破:結 ≪魔手≫
あんまり品のない言い方を記録していたら、後でリクホ様に目を眇められてしまうでしょうか。
「…………、」
それでも遠慮なく正直に、この心情を吐露させていただくのであれば。
「胸クソの悪くなるような光景でしたね」
あえて口に出してみるのは、精神を落ち着けるためです。
ワタシの思考ベースが女性型であるためか、たった今盗み見た出来事に対し、電脳内にいくつものノイズが発生していました。
怒り、なのでしょう。
うっかりヒト形態を解いてしまいそう。
こんなに激しい感情は起動してこのかた初めてのこと。
女性が、出荷されていった。
「…………、」
今朝がた果樹園より戻ってから、ワタシはグループの他六人を注意深く観察していました。
態度や外から測定したバイタルは、平静で穏やか。しかしそれこそ異常というもの。
さらには昨日と違い、与えられる衣装や食事や娯楽に対し、誰一人として不審の念を口にしなくなったのです。
そうしていたら昼ごろに、ワタシは法務官に囁かれました。
「君には特別に見込みがある」
そして皆さんから外され、一人移送された先は牢ではなくスイートルーム。
鍵なし、見張りなし。
さて、リクホ様の第一方針は「いざという時まで正体を隠すこと」。
……現状がその「いざ」に該当するかは直接判断を仰がねばなりませんが。
こうして人の目がなくなったのですから、隠密くらいは許容していただけるはずです。
夕方のワタシはそう判断し、機能のひとつを解放・使用しました。
『ワスプ』です。
ワタシに内蔵された小型ドローンで、視覚同期を行うことで、自在に歩き回る目となります。
今回はその名称に反し、テントウムシ型を一機、選択しました。
本当はワスプを群れ単位で運用できればよかったのですが。リスク計算がそれを諌めました。
意識を細分化すればするほど本体の警戒が薄くなりますし、ワスプ一機当たりの操作もおおざっぱとなりますので。
まずは隣接する部屋へ、窓から放したテントウムシを差し向けます。
そこにはキリさんが。
その隣にも、そのまた隣にも、よく知った方が一人ずつ。
今朝まで一緒にいた女性たちが、実はすぐ傍にいたのです。
何が「君は特別」でしょうか。おおかた全員に同じ台詞を振れ回ったのでしょう。
六人ともが幸福そうな表情で、ぼんやりとしていました。
さらに部屋を見て回ると……。
ワタシたち以外にも、似たような境遇の女性があっちにも、こっちにも。
多分ワタシたちよりも前からここにいるのでしょう。
虚ろな目。
薄く微笑みを浮かべて、人形のように微動だにせず椅子に掛けている……。
明らかにワタシたちのグループよりも段階が進んでいます。
段階。
では行き着く先は?
深夜近くに、廊下を渡ってくる法務官を見つけました。
左目の周囲に剣の刺青を入れた、三十代半ばと思われる男性です。
ワスプで尾行すると、この男は女性の一人を部屋から連れ立します。
彼女へドレスを着せて、首輪を掛けて……。
その後の顛末をもう一度記録するのは止めておきましょう。
余計な心理ストレスは思考の邪魔になります。
「ともあれ、大方の事情は把握しました」
つまりこの街ヴェルメノワは、捕縛した人間――特に女性を洗脳して奴隷とし、外道へ売りさばいている。
リクホ様とワタシは、思いがけずこれに巻き込まれてしまった、と。
「問題はこれが、一部の人間による悪行なのか、街ぐるみなのか、ですが」
いや、と思い直します。
そんなのは所詮、滅ぼす敵の多い少ないの差でしかないのですから。
まったく、億法都市の名が泣くというものです。
こんな無法がまかり通るなんて、百腕天秤は何をしているのでしょう。
…………。
本当に、何をしているのでしょうか。
天秤は街全体を圏内に捉えて、全ての悪事を監視しているはず。
あれ自体が偽物……?
しかし、見学したときにあれからは確かに神威波長が確認されました。
それに道の大理石を踏んだ際は直ちに反応された……あの天秤は間違いなく神器……。
……考えていても仕方ありません。
とにかく今はこの件を、リクホ様へとお伝えしなければ。
そう思いワタシは意識を、人身売買の現場であるところの『扉の樹』広場、その傍らの街灯に留まらせたワスプに戻し――
「なっ、」
急に視界が塞がれ、面食らいましたとも。
景色がぐいと持ち上げられる、誰かがテントウムシをつまみ上げたのだと悟ります。
ワタシは小さな身体を必死で暴れさせました。
……しかし本物の羽虫と同程度の力しかない小型ドローンでは、どうにもなりません。
ワスプを覗込んでくる何者かは、暗闇で、さらに逆光となっていたため、判然としません。
辛うじて判ったのは、法務官の法衣をまとっていること。
それから目深に被ったフードからほの見えた顔は、少女のようだ、ということだけです。
まずいと思いました。
まさかと思いました。
なぜバレたのかと思いました。
本当にバレたのかとも思いました。
この世界にはない技術なのに。
偽装に不備はないのに。
テントウムシにしか見えないはずなのに。
この人物はただ、好奇心からテントウムシを捕まえただけ。
……そんな都合のいいこと、あるわけありません。
フードの中身が、ニィイと粘着質に嗤いました。
と同時、ワタシの本体が今いる部屋のドアが、乱暴に蹴破られます。
雪崩れこんでくるのは完全武装の兵士たち。
ベッドに腰掛けたままワタシは、三百六十度から刺又の先を突きつけられて。
ホールドアップしながら。
あぁ、下手を踏んだのだ、と努めて静かに思うのでした。
リクホ様、申し訳ありません……。