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序:序 ≪放浪≫

「いい天気だなぁ、イグナぁ……」

「はい。神の恵みを感じます」




 懐かしい夢を見た気がする。

 子どもの頃の、まだ無邪気だった頃の夢。

 姉に手を引かれて街に買い物に行く、そんな景色だった。

 ほんの鼻先で揺れる姉の長い髪は、色あせた視界の中でも神様のように金色にキラキラしている。

 ……失われた日々はあんまり寂寥感(せきりょうかん)が強くて、涙腺に(せま)って、胸が痛くて、彼女の意識は目覚めることを激しく望んだ。


「…………はぁ……」


 身体を起こしたキアシアは、まず目頭(めがしら)を気にした。よかった、泣いてはいない。

 それから気付いた。テントの中、陸歩もイグナも(すで)にいない。(たた)まれた寝袋があるばかりだ。


 起き抜けでまだしも本調子でないまま、キアシアはテントを出る。

 と、すぐに陸歩とイグナを発見。

 いくらか木を伐採して作った野営地の真ん中、日向(ひなた)になっている箇所(かしょ)で二人して体育座りして、日光浴の真っ最中だった。


「おはよ……」


「おう。おはよう、キア」

「おはようございます」


「早いわね、二人とも……」


「もうちょっと寝ててもいいぜ?」


「ん……大丈夫……」


 とりあえず湯を沸かそうとキアシアが薬缶(やかん)を手に取ると、陸歩がすかさず(たきぎ)の山へ向かって指を振った。真新しい炎がボゥと燃え上がる。




 朝食の準備はひどく簡素で、また手短(てみじか)だった。

 仕方のないことだが、キアシアはプライドが傷つかないでもない。

 穀物を三番煎じの茶で伸ばし、乾物(かんぶつ)を軽く加えた(かゆ)は何とも(わび)しい。

 しかもそれを、自分だけが食べていることも、キアシアをますます気後れさせた。

 陸歩とイグナはまだ日向の中、茶をのみ(すす)っている。


「ねぇ……一口くらい、食べない?」


「いいってもう。味見分はもらったし」


「うん……」


 しょんぼりと肩を落とすキアシアに、陸歩はため息が出る。

 この娘は。気にしすぎ。


「あのなキアシア? オレもイグナも本当は、日光があれば飯は食わなくても平気なんだ」


「知ってる……」


「でもお前の作る飯は最高だから大好きだ」


「……ありがと」


「でもでも、今は緊縮財政だ。節約出来るものは節約しなきゃ。食料は生身のキアシア優先。当然だろ?」


「うん、わかってる……」


 そりゃあ分かっているだろう。ここ数日、食事のたびにしている会話だ。

 陸歩たちは約五日ほど、放浪を続けていた。


 目標を北方のノイバウン大陸、もしくはレドラムダ大陸と定めたのはいい。となると海峡(かいきょう)を渡る必要があって、つまりは船の出る街を探す必要があった。

 これがなかなか難航している。このところずっと、カシュカ大陸北部を右往左往(うおうさおう)

 先に北西を旅していたが、どうも空振りらしいと察して東に進路を改めたのが八日ほど前のこと。


 ひたすら歩いた。

 カシュカの北部は手つかずの森林地帯がほとんどで、街の全くない人的空白地帯が珍しくないのだから参る。

 野宿が常となり、物資の補給もままならない日々が続いている。


 何よりキアシアが日に日に元気をなくしていくのが良くない。

 体調・体力の話もないではないが、それよりも問題なのはメンタルだ。

 あくまで常人の脚力の彼女は、旅がこうして停滞しているのを自分のせいと思っている節があるのだ。そんなことないのに。


「せめて獣でも()れりゃなぁ」


 思わず陸歩はぼやいた。

 何故かは不明だがこの辺り、生物もあまり見かけない。動物性たんぱく質なら何でも大歓迎な状況だし、キアシアなら爬虫類でも昆虫でも料理してくれるのに。

 イグナのサーチにもろくに引っかからないのだから尋常な事態でないのかもしれない。

 そういう意味で陸歩もこの森林に対し、たいぶ警戒心を()いていた。


「道に迷ってる……わけじゃないよな、イグナ?」


「はい。現在地は把握できております。周辺地図も。昨日までのペースでいけば、あと二日から三日ほどで人里(ひとざと)に出られることでしょう」


「そっか。なら、もう少しの辛抱(しんぼう)か」


 ぐいと茶を飲み干した陸歩は、テントを(たた)むべく立ち上がる。


>>>>>>


 それにしても景色が変わらない。

 行けども行けども密集する針葉樹林だ。


 人の生活圏から遠いのだから、街道なんて気の()いたものは当然なく、陸歩たちは樹木の間を()って進まねばならない。

 延々と等間隔に群れる木は、木自身が他の木陰に入ってしまうことを避けた結果出来上がった景色である。が、なんとなく何者かが作為的に配置したような、そんなプラスチックな不気味さも感じる。


 土は、足を取られるほどではないが柔らかい。肥沃(ひよく)と言って差し支えないが、育つのが杉や(ひのき)ばかりでは陸歩たちにはあまり有難(ありがた)くもない。せめて果実を付ける樹木であれば。

 時たま靴の爪先が落ちているマツボックリを踏みつぶす。そこら中に転がっていて、良い燃料にはなるのだが、さすがのキアシアも料理には出来なかった。


「…………」

「…………」

「…………」


 とっくに会話は尽きていた。

 音と言えばそれぞれが土を踏む音か、陸歩が杖にした剣の鈴か、それくらいだ。

 生き物の気配はちっとも聞こえない。

 まるで雪中を行進しているのかと思うほど、耳に痛い静寂。


 突然、陸歩は足を止めた。いやイグナが先だったか。

 ほとんど微睡(まどろ)むようにして歩いていたキアシアは、彼の背の荷物に顔から突っ込んでしまった。


「んぷっ。な、なによ」


「しっ」


 尻餅をついたキアシアへ陸歩は手を差し伸べながらも、左手の人差し指は唇に当てて沈黙を(うなが)し、また目は周囲に警戒を配っている。


「……どうしたの」


「音が聞こえました」


「しかも何か、甘い匂いがする」


 声を落として(たず)ねた彼女に、イグナと陸歩が順番に答えた。

 とっくに世界から自分たち以外が()えたような気分になっていたキアシアは、思いがけない事態に目を白黒とさせる。


「音と匂いって……何系の?」


「花。いや、香水の匂いか? 果物、柑橘類(かんきつるい)……」


「だいぶ(ひそ)やかですが、これは、生活音と判定できます」


 陸歩もイグナも明らかに人の存在を察知していた。

 全く期待していなかったところに集落の可能性を聞かされては、キアシアもつい声を大きくしかける。


「じゃあ、食べ物とか買えるかもっ?」


「…………」

「…………」


 しかし陸歩たちの態度はいかにも固く、さっきまでよりずっと強く警戒していた。


「どうしたの……?」


「地図にはこんなところに街は、記載されていませんでした」


「ってなると村か? 獣もいない、魚なんか()りようもない、こんな場所に?」


「……菜食主義で畑があるとか?」


「かもな」


 あえて否定はしないものの、彼の眼光が柔らかくなることはない。何にせよ、当たり前の環境ではないのだ。

 行くか。それとも避けるか。

 こんな閉ざされた地形で暮らす人々だ。どのような文化・常識でいるかも分からない。


「――行くか」


 そう決断した。

 気にするだろうから絶対に言わないが、キアシアのことを思えばの選択だ。

 彼女のそろそろ疲労もピークに近い。ここで街、あるいは村をスルーすれば、それがまた精神的負荷になることだろう。

 とにかく様子だけでも(うかが)って、滞在が可能かはそれから判断したっていい。


 いざ行くとすれば、まず先頭に陸歩が立った。

 次にキアシア。殿(しんがり)にイグナ。もし万が一、不意打ちがあったとしても、対応できるための隊列だ。


 一歩ごとに、陸歩は香りが強くなっていくのを感じた。

 複雑かつ多彩な花の香り。

 針葉樹ばかりのこの数日に、突然現れたその(かぐわ)しさは、酩酊(めいてい)を覚えるほどに強い。

 舌の根のほうから(つば)が湧くようだ。


 突然視界が開けた。


「…………」


 陸歩は状況の判断を困った。

 背後でキアシアが息を呑み、イグナも判定に苦心している気配がする。


 モノクロの針葉樹林のただ中、()()たりにしたのは花の壁だ。

 花畑を直立させたような景色。それは城壁なのだろうか。

 注意力を働かせれば矢倉(やぐら)のようなものも立っていて、しかしそれも花に包まれており、全体は巨大な極彩色の塊に見える。


「……どっから入ればいいんだこれは?」


「観測用のワスプを飛ばしてみましょうか」


 陸歩が答えるよりも先に、矢倉から飛来するものがあった。

 火矢だ。しかし彼はそれを指先で難なく受け止めてみせる。


「あんまり歓迎はされてなさそうだな」


 (あき)れた調子で呟いた陸歩は、口をすぼめて矢に(とも)った火を(すす)り取った。

 それからバリバリと矢自体も噛み砕いて口に含む。食べているわけではなく、口の中で燃やしてさらに火にしているのだ。炎は彼のエネルギーになる。


「リクホさぁ……そういうこと、あんまりしないほうがいいんじゃ……」


「ん? ――あぁ、しまったそうだよな。化け物扱いされたら話がこじれる」


 現に花壁の向こうからはうっすらとした動揺の気配が漂っていた。

 意識を集中させれば、あちこちから視線、視線、視線。


 陸歩は声を張り上げる。


「すんません、オレたちは旅の者なんですけど! 少しでいいんで食料を分けちゃもらえませんか! 金ならちゃんと持ってます!」


 また花壁がざわざわざわ。

 この段階で陸歩は既に半分以上(あきら)めていて、もしもう一射、矢が飛んでくるようならさっさと離れようと決めていた。


 だから壁の上に女性が立ち上がったことには少し驚く。姿を見せてくれるとは。


 美人だ。深緑の髪をし、目鼻立ちがはっきりしており、唇には鮮やかな(べに)

 すらりとした肢体を、花でふんだんに飾ったビキニとパレオで要所のみ隠している。露出が多くて陸歩は落ち着かない。

 首にはたっぷりとした花冠(かかん)をマフラーのように巻いていた。

 手には弓。逆の手にはまだ着火前の矢。


 そんな女性は陸歩と視線を合わせ、はっきりと嫌悪を(あら)わにする。


「駄目だ」


「あ、そ。んじゃお邪魔しまし、」


「男は駄目だ」


「……はい?」


 花壁からまた人が立った。美女だ。

 また。また。また。

 女ばかりが壁上にずらり。百花繚乱(ひゃっかりょうらん)とばかり。

 次々に姿を現した女性たちは一様に美形で、また決まって陸歩には嫌悪を、イグナとキアシアには観察の目を向けている。


「この街は、男は入れない。絶対に。

 しかし。女ならば受け入れる。必要なら入るがいい。ただし女のみだ」


 城門が開いた。


 街、と女は言った。そのことに陸歩はさらに困惑を強める。

 地図にない街。余人に秘匿(ひとく)された扉の樹が存在するというのか。とっくに人の領域である、このカシュカ大陸で?


 居並ぶ女の一人が我慢できなくなったかのように、陸歩の足元に矢を射った。

 よほどの男嫌いと見受けられる。

 困り果てた陸歩は、意見を求めるように、イグナとキアシアに振り返る。


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