破:序 ≪逆上≫
閉ざされゆく門の隙間から、最後にイグナとキアシアの姿を見送った。
固く隔てられた街の内と外。
陸歩はため息をついた。
「さて、と……」
いつまでも門前に突っ立っている訳にもいかない。
荷物を背負い直す。
ひとまずは林の中に戻る。今もまだ、敵意の視線が肌のあちこちに突き刺さってくるのをはっきりと感じていたし、それがいつ矢に代わるとも知れないし。
そうしてから、竹林に潜む虎の心を気取りつつ、右手方向へひっそりと歩いた。
針葉樹林に紛れながら、街の外周を観察していく。
もし万が一、荒事が起こった時のため、可能な限りの一通りを見ておくに越したことはないからだ。
壁はやっぱりどこも花に包まれていて、植物の知識なんて身に付けていない陸歩には、イグナの助けがなければ赤いか青いか、後は緑かくらいしか分からない。
当然だが街壁に途切れている箇所などなく、等間隔で立つ矢倉がさらに威圧している。
その気になれば乗り越えられそうな壁ではあるが……陸歩はずっときな臭さを感じていた。勘の域を出ないことだが、何か嫌な雰囲気が漂っている。例えば花の下に罠が埋まっていて、触れると作動するとか? 彼は勘にはあまり逆らわない質だった。
「…………背中、ムズムズすんなぁ」
ぼそりと呟いた。
一度たりとも剥がれずにへばり付いてくる視線が二人分、いや三人分。
見張りか。
シュニツェラの、当然の対応だ。男を大層嫌っている様子だったし、その男一匹が街の外をうろついていたら、不埒を働かないか監視するのは当たり前だ。
それにしても。
「オレもちょっとはマシになってんのかね」
一人悦に浸り、うんうんと頷く。
気配を察する、というの今度は勘の話ではなくて、剣士には技術として立派な理屈がある。そしてそれは剣術を熟達させていけば併せて養われていく技能だ。
付かず離れずの監視者を目視せずとも見出せたということは、つまり陸歩の剣の腕が上がっていることを裏打ちしていた。悪くない。
もっとも彼には超人薬由来の強靭な五感が備わっているわけだから、生身の剣士よりは察知に対してだいぶ優遇はされているのだが。
こちらが呑気を見せていたら、監視者たちは攻めてくるだろうか。
陸歩はそっと杖にしている鈴剣を左手に持ち代える。
自衛のためだ。が、少しだけ……ほんの僅かだけ、暗い期待もあった。
剣を、己の腕を、試したい。
思いっきり暴れたい。
だいたい、矢を射かけられた時点で、やり返しても正当なのではないか?
どう転んでもこの街に社が建つわけはないのだし、多少強引な手段も、十分考慮に値するのでは?
「…………馬鹿か、オレは」
どうにも調子に乗っている。危険だ。
陸歩は大きく呼吸した。
剣士としてあまりに不届き。師匠にこの心が知れたら、何とどやされることだろう。
正しき剣は、正しき所作が結ぶ。
正しき所作は、正しき心が結ぶ。
一番始めに習い、一番最後まで忘れるなと何度も言われたのに。
修行が足りない。
陸歩は立ち止まって、何度も何度も大きく呼吸した。
「――――?」
その時、陸歩は周囲の気配が無数に増えたのを感じた。
いや、気のせいか?
いや、気のせいじゃないか?
目を細めて耳を澄ました。
この『耳を澄ませる』というのもやはり剣術の一つで、意識が正しい作法を踏めていれば、現実を追従させて何倍もの知覚が可能だ。
その他諸々と同じく、この技も目下練習中の陸歩だが。
「…………やっぱり、」
気のせいじゃない。
弱々しいが確かに感じた。これは鼓動だ。それも群れ単位。
花壁の向こう、街の中からだろうか。家畜小屋でもあるのか。陸歩の力量ではまだまだ判然としない。
好奇心と警戒心を等量に胸に、彼はその気配を辿った。
樹林が開ける。
木々が一部切り拓かれていて、そこだけ土が白く、また程よく耕されていた。
どう見ても畑だ。
畝が盛られ、野菜か何かの頭の葉っぱが、青々と顔を出していた。
よほど重要な作物なのか、街壁には一際物々しい矢倉が設えられ、この場所を見守っていた。
それにしても。不気味だ。
「いったい、何を育ててやがる……?」
どう見ても畑だ。
それでも陸歩が感じたのは、勘違いでなかった。
弱々しいが、これは鼓動だ。鼓動が聴こえる。それも群れ単位。
この畑から。
まるで動物のような、脈拍が、いくつもいくつも。
好奇心が強まる。
警戒心もだ。
陸歩は矢倉を気にしつつも、意識と集中の大半を畑へ割いて、さらに、一歩。
背に衝撃。
「――それ以上は近づくな」
振り返ると半裸に花を着飾った女がいて、つまりはシュニツェラの女、監視者の一人だ。
それが今まさに、弓に第二射を番えるところ。
第二射。では一射目は。
すでに陸歩は把握していた。背中のリュックに、矢が刺さっている。
「…………」
「とっとと離れろ。お前のせいで花咲く前の若芽たちが穢れたらどうしてくれる」
「…………」
女の目は、敵意と憎悪で燃えていた。
しかして、陸歩の髪の毛の先も、チリチリと炎を灯し始めていた。
彼が背負っていた荷物を降ろし、女は眉を怪訝に寄せる。
彼が持っていた杖から鞘を払い、剣を露わにし、女はハッと目を見開いた。
「あんまりぃ……調子に、乗んなよテメェえぇえぇ!!」
端的に言ってしまえば、陸歩はキレたのだ。
彼は神の代行者ではあるが、心は当たり前の青年どまり、決して聖人君子などではない。
手前に落ち度なしと少なくとも自身は思っているところへ矢を放たれ、荷物に穴を開けられては、とても寛大でいられなかった。
どれだけ大切な畑か知らないが、こちらは聞く耳を持っているのに。言葉より先に射撃とは、一体全体どういう了見か。
あまつさえ、あの言い草。人のことを、まるで蛇蝎かナメクジかのように……。
ひとまずこの女は叩き伏せてやる。
後先考えずにそう決める程度には、陸歩の理性は吹き飛んでいた。
正しき剣は、正しき所作が結ぶ。
正しき所作は、正しき心が結ぶ。
では。
荒れ狂う心が導く刃は、一体どのような凄惨を生むのか。
「ゴァアアアアアアアァアア!!」
紅蓮をたてがみにしたケモノが、真っ赤な咆哮を上げる。




