序:急 ≪街中≫
リクホ様から重大なミッションを仰せつかりましたので、ここから先は精度を上げて記録することに致します。
魔女たちの住まう花園、シュニツェラ。
通りすがりの我々にも豊かに感じられる、この街の魔術の息吹。
ワタシの役目はそれを余すところなく観察し、リクホ様へご報告すること。
リクホ様と離れ離れな状況に、ワタシはわずかなノイズを検知中。
しかしキアシアさんがいてくれるため、ワタシのAIは十分『落ち着いている』状態に収まっています。
むしろ彼女の不安を癒すことこそが優先順位第二位と定め、手を握りました。
「ありがと、イグナ」
「いえ。今のキアシアさんは、ワタシのセカンドユーザーですので」
ワタシたちが街に踏み込むと直ちに、街門が軋みを上げて閉じられていきます。
隙間から最後にリクホ様の姿が見え、それもわずか数秒、固く遮られてしまいました。
と、数人の女性が一斉に壁同然となった門へと掌を向け、古の言葉を何節か。
疑問には思ったのです。
門の内側に、閂がないことを。
なるほどと思いました。
外と同じく、中も壁面には無数の花。そこへ浮かび上がった、複雑怪奇な光の呪紋。
それは瞬く間に壁全体へと伝播していき、さらには街の上空までをドーム状に包みました。
魔術によるセキュリティ、しかもこの規模。
この世界についての見識はだいぶ広げたつもりでしたが、いえ広げたからこそ、これが並外れたことだと分かります。
「すごい……」
キアシアさんもワタシと同系の反応でした。
神秘を帯びる彼女の魔眼は大きく見開かれ、まるで目の当たりにした魔力防壁と共鳴するかのように、藍色に輝いています。
しかし。
不確定要素が増してしまいました。
物理的な障害であれば、リクホ様はものともしないでしょう。が、それが魔術による壁となれば、どうか。
「こっちだ。来い」
女性の一人がワタシたちに促します。
確認のようにキアシアさんと頷き合い、女性の先導に従いました。
シュニツェラの街並みは、ある程度は予想通りでした。
道の全てが草花に覆われているのです。
柔らかな緑の絨毯のよう。そのためなのかこの街の女性たちは誰も、靴を履いていません。
そして点在する、睡蓮に似た大輪。
興味深いのは建物の全てが高床で、長い足に支えられて二階の高さにあるのです。
梯子かロープが掛けられていて、これで出入りするのでしょう。
……何故、床を高くしておく必要があるのか。ネズミでも出るのか、あるいは洪水か。
前者はここまでの道のりで一匹も見かけませんでしたし、後者もこの針葉樹林の真っただ中で、お目にかかるものでもないと思いますが。
建築物は全て木造。まぁこれだけ周囲に木材が豊富であれば、当然と言えます。
そして目を引くのは、建物の真下の地面。
そこだけは植物がなく、黄色がかった地面が剥き出しで、そこに魔方陣が敷いてあるのです。
円に四角や三角をいくつも組み合わせた陣はくすんだ黒で、どうやら金属製。融解させた合金で描いたのが冷え固まったものと見受けられます。
その図の示すところはワタシには分かりませんが、中には淡く赤い光を放っているものもあって、そういう建物には梯子がありませんでした。
道行く人は、本当に全員女性。
……誰からも厳しい視線は受けませんでした。奇妙なことです。
男性、つまりリクホ様のことはあれだけ嫌悪していたのに、その同行者であるワタシたちには何の負の感情もない。
シュニツェラは、一体どういう理由で男子禁制なのでしょうか。
先導の女性に訊いてみることにします。
「お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「着いたぞ」
しかしタイミングが悪い。
女性は建物の中の一軒を指し示しました。
「客用の家屋だ。ここで寝泊まりするといい」
「ありがとうございます」
まず先に女性が梯子を登りました。
ワタシが目で問うと、キアシアさんは意を決したように続きます。最後がワタシ。
登りきるより先、キアシアさんの息遣いが大きく乱れたのを感じました。
すわ、危機的状況か。
跳躍に切り替えて一気に入室を果たすと。なるほど。
これは。息を呑むのが道理というもの。
「ひっろーい……っ」
キアシアさんの呟く通り。
まるで五つ星スイート。高級な椅子やテーブル、家具が揃えられ、高い天井ではシーリングファンがゆっくりと回っています。
ワンルームでなく、ざっと見ただけでも五部屋以上がある様子。
何が不可思議かと言えば、外から見た建物は、こんな部屋が入り切るほど大きくないのです。縦にも横にも。
これで地面に刻まれていた魔方陣の意味が知れた気がしました。
空間の圧縮。明らかに、魔法。
「本当に、借りちゃっていいんですか? こんなにいい部屋」
キアシアさんが問うと、女性は表情を変えないまま頷きます。
思えばこの街の住人が、顔に色を浮かべたのは、リクホ様へ嫌悪を見せたときだけでした。あとはこの人も、見かける誰も全て、無味乾燥で凪いだ湖面のような無表情。
「好きに使え。客のために用意してあるものだからな」
「実は今、あんまり持ち合わせがないんですけど……」
「…………。あぁ、金か。無用な心配だ。そんなもの、この街では何の価値もない」
少し驚きです。
シュニツェラは貨幣経済が存在しない、ということでしょうか。ならば他の街との交易もないか、あっても相当薄いということになります。
とはいえそれはそれで納得。
街を閉じて女性だけの世界を維持しようと思ったら、余所との交流など断たねばなりますまい。
「何日滞在されても、こちらは一向にかまわん。見返りを求めるつもりもない」
「えぇ……? ありがとうございます」
「しかしワタシたちは外に主を待たせているので、そう長居はしないつもりですが」
試しにそう言ってみました。
何か女性の様子が変わるかと思ったのですが、そんなことはなく、ただ「そうか」とだけ返ってきます。
訊きそびれた問いが、ワタシの中でまた強くなるようでした。
なので今度こそ。
「お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「なぜこの街、シュニツェラは、男性を忌避なさるのでしょう」
「男と交わることで、女の持つ神聖が濁り、薄まるからだ」
間髪入れない、まさしく即答。
しかし内容の詳細は不明。
ワタシの知らないこの世界の常識かと思い、キアシアさんに確認の目を向けてみましたが、彼女も細かく首を振るばかり。
なので先を促す意味で、案内役の女性へ視線を戻します。
「女は神より発した天使から、さらに派生した生き物だ。
男は悪魔が天使に近づこうと、変化した結果生まれた生き物だ。
男は女の純潔と神聖を奪うよう出来ている」
「はぁ。初めて聞く神話ですが」
「史実だ」
言いきられました。
「私たちはそうやって生まれてきたのだ。
そしてシュニツェラは、その生まれを維持する街だ。血の循環を女にだけ限っておけば、私たちは何世代を経ても力を失わない」
何となく、『盲目的』という意味での宗教の匂いがしてきます。
しかし。
この街の女性たちの豊富な魔力は、生活で魔法を密に使用していてもまだ褪せることのない美貌で知れます。
あながち的の外れた保守行動でもないのやも。
魔術師の中には魔力が漏れ出ることを厭い、瞼を縫い付ける一派がある、と記載していた書物も呼んだことがありますし、それと同じような行いでしょうか。
ところで。
「女性だけの街で代を経る、血の循環を女だけに……と仰いましたが。生殖はどうなさるのです?」
「うぇ、イグナ? それ聞いちゃうんだ……」
「魔術に不可能はない」
きっぱりと、彼女は答えました。
本当に、常に迷いも淀みもない方ですこと。
「女同士の愛を結ぶなど容易いことだ」
「興味深いお話ですね」
「そうか。望むのなら、お前たちにも術を施すが」
思わずキアシアさんと顔を見合わせます。
「あたしと……?」
「ワタシが」
「いや、ないかなぁ! ない! あたしたち、そういうんじゃない!」
「ないですね。ないでしょう」
「そうか。まぁ今のうちはそうなのだろう」
「いや今のうちっていうか!」
「ずっとそうかと」
「そうか」
会話も案内も済んだと判断したのか、女性は名残りも何もなく踵を返しました。
そして実に器用に、手を使わずに梯子を降っていきます。
そういえば、とワタシは思い出しました。
「あの。もう一つよろしいでしょうか」
「なんだ」
「貴女のお名前を伺っておりませんでした」
見上げるように振り返った彼女は……。
――そんなに難しい問いをしたでしょうか。
質問の意味を吟味する時間をたっぷりと取ってから、「あぁ」とため息のように理解の声音を漏らします。
それはまるで、この街には必要のない貨幣の話題に触れたときと同じ。
それはまるで、そんなことは意識に上せるのも数年ぶりといった仕草。いや、それとも、初めて?
「グネンライヤ。私の名は、グネンライヤだ」
言って、彼女は名乗るという行為の味を確かめるように、その艶やかな唇を蠱惑的な舌で、ぺろりと舐めました。
恍惚と。




