急:承 ≪理由≫
生体の細分する際、その最小単位は『層』である。
この発見こそがカラクリという学問の最大の功績と言える。
もちろん生き物を筋や血管、細胞など『線』や『粒』として分解することも出来るけれど、それは何も意味を成さない素材に還元してしまうだけの行いであって、ここでは『機能は層に宿る』のだという点が肝要なのだ。
さてそうなれば次になされる研究は、この層の重ね合わせはどこまで自在であるのか。
組み合わせ。
生体に対する編集の可能性。
これは大変盛んに試行錯誤され、例えば『視る層』を多重にしたために他人より深く世界を見つめる者だとか、『眠りの層』を増やしたため常人よりわずかな睡眠で事足りる者だとか、そういったものが可能になってはいる。
――ひとまず倫理は脇に置く。
次だ。
生物はみな、機能ごとの層で出来ている。
となると全く別な種族であっても、共通点を探し出すことが出来た。
『ヒト』と『馬』と、どちらにも『走る』機能の層があるように。
ならばこの二種族の、同質の層を繋ぎ合わせてみようと試みる者が現れるのは半ば当然で、ヒトの層上半分に馬の層下半分を継いだものは、それほど奇抜な発想でもない。
そうやって作った人馬の層を立体になるまで重ねたとき。
――ひとまず倫理は脇に置いておく。
人の上半身に馬の下半身という、人造の『種族』が誕生した。
カラクリ技術が神の所業に片足を突っ込んだ瞬間である。
おそらく神も、同じ仕方と理屈で様々な亜人・獣人を創ったのだろうと学者たちは口を揃えた。
人の造った種族は神の産物より、ずっとずっと寿命が短かったが、それも層の組み合わせをより精査していけばいずれ解消される問題だろうと期待されている。
ただしこの時、不思議なことがあって、生まれた人馬は空っぽだったのだ。
人だった記憶はない。
馬だった覚えもない。
人馬として赤子のように真っ新に生まれ、何もかもは一から覚え直した。
どうやら『人馬』として完成した者は、分かちがたく『人馬』であるらしい。
人であった部分。馬であった部分。そういう風には保存されなくて、あくまで人馬という全体から始まるのだ。
なら次だ。
同じ種同士だったら、自己という同一性は、保持され得るのかどうか。
二人の人間を連れてくる。これらは同じ種族である。同じ性別である。同じ年齢であれば望ましい。
これらを層にバラす。――ひとまず倫理は脇に置いておく。
各層を縦に真っ二つにし、二者を半分ずつくっつける。――ひとまず倫理は脇に置いておく。
さて再び層を重ね合わせて人に戻したとき、中身はどちらか。
「結論から言うと、層一枚の中でほんのわずかでも面積が多いほうが、支配的になることが判った」
メディオは特に感情なく、いっそ棒読みの調子で言うが。
キアシアがとっくに吐き気を催して、アイネの一人に肩を借りて出ていったし。陸歩も危うく後を追いそうだ。
「層の支配領域が多いほうの魂が残ったんだ。もう一人は、どっかいっちゃった。
あぁ完全に等量同士を継いだ場合っていうのは、まだ研究過程らしいよ。そういうのに躍起になってる連中が学園にいてね。
層ごとで強い側をバラけさせてみるとかもやってるみたい。
それで最近の発見じゃ、なんか層の『濃さ』とかも実は重要なんじゃないかって話で、」
「――もういいっ!」
堪らなくなって陸歩は叫んだ。
メディオの言わんとするところはとっくに分かっていて、でもそんなものは聞きたくなくて。
苦痛に耐えるよう、歯を固く食いしばる。
なのに彼は止めてくれない。
突き付けるように。
都合のいい幻想を抱かぬように。
「君のお姉さんの身体は造れるよ。
まずはお姉さんを成している層を分析する。そしてそれと同質の層を全部作る。あとは同じ順番で重ねればいい。それを継ぎ合わせれば出来上がり。
でもさ、君のお姉さんって、頭部しか残ってないんだろう?
ならまず間違いなく、主となるのは継いだ身体のほうだ。お姉さんは消えちゃうんじゃないかな」
「もういいって言ってんだろうが! 止めてくれ!」
叫んだ途端、陸歩は己の足がグニャリと融けるのを感じた。
イグナが腰を支えてくれるが、とても立っていられなくなり、床に膝をついて全身どこにも力なく、呆然とうなだれる。
多分、慰めるつもりだったのだろう。
続くメディオの見解は、しかし今の陸歩には追い打ちでしかない。
「まぁでも考え方次第ではあるよ。
お姉さんの層を参考にして、真心を込めて作った層なら、それは限りなくお姉さんじゃない?
誰か他人から切り出してくるのとは訳が違う。ゼロから作って、お姉さんと同じ模様を付けた層ならさ。
ひたすら根気よく臨めば、お姉さんと同じように感じ、同じように考える身体に仕上げることは十分に可能なんだし。
それにほら、ボクらも代謝するでしょう。順繰りにではあるけれど、だいたい二ヶ月で全身の細胞が残らず一新されるって知ってる? なら二か月前のボクと現在のボクとは、そういう意味では別人で、この場合の君のお姉さんもそれと一緒、」
「頼むから。黙ってくれ……っ!」
ようやくメディオが口をつぐんでくれた。
陸歩は、激流のように押し寄せた情報を受け止めるのに必死で、マイナスばかりの事柄からどうにか逆転の目を見つけようと死にもの狂いだった。
なんだそれは。
どういうことだこれは。
メディオは、深く、深くため息を吐いた。
「分かるよ、リクホ。君はそういう風には考えられないタイプだ。
人と人形の間に、隔たりの険しい崖を敷くタイプ。
どこまでそっくりに出来ても、差異を認識できないほど同じでも、人形は人形。本物とは違う。そういうタイプだろう。
――残念だよ。力になれなくて」
弱々しく顔を上げた陸歩は、迷子の子どもの顔で、絞り出すように問うた。
「どうにか、ならないのか……」
「なるよ。受け入れろ。
お姉さんと同じ姿で、同じことを考えて、同じものを愛する個体は、それはもうお姉さんだ。オリジナルかどうかなんて、実はそれほど重要でも重大でもない」
「…………っ、」
思わず怒鳴り散らしそうになった陸歩は、やっとのことでそれを飲み込み、もう一度たっぷり床を見つめてから、力ないまま立ち上がった。
そして、フラフラと夢遊病のようにメディオのアトリエを後にする。
全部が悪い夢か冗談のようで。
今は誰にも顔を見られたくなかったし、誰の顔も見たくなかった。
主のその意を正確に受け取ったイグナは、追うことはしないでただ見送った。
そして振り返ると、メディオを値踏みの瞳でじっと見つめる。
「一つ、確認しなければならないのですが。
メディオエディオ。貴方はリクホ様からお姉様の話を聞いた瞬間に、カラクリ技術で身体を造るには倫理的な障害があると、判ったはずです。
どうしてそれを先に説明してくださらなかったのです」
もしそこに主を弄ぶ意図があったのだとしたら。
イグナは自身の傷の回復率を測る。落とし前を付けさせるのに、どこまで動けるかを。
目を眇めたメディオは、音をさせて息をする。
「仮に一番最初に『無理だよ』って言ったら彼、引き下がった?」
「…………。いえ」
「でしょ。絶対食い下がってたよね。
納得に必要なのは順番だよ。人は理屈を層のように重ねて、ようやく認めることが出来るのさ。揺るがしがたい現実ほど、そうやって受け入れるしかない」
メディオの言葉に、イグナは二度ほど大きく瞬きし、了解したように頷いた。
そして電脳内で様々な判定を繰り返し、ひとまずはキアシアを迎えに行こうと決定して踵を返す。彼女と相談がしたかった。陸歩に、どう寄り添うべきか。
「失礼いたします」
「――リクホにさ、伝えてといてくれるかな。ボクより君のが適任だろう」
去り際のイグナをメディオが呼び止める。
「頭が冷えたら、次層の話をしようって」
「それは。どういう意味でしょうか。詳細な内容は?」
「冷静になった上にしか敷けない層だよ。
それとも先取りして聞きたい?」
たっぷりと判定の間を取ったイグナは。
今しがた獲得した『層』の観念をAIに取り込んで、じっくりと吟味し。
ぺこりと頭を下げた。
「言付かりました。では」
「うん。よろしく」




