破:転 ≪講義≫
診療を済ませ、患者を送り出した後、陸歩たちが連れられたのは地下だった。
工房の真下。まるでコロッセオをそのまま埋めたような、円形の広大なスペースに案内される。
「カラクリの動作検証なんかに使うんだけどね」
白砂敷きの闘技場を、真ん中まで進みながらメディオが言った。
その後ろをついていきながら、陸歩は期待から鼻息を荒くする。
「なんか見せてくれるのか、カラクリの秘密」
「うん。極意、真髄、最も基礎にして深いところをご覧に入れようじゃないか」
周囲ではメイド姿のアイネが十数人、慌ただしく駆けまわっている。
彼女たちはそこら中に剣や、槍や、鎚や、斧や、その他さまざまな武器を突き立てていき、いま主にも一刀を捧げた。
受け取ったメディオは、そのメイドの手も取る。
「アイネ」
そして甲に優しく口づけ。
女はくすぐったそうに微笑んだ。
「正解です」
メイドは恭しく礼、主が脱いだ白衣を預かる。
また別なアイネが陸歩へ、彼の鈴剣を渡した。
状況が示すところは分かり切っているが、だからこそ困惑の一方だ。
「おい、なんだよ……物騒じゃないか」
メディオは呑気に準備体操をしていて、運動不足の背骨をポキポキと鳴らしていた。
「リクホ、君は剣士だろ? 見たところまだ見習い課程のようだけど。
なら実戦で覚えるのが一番だ」
「実戦って……カラクリとなんか関係あんのかよ?」
それになにより、まさか、相手はメディオ自身か。
学者肌の、サンダル履きの人形師が、自ら刀剣を持ち出して?
「なぁ、いくらなんでも危ないんじゃ……」
「――危ない?」
気付けば。
陸歩の鼻先に、切っ先があった。
メディオの抜き放った白刃、その鋭利で冷徹な先端が。
不覚にも陸歩には、抜刀の瞬間も刃の軌跡も、全く追えていない。
よもやこの技師に、剣の心得まであろうとは。
メディオは不敵に微笑む。
「そうだね。君の腕じゃあ、ちょっと危ないかも。やめておくかい?」
「んにゃろう……」
陸歩も抜刀、メディオの剣を弾いた。
「っ本当に、これでカラクリの秘儀が分かるんだな?」
「うん。不足なく教えよう。
ただし、君も見せてみろ。君の最も分厚い層を、このボクに。本気で、全力で、全霊で。それだけがボクの知識と釣り合う対価だ」
「……、イグナ! キアシア!」
傍で冷静に、また固唾を呑んで、成り行きを見守っている少女たちに鋭く呼びかける。
「下がってろ、ちょっと激しくなりそうだ」
「かしこまりました」
「き、気を付けてね!」
二人が戦いの邪魔にならないよう場から去っていくのを眺めたメディオは、わずかに顔をしかめた。
「本気で、といったはずだけど」
「あぁ。これで気兼ねはねぇだろ」
「……やはりスケールが小さい」
やれやれと首を振りながら、メディオは剣を構えた。
左手に握り、柄頭に右掌を当てたそれは、如何な流派のものか。
陸歩も鈴剣を手の中で回し、一撃必殺の刃幅を持たせて、正眼に。
向かい合う互い以外、闘技場に立つのは無数の武器のみ。
これよりは、己が業と信念以外には、入り込む余地のない領域。
「…………、」
「…………、」
「……リクホ、よかったら先手は譲るよ?」
「……へっ、そりゃどうも、」
返事を遮って剣が飛んできた。陸歩は慌てて仰け反った。
「なぁっ!?」
メディオが、あの構えからどうやってか投げつけてきたもので、さらに彼は手近なところに立っていた一刀を引き抜きながら踊りかかってくる。
「先手譲るって話はどしたぁ!?」
「あぁ嘘だ。素直だな君は」
「てンめぇ……っ!」
剣と剣とがぶつかり合い、激しく火花を散らす。
剛腕を誇る陸歩に対し、意外というべきかメディオは正面から斬り結ぶ腹であるらしい。
ただ膂力差で剣が叩き折られないよう、指先と手首で太刀筋に微細な緩急を付けていて、その技巧一つでもこのメディオエディオという男が、自分より数段上の使い手であることを陸歩は痛感する。
自らの斬撃がコントロールされている感覚も、陸歩は味わっていた、痛いほどに。
思った向きに振り抜けない。
思った威力で剣が相手に走っていかない。
メディオが片手で振るう刀剣は、あまりに柔らかく自在に斬りつけてくるため、グニャグニャとしなっているようにすら錯覚させられる。
一度などは、完全に彼の背後を取ったにも関わらず、そのままの姿勢で腕だけを振り向けて斬ってくる。
上、下、右、下、右、上、上、左……緩慢なくどこからでも攻めてくる剣に、陸歩は息をする暇もない。対応し、打ち合わせるだけで精いっぱいだ。
「こ、のぉおっ!」
「――む、」
それでも耐え忍んだ甲斐はあって、メディオの剣に罅が入った。
相手に生まれた一拍、好機と見出した陸歩は強引かつコンパクトに鈴剣を横薙ぎ。
中ほどから折れたメディオの剣。
潔いもので、彼は手に残った柄を即座に放り出し、傍らに立っていた鎚を取った。
が、長柄のそれは刀剣よりもよほど頭が重く、先ほどまでの軽妙さはさすがに再現できないらしい。
ならば今だ。
陸歩には、今。
「おぉおおぉおぉおおぉお!」
裂帛とともに愚直なほど同じ軌道で何度も上下に斬りつける。
メディオは鎚の竿で次々に受け止めていくが、あまりの威力で手に伝わってくる危険な痺れに、わずかに目を細めた。
ついに鎚も叩き折った。
いけるか――
「――とでも思っているかい、リクホ?」
「っ!」
まず折れて棒だけになったほうを投げつけられた。
これをとっさに切っ先で弾いてしまったのが陸歩の不覚で、その隙をついて今度は頭の付いているほうをメディオが投じてくる。
避けられない。
「ぐっ! き、かねぇよぁ!」
なので陸歩は額でもってこれを迎え撃ち、石頭で叩き落とした。
あんまり泥臭くてメディオは苦笑いを浮かべる。
だがメディオが本当に欲しかったのは、距離。
彼我の間合いは数歩分、先の投擲はこのための陽動だ。
メディオの左足が白砂を踏みしめた。
――陸歩はそれを始め、鮫の背びれ、かと思う。
その一連は音速に迫るほどの一瞬で、陸歩の動体視力でようやく追えた。
巨大な額縁のようなものが、砂の中から飛び出したのだ。鮫の背びれはこれで、何か薄膜のようなものが張っている。
そしてそれは、例えるなら本に栞を挟むような仕方でメディオの身体に右から入り、それに留まらず左へ抜けていった。
メディオの笑みが濃くなる。
メディオの瞳の金が濃く。
「なんっ、」
確かめるだけの間は陸歩には与えられない。
新しく戦鎚を掴んだメディオは――数秒前までとは打って変わって熟練し、体系だった業で攻め立ててくる。
別人のような冴えだ。
「くっ!」
独楽を思わせる、身体全体の回転を主として打ち込んでくるメディオ。
遠心力と術理を上乗せされた鎚はとても受け止めきれない。
吹き飛ばされて陸歩は砂の上をゴロゴロと転がる。
獣の姿勢で即座に起き上った時、メディオはまた地面を踏みしめていた。
飛び出す謎の額が、身体を通過し。
今度は槍を手に取った。
「まだまだ行くよ」
……この辺りから陸歩の思考は怪しい。相手の攻撃が矢継ぎ早、かつ多彩なために翻弄され、物をいちいち考えている余裕がなくなったからだ。
閃く槍の穂先は、稲妻か。
飛び出す謎の額。
奔る鎌の刃、その波模様。
飛び出す謎の額。
猛る双剣は輪舞を奏で。
飛び出す謎の額。
荒ぶる斧は天罰を想起させる。
「……っ……っ!」
「頑丈だなぁ、リクホ」
もう何度転がされたか分からない。
いくつ業を叩き込まれたか分からない。
今や陸歩は闘技場の端まで追い詰められ、無数の武具で壁に縫い付けられていた。
未だに傷はなく、血の一滴も零してはいなかったが、とっくに肩で息をしている。
それにしても。
おかしい。
この男、メディオエディオは、強すぎる。
見せつけられた流派は軽く三十を超えていたはずだ。そのどれもが達人の域。これは天才ゆえなのか、それとも何かカラクリが……。
「自分より格上の相手は初めてかい?」
問われ、陸歩は歯を食いしばりながら答えた。
「あんたで、三人目だ」
「それは光栄。
……なんてね、ボクのは手品なんだ」
メディオの左足がまた、その場を踏みしめた。
飛び出す額縁。今度のそれは彼の身体を通っていかず、立ったままとなる。
ようやくその物体をはっきりと見て、陸歩は眉をしかめた。
張られていた膜。それは向こう側がほのかに見えるほど薄く、自ら淡く発光していて、等身大の人間の形をしている。
「これはね、『剣術の層』だ」
「…………は?」
「いいかいリクホ。生物っていうのはなんでもね、層で出来てるんだよ」
唐突に始まる講義に、陸歩は束の間当惑する。
これはメディオなりの勝利宣言だろうか。
だがすぐにそんなことはどうでもよくなり、彼の言葉を一つも逃すまいと耳をそばだてた。
「動物でも植物でも人間でもね、層で出来ているんだ。
こういう膜を、数千数億って重ねて、立体にしたものが『生物』なの。
層には一枚一枚それぞれ機能があって、例えば『歩く層』だとか、『話す層』だとかに別れてるのさ」
にわかには信じられない。
こっちの世界の科学や医学とは、あまりに隔たった話だ。
「だから信じやすくするための、この実戦だったんだけど。
実はボク自身は、剣術も槍術も納めてないんだよ。
あちこちから採取した『戦闘術の層』をたくさん所持していて、それをとっかえひっかえ身体に足してたってだけ」
確かに額縁が身体を通り抜けるたび、メディオはたちどころに達人と化した。
機能の層。
認めるしかない。
それが出任せでも迷信でもないことは、散々突き転がされた陸歩自身がもはや一番身に染みているのだから。
「……オレにも、あるのか。その層ってのが」
「うん、もちろん。どんな天地で生まれようと、それは変わるまいよ。
君の『剣術の層』は、まだまだ薄いなぁ」
「…………、」
「お姉さんの身体を造ろうって試みたとき、君たちが間違えていたのは、この真理を持っていなかったからだ。
リクホ、部分を作っちゃダメなんだよ。全体を造らなきゃ。内臓と内臓が連動しない? なんで個別に作るのさ。どうして一連なりに造っちゃわないの?
君はお姉さんの身体を造りたいんだろう? なんで手を作ろうとするのかな、なんで胴を作ろうとするのかな、なんで心臓を作ろうとするのかな」
スケールが小さい、とはそういう意味か。
カラクリが連動率の問題と無縁なのはそのためか。
あちらの世界の常識では、決して至れない答え。
「さっきの診療所で男の子、腕の調子悪そうだったろう? 技師が二流だったんだ。あの子の層と腕の層とがチグハグだったからさ。
あの腕を作った技師も君たちと同じ、所詮『腕』を作って継ぎ足そうとしたってわけだよ。
それじゃあダメだ。それじゃあいけない。それじゃあ横着だ。
本当にすべきは、『腕の有る彼』を造ってやることだ」
「なら、正しいカラクリ技術なら、その方法でナユねぇの身体が造れるんだな……っ!?」
「あぁ。愛を持って、勤勉に取り組めばね」
「教えてくれ! その技をオレに!」
「いいよぉ。ただし、ボクに勝てたらね」
ニンマリと、メディオは特別に愉しそうに嗤った。
「ねぇリクホ。ボクは言ったはずだよ。君の本気を、全力を、全霊を見せろって。
ねぇリクホ。君が振り回すのは剣だけかい? それじゃあ全然退屈なんだけど。
ねぇリクホ。今の君なら分かるんじゃないかな? 自分がどうするべきか」
「――――っ!」
炎を吐き散らかす。
陸歩は、全身から、あらんかぎりの火力で。
剣術比べに異能を使ったら卑怯だ……無意識でそう思っていた。
が、今はもう違う。
本当の本気だ。全力だ。全霊だ。
剣という一部でなく、循内陸歩の全体で、この天才に挑む。
心底嬉しそうに飛び退いたメディオは、紅蓮の中から陸歩が現れるのを待った。
ゆっくり、赤から黒が滲み出るように、歩んでくる、彼。
「――イグナぁあああ!!」
さらに陸歩から迸った呼び声に。
それに応じて飛来した少女に。
メディオは本当に本当に、楽しくって仕方ないと破顔した。
「そうだよ、それでいいんだ。ジュンナイ・リクホ、必死な者よ」
「Order! Code:Ignition!!」




