、障害者手帳を発給されることになるし、精神病院に入院することにもなる。
ならば、別の体験などあるはずがない。
結婚はもちろんのこと恋愛も出来ないからだ。
しかし、この頃はまだ、知恵遅れ以外の症状は見られなかった。
弟の俺は、この数十年後に、この男の子の面倒を十年以上も見ることになる。
俺はその話をこれから語るのだ。
誰に聞かせるわけでもなく。
=続く=