会遇
日が傾きだし夕焼けに空が滲む頃、レイテは一人森の中にいた。
村の食料を奪われてから数日、少しでも足しになるようにと食べられるものを探しに来ていたのだ。
「フウー……」
成果はそう多くない。毎日のように村の人間が何度も足を運んでいたので、森の中は殆ど取り尽くしてしまっている。それは木の実やキノコ等の食物だけではなく、ウサギや鳥等の動物たちも同様だった。村の備蓄が奪われる度に狩りを繰り返してきた結果狩り尽されたか、それとも危険と判断して遠くに逃げたのか、森は不気味なほど静かだ。
まだあいつらにバレていない蓄えはあることはある。……けどどんなに節約しても、恐らく持って一週間。
「……一週間」レイテは一週間後の自分を想像してしまう。背中から吹き出るように、嫌に冷たい汗が湧いてくるのを感じずにはいられない。
頭を振って、一度深呼吸をする。
………………少し落ち着けたかも。
大丈夫、もうすぐで畑の作物も実る。ちょっとくらい食べられなくても大丈夫、大丈夫。顔を上げ、そう自分に言い聞かせるように何度も繰り返す。
そのときだ。コツンっと、足先に何かがぶつかった。「うわっ!」危うく転びそうになるが、もう片方の足で踏みとどまる。木のツタにでも足をかけたのだろうかと思い、レイテは振り返るがそこには――
「――っ!?」
そこには、二人の男性の遺体が転がっていたのだ。
レイテは思わず叫びそうになってしまうが、片方の男性、黒マントに身を包んだ男性の手先がピクリと動いたことに気づく。
たぶん、先程足に引っかかったのは前に突き出ているあの手だろう。
「……生きてる?」手を伸ばそうとして、一瞬躊躇する。それはあの暴漢共が思い浮かんだからだ。
もしあいつらの仲間なら……
しかし、パッと見暴漢共とは違って鎧は着込んでないし、雰囲気も違う。
「あーもう、仕方ない!」生きているなら放ってはおけない。
レイテは近づくと、仰向けに倒れる黒マントの背中に手を回し、もう片方の手で気をつけて頭を抱き抱える。
「ちょっと生きてる!? 生きてるなら返事くらいしなさいよ! もしもーし!」
その甲斐あってか「……はっ!? ここは?」と黒マントは目を開いた。
辺りを見回し、自分のおかれた状況を飲み込めていない様子。そしてレイテがいたことなど、今気がついたと言わんばかりにそちらを見て「……おい、いも娘。ここはどこだ?」
涼しい顔で、初対面の相手にそう宣った。
「…………」
レイテは無言のまま、持ち上げていた手を解放する。そのまま重力に任せて自由落下、ちょうど真下には木の根が飛び出していたので、少々鈍い音が鳴り響く。
「ぐうっ……!」後頭部に走った衝撃に、頭を抱えてのたうち回る黒マント。
なんか、こう? いもという発言がイラッときたのでやってしまった。まあ、倒れていた割には元気そうだからよしとしよう。
「急に何をしやがるいも娘!?」
もはや助ける気が失せつつあるレイテだったが、ここまで関わってしまったのだから、話だけでも聞いてやるかと考える。
「……あんたたちこそここでなにやってんのよ? 旅人?」
ここいらで見たことはない顔だし、そうなのだろう。「こんなとこで行き倒れられてたら、通行の邪魔なんだけど?」
黒マントはよろよろと立ち上がると、急に不適に笑い始めた。
「クックックッ、まさかこの我が、斯様ないも娘にコケにされようとは。いやはや、無知とは怖いものだな、クックックッ」笑い続けながら片手を顔の前に被せ、指の隙間を開いて前を見えるようにしている。
これは関わっちゃいけない危ないタイプの人間だと、レイテは即座に察知した。
小さい子が親と一緒にいたのなら、見てはいけませんと子供に注意するそんなタイプ。……ついでにマヌケだ。まだ笑いながら手を被せているが、もう片方の手で後頭部を摩っている姿はアホにしか見えない。
「……もう帰っていいですか?」なんか大丈夫そうだしいいよね? うん、いいだろう。そうしよう。
それじゃ。と言ってその場をあとにしようと背中を向けるが――「おい待て、いも娘」ガシッと両手で肩を鷲掴みされてしまう。内心、あたしの中で面倒くささが沸き上がりつつあった。ていうか既に沸き上がっていた。
「ここらで一番近い町、村でも構わん。教えてくれ」言われ、思考は一時停止する。
村……無いことは無い。あたしの住む場所、ポルク村。けどあそこに関係ない人を招き入れるのは……
「……? どうしたいも娘?」黒マントは不思議そうな顔をする。
あそこの村に来ても、この人たちを危険に巻き込むだけかもしれない。それにこれ以上厄介ごとは抱えたくはないというのもあった。なら近づけない方がお互いのため。村は無い、そう言おうと決める。
だが掴まれていた感触が無くなると、突然ドサっと重い音が近くでしたのが耳に入る。それは背後からだ。レイテは振り返ると、黒マントはバッタリと崩れ落ちていた。
「ちょっ!? ちょっとどうしたの!」レイテも地面に膝をついて、黒マントの肩を揺する。
「――フッ……なに。数日水飲みでな……足に力が入らぬだけよ…………」
いや、笑っている場合じゃないでしょ。食べてなくて、脱力するなら相当のことよ?
「……つまり空腹ってことね」
「ウム、まあ、そういうことだな」
レイテは一度目を閉じてから、溜息を吐いた。
……仕方ない。空腹の辛さは身に染みて知っているし。
「村に案内するから、起きられる? そこに行けばほんの少しだけど、食べ物を分けてあげられるわ」ただし、一つだけ約束は守ってもらう。そう付け足した。
「手と……あと顔も洗っておいて、泥だらけよ。洗面所はそこだから」
レイテは村まで黒マントたちを案内したあと、自分の家まで連れてきていた。
イスにテーブル。他にはキッチンのとこに、必要最低限の調理器具が置いてあるだけの簡素な居間に通す。
家内の場所を教えてから、背負っていたカゴを床に下ろした。
隙間だらけのカゴの中身を見て一瞬暗い気持ちが浮かび上がるが、それを奧底に無理矢理追いやる。自身も手を清潔にしたあと、エプロンを着けて夕食の支度を始める。
二人は言いつけ通りに手を洗ったあと、食卓で地図を広げ、あーでもない、こうーでもないと相談事を行っているようだ。
レイテは獲ってきたキノコを一つ手にし、まな板に移して刻む。それを沸騰している鍋に入れ、熱が十分に通ったら塩を振りかけて完成。質素ではあるけど、現状塩は結構貴重品だ。
変人だとしても一応お客様なので、それなりのものを出さなければいけない。……それなりには程遠いものではあるけれど。
次に部屋の隅の床板を剥がす。するとそこにさして広がりのない、下へと通じる数段だけの段差が現れ、それを下りていく。ここはまだ気づかれていない食料庫であり。奧の方には布が被ったものが置いてある。
布を手に取ると、そこにあるのは小さな木箱だ。中には残り少ない食料。そこからパンを一枚取る。
明るいとこに出て気づいたが、少し端がカビていた。じめじめした場所に置いてあったからかもしれない。カビのとこだけ取り除き、それを三等分に分けてお皿にのせていく、これが本日の夕食だった。
お盆に皿を乗せて、テーブルへと向かう。しかし、出す直前、皿を持った手が止まってしまった。
倒れるくらいに空腹な二人であるのに、こんな食事を出されては心底ガッカリするかもしれないと思ってしまったからだ。でも今更食事はないなんて言えないので、観念してレイテはテーブルに並べていく。
「……どうぞ」
だが予想に反して二人は驚いた表情もせず、何事もないような顔のまま文句一つ無く、手を合わせて食べ始める。
正直、量は足りてなかっただろう。自分自身だって足りてないのだ、大人なら尚更かもしれない。それでも食べ終われば「感謝する、いも娘」と黒マントは一応感謝の弁を垂れて――なぜかふんぞり返っていた。
ものすごく殴りたいと思う。なんでこいつはこんなにも偉そうなんだ?
「あたしはいも娘じゃない」
内心、レイテ自身も自分のカッコは地味だと思う。着用しているのはボロボロになったチュニックで、色も褪せている。赤色の髪は手入れなどしている暇なんてないので荒れており、肩よりも長い髪は適当に三つ編みしているだけだ。美人顔ではないし、お世辞にもキレイとは言えない。けれど、女の子だと多少の自覚のある自分に対してその言い方は腹が立つ。
「あたしの名前はレイテよ」名乗って、そういえば黒マントの名前も知らないじゃないということに気づく。連れのフリックに関しては、先程起こされたときに呼んでいたので、間違いないと思う。
「黒マント、あんたの名前は?」
聞かれ、黒マントは森のときと同じように、顔に手を被せ唐突にて笑い出す。「クックックッ、我が名を知りたいと申すかいも娘」
「いも娘は止めろ」
抗議の言葉をまったく聞いていないのか「そうか、そうか」とうんうん頷く。
やっぱり聞かなければよかったかもしれない、とレイテは軽く後悔した。
黒マントはイスから立ち上がると、ダン! っと音を立てて食卓に片足を乗っけた。
「ならば教えてやろう! 我は世界を統べる者――」そこまで言って、黒マントは言葉を溜める。溜めに溜め込んで、やっとのことでその続きを口にした。
「――――――魔王なり! それこそが唯一無二の我が真名よ!!」
……これはあれだ。危ない人じゃなくて、残念な人だ。隣で「流石です魔王さま!」て言っているフリックも言わずもがな、同質の人間だろう。それに統べるっていうより、この場合は滑ってるんじゃない。……あれ? 今の上手くない?
そんな考えてから、目の前の見下げている相手と同レベルのような気がして恥ずかしくなり、頬を赤くしてレイテ目を閉じてしまう。体面している二人には、機嫌が悪そうに見えているのかもしれない。
「あ~はいはい。マオウサマね、マオウサマ。ついでにテーブルの上から足どかしなさい、行儀が悪い」
「……いも娘。なにやら含みのある言い方じゃないか?」
マオウサマはこちらの言い方がお気に召さないようで突っかかってくる。あといも娘止めろ。
「じゃあマオウサマにお聞きしますが、本当のお名前は?」目を細めて問い質す。
「フン、言ったであろう。唯一無二、我が真名こそ魔王と」言って食卓から足を下ろし、イスに座り直した。
「生まれたときから魔王って名前じゃないんでしょ? そっち教えて」特に理由も無いが、ここまできたら意地のような気がした。
レイテがそう言うと自称魔王は観念したのか、舌打ちをついてから「……ヴェルドだ、いも娘」と小さく名乗る。
なんだ、やっぱりちゃんとした名前があるんじゃないの。なら最初からそれを名乗ってよ。
そう言おうと思ったが、先に口を突いて出たのは「おい、いも娘はやめろ」だ。
話している内に知ったのだが、二人は北の国バハラからこっちまでで来たらしい。ポルク村はラレンツィオ王国領内の北西部にあり、二人は国境を越えてこちらまでやってきたそうだ。
理由は魔王軍を設立するためとかいうアホな答えだったが、端から期待はしていなかったレイテは残念な人には残念な人なりの理由があるものなのだろう、と一人納得する。
そして驚いたことは、この二人はあの森で一週間以上も迷っていたことだ。
確かにここの森はラレンツィオの国内でも広くはあるが、コンパスがあれば一日半。長くとも二日で通り抜けられてしまうぐらいなのだが……
更に聞き進んでみれば行き先もてんで逆方向。コンパスが壊れているのかと思い、見せてもらったが異常なし。つまり、この二人は真性の方向音痴だということであった。それをレイテは口にするとヴェルドは「ば、馬鹿な……我が…………方向音痴……だと……」と頭を抱え、目を見開いて驚愕していた。
……今まで気づかなかったのかよ。ある意味凄いな。
「そ、そんなことありませんよ魔王様!」フリックが必死に主人を励ますが、それを見てレイテは、いやいや、あんたも方向音痴だからな。と思ってしまう。
ついでに呆れさせられたのが、二人が見ていた地図が三百年も昔の物だったこと。地形はそこまで変わっていないが、ここポルク村なんて記載されてないし、向かっていたところに町なんて無い。近年の地図では不必要とされたのか、打ち捨てられたであろう、いくつかの鉱山の地名なんかも書かれているがよくこんな骨董品を所持していたものだ。
レイテは明日向かう方角に案内することを伝えはしたが、落ち込んでいたのでちゃんと聞いていたかは少々怪しい感じである。
ある程度の話を聞き終えると、今度はヴェルドがレイテに質問を始めた。そのことは聞かれるとある種覚悟はしていたことだ。
だから…………取り乱さない。
ヴェルドは至って真面目な顔つきに、言うなれば、目の色が先程まで違っているよう気がする。その目はまるで何かを見定めようとしているかのようにレイテには映って見えた。
「お前歳は十二~十三くらいだろ? 親はどうした」
「親は……」覚悟していたことなのに、答えに詰まってしまう。
レイテは一度唾を飲み込んだ。なのに何故なのか、口の中は乾燥しているような気がした。
「今親は留守。歳は十三よ」
一瞬。ほんの一瞬だったが、ヴェルドの眉がピクリと揺れる。
「それは込み入った話になるか?」
「……なる。だから遠慮してもらいたい」
そうか、とヴェルドは小さく頷く。
じゃあ、といった感じに後ろ。窓が立て付けられている場所へ、顔はこちらに向けたままクイッと親指で肩越しに指し示す。
「質問を変えよう。アレはなんだ?」
レイテはこの村で行われている非道に大体感づいているのでは? と思う。
……そりゃそうよね、違和感感じない方がおかしいもの。
ヴェルドが指差したのは窓から見える櫓。この村を守る為ではなく、この村を監視する為の見張り台。
櫓では松明が備え付けられており夜でもよく見える。そこには二人の男が立っており、今も村に目を光らせているのが遠目からもわかる。ヴェルドの言ったアレとは櫓自体ではなく、その上にいる者たちのことを指し示しているのだろう。雰囲気がただの村人とはかけ離れている。
男たちは鎧を着込み、武装していた。その人物たちは数日前に現れた暴徒の一員だ。
村の人間は皆口を揃え、あいつら――と呼んでいる。そう呼ぶのはこれまで、あいつらが一度も自分たちのことを名乗ったりしたことがないからだ。
あいつらは一年ぐらい前に突然現れると、話し合いの余地無く村を襲い、住人を殺し、食料を奪った。
それだけじゃない。それなりの年齢に達した女性も次々に攫っていった。
事情が少し異なるが、レイテの母もその一人だった。それからもあいつらは定期的に村に現れては略奪を繰り替えしている。仕舞いには交代での監視すら付け始め、あの様にして常に村を見張っているのだ。
それは抵抗戦力が養われないように、村を捨てて逃げ出さないようにだ。
――ただ不可思議なことに、見張りをしているのにも関わらず。そこまで厳しくされてはおらず、ある程度の自由は許されているのだ。
もちろんいくつかの条件はつけられているが、今日レイテが村の外にいられたのもある種そのおかげだった。
何故あいつらがそんなことをしているのか、レイテや村人自身理由はわからないが。
でも、ならばと村以外に助けを求めようと試みたことがあった。
だが、村を出た人間は誰一人戻って来てない。あいつらにバレてしまい殺されたのか、それか怖くなって逃げたのか。……見せしめとしてか、翌朝町の広場で遺体で戻って来る人もいた。どうなったかわからない人もいるが、助けなんて未だ来ちゃいない。
人質がいて抵抗することも出来ず、助けを呼ぶことも、他の人を置いて逃げる訳にもいかない。そんな人たちだけが、今もこの村に残っている。
食料の危機、休まらない緊張感から、村の人間は限界まで追い詰められていた。
…………いつまで続くのだろう。
ふとそんな考えが頭を過ぎり、手が震えていることに気がつく。
「難癖つけてきた彼ら……一般人には見えませんでしたね」フリックは窓の影に立ち櫓に目を向ける。
村に入るときはあいつらの取り決めで、どうしても見張り台のとこを通らなければならない。余計なことをしてもことを荒立てるだけなので、村の人間は渋々だが従っている。
今夜も二人を連れて通ってきた。あいつらは見たこともない二人に絡みはしたけど、身体検査で武装していないことがわかると、一応は通してくれた。
村があいつらに襲われ、監視されるようになった日から今まで来訪者がゼロだった訳じゃない。旅人もいたし、たまにだが商人が訪れていた。値は張るが、そこで食料や嗜好品も手に入れられたりもしている。
その商人は何人かいたが一度だけではなく、何度もこの村に足を運んでくれていた。なら村に関係ない者は問題なく出られる筈だとレイテは思っていた。
「……余所者には関係のないことよ」
そう言って席を立ち、お皿を集めて流し台に持っていく。話はお終いと、レイテは洗い物を始めだす。
――理解しているからなんだと言うのか。あたしたちの村の問題に、関わらせる必要はない。それに約束のこともあるし問題ない筈よね。
ヴェルドたちと交わした約束とは、明日中にこの村を出ることだ。道案内を買って出たときに話した。
「明日ある程度まで案内してあげるから、そこから先はあんたたちの好きにするといい」
これが約束。だから、そこでこの人たちともお終い。その先はまたいつも通りの日々に戻ってしまう。
……けどこの人たちにはそれでいい、だって無関係なのだから。
助けを呼ぶ際に、村に訪れた旅人に頼んだことも何度かあった。けど、それも当然のようにうまくいっていない。中には気の良い人もいて承諾してくれたりしたが、村の人間と同様の末路を迎えてしまうのが大半。
そうなってしまうくらいなら、最初から関わらせない方がいい。それが村の皆で出した結論。だからこの二人にはなにも頼まないし、今日、明日の付き合いだけ。レイテはそう考える。
ヴェルドやフリックは何も言わない。少しすると、二人はまた地図を食卓に広げて今後の話し合いを再開していた。
「ッン……ッン……ッン」
レイテは二人を寝室に通した後風呂の準備をし、それを伝えたてから自分の部屋に入った。
今は薄着になって腹筋をしているとこだ。これは日課で朝と夜にやっているのだが、腹筋以外も行っている。
「ふう……よし」
決めている回数が終わり、次のメニューへと移る。胸を床に着け、手を後頭部に回して体を反らせていく。今度は背筋だ。
「1……2……3」
始めたばかりの頃はバランスが悪く何度も状態が崩れていたが、この一年近く続けてきてだいぶ安定するようになった。体つきも前はもっと華奢だったが、最近では肉付きも良くなってきたことが自分でもわかる。
これをやろうとしたのは、弱い自分を変えたいが為だ。
母や父がいたとき、レイテはどちらかと言えば年相応の甘えたとこが多く目立っていた。
――その甘さが原因となって母を連れ攫われる切っ掛けを生んでしまったのだった。それを負い目に感じ、そんな自分を変える為、形から入ったのがコレである。
そして、もう一つの大切な約束を果たす為だった。
弱いままの自分では、あの約束なんて守れない。
その想いを胸に秘め、これまで続けてきている。
「――っ、よ~し、終了。……ハアー……ハアー」 ノルマを済ませ、レイテはぐでっと床に横たわる。しかしここで休んでいる暇はない。その体勢のまま、ベッドの下に手を伸ばす。少しだけ手首を上側に折ってベッドの裏を弄ると、コツンと手先にぶつかる感触がある。ソレを掴んで斜めにずらしながら引き抜く。
顔の前に持ってきたソレは剣であった。特に装飾もされていない、一振りのロングソード。父が使っていた古い物。
一度目を瞑り、深呼吸。それからゆっくりと開く。
息の乱れは収まり、立ち上がって鞘から剣を引き抜く。レイテは身長が高くなく、比較すると普通サイズの剣でも十分長く見えてしまう。
構え、上段から下段へかけて一振り。そのまま剣を体に引き寄せてから、横に振り抜く。色々な角度から相手を想定して剣を振っていく。
思い描く相手は、自分よりも大柄な男。小柄なレイテはもし仮に相対することになれば、殆どは自身よりも大きい相手と戦うことになる筈であろう。
体勢を入れ替え、もう一度繰り返す。
実際に相手になる人がいれば良いのだが、部屋の中で二人で剣を振るうのは広さ的に無理がある。実のところ、こうやって武器を所持するのもあいつらに禁止されているのだ。
見張がいる外では絶対に出来ないし。部屋の中でやる際も、窓の死角でこじんまりとやるしかない。雨が降れば雨戸を閉じても怪しまれないのでよいが、今夜は晴れているので仕方がない。
この練習も一年続けているが、正直なところ、実力がついてきた感じは一向にしいなかった。
それもその筈、剣に関しては全て自己流。父がやっていたことを思い出しながら、反復しているだけなのだ。
本来なら誰かに教えを乞うのが普通であろうが、村がこの状態では出来ようはずもなく。これ自体、他の村の人間にも黙ってやっていることなのだ。村の人間にもバレたら、あいつらからの約束を反故にした報復を恐れ、止められてしまうかもしれないが、それでは自分の目的から遠ざかってしまう。
数回繰り返してから剣を鞘に収め、元有った場所にしまい込む。体中汗だくだ。
一息ついたそのとき、ガチャリと部屋のドアが不意に開けられた。
「おい、いもむ――」顔を覗かせたヴェルドが喋っている途中、レイテはベッドの枕を掴むとソレを顔面へと投げつけた。枕は狙ったとこに命中すると、ズルリと床に落ちる。
「………………おい、なにをする」
何故そうされたのか理解出来てないようで、ヴェルドはこの行為にムカッとしたようだ。
「なにをする――じゃないでしょう! 女性の部屋にノックもせず入るなんて礼儀知らずにも程があるんじゃない!」と怒鳴った。が、このお怒りのお言葉に不思議そうな顔をする。
「……女性? ……女性……女性?」
アゴに手をかけて、女性女性と呟きながら頭と目を動かす。
「…………おい」目の前にいるだろうが! 言いかけて、ヴェルドが目を向けた。
そうでしょ! そう。
レイテは両手を腰にかける。が、ヴェルドはレイテを一瞥だけしたあと首を傾げた。まるで見当もつかん、そんな仕草だ。
こいつ……わかってやってるだろ!?
「まあよい。おれは風呂が開いたことを伝えにきただけだ。ではな」
よくないと言いたかったが、言っても疲れるだけだろう。早くとお湯に入りたいので適当にあしらうことにする。
「そう、それはどうも。用が済んだなら早く出て行って」
ヴェルドはやれやれといった表情をして、顔を部屋から戻す。
「ああ、一つ言い忘れるところだ」少しだけ開いた隙間から声が聞こえる。
「……なによ」あたしも早いとこお湯に入りたいのだけど。
あまりに失礼な態度に、レイテは杜撰な返事をしてしまう。
「剣を持つには、手と手の隙間が少なすぎる。それでは上手く力が乗らんぞ」
――えっ……
問いかけようと自分の部屋を慌てて出たが、ヴェルドはするりと寝室に入って行ってしまう。結局その背中を見送るだけになってしまうのだった。




