承:後 ≪市場≫
夜明け前に出た漁船が戻り、収穫が競りに掛けられ、市場に並ぶのがちょうどこの時間だった。
マーケットは大変な活気である。
料理人には垂涎ものの高級魚が、余所の街では考えられない安価で並び、キアシアは目を輝かせっぱなしでいる。
イグナもまた、初めて目にする海生生物を自己ライブラリへ登録するのに熱心だ。
つまり買い物に出た女子二人は、大興奮。
青空の下へ広げられた市場は扉の樹のすぐ近くで、今も続々と扉から他街の客が現れている。
鍵さえあればどんな内陸の街でも取れたての鮮魚が手に入るのだから、この世界の食事情はだいぶ贅沢とも言えるだろう。
「あ、イグナ! アレ見てアレ! すごい!」
キアシアがつないだ手を引っ張った。
「はい。トビウオ、でしょうか」
「あれって神物のはずなんだけど! この街は獲っていいんだ! 初めて見た!」
その他にも色とりどりの魚たちは瑞々しく陽光を反射して輝き、まるで宝石のようだ。
氷を敷き詰めた上に寝かされた鯛は今にも息を吹き返しそう。
フックに吊るされた鮪は丸々と肥え太り、樽さながら。
桶にごっそりと入れられた二枚貝は口を水面に伸ばし、盛んに砂を吐いていた。
なんというか。イグナはそっと息を吐く。何でもある。
もちろん見覚えのある魚は単にそっくりというだけで、元いた世界のものとは別種なのだが、それにしても生息域やシーズンを真逆と記憶しているアレとコレが隣り合って並べられている様には感慨が湧く。
その上見たこともない生物が売られているのだから。
あの、螺旋を描く角を持ったカジキ似の魚はなんだろう。
「煮付けにすると美味しいよ。角の根元に毒袋があるんだけど、それも糠漬けにすると食べられるの」
こっちの後ろ足がある魚は。
「串に刺してさっと炙るといいわね。太もも周りが特に絶品」
そこの、イソギンチャクのような口吻をした魚は本当に食用なのか。
「お刺身が最高。口の触手を塩水に泳がせて食べると、もう頬っぺたが落ちるわ」
「はぁ……」
端からキアシアが解説してくれるが、イグナはやっぱりため息を吐いた。
初めてナマコを食べた者は大概だと思うが、この世界の人間はもっとずっと悪食なのだろうか。いくら何でもそこの水槽の、背中に無数の目玉を背負った魚は、食べたいとは思えないのだが。
もっとも、この世界には亜人・獣人の食文化もあるはずで、ならばどんな魚でも何らかの調理法が確立されているのも、それほど無理のないことかもしれない。
さらに見たこともない甲殻類や、ヒトデや、前方後方両端に頭を持つ不可思議な魚や、その他様々な魔魚をキアシアは一通り説明する。
が、未だに一つも購入していない。
この街に滞在中に消費するものはともかく、長旅に持っていく分は気に入ったものを、という訳にはいかないからだ。工夫が必要だ。
まず日持ちすることは大前提。
その上で調理に手間のかかるもの、かさばるものも論外である。
可能ならば栄養も意識したい。
「っていうか、予算がねぇ……」
キアシアのため息に、イグナも首肯した。
「まだ多少は余裕があるとはいえ、無限ではありません」
「あたしたち、収入源があるわけじゃないものね」
根無し草の辛いところだ。
億法都市やら世界樹やらで金を受け取る運びになったこともあるが、今後もあのような展開を気にするのはさすがに楽観過ぎる。
最悪の場合、持っている扉の樹の鍵のいずれかを売ればまとまった金になるだろうが、それはつまり行動圏を一部削ぐということで、よっぽどでなければ避けるべきところ。
「その辺、今後はちゃんと考えていかなきゃね。
リクホ、魔法の勉強するんでしょ? 誰かに師事するなり、学舎に入るなりすることになるんだろうけど、お金かかるわよ。まさかマチルダ先生みたいに無償で面倒見てくれる聖人君子が二人も三人もいないでしょうし」
「やはり、書物等で独学、という訳にはいきませんか」
「どうかなぁ……難しいんじゃないかな。あたしも詳しくはないけど、伝統と格式の世界って感じだし」
世知辛い話をしながらでは買い物の手も縮む。
結局、魚は少量、貝や海藻を多めに購入して終わりだ。調味料で佃煮にすれば旅の助けになる。
帰り道、見かけるのは真珠市だ。
トレミダムの豊富な海産物、その貝からは多種多様な真珠が取れる。
一体どのような理屈で産まれるのか、中には紅玉のような真紅や、翡翠のような深緑のものもあった。
指輪や髪飾り、イヤリングに仕立てられたものが台の上にズラリと並び、宮廷の煌めきである。
女子にとっては大変な目に毒。
「…………」
「キアシアさん」
「だ、ダメよ……あんな高価なもの、絶対無理」
「見るだけならば無料では」
「……、……見るだけね」
そこからはキャーキャーと歓声を上げてのウィンドウショッピングだ。
店の人間も上手いもので、美人だとか似合うだとか誉めそやしてくるものだから、つい試着までしてしまう。
が、購入だけはぐっと堪えた。
見るだけ。見るだけ。
ふとキアシアは気付いた。
ゴツゴツとした、乳白色の岩塩のような物体を見たときだ。特定の貝はこのように真珠を上手く球状に出来ないのだそうだが、これを原石として正しく研磨すれば十分宝石としての価値を持つという。
それを見た瞬間に彼女は気付く。あるものによく似ていたため。
「ねぇイグナ。そういえば売れるもの、もう一個あったわ」
「はい?」
首を傾げたイグナに、キアシアはパチパチとウィンクして見せる。
その意図を察したイグナは、途端に険しい表情となった。
「キアシアさん」
「魔力源は貴重だし利用価値が高いから、どこ行っても売れるわ。あたしの眼球は復活するんだし」
「キアシアさん、いけません。お願いですからそんなことは二度と言わないでください」
イグナはきっぱりと言い、キアシアの手を握る。
まだ囚われの身であったとき、彼女が何度も抉られた、魔眼。
確かに宝玉と同じか、それ以上の価値を持つだろう。しかし。
再び彼女がそれを差し出すなんて、電脳の論理回路に通して検証するまでもなく否である。
「でも、」
なおもキアシアは食い下がる。
「お金のことを抜きにしても、リクホが魔術師を志すっていうんなら、魔力源の確保は絶対の命題よ。自前の魔力なんて高が知れてるもの。
……この眼が役に立つのなら、あたしは使ってほしい」
「だとしても。断言できますがリクホ様はキアシアさんの身を削っての修道なんて、望みませんよ。
それに、我々は既にキアシアさんから多いくらいをもらっています。一緒に旅してくださっているだけで、もう十分すぎるのです」
「…………、……うん」
叱られたかのように項垂れたキアシアに、イグナは市場でのとは色の異なるため息を吐いた。
握ったままの手を引っ張り、その場を後にして今度こそ寄り道なしに帰路に着く。
「やはり、目の毒でしたね」
「…………ごめんね」
「よいのです。キアシアさんも我がこととして考えてくれているのですから。
むしろウィンドウショッピングを提案したワタシこそ謝るべきですね。あれでは生殺し。
手に入らない金品を目の前にすると気持ちというものはどうしても、小さく狭くならざるを得ないと申しますか……」
はたと思いつく。
「そうです。真珠」
「え?」
「キアシアさん、真珠、欲しいですよね」
「そりゃあ。まぁ」
「収入が作れるかもしれません。上手くすれば食料も」
イグナはその可能性を電脳内で算出し、75%を上回ったことで、くいと口角を上げた。




