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急:転 ≪代案≫

 いつの間にか眠っていた。

 客間のソファーに横たえていた身体を、陸歩はゆっくりと起こす。

 その拍子に毛布がさらりと肩から腰へ流れる。誰が掛けてくれたのだろう、イグナか、あるいはキアシアか。


 窓から差し込む朝日を、ぼんやりと眺めた。

 なんだか千年でも寝ていたように頭が焦点を結ばず、力が入らない。

 枕にしていたソファーの肘掛(ひじかけ)が濡れている。……(よだれ)ということにしておく。目尻を手の甲で拭いつつ、陸歩は息を吐いた。


 ドアが開いた。

 果物が盛りつけられたトレーを持ったイグナが入室してきて、目をぱちくりとさせる。

 そういえばキアシアがいない。……気を遣わせたか。


「おはようございます、リクホ様。起こしてしまいましたか」


「いや。起きてた」


「そうでしたか。――召し上がりますか?」


 イグナが果物を示し、陸歩はしばし迷ってから、小さく頷いた。


 彼女はナイフで林檎(りんご)の皮を、全く途切れさせることなく、また(よど)みもなく()いていく。

 葡萄(ぶどう)もバナナも剥いてもらう過保護ぶりで、陸歩は思わず苦笑した。


「悪いな、イグナ」


「実は、ひそかな夢だったのです」


「ん?」


「風邪を引いた主人を看病する。従者の憧れのシチュエーションと申しますか。

 もちろん、リクホ様の不調を願っている訳ではありませんが。

 リクホ様は怪我も病気もされませんので、ずっと胸の中に()しておりました」


「そっか。じゃあ、悪いことばっかりでもなかったかもな」


 陸歩は力なくまた笑う。

 口に放り込んだ果物が(かぐわ)しくて瑞々しくて甘い。

 イグナは手を止め、そんな彼をじっと眺めた。


「――リクホ様。ワタシは、リクホ様のものです」


「うん?」


「なんだって致します。なんだって。リクホ様が望まれるのであれば」


「あぁ、ありがとう」


「どうか、」


 ついにナイフを置き、少女は陸歩の手を包んだ。


「どうか、使ってくださいませ。ご随意(ずいい)になさってくださいませ。どうか」


「…………、」


 熱っぽく()われ、陸歩は目を余所へ逃がす。

 部屋には自分と、イグナと、二人きり。


「…………キアシアは?」


「厨房におられます。しばらくは掛かりきりのご様子でした」


「…………メディオとアイネさんは」


「客間を覗き見するほど不躾(ぶしつけ)な方たちではないでしょう」


「…………、」


 思ったよりもずっと、自分の心が弱っていたことを、陸歩はようやく自覚する。

 ソファーで、イグナの膝枕(ひざまくら)に頭を乗せて。

 髪を撫でてくる彼女の繊細な手つきに、うっかりすると細めた(まぶた)の隙間から心を(こぼ)してしまいそうだった。

 耳や頬で感じる、少女の肌は温かく、柔らかく、果実のように甘い匂いがする。


「……さすがに、(こた)えたなぁ」


「心中お察しいたします。期待値が大きかった分、ダメージも甚大だったのしょう」


「あぁ……。また、振り出しかな。

 …………それとも。この世界にも、ありゃしないのかな。ナユねぇの身体を創る方法、なんて」


 思わず弱音を吐くと、イグナの人差し指が耳の筋を優しく撫でた。


「それなのですが。メディオエディオ氏から伝言がありまして。

 落ち着いたら次の話をしよう、とのこと」


「次?」


「詳細は(うかが)っておりませんが。何やら更なる知恵がある様子ではありました」


「へぇ……」


 しかし昨日の受けた痛恨を思えば、手離しに喜べはしない。

 今しばらく陸歩は、イグナの膝で気力の回復を待った。


 待った。


 のっそりと、身を起こす。


「……メディオんとこ、行ってくる」


「リクホ様。ご無理を、なさってはいませんか」


「うん……大丈夫だよ。イグナにだいぶ元気もらった」


「もっとお渡しすることは可能です。ワタシが保持している残存元気にはまだ余裕があります」


 真剣な顔と声音でジョークを言うのがイグナ流。陸歩のお気に入りだ。

 さっきよりもずっと(ほが)らかに笑って。


「ありがと。もしかしたらまた凹まされて戻るかもしれないから、そのときはまた頼むな」


「かしこまりました。メディオエディオ氏は、中庭におられます」


>>>>>>


 断言できるが、昨日は絶対なかった。

 茶会をした例の中庭に、今日はジャングルジムのような巨大な骨組みが立っていて、そこに朝顔によく似た植物が(つた)(から)ませている。

 メディオは霧吹きでこれに一つ一つ丁寧に水をやっていて、また剪定(せんてい)バサミで余分な葉を間引(まび)いていた。


 陸歩に気付いた彼は、にっこりと気さくに笑う。


「やぁ、おはよう。昨日は悪かったね」


「いや……」


 物陰で何かが(うごめ)いて、飛び出してきたかと思ったら、それは椅子だった。

 犬のように四脚を動かして、一つはメディオ、一つは陸歩にじゃれてくる。

 ふと、陸歩は(たず)ねた。


「そういえば、この椅子だとかもカラクリだよな。

 こいつらにも、層が加えられてるのか」


「その通り。義手義足だけじゃない。カラクリはみんなその考えを元にしてる。

 家具が勝手に動くのはね、生き物と同じように作ってるからさ。

 楽器が勝手に働くのはね、駆動する層を挟みこんでるから」


 椅子に腰かけたメディオは、同じく駆けてきたテーブルにハサミと霧吹きを置く。

 陸歩も座ると、途端に椅子は動くのをやめた。


「……。メディオ、なんか、話の続きがあるって?」


「君こそ」


 思わぬ返しに陸歩は顔を怪訝(けげん)にした。

 メディオは今朝も変わらず、泰然自若(たいぜんじじゃく)と微笑を浮かべていて。


「先手は(ゆず)るよ、リクホ。今度こそ本当に」


「…………、」


 この人は。

 降参したい気分になってくる。

 この天才は、こちらが自身でも気付いていなかったような感情の細部まで気付いて、(うなが)してくれるのだから。


「考えた、んだけど……」


 ぽつりぽつりと陸歩は最後の抵抗を始めた。

 まだしもカラクリに望みがあるんじゃないか。

 何か新しい切り口を示せば、そこに活路があるんじゃないか。


「層の中で、一番大きい部分が主になるんだよな。

 だったら……一枚の層を作るときに、『ナユねぇの身体』っていう一枚岩じゃなくて、パズルのピースみたいに細かく繋ぎ合わせたらどうだろう。

 そうすれば、一番大きい部分はナユねぇに出来るんじゃないか」


「君が納得できるなら、それは良い方法だよ。

 君自身がそれを、『お姉さんの部分』と『お姉さん以外の部分』の二極に見ないっていうならね」


「…………。

 じゃあ、じゃあ。まずはナユねぇに残されてる部分より、小さく層を()()すんだ。そうすれば主勢力はナユねぇだろ。

 それでじっくり時間を置いて、全体がナユねぇだって言えるくらいまで完全に馴染(なじ)んだら、また小さく層を足す。

 この繰り返しでなら、ナユねぇはナユねぇを(たも)ったまま、身体を得られるんじゃないか」


「君が疑わないならね」


「…………。

 ナユねぇに追加する層を、ナユねぇの細胞から培養(ばいよう)したら? オレたちの世界には、そういう技術は、ある」


「リクホ。問題なのは方法じゃない。もう分かってるだろう?

 あとは君の認識と気持ちだ。そこに決着を付けられないんじゃ、いくら知恵を絞っても意味がないよ」


「…………、」


 がっくりと項垂(うなだ)れた。

 万策尽きた。

 いや、本当はメディオに(うかが)うまでもなく、自分でも薄々気付いていたことだ。


「…………怖いんだよ。オレの造ったものが、ナユねぇに取って代わっちまうなんて。そんなの、とてもじゃないが……」


「その繊細さを恥じることはないぞ。それが君の中にある倫理の層の、形状なのだからな。むしろ豊かに育てたからこそ忌避(きひ)するのさ」


 ならばいっそ、この心の層を取っ払ってしまえば、悩むこともなくなるのだろうか。


「早まったことを考えてるんじゃないだろうな。やめておけよ。

 君が変わって、君が壊れて、悲しむのは誰だ?」


「…………、」


 昨日の再演とばかりに力を落とす陸歩。今は椅子があって本当に良かった。

 そんな彼の(しお)れっぷりに、メディオはため息を吐き、ふてくされたように座り方を崩した。


「本当は、こんなことを言うのは(しゃく)なんだが。

 せっかくボクを頼ってはるばる訪ねて来てくれた君を、コテンパンにして帰すなんて、沽券(こけん)に関わるからね」


「え……?」


「多分カラクリじゃ、君の望みは叶えてあげられないよ。業腹(ごうはら)だけどね。

 だからリクホ――あぁ本当に悔しい、出来ないことがあるなんて、こんな屈辱はない――君の活路は、魔術にあるんじゃないかって思うんだ」


「魔術……?」


 束の間、陸歩は戸惑って視線をどこともなく彷徨(さまよ)わせる。

 (あなど)るわけではないが、天才もこの世界の住人。読み間違えているのだろうか。


「そうさ。創成は神の本懐(ほんかい)。そして魔術は神の模倣だ。極めればお姉さんの身体くらい、訳もないはず」


「それは、ナユねぇをこっちの世界に連れて来いってこと?」


「ん? 何故そんなまどろっこしいことを?」


「え。だって、メディオ、オレたちの世界に魔術はない。魔力だってない。

 俺は魔術を習得なんて出来ないし、持って帰っても多分向こうじゃ存在も出来ないよ」


 メディオは不可解とばかりに顔をしかめた。


「魔術ないの? 一切? 全く? 魔力がない? そんな馬鹿な」


「ないよ。オレたちの世界は、物理と科学の世界だよ」


「そんなはずはない」


 きっぱりと言い切る。

 彼の金の目は陽光を受けてか、今こそ強く輝き、次元の向こう側の世界もくっきりと見通しているようである。


「ボクと君とで、肉体の作りは同じだ。

 リクホは息を吸って、吐くだろう? ボクと一緒だ。

 リクホは足を交互に前に出して歩くだろう? ボクと一緒だ。

 リクホは歯で噛んで物を食べるだろう? ボクと一緒だ。

 リクホは頭で考えて、発想するだろう? ボクと一緒だ。

 ボクらは一緒なんだ。どの世界の生まれかなんて関係ない。ボクに機能としてあるものは、君にも当たり前にある。ボクに出来ることは君にも出来る。

 魔力がないだって? そんなはずはない。なら君は死体だっていう理屈になる」


 陸歩は激しく(まばた)きする。

 今まで魔術という方法は全く度外視していた。あまりに荒唐無稽(こうとうむけい)で、現実味がなさ過ぎて、調べようという発想がそもそもなかった。


「……魔力、あんの、オレ?」


「生き物なら何にもでもあるのに、何で君だけ例外なのさ」


「だって……オレたちの世界には、」


 同じことを繰り返しかけた陸歩に、メディオはつまらなさそうに手で払う仕草をした。


「だから。それはまだ見つけてないだけだろう。カラクリの『層』と同じで、魔力とその使い方を」


「…………、」


 興奮から全身に鳥肌が立つのを、陸歩は感じた。

 魔法・魔術という可能性。


 魔術。

 (いわ)く――

 ――この世界の人間は、儀式や詠唱を行い、神の奇跡を模倣する。

 ――中には傷をたちどころに(いや)し、欠けた肉体を再生するものもあるという。


「マジかよ……」


 沸き上がる炎を抑えておけない。陸歩の髪の先から、ちりちりと火の粉が舞った。

 その瞳は深く濃い赤黒に熱し、彼はどうしようもなくて感情のままに口角を挙げた。


 メディオは、肩を(すく)めて応える。


「元気が出たならよかった」


「メディオ! ありがとう! 本当に!」


「礼はよしてくれ。ボクは何もしていない」


 そのとき陸歩はようやく気付いた。

 彼の(くも)った表情。声音。メディオは(まぎ)れもなく……落ち込んでいる。


「ボクは何も出来てない。何にも。出来ないことばっかりさぁ」


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