前:破 ≪謁見≫
扉の先があまりに眩しく、陸歩は思わず目を細めた。
瞳が明順応するに従い、場の荘厳さが詳らかになっていく。
天井は空かというほど高い。
床はどこまでも継ぎ目のない大理石、壁と柱はともに金。
敷かれた絨毯と、長く吊り下げられるシャンデリアが、船内にあったものと同様であると陸歩は気付いた。
廊下かと思う。
それぐらい長い部屋だ。
左右にはずらりと騎士が控えていて、最奥には座して待つ、鎧の女性。
女性。冠を戴いた、女性。
ひっ、とキアシアが息を呑んだ。
くくく、とユノハが嗤う。
「……イグナ」
「はい」
「この場所、どう思う?」
「どう見ても、玉座の間、かと」
「だよなぁ……」
「――神託者ジュンナイ・リクホとその従者たちっ!」
玉座の傍に立つ、宰相か大臣か枢機卿か分からないが、とにかく身分の高そうな側近が声を張り上げる。
「陛下が許可された! 近くに!」
「…………」
とりあえず、来いと言われたからには行かないわけにはいかない。
話には聞いている。レドラムダ大陸は三百年ほど前に、ある女傑が丸ごと覇権を握って領地とし、今はその四代目が統治していると。
つまり。簡単な推理を働かせれば。
あれが女帝レドラムダの四世というわけだ。
『さる高貴な女性』というのが、まさか女帝様本人だとは。
その名は他大陸にも轟いており、現にキアシアは緊張から可哀想なくらい怯えている。
かと思えばユノハは余裕綽々だ。人を食ったような笑みを浮かべていて、頭の後ろで手を組む無礼ぶり。正直一緒に歩きたくない。
ある程度、話が出来るくらいまで玉座に近づくと、左右の騎士が槍を合わせてバツを描き、道を塞いだ。許された距離はここまでのようだ。
資本主義生まれの民主主義育ちな陸歩は、生まれて初めて目の当たりにする皇帝という存在に、さてどうしたものかと迷った。
コソコソ声で訊ねる。
「キアシア、こういうときってやっぱ、跪くもの?」
「え、あ、う、うん。そうね。そうよね……あぁん分かんないわよ、あたしだってっ!」
「いいんじゃないの、別に」
余計なことを言うのはユノハだ。
この不遜の権化のような男は、欠伸を噛み殺しもしない。
「呼びつけたのは向こうだし、こっちが畏まる必要ある?」
「……ユノハ、頼むから」
すでに居並ぶ騎士たちには殺意が充満している。
次の宿が牢屋なんて陸歩は御免だし、午後一番で絞首台なんて冗談じゃない。
だというのに、この男は。
「っていうか人の王がなんぼのもんさ? こちとら神に採り立てられた神託者だってのに」
「イグナ、悪いんだけど」
「承知しました。
――ユノハさん、ワタシは無礼な男性は嫌いです」
「誉も高きレドラムダ大陸皇帝陛下の御尊顔を拝謁する栄誉に預かりまして、実に恐悦至極に存じます。私はユノハ・リム・ジャベルキー。回路神セキュアの信徒にして、神託を賜りし身にございます」
この変わり身である。
むしろ馬鹿にしていると取られてもおかしくないが、女帝はこの口さがなさと、それに殺気立つ臣下たちを面白がっているようで、喉の奥で笑っていた。
「いや、彼らの言い分は正しいな」
女帝は鷹揚に言うが。
陸歩としてはユノハなんぞが宣ったことをこちらの総意とされるのは、大変遺憾である。
「確かに神託者を前に位は無意味だろうし、そんな神託者を相手に完全武装ではあまりに失礼だ。全員下がれ」
「は。陛下、しかしそれは、」
「下がれと言っている」
今度はきつく言われ、大臣は渋々と騎士たちに出て行くよう合図する。
が、その大臣本人も女帝に掌で追い払われ、唖然としつつも場を後にした。
残るのは陸歩たちと、女帝本人、それから女帝の血縁と思しきドレスの少女が一人。
「風通しがよくなった。ようやく話が出来るな」
ニッコリと笑う女帝に、ひとまず陸歩も愛想笑いを返す。
あまりまじまじ見るのも不敬かと思うが、女帝レドラムダはどこかの噂で聞いた通り、美人だった。てっきり貴人にまつわる伝聞だから、だいぶ脚色されているのではと疑っていたけれど。
厳めしい鎧姿だが、きりりとした眉根、鋭くはっきりした目鼻立ちによく映える。他者を魅了するのではなく、尊敬させるタイプのカリスマ。それが容姿にも表れていた。
髪がざっくりと短いのは、常時戦場の心を体現しているのか。
唇はきっぱりと動き、淀むようなことがない。
化粧は最低限であり、日にも焼けているが、内側から発散される為政者の威光のためか、眩しいほどに瑞々しい。
傍らに控える少女、こちらは分かりやすく姫君だ。
ドレスに、整えた髪に、品よく施されたメイク。
顔立ちは女帝とよく似ているがずっと若く、オレより年下かも、と陸歩は当たりをつける。
「場所を移すか」
玉座を立った女帝が言う。
「すまないが、この部屋には椅子はこれしかなくてな。立ち話もなんだろう」
「いえ、ほんと、お構いなく……」
陸歩がやんわりと断ると、女帝はふむと息を吐く。
そして目の前で、絨毯にどっかりと胡坐をかいて見せた。
「では、こうしようか。んん、戦場を思い出すな。アムニスもお座り」
姫の方が女帝ほど豪放な性格でもないようで、絨毯に腰を下ろす不作法にあきれ顔だったが。
促されるとため息ひとつ、たっぷりとしたスカートを器用に膨らませてから隣に座った。
こうなると彼女らに恥をかかせないためにも、座らざるを得ない。
陸歩たちが車座になるのを見届けた女帝は、改めて、と始めた。
「我が名はレディナ・デウ・ベラルマ・レドラムダ。この大陸で皇帝をやっている。そちらは妹のアムニス」
「お見知りおきを」
「さて。先ずはご足労に感謝する。ジュンナイ・リクホ」
「あの……」
知人を数人介して行けばどんな人物にでも辿り着く、『六次の隔たり』という仮説があるのは知っている。
この世界の総人口や情報伝達の仕組みはまた別だから、単純に当てはめることは出来ないだろうが。それにしたっていきなり目の前に女帝がいますという状況は未だ呑み込めない。
一個ずつ、を強く意識して、陸歩は解きほぐすに努める。
「えっと、なんでオレの名前を?」
「レドラムダは他大陸にも多数の間者を送り込んでいてな。情報は力だから。
そのうちの、カシュカ大陸で任についてる連中からの報告に、君のことがあった。失われた大神を取り戻すために、各街に社を建てて回っている神託者がいて、あちこちで活躍していると。ヴェルメノワやドゥノーでは、派手にやったようだな」
「いえ……それほどでも……」
なんだかメチャクチャ恥ずかしい。
こうして人の耳に入るのだと分かってしまった今、これより先の旅ではもう少し自らの行為行動に気を遣うべきだろうか。
「それで、オレなんかに、何の御用で……?」
「うむ。それだな」
居住まいを正した女帝は、それまでの気さくな様子から一転、統治者としての鋭利を見せた。
あぁ、と陸歩は気付く。
この人は、玉座に座すから女帝なのではない。
この人の座す場所こそが、玉座なのだ。
「単刀直入に言おう。レドラムダは大陸全土が現在、未曽有の危機にある。
ジュンナイ・リクホ。神託者たる君の力を、是非借りたい」
言って女帝陛下は、冠を脱いだ。
これは既に、「はい」以外の返答はないのでは、と陸歩は表情にうっすら苦いものを浮かべる。




