急:起 ≪治癒≫
大丈夫だというのに許してくれない。
とりあえず休息を取ろうと、陸歩たちは用意された客間に移動したが、その途端にキアシアがシャツを脱がせようとしてくる。
「早くお腹見せなさい!」
「やめろっての、大丈夫だから!」
「あんた最後斬られてたでしょうが! さっさと手当しないと!」
「もう塞がったよ!」
それでもパンツ一丁になってみせるまでキアシアは決して納得しなかった。
陸歩の胸から左の脇腹にかけてはざっくりと大きな切傷が刻まれていて、しかし彼の言葉に嘘はなく、すでに治りかけて出血もない。
薄ピンクの新しい皮膚が張り始め、それが痒くて陸歩は掻こうとするが、その手はキアシアに止められた。
「…………。一応、念のため、軟膏だけ塗るから」
「自分で出来るって」
「ダメ。あんた引っ掻くでしょ」
こうなったらキアシアも強情だ。
抵抗を止めて陸歩はされるがままとなり、肌の上をキアシアの指が滑るくすぐったさを腹筋に力を入れて耐えた。
包帯も巻くかと言われたが、それは断って新たな服を手早く羽織る。
キアシアの標的はイグナに移った。
「イグナは? 怪我したんじゃないの」
「自己修復中です。現在の出力は10%代まで低下していますが、戦闘以外の活動に支障はありません」
「あたしに何か手伝えることある? 軟膏塗る?」
「いえ。お気持ちだけで」
「そ。じゃあ、髪を梳かしてあげる。砂が入っちゃってるでしょ」
「それくらいは自分で、」
「ダメよ。休んでなさい」
「……。よろしくお願いします」
それにしても腹が減ったし、喉も乾いた。
陸歩がぼんやりそんなことを考えると同時、すっかり見慣れた同じ顔のメイドたちが次々に部屋へ雪崩れ込んできて、軽食や甘味を乗せた大皿、ティーポットなどをテーブルに並べていく。
「どうぞ。召し上がってください」
「……どうも」
読心でもされているかのような持て成しだ。
だがすぐに手を付ける気にはなれない。
用事の済んだメイドたちは続々と退出していくが、一人はこの場に残るようなので、陸歩は思い切って声を掛けた。
「あの。アイネ、さん?」
「はい。他に何かご入用ですか」
「……メディオ、どうしてます?」
さすがと言うべきだろうか。アイネは表情一つ変えない。
「左腕を治療するため準備中です。ご心配なさらず、ひどく上機嫌でしたよ」
「…………すみませんでした」
「何を謝っておられるのです」
「だって。……手なんて、技師にとっちゃ命も同然でしょ」
得心が入ったようにアイネは短く息を吐いた。
「いいえ。主にとっては、そうでも。
あの方に代替不可能なものは、自身のモチベーションのみです」
「はぁ……」
「気に病まれているようですね。ですが不要ですよ。
私の主は、突き指したら腕ごと取り替える方です」
「……はぁ?」
なにかとんでもなく豪気なことを聞いた気がする。
というか、では、陸歩の斬り落としたのは元々義手だった?
「だいたい、勝負はこちらが持ちかけたこと。それでどんな手傷を負ったとて、貴方に責任はないでしょう」
「まぁ、そう、かな?」
「むしろお相手頂いて感謝しております。
あんなに溌剌としている主は、本当に久しぶり」
不可解だった。
聞けば聞くほどで、思わず陸歩はことりと首を傾げる。
「あの、じゃあアイネさんは、何にそんなに怒ってるんです?」
問われ、メイドは無表情に固めていた顔に、はぁっと驚きを浮かべた。
そうするとまるで血が通い始めたかのようで、精巧な人形から乙女になったようで、なんというか、可愛らしい。
「……修行が足りませんね、私も」
耳を朱に染めた彼女は、「申し訳ありません」と陸歩に頭を下げた。
「ご不快にさせてしまいましたか」
「いや全然」
「有難う御座います。
その、なんといいますか……苛立っておりましたのはお見立ての通りで……。
あ、」
「あ?」
「主が負けたのが、こう、悔しくて……」
「…………、」
思ったより倍は可愛らしい人かもしれない。
少し距離を縮めて話してみたくなった陸歩は手近な話題として、ずっと気にしていたことを彼女に問いかけた。
「アイネさん、一個教えてほしいんだけど」
「はい。何なりと」
「貴女と同じ顔のメイドが山ほどいるのは、どうして?」
もしかしたらもっと早く訊ねて構わなかったのかもしれない。
彼女は上品に口元に手を当て、実に嬉しそうにクスクスと笑った。
「主に一番初めに聞いて頂いた、私の我が儘ですわ。
炊事と洗濯を同時にしたい。庭の手入れも、掃除も、あの方の助手も。
だから、身体を増やしてもらったのです。『私』という単一の意識で活動する、たくさんの私人形」
「並列義体だって? 驚いたな、オレの世界じゃそんなの夢物語だぜ」
ブレイン・マシン・インタフェースという研究はあった。
脳波で機械を操作する仕組み、また機械の五感を脳に伝える仕組みのことで、手を動かす感覚で機械のアームを動かし、機械の眼で見た景色を意識に浮かべる技術だ。
これを二足歩行ロボットで実現できれば、生身以外に身体を持てることになる。部屋にいながらにして意識のみを遠く離れた場所に送り、義体を用いて見て聞いて感じて、活動が出来るのだ。
さらに一度に接続するロボットを増やせば、人間はついに右を見ながら左を見る術を獲得する……。
まぁSFだ。
一時この構想に、ナユねぇの身体を作成する可能性を見出して、陸歩もだいぶ勉強したが。脳というブラックボックスの解明がまだまだ浅く、実用化には程遠い。今の技術ではカメラの付いたキャタピラを走らせるのが関の山。
それを、カラクリは実現済みだという。
「すげぇ、じゃあアイネさんは今、目の数だけ景色を見てるってこと? 頭の中で酔わない?」
「慣れてしまえばなんてことはございません。
それに、視界がいくつあっても、視点を定めてさえいれば、取り乱すこともないものですよ」
含蓄ある言葉に聞こえる。実はいまいち意味は分からないが。
とにかく、この世界では人体を丸ごと一つ創り出す技術が本当に存在することを、目の前の女性が現物として証明してくれたのだ。
それもイグナの感知を紛らわすレベルで。
その時の自分はきっと、どうしようもなく物欲しそうだったのだろう。アイネにニヤリとされ、陸歩はそう思う。
「ちょうど主が呼んでおります。リクホ様、どうぞ、案内いたしますわ。
イグナ様と、キアシア様も、よろしければ」
>>>>>>
そびえ立つパイプオルガン。
メディオのアトリエは、まずはそれが目を引いた。
何に使うものなのか、何にも使わないのか。
壁を埋め尽くす本棚からは、書が勝手に出たり入ったりしている。
床にはいくつもの書付が散らばっていた。
意外にも一目で機材と呼べるものはなくて、代わりに真っ黒なモノリスが何基も立っているのが異様だ。
「やぁ、来たね」
「おい、いいのかよ……」
気さくに声を掛けてくるメディオに、さすがに陸歩は鼻白む。
なぜって、件のパイプオルガンの前に安楽椅子を出した彼は、ゆったりと腰掛けてグラスのワインを呷っていたからだ。
左手を欠いたままに。腕を包んだ包帯が痛々しい。
「その怪我で、酒なんか飲んで平気なのか?」
「百薬の長とも言うだろう。君も一献、付き合わないか」
「あいにくと飲めないんで」
残念、とメディオは今ある分を飲み干した。
グラスを傍らに侍ったアイネへ渡し、また別なアイネ四人が運んできた机に左腕を置く。
そして陸歩たちに手招き。
「今から左手を継ぎ足すからさ。見たいかと思って呼んだんだ」
「見る!」
陸歩は一も二もなく飛びついた。イグナとキアシアは互いに顔を見合わせてから。
ギャラリーが揃い、メディオはアイネに合図する。
運ばれてくるカラクリ。巨大なコの字型は、さながらミシンといった趣か。
アイネがメディオの包帯を外した。どのような止血を施しているのか、赤い断面が露出しても机は濡れない。
陸歩たちが固唾を呑む中、カラクリが欠損部分めがけてローラーを降ろす。
いよいよだ。
ペンキを塗る様を想像してもらえればいい。
ローラーがメディオの腕の断面から先、机の上をひと塗り。
すると腕の切り口から伸びるように、薄く、薄く、目を凝らせばようやく分かる程度、左手のシルエットがあった。切り絵のようにぺらぺらの手が。
膜だ。層だ。
その上に、重ねてひと塗り。手がわずかに濃くなった。
さらにその上に。
さらにその上に。
その上に。
カラクリが何層も重ねていく。
その速度は膜を一枚敷くごとに増していき、今では霞んで見えるほどだ。
もはやメディオの新たな腕は、下半分が完成し、たまに指が痙攣している。
「すげぇ……」
思わずため息とともに零れた陸歩の呟きは、カラクリの駆動音にかき消えた。
こんなことが有り得るのか。
こんなことがあっていいのか。
自らの常識が覆るような光景だった。十余年、学んできたことが根底から拭い去られるような。
下半分の腕には骨もある。血管もある。筋肉ももちろん。一枚の膜の中に、その『層』で必要なものは全て込められているのだ。
瞬きすら忘れた。
涙さえ滲む。
あっという間の作業だった。
数十分で済んでしまった。
メディオは新しい左手の感触を確かめるように握っては開いて、アイネの頬や髪に触れている。
「すげぇ……」
陸歩がまた呟くと、今度はメディオは微笑んで、新品の手を差し出した。
乱暴にしたら壊れてしまわないか……そんな懸念から陸歩はそっと触れるが。
温かい。
生きてる手だ。
なんてことだ。
「なんて、こったよ……」
思わずぎゅっと握ってしまうと。
メディオもまた、力強く握り返した。
「これなら……これなら……オレ……これなら……っ!」
「――リクホ。ボクは君に、一つ訊かなきゃいけないことがある」
「え」
「リクホ。ボクは君に、一つ伝えていないことがある」
「え」
どうしてメディオはそんな表情でいるのか。
なぜ哀しそうにするのか。
握り返す手は、どうしてこんなに冷たいのか。
ぞっと、ぞくりと、陸歩の背骨が震えた。
「お姉さんの身体を造るためなら、君は何でもできるかい?」
「当たり前だ!」
そんなものは即答だ。
しかし。
次の問いには、いつまでたっても答えが返せない。
「その『何でも』には、お姉さんを殺してしまうことも含まれる?」
「え」
何を問われたのかさえ、陸歩はよく分かっていなかった。
何を突き付けられようとしているのか、陸歩は想像さえ、出来ていなかった。
ただ良くない予感を無理やり喉に突っ込まれたようで、息が詰まって、慄くように二歩、よろめいた。




