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結:後 ≪取引≫

 七つの海を股にかけ、八人の姫君を(めと)り、十一の大陸に要塞港を築き上げた稀代(きだい)のトリックスター。

 キャプテン・ラブラスカ。

 ガルメルク・J(ジョーンズ)・ラブラスカ。

 大海賊にして冒険者。数多(あまた)浮名(うきな)を流した随一の好色家。海に恋し、海に愛された当代無比の英傑。

 数百年前に活躍したとされる彼が残した逸話や伝説はあまりに多いが、その内で最も有名なのは、『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号。彼が座乗した海賊船にして、彼の艦隊を率いた旗艦についてだ。


 (いわ)く、その船は、扉の樹を材料にしている。

 事実だとしたら何とも罰当たりな話ではある。神聖な樹を木材にしてしまうなんて。

 ただそれによってか、かの船は特別で、波や風の向きによらずに乗り手の意思で航海したという。

 船首は(かじ)を取る者の心の先に向かう。

 メインマストの代わりに立てた樹の幹は、雄大に枝葉を広げ、帆を張る必要すらなかった。

 船長室の扉は、鍵によって他の扉と(つな)がる例のもので、キャプテンはそれで夜ごと海上と恋人の(しとね)を往復したそうだ。

 ラブラスカの胸には常に、樹から初めて()いだ鍵が下げられていたとも言い伝えられている。


 常に赤みがかった黄金に輝く海賊船。

 沖が暗くともはっきりと存在を告げるそれは、ラブラスカの友となった街には吉報であり、一度でも彼を侮った街には恐怖の象徴として刻まれた。


 そんな彼も最期は、仲間の裏切りによって果てる。

 いや病に伏したのだとする説もある。

 妻たちが相次いで夭折(ようせつ)し、絶望の末に後を追ったのだとドラマチックに語った脚本もある。


 真偽は定かでないが、どの話でもラブラスカの死と共に、彼の船も沈んだ。

 そうなるとまたロマンである。


 『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号は宝物庫にあの世の財宝をたんまりと抱えたままだとか。

 新たなる船長が鍵を首から下げれば浮上するだとか。

 今なお幽霊船となって、海底を当てもなく彷徨(さまよ)い進んでいるだとか。


 世にある宝の地図の、半分は『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号の沈没位置を(うた)っているのではあるまいか。

 これはキャプテン・ラブラスカの側近が記したものだ、これは遠見(とおみ)の巫女が予見したものだ……などなど。触れ込みは多彩なれど、どれも一様に眉唾(まゆつば)に違いない。

 それでも魅了され、信じる者も少なくなかった。

 豪商サウロン・デニツァーもその一人。


 さて。

 伝説の海賊船、『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号。

 それを、陸歩とイグナは見つけた。


「いや、()っけたのはイグナなんで。全部オレの(かしこ)可愛(かわい)いイグナの手柄」


「恐れ入ります」


 トレミダムに戻り、分離した陸歩とイグナはそれぞれ、キアシアから受け取ったタオルで身体を拭いていた。

 目の前にはサウロンを筆頭に、水揚げされた魚のように大口を開けた街の住民たち。

 背後の海からは、浮かび上がってくる船の、船首が今まさに突き出している。


「お前たち……これ……」


 サウロンはそれ以上言葉もない。当然だ。

 宝の地図に(だま)された彼は、若かりし日に(すで)に、キャプテン・ラブラスカなど御伽噺(おとぎばなし)なのだと自分に言い聞かせて済んでいるのだから。


 とりあえず、とイグナは海中から先に引き上げた物品を示す。


「サウロン氏。お約束の真珠です。天然ものですので綺麗な球体には当然なっておりませんが、十分な大きさですので、具合の良いように加工なさっていただければ」


「んなもんどうだっていい!」


「左様でございますか」


「お前たち、これ、これっ! 本当に『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号か!?」


 ついに完全に浮上し、その姿をさらした海賊船。

 数百年を海底で過ごしたとはとても思えない。朽ちることも、()に覆われることすらなく、つい昨日進水したかのようだ。

 滑らかな黄金に輝き、暮れなずむトレミダムで一段と存在を主張していた。


 船首には王龍を(かたど)った船首像(フィギュアヘッド)

 メインマストには勇壮な大樹。

 何より船全体から発散し続ける赤みがかった黄金の神威(しんい)


 問うのも愚かしい。

 しかしにわかに信じるのも難しい。

 『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号。


「海の底を彷徨(さまよ)っている、というのは本当でした」


 イグナが慇懃(いんぎん)に説明を始める。


「この船はトレミダム近海の、ある海流を一定の速度で周回していたのです。

 サウロン氏のオフィスで見せて頂いた地図には、そのルートとスピードが暗号の形で記されておりました。

 もし、あれを『地点』として読み取られていたのだとしたら、誤解だったかと。あれは宝の進むコースを示す地図」


「なんだって……?」


「面白いのはこの船は、人見知りをするようです。

 ルート上に人間大の物体でも存在すると、途端に横に()れてしまう。水の流れによほど敏感なのでしょうか。発見するには、ピンポイントで直接当たらなければならない」


 そして彼女は微笑(ほほえ)みを浮かべた。

 それは相手を(いた)わり、(はげ)まし、安堵させるための、女神の微笑(びしょう)だ。


「貴方の宝の地図は、本物でしたよ」


「…………なんて、こったよ」


「そんで、これ」


 今度は陸歩が進み出て、サウロンの手に戦利品を押し付けた。

 観衆も(ざわ)めく。

 鍵だ。


「あの船のドアノブに刺さってました。船長の証らしい。持っていれば風にも波にも関わらず航路は自在――これは貴方のだ」


 サウロンの表情が不可解に染まった。無理もない。

 ぽんと気前よく(ゆず)ってしまうには、あまりに貴重な船だ。

 その鍵は持つものに(ぬし)と同じ権利を約束し、その船は街と同じく人民を栄えさせる能力がある。


 だが陸歩は肩を(すく)めるだけだ。


「さすがにリュックに入りませんからね。オレたちは山にも行くし、砂漠にだって行くもんで。船はちょっと、取り回しが悪い」


「だからって! こんな、」


 (さえぎ)った。


「それに。

 元手(もとで)は、貴方が全財産を掛けた地図だ。横から(かす)()るような真似、オレには出来ません。

 ――あーでもでも! そらもちろん、こっちも(もら)うもんはもらわんとね? タダでってわけにゃいかんのですよね! 商人さんならその辺は心得(こころえ)てるでしょう?」


 陸歩は静かで真摯(しんし)な前半から一転、おどけた調子で後半をまくし立てた。

 トーンの高低差に、つられたサウロンも苦笑いを浮かべる。


「あぁいいよ。言い値で買おうじゃないか」


「高いですよぉ?

 えっと。まだ目的地を定めているわけじゃないけれど、オレはこれから魔法を学びに行きます。その時にかかる学費を負担してほしい」


「なるほどな。()()った。他には?」


「ほ、他?」


 サウロンはとっくにやり手商人の顔に戻っていて、(ふところ)から取り出した帳面(ちょうめん)にペンを走らせている。

 しかも更なる課金を待つ構えだ。

 それ以上の要求なんて用意していなかった陸歩の方が慌ててしまう。

 鮫頭の商人は片目だけを細めて、ある種の(すご)みすら効かせた。


「買い叩くような真似したら、今度はこっちの沽券(こけん)に関わるだろうが。しかもこの衆人環視だぜ? 取引が公正でなきゃ、誰が認めてくれるかよ。

 ほら、言ってみな。とりあえず言ってみなって」


「あーっと……じゃあ、オレたちの旅の、スポンサーになってくれません? この先、路銀に困ることがあったら、資金を融通してくれると嬉しい、かな?」


「よし。無期限な。他には?」


「まだダメ!? っんっとー……あ。あの船にも(やしろ)を建ててくれるといいかな! そんで丁重に扱ってくれると助かる!」


「妥当なところだな。後は?」


「あんた逆にオレのこと押し潰して楽しんでるだろ!?

 ――あぁならあの船の扉の鍵もくれ! マストの樹にあんな山ほど()ってんだから一本くらい!

 ついでにあの船は『駅』にしてくれ! 巡航させて旅人の一助(いちじょ)にしてくれ!

 くっそ、イグナとキアシアに真珠のアクセサリーを邪魔になるくらいくれ!」


「ちょっとリクホっ?」

「リクホ様、それは」


「よっしゃあ商談成立だな! 買ったぁ!」


 ようやく納得いったのか、高らかに叫んだサウロンは、もうまるっきり心を子どもに巻き戻している。

 仲間を引き連れて船へ突き進んでいき、服にも構わず海へ飛び込んで、泳いで近づいていった。

 と、船のほうも鍵持つ者を見定めていて、自ら縄梯子(なわばしご)を降ろして(むか)()れる。


 対して、陸歩は何かひどく疲れた。

 近づいてきたキアシアが脇腹を(ひじ)で突く。


「リクホ、ちょっとリクホ。なに勢いで妙な買い物してんのよ」


「仕方ねぇだろ、なんか言わなきゃ収拾つかなかったんだから。

 いいじゃんか、女子なら宝石類の一つくらい要ることもあるだろ。なぁイグナ」


「はぁ。リクホ様がそう(おっしゃ)るのであれば」


「…………まぁあたしも、その、嫌ってわけじゃないけどさ」


 『王龍の赤傷ドラグン・スカーレッド』号へは観衆たちも次々に乗船していく。

 誰も彼もがやっぱり子どもさながらのはしゃぎ様で、我先に、我先に。

 その場に残るのは陸歩たちと、あとはマチルダくらいだ。


「リクホ」


「あ、師匠。へへっ、どんなもんです」


 少しだけ調子に乗ってみるのだが、フンと鼻を鳴らされる。


「派手にやったな。けどそんなのはいいんだよ。剣、見せてみな。使ったんだろ」


「う……」


 自信のない宿題を提出する気分だ。

 陸歩は鞘込(さやご)めのまま、鈴剣を師匠へ恐る恐ると差し出した。

 マチルダは一切の間もなく抜刀。刀身を子細(しさい)(あらた)める。

 その目は刃よりもなおのこと()()えとしていて、弟子としては非常に落ち着かない。


「…………、ふん」


「師匠?」


「ここ。ほんの少しだが刃こぼれしてるぞ。握りが甘い証拠だ」


 剣を鞘に戻したマチルダは、(つか)でもって陸歩の頭を軽く小突(こづ)いた。


「うっ。すんません……」


「精進しろよ、私の弟子よ。お前はまだまだ未熟だ。

 そうともお前は未熟なんだ。どれだけ偉業を成し遂げようと関係ない、剣の腕なしには、私は免許皆伝はやらんからな。

 もうしばらく、私の弟子でいろ。本当の意味で私を超える、その日までは」

 

 ニッコリと笑った師匠は、息を呑むほど優しい。


「――はい。これからもご指導ご鞭撻(べんたつ)、よろしくお願いしますっ!」


 夜のとばりが間近まで降り、それを神秘の海賊船が照らす中、見習い剣士の声が響く。


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