前:序 ≪着岸≫
陸歩たちを招いている御仁がどこの誰だかは結局、分からず仕舞いではある。
だが少なくとも、大層な貴人ではあるようだ。
促されて海上で乗り換えた、レドラムダの船。これがまず度肝を抜く。
船内に入った途端、どこかの街のどこかの建物へ飛んだのかと思った。かつて見つけた伝説の海賊船のように、今潜ったドアは『樹』の扉だったのかとさえ。
まるでホテルかという内装である。
赤絨毯に、天井にはシャンデリア。壁、家具は共に仄かな黄金に輝く木製で、陸歩には詳細までは判らないが明らかに高級品。
一人ずつ個室を与えられた。
豪勢な談話室まで用意されていた。
ワインセラーは好きに出入りし、好きなものを呑んで構わないと言われた。
メイドを付けると言われたが、それはさすがに断った。
よくもまぁ、これだけの贅を船に詰め込んだものである。
まさしくVIP待遇であるが。
談話室に集まった陸歩たち面々の雰囲気は、いまいちである。
まず第一にキアシアの調子が悪い。
「うぅぅぅ……」
彼女は右目を、眼帯の上からしきりに擦っていて、いかにも辛そうだ。
掻いたらいけないとは思っているようで、上げかけた手を下げたりしているが、結局掻いてしまう。そういうことを繰り返していた。
「キアシア、大丈夫か?」
「んん……新しい眼球が生えかけで……痒いぃ」
「船医も同乗していると、先ほど言っていましたよ。診てもらったら如何でしょう」
「んんー……。でもこれ、治りかけの痒みだからなぁ。相談してなんかなるのかしらね……」
それでもただじっとしているのが苦痛なのか、キアシアは船員に案内されて医者を探しに行った。
次にユノハの機嫌が相変わらず悪い。
これについては陸歩の知ったことではないのだが、四人掛けのソファーにどんと寝そべり、いかにも不機嫌で御座いという気配を発せられては、大変鬱陶しい。
「……ユノハさぁ」
「なんだい」
「気に食わないならついて来なくてよかったのによ」
むしろ離れてくれれば万々歳だったのだが。
ユノハは鼻を鳴らす。
「四人で、が正しいんだって何回も言わせないでくれる。それは変わってないの。行き先は変わっちゃったけどね、誰かのせいで」
「いや変わったのはお前のせいだ。『正しい手順』うんぬんが無きゃ、オレたちは当初の予定通りノイバウンに向かってたし」
「あーっそう? じゃあ慰めてあげるけどね、僕が居ようが居まいが口出そうが出すまいが、どうせ君は乞われた通りレドラムダに行ってたよ。お人よしのリクホくん? 違う? 違うって言い切れる?」
だいたい君さ、プライド無いわけ、とユノハに吐き捨てられ、陸歩は顔をしかめた。
「なんだよプライドって」
「誰とも名乗らないような礼儀知らずに呼びつけられて、ホイホイ出向くなんて、プライド無いのかって訊いてんの。僕だったら不愉快極まりないけど」
「……。仕方ないだろ。なんか分かんないけど、オレたちのこと知ってる相手だぜ? 無視して話がこじれて、もしもこの先、つけ狙われたりしても面倒だしよ」
「そのときは天罰でも与えてやればいいんだよ」
「あーあー。お前ならそうするんだろうな。羨ましい短絡だぜ」
この調子である。
そして何より、陸歩自身が落ち着いていない。
話の流れでレドラムダ大陸行きとなってしまったが、この状況を彼も決して喜んではいなかった。
陸歩の目標は濁りも陰りもしない、ナユねぇの身体創造技術である。
そのために魔術に目を付け、そのためのノイバウン大陸行きだったはずなのに、今は何故かレドラムダの船の中。
もちろんレドラムダでも、何らかの収穫がある可能性はある。
しかし寄り道という意識はぬぐえない。
癪ではあるがユノハの言う通り、正体の分からない相手に呼び出されてノコノコ、というのも面白くはなかった。……まぁそれはこの持て成しでだいぶ相殺したが。
そういう二日間を船内で過ごした。
娯楽や蔵書まで豊富で、全く退屈はしなかったが、行き先が分からない状態が続くわけで、フラストレーションはなかなか解消されない。
ついにあと幾ばくかで到着すると船員に言われれば、陸歩は甲板にまで出てその時を待った。
「リクホ様」
イグナもまた、甲板へやってきて主の傍に控える。
「荷造りが済みました」
「あぁ。悪いな、任せちまって。キアシアはどうしてる?」
「お医者様から、最後の診察を受けています。右目はだいぶ回復して、もう三・四日で眼帯も取れるそうですよ」
「そっかそっか。よかった。……ユノハは?」
途端にイグナの態度がツンとする。
「ワインセラーに。まだ味見していないのがあるとかで」
「いい身分だな」
「全くです」
間もなく船は接岸を始める。
目的地に、陸歩は眉を寄せた。
夥しい数の木箱が積んである広場、とでも言おうか。管理するためと思しき建物がいくらか周囲にあるものの、明らかに街という雰囲気ではない。港にしても無骨である。
そのことを通りがかった船員に訊ねると、確かにあれは物資を引き取るための港であり、それ以外に用いられることは稀という。
「オレたちゃ積み荷かい」
それほど気もなく言うと、船員が慌てて謝罪してくるので、こちらこそと顔の前で手刀を立てた。意図せず意地悪になってしまったか。
ようやく停泊。
それからさらにずいぶん勿体付けられてから、やっと陸歩たちは船を下りた。
久しぶりの大地に、四人ともそれぞれ大きく伸びをする。
合わせて、どこにこんなに乗っていたのかと思う数の騎士たちが船から降りて来て、陸歩たちをそれとなく囲んだ。
ここまで来たら逃がさないという意志表示か。
それとも賓客として保護されている格好なのか。
とりあえず一番兜の派手なのが責任者だろうと当たりを付けて、陸歩は話しかけた。
「それで? まさかここが面会場所ってことはないんでしょう? ここからは歩きで移動ですか?」
「いえ。ご足労いただいているのに、まさか徒歩を強いるような無礼は致しません」
「はぁ」
「しかし、申し訳ありませぬ。馬車が遅れているようでして。しばしお待ちを。――おい、椅子をお出ししろ」
わたわたと椅子が用意される。
ユノハなんかはさっと座って足を組んで、ワインまで注文するふてぶてしさだが、陸歩は周りの騎士たちが直立不動でいる中では腰を下ろすのも落ち着かない。
そのまま、しばし。
「お飲み物をどうぞ」
「いや……お構いなく」
テーブルが持ち出され、ティーセットまで並べられる始末である。
キアシアは紅茶の味が気になったのかメイドにあれこれ訊ね、談笑も交えていた。この場で唯一和やかで、陸歩は癒しを求めて彼女らのやり取りを聞いていたし、おそらくは騎士たちも同様だろう。
そういう時間も散々過ぎてから、ついに陸歩の耳は蹄の音を聞きつけた。
だが現れた馬車は、想像していたものとはだいぶ違う。
「……マジで?」
巌のように屈強な体躯をした輓馬が、実に六頭立て。
そこまでの馬力を要して牽引されているのは、通常の馬車ではまさかない。
連れてこられたのは樹だ。
『扉の樹』である。
巨大な荷台に、盆栽が如く鎮座した、『扉の樹』。
樹齢は二百年か、四百年か。
そりゃあ扉と然るべき鍵があれば、徒歩の必要はないだろうが。
些か力づく過ぎる。
それにこの、運ばれてきた扉の樹。つまりこれから会おうとしている『さる高貴な方』とやらの持ち物ということか。
街主になれる権利を持ちつつ、あっさりと扉の樹を移動手段にしてしまえるだけの、権力を持つ誰か。
「……ユノハぁ」
「んー?」
「やっぱ、迂闊だったかもしれねぇ……」
てっきりなじられると思ったのに。
ユノハはこの時は、どのように気を遣ったのか嘲るようなことはせず、ただニッコリと励ますようにだけ微笑んだ。
「まぁ、もはや腹を括るより、仕方あるまいよ」
騎士の一人が荷台に上がり、樹のドアノブに鍵を挿した。
恭しく開かれた扉からは、すでに煌びやかな輝きが漏れていて、陸歩はさっそく威圧され気味である。




