破:破 ≪要請≫
昼を過ぎた頃、キアシアさんは目を覚ましました。
「あ、れ……? あたし、寝てた?」
「はい。お疲れだったのでしょう。ここのところ歩き通しでしたし」
ワタシの手はほとんど反射と言える自然さで、キアシアさんの髪を撫でていました。
きっとAI内に、彼女を労わりたいという判定が溜まっていたのでしょう。
キアシアさんは落ち着いた吐息を漏らします。
処はソファー。
座って少し休んでいたら、彼女はすぐに眠ってしまったのでした。
ベッドへ運ぶべきか、とても迷いました。世の中には――例えばリクホ様がそうであるように――着替えをせず寝具に包まることを、忌避する習慣の方がいると学んでいましたので。
結局、ワタシの膝枕という形でお休みを。
「んんー……これ……なるほどねぇ」
「キアシアさん? くすぐったいです」
起きたキアシアさんは、しかしまだ起き上らないまま、ワタシの膝に頭を預けたまま、頬や掌で膝や太ももを撫でるのです。
「リクホがはまるのも分かるなぁ。イグナの脚、やわっこくてスベスベだし。いい匂いするし」
「キアシアさんこそ、綺麗な御髪です。たまにリクホ様も見惚れていらっしゃいます」
「えぇー?」
やられっぱなしも癪でしたので、ワタシもキアシアさんの髪を手櫛で梳かしつつ、耳をくすぐりました。
甘やかに悶える彼女の笑い声が部屋へ響きます。
ひとしきりじゃれ合った後、さて、とキアシアさんは身体を起こしました。
「お腹すいちゃったし、買い物に行こうか。それで要るものを揃えて……すぐに出発しましょう」
「よろしいのですか。もう少し、一晩くらいは休息を取ることが推奨されますが」
「うーん……この宿は居心地いいけど……。リクホを一人、外で待たせてるわけだし」
それには完全に同意しますが。
しかしながらワタシには、そのリクホ様より課せられたミッションもありますので。
なんにせよ、一度街に繰り出すべきでしょう。
買い出しにしろ、魔術の観察にしろ。
着替えや整髪等、身支度を済ませたワタシたちは、梯子を下りて宿泊所から出ました。
どこか買い物の出来るところを、と探しますが。
忌憚なく言わせて頂ければ、シュニツェラの街並みは見かけ上、だいぶ前時代的と言えます。
建物は前述の通りの高床式。内側はあのような設えでしたが、外からは木造の小屋でしかありません。それらが点在し、互いに等間隔を守っています。
道路は全て草原で埋め尽くされ、行き交う人々は全部女性にして半裸で裸足。
いっそ原始的と呼んでもよいのでしょうか。
商店はすぐに見つかりました。
あちこちに茣蓙が広げられていて、生花や果物やそれらの加工品が並べられているのです。
いえ。正しくはそれは、商店ではありませんでした。
「あのコレ、いくらですか?」
「…………?」
「えぇ……」
果物の盛り合わせに目を留めたキアシアさんが、茣蓙の主に訊ねますが、相手は全くピンと来ていません。
キアシアさんはすっかり困ってしまった様子なので、今度はワタシが。
「こちら、頂きたいのですが」
「あぁ」
「……。よろしいのでしょうか。頂いてしまいますが」
「? あぁ。好きにしろ」
ワタシも困りそうです。
「つまり、ただで持って行ってよい、と?」
「…………? 言っている意味がよく分からない。とにかく、好きにすればいい」
ここまでとは。
貨幣経済がないのは伺っていましたが、物々交換すら敷かれていないなんて。
社会主義的? 共産主義的?
いいえ、それらともまた異質。
「……なんか、疲れるっていうか。……怖いっていうか」
「はい。ワタシも同じ感想です」
キアシアさんも同じところに違和感を抱いてました。
シュニツェラの住人は、誰一人、表情と呼べるものを浮かべないのです。まるで能面。
店を広げる人も。通りがかる人も。いま家から出て来た人も。
そんな人々が貨幣も引換も求めずに、執着も興味も見せずに物品をくれるのですから。
得した、と楽観はとても出来ません。
ひたすら不気味。
店のようにして並べられた物品の中には加工された物もたくさんあって。ならば加工の手間があったはずで。
何故それに対し、興味を一切抱かないということが、出来るのか。
まるで。
「…………ヒトじゃないものが、人の真似をしているみたいだよ」
「えぇ。かつてのワタシのようですね」
半分は茶化すつもりで言ったのですが、キアシアさんは怯んでしまいました。失敗。
ので、ワタシは小さく微笑みかけます。ワタシは笑顔になれるんだよ、という確認の意味を込めて。
あとは理屈で補強。
「環境もあるでしょうが、そもそもこの街の人々は、精神に特徴を持っているのかもしれません。魔力は心に関連する力と、記述している書物もありました。
あるいは女性同士の交配による影響か。もしくは血を濃くし過ぎているのか。
決して差別的意図はありませんが、例えば近親相姦によって生まれた個体は、精神に変調をきたす傾向が確認されています」
「そう、なんだ。……まぁ魔術師に変人が多いっていうのは通説だし」
こんな調子で、ワタシたちは旅に必要なものを集めていきます。
全く苦労はありませんでした。道に落ちているものを拾っていくのとほとんど変わらない程度の手間です。
軽く近所をウロウロしただけで、もう十分。
果実、野菜、穀物、それらを干したもの、缶詰にしたもの、瓢箪には中に飲み水が詰められています。などなどなど。
「じゃあ、イグナ、戻ろっか」
「…………。はい」
さすがに往来で大っぴらに魔術を広げている方はいませんでした。
思案のしどころではあります。
リクホ様の益のため、もう少し突っ込んだところまで調べるか。
かといってキアシアさんに負担や危険を強いることは、我が主は望みますまい。
なんにせよ荷物を抱えた状態では取り回しが良くありません。
一旦、宿へ。
と。ワタシのアイサイトに人影。
「あれは」
「え? ――あぁ」
ワタシたちに貸し出された家の、梯子の根元で待っていたのは。
グネンライヤ女史。
腕を組み、空を見上げてぼんやりとしていらっしゃいます。
何か用事でしょうか。
先方も帰ってきた我々に気付きました。
「お前たち」
「ライヤさん、どうかしました?」
キアシアさんがそう声を掛けると、彼女はことりと首を傾げます。
「ライヤ……?」
「あ、えっと、『グネンライヤさん』だと、なんか固い感じするし、可愛くあだ名でライヤさん。嫌でした?」
「可愛く、か……。気に入った。そういうのもあるんだな」
ふっと微笑む彼女は、本当に花のよう、元の美貌が五割増しになったよう。
なんと劇的な変化でしょうか。ライヤ女史。まるで別人。
ほんの数時間前にあったときには、その他のシュニツェラ民と同じく無表情であったのに。
今はその面相に、感情が萌しているのです。
街の住民の無表情を不気味がっておいて、自分勝手と理解はしていますが、ライヤ女史の様子はそれはそれで、警戒対象たり得ます。
感情のない街で、一人感情を見せる者。
失礼ながら、これもまた、不可解。
慎重に訊ねます。
「なにか、御用でしょうか」
「あぁ。お前たちに、折り入って頼みがある」
「ワタシたちに?」
「そうだ。一緒に来てほしい」
キアシアさんとアイコンタクトで相談。
シュニツェラに深入りできるチャンスか。
シュニツェラに深入りしてしまう危機か。
キアシアさんが、恐る恐る。
「えーっと、どこに行くんです?」
「私の家だ。すぐ傍にある」
「……プライベートなお願いです?」
「……? すまないが質問の意味がよく分からない」
「あっと、あー、だから、」
「シュニツェラではなく、あくまでライヤさん自身の御用、でしょうか」
後を引き取って質問すると、ライヤさんは得心したように頷きます。
「あぁ、そういう意味か。プライベート、と言うのか。
――そうだ。街は関係ない。私の、私自身の、用事だ」
言うと、ライヤさんはまた見覚えのある蠱惑の表情で、唇を舐めるのでした。
>>>>>>
結局、ライヤさん宅にお邪魔することに。
本当に近所でした。
だからこそワタシたちの案内役に抜擢された、と考えるのが妥当でしょう。あるいは監視役も兼ねているのやも。
彼女の家も他と同じ高床で、地面には草を刈って魔方陣が敷かれていて、建物の中は見かけよりずいぶん広いもので。
ただし調度品はずっと簡素です。最低限の棚とテーブルと椅子と、そのくらいでしょうか。
とはいえ飾り気がないかと言えばそうでもなく、山ほどの花が生けられていて、空気がしっとりと甘く感じられました。
目のやり場にはだいぶ困ります。キアシアさんも同じ様子。
何故って今まさに、すぐそこで、ライヤさんは裸になって着替えの真っ最中なのですから。
実に魅惑的な背中、お尻、肢体ですこと。
「ら、ライヤさん? 着替えなら、奥でしたら……?」
「なぜ」
「なぜって……」
「お前たちに頼りたいのは、これなんだ」
ようやく着替え終わったライヤさん。
が、その衣装は、なんというか、あまり衣服としての機能を成していないよう見受けられます。
肌の色が透けるほど薄いですし、あちこち隙間だらけですし。
その姿を、裸よりマシと見るべきか。裸の方がマシと見るべきか。
少なくともワタシなら、リクホ様以外の前では絶対に着ません。
それでもこの場で赤面しているのはキアシアさんだけ。ある意味では彼女が一番可哀想でもあるかも。
「あの、ライヤさん? ちょっとその格好は、無防備すぎませんかー?」
「入浴着だ。問題ない」
「はぁ……」
「お前たち。この私を、花で飾ってくれないか」
つまり、コサージュをあしらってほしい、と。
まぁこの部屋を見れば、素材には困らないでしょうが。
「なぜ、余所者のワタシたちに?」
「この街の人間は、そんなことをしようとも思わないし、上手く飾ってもくれまい」
なるほど……と思ってしまうのは失礼でしょうか。
しかし納得は出来てしまいます。
この街の民の、あの執着のなさ。確かに衣装に面白味を求めそうには、到底ありませんでしたから。
「お前たちなら、世に言うお洒落というやつが、分かるんじゃないのか?」
「んん……それなりには?」
「一通りでよろしければ、確かに心得てはおりますが」
答えると、ライヤさんは安堵したようにため息を漏らしました。
なにやら熱っぽい吐息。
ワタシ自身にも、覚えがないでもない、その息遣い。
「……私は、どうかしてしまったのだろうか」
「へ?」
「と言いますと」
「今晩、来賓があるはずなんだ。この街に。その方のことを思うと、この辺りが、熱くて、痛くて、うるさいんだ」
「…………」
「…………」
この辺り。
その、左胸の、肋骨の奥の辺り。
思わずワタシはキアシアさんと顔を見合わせます。
ライヤさんはもう、自分の世界という様子で、さらに続けました。
「私はどうかしてしまったんだ。
あの人に見てもらいたい。あの人に名を呼んでもらいたい。あの人に触れてもらいたい。他の誰でもなく、このグネンライヤを選んでもらいたい。
そればっかりで、頭が、身体の中が、いっぱいなんだ」
「あーっと……確認なんですけど、そのお客さんって……女の人?」
「当然だ」
「当然かぁ」
当然だそうです。
それにしても、なんというか、重大な頼まれごとをしてしまったような気がします。
とはいえ拒否するという選択肢……有り得ませんね。
我々は乙女という同種であり、その胸中は痛いほど共感できるのですから。
キアシアさんも困ったように肩を竦めつつ、腕まくり。
「まぁ、恋は自由だものね」
「恋。私は、恋をしているのか」
「おそらく。ライヤさんから聴取した状態を、病気や体調不良以外に当てはめるならば、それしか考えられないかと」
「恋……」
「お花、その辺の使っちゃいますよ?」
「ライヤさん、その椅子に掛けてください。まずは髪を整えましょう」
「恋……」
ぺろりと、舌が唇を。
「そうか。――私は恋をしたのか。この私が。
あの方は、喜んでくださるだろうか」




