破:急 ≪障壁≫
後悔は先に立たない。
そんな当たり前、ちゃんと分かっているつもりだったのに。
「…………やっちまったぁ」
いま陸歩は樹上、茂る葉の陰に身を潜めて、猛省の真っ最中だった。
やってしまった。
やらかしてしまった。
いくら頭に来たからって、怒りに任せて大暴れしてしまった。
シュニツェラの女は入れ代わり立ち代わりにかかってきて、陸歩はこれを千切っては投げ、千切っては投げ。
誰一人、殺してなどまさかいない。怪我人は……大怪我は、させていないとは思う。
いざ戦闘、となっても陸歩には最後の歯止めが効いていて、直接は殴る蹴る斬る燃やすのどれもしなかった。空に向かって投げるか、剣圧で転ばすかが精々。
「……やっちまったぁ」
それでも完全に街に対する敵対行動。
今も街門からは新たに女が飛び出して来て、山狩りさながら、陸歩を探し回っている状態だ。
潜んでいる樹の下を二人組が行き過ぎていく。
中には黄色い火の玉――使い魔のようだ――を連れた者もあった。
陸歩は猛省中だ。
自分だけが危機というならまだいい。
愚かなのは、イグナとキアシアがまだ街の中にいるのに、状況を最悪にしたことだ。彼女たちは自らが乞うて送り込んだというのに。なんたる無責任。
今頃二人はシュニツェラ内で女たちに取り囲まれて、大立ち回り。あるいはもっと悪く、すでに捕らえられてしまったかも。
襟元にひっついたままのイグナのテントウムシは、未だに何の反応も示していない。通信すら途絶された状態ということなのか。
「やっちまった」
とはいえ後悔は先に立たないのだ。
もはや穏当に済ますのは不可能。
事がこうなってしまった以上、可及的速やかにイグナ・キアシアと合流、ないしは救出し、シュニツェラより行方を眩ます他にはない。
となると。
「押し入るにゃあ、どっからかな」
タイミングを見計らって、陸歩は樹から樹へと飛び移った。
荷物は最初の枝に置き去り。鈴剣はナイフ大まで縮め、犬のように口にくわえた格好で。
木登りは陸歩の得意分野で、彼の身体能力も合わせれば樹上の隠密も訳はないが、それでもいくらか木の葉が騒ぎ、途端に下からいくつも矢が飛んできた。
あの女ども。
とりあえず射っている節がある。
陸歩は矢を甘んじて受けた。
肌に突き刺さる……が、どんなに鋭利な鏃であっても彼の皮膚を裂くほどではない、食い込むだけ。それでも大したものだが。
そうやって大人しくしていれば追跡者は、樹の上に何もいないのだと誤認し、すぐに行ってしまった。
「…………」
息を殺して、陸歩は街の様子を伺った。
街壁は高く、しかし彼が力任せになれば乗り越えられるものだ。
ここから一気に飛び移ってしまうか。
何らか防衛機構が用意されていて、罠が発動する可能性は大だが、勢いで突破するよりないか。
「……?」
その時、街中から白い煙のようなものが立ち始める。
何事か。
合わせて山狩りの女たちもぞろぞろと引き上げて行って、陸歩は嫌な予感が首の裏を滑り落ちていくのを感じた。
何か儀式か。
イグナ・キアシアの処刑、火炙り……いやいやいや。
焦りが募る。
が、突っ込むのもためらわれる状況となってしまった。
煙が『それ』を可視化したのだ。
街の上空を、街壁から続き、すっぽりと覆う光のドーム。
あれも魔術だろうか。表面には白い呪紋が複雑に描かれていて、煙は内部で充満するばかりで外に漏れない。どうも密閉されているらしい。
「なるほどね……矢倉よりも上等なセキュリティもあるわけね」
渋面を作った陸歩は、しかしそれ以上の思考を無駄と切り捨てた。
四の五の言っても仕方ない。リスクの計算なんて身勝手だ。イグナとキアシアがどんな窮地かも分からないのに。
今はもう、この命を賭けることだけが、最後の誠実。
「せー……――のっ!」
呼吸を整えて、一気に跳躍。
未だ残った追手たちが気付いて火矢を放ってくるが全て無視。
街壁すら超えて、街の上空まで跳んだ陸歩は、そのまま体重を乗せた両足で光のドームを踏み抜く腹だった。
「んぬっ!?」
破れない。
光の障壁はバチバチと弾けながら陸歩を拒み、あまつさえ電撃さえ流してくる。
歯を食いしばった彼は、もう一度空中へ跳ね、小刀のままの鈴剣へ炎と渾身を込めて、逆手に構えてドームへ叩き込んだ。
「おぉらぁ!」
破れない。
まるで超強力なゴム。込めた力は弾力として陸歩に返って来て、押し返された彼はさすがにバランスを崩し、ドームから転げ落ちていく。
「う、わ、わっ!」
壁から滑り落ちる直前、とっさに生えている草花を掴む。勢いは殺せず、ブチブチと引っこ抜いてしまうだけだ。
「くっそ!」
鈴剣を突き立てることで、ようやく止まった。
宙ぶらりんの格好になった陸歩は、ぜいと荒く息をして、下も上も忙しく警戒した。
幸いなのか、地上に追手の姿は、今のところはない。
もう一度登って、ドームに挑むか。
いや……あれが魔術という条理外のルールで組み上げられたものなら無駄だろう。魔力はこの世に有限のエネルギーであるから、理屈の上では突破できないことはないはずだが、一体いつまで時間がかかるか想像もつかない。
「なら、もっと実力行使だ……っ!」
陸歩は翼を広げた。
陸歩は鈴剣を握るのを右手に任せ、左手に光輪を浮かべた。
神託者の力だ。多数を灰燼に帰す滅殺の波動。
街壁を丸ごと砂に変えてやる。
放つ――
「おぉおおおおぉ!」
こめた力が強すぎて、街の周囲の樹木まで削り取ってしまった。
だが。
「っ、なにっ!?」
壁は健在。
神威が効いていない、訳ではない。覆っていた草花が剥げ、土の肌が露わになってはいるのだから。
それも何か術理が練り込まれているのか、すぐさま新たな若芽が顔を出し、恐るべき速度で壁を元と同じように緑や赤や青に包み込んでいく。
しまった。
「やられた……っ!」
陸歩に委譲された神威は多数派を殺す能力だ。
それは今、正しく行使され、壁から多数派たる草花を殺しきった。
壁自体は少数派と見なされたから、神威の範囲から逃れたのだ。
そして草花は再生を始めている。
「このぉ!」
もう一度、滅殺の波動を解き放つ。
しかし繰り返しになるだけだ。
どんな力でも、込めたらその後、必ず息継ぎが必要になるのは道理。陸歩の神威は壁の植物どもを消し去ったところで一旦薄れ、その間に緑は再生していく。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
もう一度。
同じことだ……。
何度やっても……。
何度やっても…………。




