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裏 ≪月光≫

「たっだいまぁ」


 樹の扉が開き、魔女が帰還した。

 裸足で踏みしめるのは白砂の大地で、自ら淡く発光している。

 出たのは林のただ中だが、この木々たちが全て、扉の樹であった。

 空には尽きることのない暗黒と、無数の綺羅星(きらぼし)


 今しがた(くぐ)ってきた扉の樹からは、シュニツェラから連れてきた扉の樹もまた出てくるところで、魔女が適当に指で合図すると林に新たな一柱が根を下ろす。


 先に出ていたライヤはきょろきょろと周囲を見回していた。

 どこの大陸の、どこの街だろうか。

 海のない砂浜、とでもいうような景色だ。

 (たたず)む巨岩さえもが白く、芸術のよう。


「ライヤちゃぁん? こっちよぉ」


 魔女に導かれ、林を抜ける。

 小高い丘の上だったのだと気づいた。

 見下ろしたなだらかな平原にはただ一個、宮殿が鎮座(ちんざ)しているのみで、他には建物もなく、何より草花の一つもない。そのことがライヤには少し落ち着かなかった。

 どこまでも永遠に続く、白浜。


 少し歩いただけで宮殿には容易く着いた。明らかに歩幅と移動距離に矛盾がある。

 この世界自体に何らかの術理が敷かれていることを、ライヤは生まれついての感覚で読み取っていた。


 宮殿の扉の前で、魔女が振り返る。


「さぁライヤちゃん。今日からここが貴女のお(うち)、貴女の故郷になるの」


「は。失礼します」


「もぅ。違うでしょお?」


「は……」


 ライヤは束の間、正解が分からず戸惑(とまど)う。

 が、すぐに思い至ってわずかに赤面した。


「た、ただいま……です」


「はい、おかえりぃ」


 にっこりと笑った魔女が、扉を押し開く。

 出迎(でむか)えるのは赤絨毯(あかじゅうたん)のホール。荘厳(そうごん)だ。

 左右には神の彫刻がずらりと並び、正面には階段。……だが二階はない。階段は(なか)ばで空間ごと途切れ、登ればどこと(つな)がっているのやら。

 天井もなかった。見上げるとそこには青々と揺れる水面があって、つまり、水中から見上げている格好だろうか。陽光が燦々と降り注ぎ、(あか)()らずである。

 壁に()けられた絵画にはどこかの街並みや、砂漠や、霊峰(れいほう)や、孤島が映っていた。それらは皆、今この瞬間も(うつ)ろい動き、景色を微細に変えている。花畑の絵からは蝶がこちらへ抜け出し、また別な絵の中へ帰っていった。


 魔女の居城は、世界中から魔女が気に入った部分を切り貼りして作り上げた、実に身勝手な空間である。


「帰ったわよぉ」


 少しだけ声を張ると、奥から駆けてくる足音。

 転がるように現れたのは十四歳くらいの褐色の少女で、羊のような癖っ毛、両側のこめかみには一本ずつ螺旋(らせん)を描く角。

 その四肢は、鋼によって形作られていた。


「おかえりなさいっ」


「わっ。フェズぅ? いい子にしてたかしらぁ?」


 胸に飛び込んできた少女を受け止め、頭を()でながら魔女は慈母のごとく(たず)ねる。

 それでいて表情は、まるで蛇。

 着々と育ち、年齢を重ねているフェズに対し、満足を覚えていた。


「うん。いっぱい、つよくなった」


「それはいいことねぇ。ママ嬉しい」


 少女はことさら幸せそうに、一層(いっそう)魔女に抱き着いている。


 続いて例の階段を(くだ)って、どこの空間からか青年が現れた。

 青年、ではあるのだが、その面相は女子と見紛(まご)うほどである。線も細く、表情も柔和(にゅうわ)であり、男女を問わず魅了する危険な美を香りのように発散していた。

 鈴の声で言う。


「お帰りなさい、魔女様。――そちらの女性は?」


「ただいまカナくん。んふっ、可愛いでしょ。ライヤちゃんっていうの」


「貴女また、気に入った女の子を連れ込んで……ちょっと、魔女様、それどうしたんです」


 おもむろに青年の表情が(けわ)しくなっていく。

 フェズも見上げて、声にならない悲鳴を上げた。


「魔女様、ほっぺに、ケガしてる!」


「あぁこれ。ちょっとじゃれられただけよ。獣みたいにカワイイ男の子だったわぁ」


「……っ!」


 出て行こうとするフェズの、(くろがね)の手を魔女が(つか)んだ。


「こらこら。どこへ行くのかしらぁ?」


「そいつんとこ! みつけだして、ぶっ殺す!」


「……カナくぅん?」


「いやぁそんな物騒な言葉を教えたのは僕じゃないです」


「フェズ。いいの。ダメよ、今はまだダメ。ママの言うこと聞けない?」


「…………、はい」


 渋々聞き分けた少女に、魔女は「お利口ね」と微笑みを浮かべた。

 そして(かかと)で二度、カーペットを叩くと、気付けばホールはリビングへ変化している。

 魔女はソファーの定位置に腰を下ろし、その左にフェズが陣取り、対面に青年が座った。

 ライヤは所在なさげに立ったままだったが、魔女に右腕を広げてみせたため、おずおずと隣へ収まる。


「その頬の傷、僕が消しましょうか?」


 青年が申し出るのだが。

 魔女は左手でフェズの頭を、右手でライヤの腰と尻を撫でながら、何かひどく上機嫌である。


「んーん、いいわぁこのままで」


「楽しそうですね」


「んふっ、そうかしら? そうかも。こんなに刺激的なの久しぶりよぉ。……びりっびり、キちゃったぁ」


「それはそれは。貴女をそんなに興奮させるとは、誰だか知りませんがその彼には、少し()けますね。

 ……ところで。そちらの、ライヤさん? 何か僕、(にら)まれてます?」


 言う通り、ライヤは青年をじっと見つめていた。

 それは他の男へするよりはずっと(けん)も嫌悪も薄かったが、それでも目つきは十分に鋭い。


「あん、ダメよライヤぁ? カナくんは仲間なんだから」


「は。……すみません、つい」


「……うーん、ちょっとずつ男の子にも慣れていかなきゃね」


 ライヤの厳しい視線に、青年は余裕をもって微笑み、軽く手を振って見せる。

 それに対してライヤは重々しくも浅く頷き、ひとまず今はそれが精いっぱいだ。


「そういえばカナくん、他のみんなは? ライヤのこと紹介しようと思ったのに」


「各々仕事中ですよ。……あぁいや、剣士連中についてはムミュゼくん以外はほっつき歩いてるだけだと思いますけど」


「そっかそっか。みんな頑張ってくれてるかしらねぇ」


 言って、魔女は空を見上げた。

 つられて青年も、フェズも、ライヤも。

 そこにはやはり天井がなくて、漆黒の夜が広がっていて、無数の星々が(またた)いていて。青い惑星がビー玉の大きさで浮かんでいる。

 あれこそが普段、世界と呼ばれている場所だ。


「そろそろ、計画を詰めていかなきゃならないものねぇ」


 ここは月。

 どんな冒険者にも辿(たど)()くことは叶わなかった、夢の大陸。

 住まうのは兎ではなく、魔女とその一派だ。

 彼女らはこうして世界を見上げるとともに見下ろしてもいて、あれを手玉に取る策謀(さくぼう)を、今日も頭の中に描いている。


「千年待ったわ。

 そしてようやく現れた――アタシに相対する者が。

 世界がやっとアタシを危機と認めたの。間違いないわ。

 なら進みましょう、この先の運命へと、足を踏み入れましょう。

 神の扉が開くわよぉ」


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