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承:前 ≪修練≫

 師弟の乗った小舟がトレミダムを出発し、ゆっくりと紺碧(こんぺき)を進んでいく。

 オールは陸歩が持ち、慣れない手つきを怪力で誤魔化(ごまか)して、見かけ上はスイスイと()いでいた。

 同乗しているのはマチルダのみで、イグナとキアシアは買い物のために別行動だ。


 マチルダは彼の鈴剣を預かって()めつ(すが)めつ。

 刃を陽光にかざしたり、波に映してみたり。


「ふーん……いい剣じゃないか」


「すごいんですよソレ。無茶しても刃こぼれ一つしないし」


「しかも生意気に、魔剣か」


 クルクルと師匠の手の中で回った鈴剣は、長さや太さを変幻自在にする。

 そうして自分の身の丈に合わせると、マチルダはすっと立ち上がり、海へ向かって大上段から真っすぐに斬り落とした。


 ぱっと海が割れる。

 突如発生した断面に驚いた魚が飛び出し、それを急降下した海鳥が(さら)った。

 ほどなく塩水は本来の常識を思い出したのか、裂けた部分へ殺到し、海面は元の平らに戻る。


 惚れ惚れとする剣技である。


「お見事です」


 ため息のようなトーンで陸歩が言うが。

 鈴剣を元の大きさに戻して納刀するマチルダの表情はいささか渋い。


「お前、こりゃ大変なもん受け取ったな」


「……と言いますと?」


「この剣に見合う剣士になろうとしたら、大変だぞ」


「あぁ……」


 言う通りだ。陸歩は苦笑した。

 ヘナチョコ剣士の腰に下がっていていい剣じゃない。


 だが師匠の懸念はもう少し現実的というか、技巧的な話である。


「この手の剣、可変剣てのは、好む剣士も多いんだ。一本でいろんな状況・用途で使えるし、便利だから。

 けど極めようと思ったら(いばら)の道だぞ。

 真の意味で使いこなすには、大剣も使える細剣も使える片手剣も持って来い両手剣でも御座(ござ)れ、ってな具合に万能でなきゃならないからな」


「あー……ちょっとやってみたんですけど、闘ってる時に刃の大きさを変えて奇襲するの、結構いい感じだったんですよね。

 そっち方面で鍛えていきたいんですけど……難しいですか?」


 陸歩が恐る恐ると訊ねると、マチルダはしばし波間を見つめて黙考していた。

 が、やがて。


「いや。いいかもしれんな」


「本当ですか」


「あぁ。お前はたまにアホだが、頭は悪くない。工夫して闘うってのは合ってはいると思う。

 それに身体が頑丈なおかげで、人の何倍でも稽古(けいこ)できるしな。練習量でカバーすればいいし、お前、その覚悟あるんだろ?」


「もちろん!」


 ニヤリと歯を剥き出した師匠に、陸歩もまた力強く笑みを浮かべて頷く。

 いい心掛けだと目を(すが)めたマチルダは、そろそろ頃合いと舟を止めさせた。


 トレミダムからしばらく沖へ出たため、ここからならば傘のように枝を広げた扉の樹が一望出来た。

 そして幹のたくましさと、何倍もの面積を広げる根っこ。


 陸歩はオールを置き、やおら服を脱ぎ始める。

 上は裸、下は海パン一丁という出で立ちに早変わり。

 軽い柔軟で身体をほぐしたら、舟の(へり)へ足を掛けた。


「何度も言ってると思うが、力で走ろうとするなよ。独りでに足の回る感覚を探せ」


「はい。――行きます」


 大きく一呼吸。

 陸歩はトレミダムへ、海面へ向かって駆け出す。


 一歩。

 二歩、三歩、四歩、五歩。

 驚くべきことに、彼は水を足場に走っていた。

 

 正しい動きには事実の方が追従する――剣術の基本であり深淵である。

 そしてこの水上歩行こそが、最も基礎となる修練だ。

 正しい足運びであり続ける限り、沈むことはない。またこれを習得しておけば地上でも『縮地(しゅくち)』などの高速移動法に応用が利く。


 十歩、十一歩、十二歩、十三歩。


 陸歩は内心を高揚させていた。

 こんなに長く走れたのは初めてだ。新記録。自主練の成果が出ている。

 ……その喜びがわずかに緩みとなったか。


 十六歩目で(たい)を崩した。

 十七歩目が水に沈んだ。

 十八歩目は踏めなかった。


「――っ!」


 海中に落ちた陸歩は、別に泳げないわけではないが咄嗟(とっさ)に慌てて、思わず水面へ手を伸ばす。

 と、指に竿状のものが触れ、夢中で掴んだ。

 その正体は師匠の太刀の鞘で、彼を吊り上げてくれる。


「ぶはぁ――っ!」


「大丈夫か。水飲んでないか」


 訊ねるマチルダは舟で寄ってきたのではなく、自らの足で立っていた。

 彼女ほどの達人になれば『正しい直立』で、水上に留まるくらいは朝飯前。

 

 太刀にしがみついた陸歩は三度ほどむせて、口から海水を追い出した。


「へい、きです……っ」


「よし。思ったよりずっと上達してたな。いいぞ」


「はいっ!」


「続きいけるか」


「行き、ます!」


 再度海に足を付け、走り出した。

 しかし今度は海パンが肌に張り付くのが気になって、十歩ほどで沈んでしまう。

 そしてまた師匠に引き上げられて、また走り出して、また沈んで。


 トレミダムへ辿(たど)()くまで、優に二十回はそれを繰り返したことだろう。


>>>>>


 舟からトレミダムへ。

 トレミダムからまた舟へ。

 十往復ほど繰り返したところで、いったん休憩となった。

 陸歩としては疲労もないし、もっと続けたってよかったのだが、師匠の方針である。あまり回数を重ねると後半が自棄(やけ)になり、雑になり、変な癖がつくためだそうだ。


 動の集中をある程度したら、静の集中で精神を落ち着ける。

 そのために渡されたのは、釣り竿。

 陸歩とマチルダは背中合わせに釣り糸を垂れ、束の間ゆったりとしていた。


「……そういや。探し物は、どんな塩梅(あんばい)だ」


 波音の合間に、マチルダが問う。

 師匠へ対しては剣が優先で、その辺りの報告と相談はまだ済ませていなかった。


「とりあえず、クレイルモリーってカラクリの盛んな街に行って訊いたんですけど。どうもカラクリは駄目そうです」


「…………そうか」


「あ、でも、でも。次のヒントはもらいましたよ!

 魔法ならあるいはってことなんで。今度はそっちを探そうかと」


「魔法ぉ?」


 途端に振り返ったマチルダは怪訝(けげん)だ。

 その瞳にはあからさまに不信というか、鼻白む様が浮かんでいて、陸歩は何か良くなかったかと少し慌てる。


「なんか、まずいですか?」


「いや……魔法なぁ」


 海へ向き直った彼女は、しばらく釣り糸の行方を見つめる。


「まぁ。私が剣士だからだな。魔法は好かんよ」


「そういうもんなんです?」


所詮(しょせん)(げん)の話なんだがな」


 曰く、どちらも法則を歪める業であると剣術と魔術。

 その両方を修めようと試みると、互いの歪みが互いを歪め、結局どちらも大成しないのだという。

 さらにどっちつかずを(こじ)らせると、片方を捨ててももう一方を修正出来ないことにもなりかねないそうだ。


「えぇ……。それは、やだなぁ」


「つっても根拠のある話じゃねぇけど。縁起だ、縁起。

 現に、魔法剣士なんて小器用な連中もちゃんといるしな。

 ただ……あんまり魔道に染まりすぎはするなよ」


 肩越しに見つめてくる師匠の目は、真剣に弟子を案じていた。


「武芸の神は、剣術を通して自らに近づいてくる者を(たっと)ぶ。

 だが妖や魔を(つかさど)る神は、自分の秘術に迫る者を、(うと)むものと相場が決まってる。

 夢中になりすぎて、深みに()まるな」


「――はい。(きも)(めい)じます」


「それに、魔力の出涸(でが)らしになって不細工な弟子なんて、私はごめんだぞ」


 マチルダの口角が、茶化すようにニッコリと持ち上がった。

 陸歩も応えて微笑む。


「えぇ。師匠のお供をするのに、恥ずかしくないようにはしときます」


「生意気に。本当にそのつもりなら、実力も追いつかせるんだぞ。――そろそろ再開するか」


「うっす。……師匠、竿、それ引いてません?」


「ん。うぉ、大物の手ごたえ! これ……本当にデカいぞ!」


「つか、師匠! 魚影! 魚影が! 舟より大きい!」


「こんな竿じゃ上がらん! リクホ! ちょっと潜って突いてこい!」


「うぇ? も、(もり)は!?」


「んなもん自前の剣でいいだろうが! 行け!」


「は、はい! 師匠! バラさないでくださいよ――」


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