前:急 ≪依頼≫
きっかけは一人の農夫が、見つけた『穴』だった。
昨日までは確かになかった。自らの牧草地の真ん中に、井戸のように煉瓦で縁取られた穴。
覗き込めばそれは、下るための梯子がついており、試しに石を落としてみると底はだいぶ深いようである。
賢明な農夫はすぐさま近隣の憲兵詰所へと伝えた。
減点対象がいるとすればここの憲兵で、まぁそこまで責めるわけにもいかないが、四人ほどの適当な小隊で様子を見に行き、穴の中へ降りてしまったのだ。
結果、遺体すら上がらない始末である。
穴の中は、魔物巣食う地下迷宮だった。
「ダンジョンだ」
女帝は神妙な顔で言う。キアシアが砂糖で炒った豆をポリポリとやりながら。
「美味いな、これ」
「は、はいぃ。恐縮ですっ!」
「ははは、そう畏まらんでも」
いや無理だろう、と陸歩は内心でキアシアに同情する。
この女帝様、実は影武者なんじゃなかろうかとも思い始めていた。
話の途中に小腹が空いたと言い出し、陸歩たちに「なにか持っていないか?」と訊ねるのは、さすがにフォローが難しいくらい賎しい。差し出された炒り豆を毒見もなしに口にするのも、貴人とは思えない不用心さだ。
それともこうして、お前たちを信用しているよ、とアピールしているのだろうか。
妹姫様のほうはずっと呆れ顔で、けれどもポリポリはしっかりやっている。こっちもこっちで、意外と豪胆かも。
「それで女帝様? ダンジョン一つで大陸転覆の危機?」
すでに足も崩したユノハが、実に気安く問うから陸歩は肘で脇腹を小突いた。
だが女帝は特段気にした風もない。
「うむ。一つじゃないんだな。各地に、見つかっているだけでも十九」
「……うそん」
あのユノハが絶句。
いまいち認識が追いついておらず、同じ温度を共有できない陸歩は、そもそもの部分から正していくことにする。
「えっと、その、ダンジョンってのは……?」
「リクホくん、僕が神託者になった時の話、したでしょ」
「あぁ、故郷に伝わる試練の迷宮を突破して……それがダンジョン?」
「そ。まぁタイプは色々あるけど、最奥に何らかの秘宝を抱えてて、挑む者を試す迷宮ってのは変わらない」
現代っ子な陸歩は、話に出てくる『ダンジョン』が大よそ自分の思い描いた通りであることに、ふむと思う。
RPGでステージとして用意されるものと相違ないようだ。
最奥の秘宝、というのは男子としてはとてもロマンを感じる。
「で、そのダンジョンは、珍しいもの、なんだよな? ……オレそんなの、カシュカ大陸でもエァレンティア大陸でも聞いたことないし」
「珍しいし、一晩で現れるようなものでもないよ」
ユノハの返答を、意外にも妹姫が継いだ。
「一晩で街は出来ませんからね――『ダンジョン』と『街』は同質のものなのです。どちらも、『扉の樹』によって発生する。
要するに、樹が地上へ伸びたのが街、地下へ伸びたのがダンジョンという訳です」
「樹が、地下へ?」
首を傾げたイグナへ、妹姫は然りと頷く。
「通常ありえないことです。種を逆さに植えたって、芽が下を目指すことはない。ダンジョンが発生するには、地脈か、呪的要素か、それ以外でも強力な原因が必要になります」
「そういうものが、発見されているだけでも、十九」
豆を摘まむ手を止めた女帝は、すっかり為政者の顔だ。
この人の雰囲気の乱高下は、この短期間では全然慣れない。
「しかも何の予兆もなく、突然にだ。どれだけ異常かは分かるだろう」
「えぇ。まぁ」
「それでそれで女帝様? その異常に対し、僕らのリクホくんを巻き込みたい理由は?」
ユノハは本当に失礼な奴だ。……まぁ今は、話がとても早く進むから、肘もしないで見逃すが。
「ダンジョンは一度でも踏破されれば閉じるもの。
君たちに、各ダンジョンの最深部到達を依頼したい」
まぁ、そんなところだろうなと陸歩も予想していたが。
考えをまとめるより先に、またユノハが口を出す。
「まぁそんなところだろうとは思ったけど。
でもさ、そんなのは子飼いの騎士でも使えばよくない? レドラムダ軍は精強無比だって聞いてるよ。十分にダンジョン踏破の見込みはあると思うけど」
「あぁ、もちろん始めはそうしたさ」
皮肉げな笑みで女帝は続ける。
「最初にダンジョンが発見された時点で、私が最も信頼している将に攻略を命じた。彼は見事やり遂げたよ」
「ふぅん?」
「だがね、彼は最深部の秘宝――剣だったようだが、を抜いた瞬間、魔の力を得た。そしてそれに魅入られてしまった。レドラムダの帝政は偽りであり、自らこそが王なのだと主張した」
ユノハがケケケと笑う。「さもありなん」と。ありがちな話なのか、それともユノハ自身に、覚えがあることなのか。
女帝は肩を竦めた。
「ダンジョンの数と同じだけ謀反者が出ては敵わん。だから君たちの力が必要なのだ、ジュンナイ・リクホ」
「あー……こんな事言うのは何ですけど、オレだって叛逆するかもしれないですよ?」
「いや、それはない」
「……なぜ?」
「君が既に神託者だからだ」
女帝様の理屈はこうだ。
曰く、力に溺れるのは、そもそも力のない者である。
あらかじめ神に見初められるほどの力を持ち、神の権能を授かるような者であれば、迷宮からどんな成果を持ち帰ろうとも、今さら惑うことはあるまい――
「……そ、れは、」
どうなんだ、と思わずにいられない。
なんというか、徹頭徹尾が強者の理論すぎて、陸歩にはちっともピンとこなかった。
「根拠はある」
ゆっくりと立ち上がった女帝は、翼を広げてみせた。
翼だ。
暁色の、鳶を思わせる、翼。
左手の上には、光輪。
「神託者……?」
「君たちと違って、純正な、ではないが」
女帝はどこか、遠慮するように微笑んだ。
「初代レドラムダが平定神の神託者だったのだ。私の翼は遺伝だ。レドラムダ家は代々、長女が翼を受け継いできた」
「神託者って遺伝するんだ、知らなかったな」
感心したようにユノハがいい、陸歩も同感である。
だがそれは、平定神とレドラムダが交わした契約に基づくものであり、神託者全般の話ではないらしい。
とにかく。
「実は私も一つダンジョンにこっそり潜って、踏破してみた」
「……はぁ」
いやに簡単に言ったが、つまり何か。この女帝様は危険な迷宮へ自ら踏み込み、突破してきたと。
そろそろ破天荒とか、そんな言い回しでは収まらなくなりそうであるが。
「結果、最深部でガラクタを手にしても何ともなかったよ。
だから私と同じように、いやもっと正式に神託を帯びている者であれば、秘宝に当てられない見込みは高い。
だから神託者を探し求めた。リクホ、君を」
「はぁ…………」
それから、と女帝はユノハにも目を向ける。
「まさかもう一人神託者が同行しているとはな。ユノハ、君にも力を借りたい」
「まだだよ、女帝様。貴女は今、プロセスを一個飛ばした。回路神信者だからね僕は。そういうのに敏感なんだ。
――貴女自身でダンジョンを潰して回らない理由は何だ?」
「いやユノハ、そりゃあ……女帝様自身が矢面に立つ方がどうかと思うぜ」
だが女帝は鷹揚に頷いた。
「よいよリクホ。ユノハの言う通りではある。本来は私が撃って出て、解決するのが筋だ。私もそう思う。
……だがね、私が先代から引き継いだ平定神の権能は、じきに私のものでなくなるんだ」
その言葉の意味を陸歩は、ユノハも、一瞬呑み込めない。
一番最初に察したのはイグナだった。
「ご懐妊、おめでとうございます」
「ありがとう」
ニッコリと女帝が母の表情で微笑み、皆が得心する。
ようやく話が見えた。
妊娠中では当然、迷宮になど潜れないだろう。
そして出産が済んだとしても、四代女帝レディナにはもはや神の権能はない。
生まれてくる五代目が、同じように迷宮に挑めるようになるまでは、どう見積もっても十数年はかかってしまう。
今、大陸のダンジョンにまつわる問題を解決しようと思ったら、外部の神託者を求めるよりない道理だ。
「なるほどね、納得した」
もう付けるいちゃもんはないとばかりに、ユノハは両手を挙げてみせる。
「なら、協力してもらえるだろうか。神託者ユノハ」
「それはリクホくん次第。今の僕は、リクホくんの行くところに行くだけだから。
頑張ってね女帝様。まぁ彼を口説くのは簡単だと思うけど」
「ユノハぁ」
陸歩が抗議の声を上げる間もなく、絨毯に座り直した女帝は、「では張り切ってみようか」と微笑んでいる。
「もちろんタダでとは言わん。リクホ、君は失われた大神の社を建てる旅をしているんだろう?」
「えぇ、まぁ」
「私の依頼を受けてくれるなら、大陸中にそれを建てよう」
「ぅえ……本当に? 大陸中?」
「あぁ。レドラムダは平定神の一神教だが、親教ということにすれば問題なかろう」
願ってもない話だ。
だが、それでも、陸歩はすぐには「はい」と言えない。
社を建てることは、元の世界へ戻るのに必須。
しかし……手ぶらでは帰れるようになっても、仕方がないのだ。
ここでダンジョンを、十九だか攻略する手間は、旅にどれほどの遅延を招くか。
そしてそれは、レドラムダ大陸中に建ててもらえる社で、相殺できる仕事量なのか。
その辺りの計算に手間取り、陸歩はひどく迷っていた。
それを、女帝も察したようだ。
静かな声で、切り札を切る。
「――君が求めるもう一つのものも、私は知っている」
「は、」
「御身内の身体を創り出す方法。そうだね」
「……えぇ。今はそれを、魔法に求めています」
女帝は頷く。
そして妹へ、そっと目配せをした。
妹姫は、何か観念したように、ドレスの襟に手を掛けた。
「いや、ちょっちょっちょっ?」
突然首元を緩めて鎖骨から肩口を露出させた姫に、陸歩は思わず腰を浮かしかかる。
しかし。
姫の身体を見て、息すら止まった。
明らかに肌の色が、途中から違う。
まるで継ぎ足したかのように。
「妹は幼少時、馬車の車輪に巻き込まれてな。身体を欠損させる大怪我を負った」
「カラクリ……? いや、そんな馬鹿な……」
「そう、違う。彼女の身体を創ったのは神器だ。レドラムダが権能と共に、代々受け継いできた神器。それには人の身体を創り出す力がある」
どうだ、と女帝様が言う。
どうもこうも、陸歩には無い。




