後:破 ≪逢瀬≫
夜半、ユノハはほとんどスキップのようにして歩く。鼻歌付きだ。
目指す先は、女帝より与えられた四軒のうち、イグナの屋敷。
昼頃に彼女からこっそり言われたのだ、「今晩、お屋敷で待っています。鍵は開けておきますので」。
これはつまり、そういうことだろう。
散々してきたラブコールがついに実ったわけだ。
リクホくんに悪いなぁ、と全く悪びれずに思いながら、ユノハは目的のドアの前に立った。
鍵は、確かに開いている。
屋敷内に入っても、メイドも使用人もいない。
うしし、とユノハはにやけた。人払いは済んでいるようだ。
弾む足取りで、彼女が待つであろうリビングへ。
「イグナちゃーんっ。お待ちかねの僕が来たよぉーっ!」
「遅かったな。やっと来たか」
ソファーで待ち構えていたのは陸歩だ。
「…………は?」
陸歩だ。
ユノハはがちりと固まり、きっかり呼吸五つ分、停止する。
「……は?」
「とりあえず座れよ」
「……。……だ、」
「ん?」
ようやく諸々を察したユノハは、腹の底から慟哭する。
「だぁあぁまぁあぁしぃいぃたぁあぁなぁあぁあっ!!」
「うるっさっ。なんて……?」
「騙したな! リクホくん僕を騙したんだな!」
陸歩は鼻を鳴らして頷く。
「イグナに頼んでな。お前のことだから、どうせ夜でも遊び回って帰ってもこないだろうし、これなら絶対すっぽかさないで来るし」
「許されないよぁその手は! 僕の純情を弄んで!」
「純情ってお前、目につく端から女の子に粉かけてるだろうが。
いいから座れよ。……ほら、飲み物もあるから」
ガルルルルと唸り、牙を剥きつつ、ユノハは対面に腰を下ろしてジョッキを掴んだ。そして陸歩へ向かって、ぐいと突き出す。
陸歩はあらかじめ用意しておいたエールの瓶から、栓を毟るようにして抜き、ユノハのジョッキへなみなみと注ぐ。
ヤケクソに一気飲みしたユノハは、燃えるような息を吐く。
さらに無言のままジョッキが差し出され、陸歩はまた注いだ。
今度は一気に飲み干してしまわないで、ユノハはブクブクと文句を言いながらエールを舐めていく。
「ホントにもう、ホントにもう! 僕はね! イグナちゃんに関しては本気なの! それをよくも!」
「誰の許可得て本気になってんだぶった斬るぞ」
「そういう君はどうなんだよ、ちゃんと本気なのか!? イグナちゃんが慕ってきてくれることに気持ちよくなってるだけなんじゃないのか!? ちゃんと彼女に好きだって言ってるか!?」
「わりとしょっちゅう言ってる」
「……そっか。うん、まぁ、わりとしょっちゅう言ってそうだよね、リクホくんって」
「おう」
何か毒気を抜かれてしまったユノハは、ようやく大人しくなって、しばし酒を含むだけになる。
陸歩もまた果実ジュースで喉を潤しながら、束の間ぼんやりとした。
「……。で?」
ユノハが顎をしゃくった。待てども話が始まる様子でなく、いい加減焦れたのだ。
が、陸歩の反応はいまいち鈍い。
「で、って?」
「なんか僕に用事があるからわざわざ小賢しく呼びつけたんだろう! なんだよ!」
「あぁ……そだな……」
緩慢な動きでグラスを置いた陸歩は。
代わりに掴んだ鈴剣を、流れるような動作で抜刀。
一切の淀みなく、そのままユノハの首筋へ突きつけた。
ユノハは白刃の冷たさにも、さして動じることもなく、左目だけを細める。
「なにさね」
「訊きたいことがあるんだけど」
「だからなにさ」
陸歩の視線はすでに凶暴だ。
何時どの瞬間に、剣を振り抜いてもおかしくはないほど。
「お前の言うところの『正しい手順』ってやつなんだが、始めはノイバウン大陸へ行くのが、そうだったんだよな」
「だったね」
「でもこうしてレドラムダに来てみれば、オレの目的のものも見つかって、社を建てる算段までもついてる。……どう考えてもこっちのルートがベストなんだが、どういうことだ」
ジョッキを半分空にしたユノハは、それで鬱陶しそうに鈴剣の刃を押しのけた。
陸歩は鞘へ納刀しつつ、なおもいつでも抜き放てる構えだ。
「答えろよユノハ」
「君の不安は分かるよ。
要するに君は、嘘が混じってないか不安なんだ。
そして本当に嘘が何も混じっていなかった場合、『更なる最善』があるんじゃないかって不安なんだ」
「…………」
ユノハが嘘をついているならいい。
何か別な目的があって、旅に同行したいがために、神託者という立場を利用して『正しい手順』という大胆な法螺を吹いているのならいい。
困るのはユノハの言うことが本当で、現状が『正しい手順』から一枚落ちた次善の『正しい手順』で在る場合。
つまり最初の『正しい手順』と比べたときに、全然正しくない場合。
ひいてはここで得られようとしているものに、不備がある場合だ。
「リクホくんさ。もし女帝様が提示したものの中に、嘘が混じってたらどうする?」
「……、……あの人は、嘘は言ってないよ」
「へぇ。なんで分かるの」
「ちゃんとした理由なんかない。単なる勘」
陸歩は勘には従う質だ。あるいは嗅覚と言えるかもしれない。
が、不安は拭えない。
女帝は、レドラムダには人体を創り出す神器があると言った。
そしてそれを用いて身体の欠損を補った妹姫を見せてくれた。
さらには姫様はイグナが触れることを許してくれて、触診の結果、該当箇所は元の肉体とほぼ近似値ではあるものの、間違いなく後から付け足されたものであることも判った。
だが件の神器自体を、見せてはくれなかったのだ。
ダンジョン攻略の任をこなすまでは、許可できないと。
それに欠けた身体を『付け足す』という方法は、カラクリに求めて、天才によって一度否定されている。
神に由来する力を用いたならば、それが解消出来るのか。慎重に確かめなくてはならない。
ユノハはゆったりと頷く。
「安心するといい、嘘も偽りも手落ちもないよ。僕にも、女帝様にもね。だって今ここが、こここそが、『正しい手順』だから。合ってるよリクホくん。不安がることはない、間違いはない」
「……じゃあ」
「ノイバウンへ行っていれば『もっと正しかった』んじゃないかって? より『正しい手順』なら、今得られたこの最善としか思えない状況よりも、さらに良い状況だったんじゃないかって?」
「違うって言えるか?」
「それ、難しいんだよねぇ」
ため息を吐いたユノハは手を伸ばしてエールの瓶を取り、手酌で一杯をやった。
素人にどう伝えた者か、と苦心しているようで、酒をもう一口含む。
「運命の正しさってのはさ、お金を稼ぐ、とかいうのとは違うんだよ。一番正しい運命は、一番幸福が儲かるってわけじゃないの。
なんていうんだろうな。
――例えばさ、運命を『物語』だとするじゃない? 『正しい手順』っていうのは、この物語の始まりから結末までの全体を見たときに、最も美しい軌跡のものを言うのさ。
でもって物語はさ、山と谷が無くっちゃ面白くないじゃない? この山が幸運で、谷が不運に当たる訳だけど。だから『正しい手順』は、別に不幸が無い運命のことじゃないの。山と谷が描く美しい流線のことを言うの」
分かる? とユノハは言うが。
正直いまいち分からない。
「……つまり、ノイバウンに行ったら、今より困難だったかもしれないってことか?」
「今よりドラマチックだったことは確実だよ。それで得られる成果が、女帝様がくれるほどのものかは分からないけど」
「…………」
大きく息を吐いた陸歩は、だらりと力なくソファーにもたれかかった。
「分かんないことだらけだな」
「運命なんてそんなものさ」
「……結局、目の前の事柄に対して、地道に全力で当たるしかないか。人間らしく」
「そうだね。人間らしく」
言い回しが気に入ったのか、ユノハはくつくつと喉で笑う。
「大丈夫だよリクホくん。この『手順』も十分にドラマチックなものではあるから。君の描く運命は、美しくなり得る」
「んなこた、どうだっていいよ。目的のものが手に入るなら、なんだって」
「それも望みはあるんじゃないかな。僕の言葉によく耳を傾けて、きちんと捉えていれば」
けっ、と陸歩は顔をしかめる。
「お前に乞うような真似は絶対にしねぇからな」
「いいよ、それで。僕は思うままに口を挟むだけだ」
新たな瓶を開封したユノハはまた手酌し、なみなみにしたジョッキを突き出してきた。
一瞬意図が分からず、陸歩は眉をしかめる。
が、ようやく察して。
自らのグラスを、彼のジョッキへ触れさせた。
「……ユノハぁ」
「なんだい」
「オレは、お前が嫌いだ」
「知ってる。僕も君が嫌いだ」
「知ってるよ。……でも、お前は嘘はつかないから」
「なんで分かるのさ」
「勘。――嘘はつかないから、とりあえず、疑わないでおく」
「あっそ。別にいいよ、どっちでも」
「……ユノハぁ」
「なんだよ何回も」
「それ飲んだら帰れ。そろそろ深夜だし」
「え、もう? しまったな、早く行かなきゃ。さっき酒場で女の子と約束したんだ」
「はぁっ? だってお前、イグナに呼び出されたつもりで来たんじゃ……オレやっぱお前嫌いだわ」
「だから知ってるって」




