破 ≪再会≫
「ただい、ま?」
「あ、おかえりー」
「お帰りなさいませ」
「…………」
宿に戻った陸歩は女子二人の様変わりに、大いに面食らう。
特にキアシア。一体何から訊ねたものか。
ひとまずは心配な点から問いただしてみる。
「キア、どうした、その……左目」
「あぁこれ?」
彼女自身は何でもなさそうな声音だが、見る者へ与えるの衝撃は大きい。
キアシアの左目は今、包帯によって隠されていた。
その姿に陸歩は囚われていた頃の彼女を強く想起し、内心が穏やかでないが、キアシア本人はやっぱり何でもなさそうに答える。
「お医者さんにお願いしてね。摘出してもらったの」
「なんでそんなこと……」
言いかけて、気付く。
少女も肩を竦めた。
「そ。銃に装填したのよ。元々込めてあったのは撃っちゃったからね」
「……すまん。オレの我が儘に付き合わせたせいで、お前にまでそんな、」
鼻先に突き付けられた銃口に、陸歩は口をつぐんだ。
その向こうで残る右目を細めるキアシアは、いかにも不機嫌という表情で、撃鉄まで上げる容赦のなさである。
「リクホ。あたし、そういうの、足手まといに思われてるみたいで嫌」
「う」
「これはアンタの旅なんだから。アンタはあたしに『撃たせないように』なんて気にしなくていいの。
あたしはアンタを手伝うし。あたしの銃は、あたしが必要になったら撃つだけよ」
「…………すまん」
「…………」
つい重ねて謝ってしまった陸歩に、キアシアはトリガーを引いた。
さすがにドキリとするが。
響いたのは撃鉄が薬室を空打ちする音だけで、銃声は上がらない。
「――とまぁ、こっちは空っぽのほうなんだけどね」
「脅かすなよ……」
「同じこともう一回言わせたら、今度は弾込めしてある方だからね」
「はいよ。心得ましたとも」
陸歩が観念した、というように両手を挙げて掌を見せると、キアシアも彼の胸へ銃口を向け直し、「ばぁーん」とおどける。
仲間同士の「これでお終い」という意味を込めた、儀式のようなものだ。
「んーで? その格好はどうした?」
今度はイグナも含めて訊いた。
二人の今の服装は、陸歩には馴染みがありつつ想像もしていなかったもので、何事かと思う。
要するに、浴衣なのだ。
イグナは赤い衣に、濃紺の帯。キアシアは真逆の配色だ。
少女たちは顔を見合わせて、くすぐったそうに笑った。
「いかがでしょうかリクホ様」
「いかがって……似合ってるけどさ」
「この街の名物づくりの一環だってさ。旅の人なら面白い被服を知らないかって訊かれてね、イグナがこれって」
「以前リクホ様が浴衣女子をお好きと仰っていましたので。いい機会かと思い、作成していただきました」
「おーおー。眼福だこと」
「リクホ? ならもっとちゃんと見なさいよ」
そう言われても。陸歩には直視は難しい。
イグナの佇まいときたら、気をしっかり持っていないと頬擦りしてしまいそうなほど愛らしいし。キアシアは着慣れていないためか帯が緩く、襟から胸元から隙間が大きいし。
何より故郷の懐かしさが目と鼻の奥へ迫って、うっかりすると零してしまいそうだった。
その気配を察してか否か、腰に手を当てたキアシアは一息をつく。
「それで? アンタはジンゼン? 行ってきたんだって?」
「あぁ、剣を診てもらいに……そんな睨むなって。キアまだ寝てたから。起こすのも可哀想だと思ったからさ」
「ふーん」
今朝、というか昼前だが。キアシアが目覚めると既に陸歩はおらず、イグナだけが正座で本を読んでいた。
何が悔しいかと言えばキアシアは、陸歩たちに朝食を食べさせられなかったのが悔しいのだ。
足手まといになりたくないと思いつつ、こうして自分のために休息が必要になっている状態も、彼女の負い目となっていた。陸歩もイグナも生身でなく、疲労に一番ダメージを受けるのは当然自分なのだと、頭では分かっていても。
「チコちゃん、元気だった?」
「えらい元気だった。なんか弟弟子が増えたとかで、張り切ってたぜ。ほら」
持ち帰った鈴剣を、陸歩は半分だけ抜刀して見せる。
磨き上げられた刀身は、覗き込む少女たちの瞳を鏡のようにくっきりと反射し、まるで呼吸をしているが如く、時おり光の波紋を作った。
「きれい……」
なのだが、ぐぅという音が間抜けな台無しにする。
音源は陸歩の腹の虫で、イグナの透明な視線、キアシアの呆れを含んだ瞳に、バツが悪そうに苦笑した。
「リクホ様、まだ昼食を召し上がっていないのですか」
「あぁ、食いっぱぐれてな。何か残り物ある?」
「さっきイグナから教えてもらって、チャーシューメンっての? 試作してみたけど」
「マジでっ? オレの分ある!?」
「取ってあるわよ。晩ご飯のつもりだったけどね」
さっそく三人して食堂へ移動する。昼もとっくに過ぎたこんな時間では貸し切りだ。
キアシアは既にこの街に十分な実力を披露していて、宿からも好きに厨房を使ってくれとの申し出を取り付けていた。
イグナの手伝いもあり、あらかじめ下ごしらえも済んでいることもあり、一人前を作るのにさほど時間はかからない。
それでも卓で待つ陸歩は首を長くしてぐったりと突っ伏し、空腹でぐぅぐぅと演奏して騒がしい。
「はいリクホ、お待たせ」
出された丼。
立ち昇る湯気の香り。黄金色のスープに、包まれた魅惑の麺。彩る具材たちに、何より圧倒的なボリュームで悩殺してくる、チャーシューが四枚。
「……っ! ……っ! これ、すげぇよ! キアシアぁ!」
「ありがと。ご賞味あれ」
「リクホ様、どうぞ」
イグナより箸を手渡された陸歩はもう夢中で啜った。
さすがキアシア、完璧にラーメンである。完璧なラーメンである。
なんなら陸歩が食べてきた中で最も美味い。醤油の味など、どうやって再現したのか。
美味いし、懐かしいし、美味いし、美味いし、懐かしいし、もう訳が分からない。
「美味しい?」
「……っ! ……っ!」
問われ、陸歩はコクコクとただ頷く。頬張るので忙しく、とても口など利けないからだ。
その様子にキアシアは大変満足し、にっこりと微笑んだ。
「街主様にも食べてもらったんだけどね。ぜひ街の名物にしたいって言うからレシピ教えたんだけど」
「……っ! ……んぐ、良いんじゃねぇか? これ絶対、うけるって」
「うん。それでお礼として、宿代をタダにしてもらっちゃいましたー。いえい」
「ははっ。さすがキア。頼りになるなぁ」
湯呑にイグナが注いでくれた水を、一気に仰いで息継ぎをした陸歩は、また麺を掻き込んだ。
女子二人が気を利かせて、丼には元々二人前が盛ってあったというのに、彼はあっという間に平らげてしまう。
「……はぁ。最高だった」
「お粗末様。イグナにも感謝しなさいよ? あたしだけじゃ作れなかったんだから」
「あぁ、もちろん。ご馳走様、二人とも」
「いえ、ワタシは何も」
満腹になった陸歩はだらしないことは自覚しつつ、足を伸ばして椅子に崩れるように深く座る。
そして口内に名残る味に思いを馳せた。
「……やっぱ、故郷の料理ってのは、格別だな」
「また作ってあげるわよ」
「やった。ってか作り方教えたんだよな? じゃあゼポから広まって、この世界でもラーメンがメジャーな食べ物になったりしてな」
足音と気配がして、食堂に新たに立ち入る者がある。
「あのぉ、ここで美味いの食べさせてもらえるって聞いたんですけど」
ほら、さっそく話題になっている。陸歩は歯を見せて笑った。
満腹だし良い気分だし、自慢のラーメンだし、新規の客に何か陽気に声を掛けようとしたとき。
目の前をカゲロウが飛んだ。
「――――」
カゲロウ。
そして現れた、その人物。
陸歩は一瞬の硬直の後、両手に火を灯して戦闘態勢を取る。
イグナも同様だ。
ただ一人、丼を下げようとしていたキアシアだけが状況から置いていかれて、唐突に殺気も露わな二人に面食らっていた。
「え? ちょっと、なに、」
「キアシア! 奥に隠れてろっ!」
「え……」
今にもイグナへOrderを唱えそうな陸歩。
食堂の入り口の何某は、その剣呑な様子にも、涼やかに笑んでいた。
「おいおい、ずいぶん物騒な態度じゃないか、リクホくん?」
「…………ユノハぁ」
「久しぶり。息災かな」
ユノハと呼ばれた人物を、キアシアは束の間、男か女か測りかねた。
それくらいの美丈夫だ。
結局、体格から男と判断する。歳は自分たちとそう変わるまい。
薄く光沢を放つ緑の髪は、何か神秘に連なる者かと思わせる。
化粧をしているわけでもないのに唇の紅色は、あんまり艶やかで妖しげですらあった。
笑みで半眼に細めている双眸を……キアシアは少しだけ畏れた。慈しみ、と言えば聞こえはいい。だがそれは、まるで、この世の全てを愛玩物と見ているような、そんな絶対者の目。
一体どんな因縁があるのか、陸歩はなおも体勢を低くし、いつでも飛びかかれる構えだ。
「テメェ、ここに何しに来た」
「北へ渡ろうと思ってね。そしたら街の人が、ここで美味しいものが食べられるって教えてくれて。君はもう食べたの?」
「ふざけるなよ」
「相変わらず余裕のない奴だなぁ」
やれやれと首を振ったユノハは、取りあえず手近な椅子を引き、そこへ肩にかけていた荷物を大儀そうに降ろした。
一方の陸歩は、いくらなんでも屋内で問答無用に火を放つような蛮行は出来ず、睨み付けるに留めている。
未だ立ち尽くしたままのキアシアは、イグナが自分を庇うように寄り添っているのに気づき、そっと訊ねた。
「ねぇ、あの人、誰? なんでリクホ、あんな……」
「…………。あれは、回路神の神託者です」
「え」
そこで少女たちに視線を移したユノハは、男女を問わず魅了する微笑みを浮かべた。
「やぁイグナちゃん。会いたかったよ。
それから……また美人が増えてるね。羨ましいことだ。――始めまして、僕はユノハ。ユノハ・リム・ジャベルキー。ご紹介の通り回路神セキュアの神託者さ」
「神託者……」
「そう。リクホくんと同じ、ね」
「一緒にすんじゃねぇ」
陸歩の低い声が割って入る。
「ユノハ。もう一度訊く。テメェ何しにきた。またイグナを狙ってるんなら……」
発言の内容を、キアシアはイグナへ目で問う。
と、イグナはこっくりと頷いた。
「過去にそういうことがありまして。ワタシのユーザーはリクホ様以外ありえませんが、ユノハ氏はワタシの所有権を主張したのです」
時期としては、まだ陸歩たちがこの世界へ渡ってきて間もない頃。キアシアの復讐を遂げた後、彼女とは別行動していた時の話だ。
そもそもイグナはこの世界に顕現するにあたり、祭器たる鎧を触媒にしている。これが回路神に縁の物である、だから自分に献上しろ、というのが彼らの前に立ちはだかったユノハの言い分だった。
曰く、セキュア神の祭器ならば、その神託者たる自らこそが、主に相応しい、と。
当然陸歩は反発した。イグナも拒否した。
しかしユノハはすっかりイグナを気に入っており、後は実力行使。
二人の神託者はその神威を解放してぶつかり合い――互いの権能の性質により、決着はつかずに千日手に陥ることに。
「今回は痛み分けということにしておこうか」、そう言ってユノハが引き上げたことで、その場は済んだのだが。
陸歩が剣術を志したのは、このユノハの存在が大きい。
そんな男が再度眼前に現れたのだ。
だがユノハは面倒くさそうに手を振る。
「いや、まぁ確かにイグナちゃんはそのうち『返して』もらうけど。それは追い追いの話だよ」
「誰がお前に、」
「だから、今は、それはいい。置いておけ。
――何で此処にと訊いたね。何故かと言えば、君を探してさ、リクホくん?」
蠱惑的に眇めた視線が陸歩を打つ。
それは人をからかう風でありながら、もっと深い圧も込められていて、陸歩はわずかに半歩後ろに下がる。
「……オレに何の用だよ」
「君、ノイバウン大陸に行くんだろう?」
「さぁな」
「はっはは。この街から行く先なんて、レドラムダかノイバウンかの二択だ。
となればノイバウンに決まってる。レドラムダは一神教の大陸だからね。社なんて建つわけないもの」
「……。そもそもオレがこの街にいるってどうやって知った?」
「僕は回路神の神託者だよ? 判るさ、君の辿る道くらい」
「…………」
ユノハはゆっくりとした足取りで、陸歩まで間を詰めてくる。
陸歩は前傾にしていた姿勢を戻し、手の炎も消して、それを迎えた。
至近距離で、相手を瞳に映し合う、神にまつわる青年と青年。
「それで。オレがノイバウンに渡るから、何なんだ」
「うん。僕も連れてってくれ」
「っ、はぁ?」
「君の旅に、僕も同行させろと言っている」
余りに突飛な申し出に、陸歩は思考と呼吸を乱した。
何故、何のために。こいつはこの旅の目的も知らないはずだ。……それとも居場所を割り出したように、回路神の権能でもって暴いているのか。
何故、何のために。寝首でも掻こうという魂胆か。隙をついてイグナを奪っていくつもりか。でもそれなら、こちらに気付かれない距離をつかず離れずして、奇襲でもかけてきた方が得だろうに。
何故、何のために。
いや。
何故にしろ、何のためにしろ。
こちらの答えは変わらない。
「馬鹿言え。誰がお前なんかを」
「まぁそうだろうね。そうだろうよ」
ユノハは若干困ったように、「ふぅむ」とわざとらしい息を吐いた。
「でもね、リクホくん。僕を連れて行った方がいい。というより、連れていかないといけないんだ。でないと君は遠からず、道を失くすことになる」
「なんでそんな、」
「何でかって言うとね」
にっこりと、ユノハは勝ち誇ったように言う。
「僕を連れていくことが、正しい手順だからだよ」
「……意味わかんねぇ」
だが。他でもない回路神の神託者の口から出た『正しい手順』だ。
それは無視するには、あまりにも確か過ぎる『預言』である。
セキュアの使徒は、陸歩の懊悩を愉しむように、さらに唄う。
「もう一度言う。我が神名に誓って言う。
僕を連れていけ、ジュンナイ・リクホ。
それが正しい手順だ。僕にとって、でもあり。他でもない君にとって、でもある。
正しい手順だ。
正しい手順だよ、リクホくん?」




